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音楽評論家の必要性 | ヴァイオリン掲示板

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雑談・その他 43 Comments
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音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年06月19日 19:15
投稿者:silv(ID:FBNIcUQ)
音楽批評について、今までの経験から不必要だと思っています。したがって興味をもって読んだことはりません。皆さんはどのようにお考えですか。
あえて問題を提起したいと思います。
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Re: 音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年06月19日 22:34
投稿者:pochi(ID:EyRIKDA)
評論家は一種の宣伝屋でしょう。

政治評論家が政治宣伝するのと同じ、車評論家が車の宣伝をするのと同じです。勝手な事を言っているので、言わせておけばよいと思います。

個人的には、何年に作曲されて、誰がどこで初演して・・・・なんて知識を供給する役割をもっているのなら、音楽評論家も有用だと思うのですが、音楽に対する感性が無いのに、音楽の内容に関してクダラナイ事を書かれても、唖然とするだけです。

芸事の良し悪しは、立ち位置によって変わります。あらゆる価値観と同じでしょう。音楽評論家の需要もあるとは思いますが、先日死んだ吉田秀和はクダラナイヤツだと思っていました。

ttp://fstrings.com/board/index.asp?aorder=normal&id=8285&t=2003
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ドキッ

投稿日時:2003年12月28日 14:11
投稿者:Geiger1951(ID:Fxk4BJE)
8315 pochi さんへ
無礼者、余は遠山一行であるぞ(笑)。

「長江」ですかー。聴きたくねーよなー。あ、失礼。
+++++
吉田さんは父が著作集(野村光一さんの何冊かもあったと記憶します)買いこんでいましたね、そんな昔じゃない。この前も書架で日焼けしてたよな。
少しだけ実は読みましたよ。御免なさいね。
吉田さんはよく読書していて、知らないことを書かない。
つまり、妙に知ったかぶりしないので憎めません。
日本の知識人層が西洋音楽をどう受容したかの参考資料としては貴重かもしれません。
吉田さんのおかしいのは「モーツァルトのアリアはソナタ形式でどうの」
って、感動しながら書いている。
ナポリオペラのアリア形式が発展して何時の間にかソナタになったと思うんで、アリアの方こそ元祖ですよね。
この問題はこんど調べてみよう、とたった今思いつきました。

吉田さんは昔のTH学園の教務課の人でした。
「先生変えてほしい」と頼んで叱り付けられた人から逸話聞きました。結局変えてもらえたんで、わからずやじゃないかもね。
+++++
吉田さんはこの程度で切り上げ:
音楽に関する理屈でいちばん参考になったのは、ヘルムート・リリングがバッハの演奏解釈について書いたもの(マタイやロ短調)でしたね。
それと、ヘルマン・ケラーの「バッハのオルガン作品」
結局、演奏力のある人が書かないと音楽論議は弱いのでしょう。

打楽器出身のあのX響正指揮者と「一字違い」の評論家さんも、結局ここがお弱いのです。
ドキッGeiger1951[03/12/28 14:11:58]
日本の知識人層が西洋音楽をどう受容したかの参考資料としては貴重かもしれません。
吉田さんのおかしいのは「モーツァルトのアリアはソナタ形式でどうの」
って、感動しながら書いている。

音楽は知識で演奏するモノではありません。Geiger1951氏の説だと、奏者の立場では、必要有りませんね。
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評論家は嫌いです

投稿日時:2012年06月23日 20:31
投稿者:江戸川凡人(ID:QghYc3M)
CS放送の「クラシカ・ジャパン」で、ドイツの有名な評論家のヨアヒム・カイザーがベートーヴェンの交響曲について指揮者のティーレマンと対談していました。我々としては演奏する立場からのティーレマンの面白いコメントを引き出してもらいたいですが、カイザーはひたすら自分の思いつきをしゃべりつづける。それも細かい音楽的な思い付きです。カイザーは自分でスコアを読んで思いついたことを得意げに、今をときめくトップ指揮者を無視して、相手の顔も見ずに話しつづける。カイザーは文学博士で音楽学の教授で学生に人気があり新聞に批評を書きつづけているのは事実でしょうが、スコアを読む力でティーレマンより優れているとは考えられない。彼はピアノも下手糞でしょう(多少弾くらしい)。音楽家になる才能は全く欠いているただのディレッタントです。他の楽器は弾かないでしょうし、オーケストラも室内楽もやらない(やれない)でしょう。相手をするティーレマンは時折自分の見解を述べるが、カイザーは多少うなずくものの、相変わらず自分のつまらない退屈な「独自の見解」を、顔を真っ赤にして語りつづける。あきれたティーレマンは、微笑して黙って聞くそぶりをして付き合っています。どうも評論家という人種は、ドイツでも駄目なもののようです。
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Re: 音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年06月24日 01:21
投稿者:通行人(ID:giRyMYA)
往々にして弾ける人は文章力がなかったり、話のボキャブラリーが貧相だったりします。そういう訓練をする時間があったら楽器の練習をしたいからなのでしょう。

批評家というのは、そういう意味では演奏家になりかわって、演奏家本人が言いたいことを代弁する場合がありますので、無用の長物ではないですね。

ただしそれができる現役は皆無に近いと思いますが。
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Re: 音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年06月24日 01:31
投稿者:pochi(ID:EyRIKDA)
演奏家は語彙が豊富で文章力に秀でている人も多いと思います。

ボキャ貧になるとすれば、「言えない事・言ってはならない事」が多いからです。

批評家に演奏家の代弁は不可能だと思います。曲目解説に留めてくれたら、非常に有り難いと思っています。
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Re: 音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年06月24日 13:22
投稿者:自称評論家(ID:ExiIWRA)
CDやレコード等の媒体を販売する会社にとって音楽評論家は利用価値があります。新聞社や出版社の立場でも紙面を埋める上では必要でしょう。かつては、特定のレコード会社と結託していると噂される評論家も居て、「正月早々カラヤン先生に脱帽」などと臆面もなく書いた人が居ました。

評論家自身が演奏家でない場合、演奏家の代弁ができないのは確かでしょう。でも、曲目解説に留めるべきかと言うと、CDを買う人やコンサートホールで音楽を聴く人の大多数はプロ演奏家ではないし、楽器をたしなむ人もそれほど多くはないので、書誌事項以外の批評があれば参考になります。決して鵜呑みにすることはありません。

聴衆は評論家のように意見を広めることはあまりありませんが、それぞれのレベルで評価をし、それにより媒体やチケットの購入を決め、その上に演奏家が成り立っています。評論家の発言が聴衆のそれの延長上の存在に過ぎないからと言って否定されるものでもありません。

知識豊富で表現力のある演奏家はもっと情報発信の努力をなされたらいかがでしょう。発言は自由なのだし、楽器の弾けない評論家の発言よりも尊重される可能性はあります。
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Re: 音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年06月24日 16:36
投稿者:pochi(ID:EyRIKDA)
ネット社会になって、情報発信機材が家庭に持ち込まれた事により、人類総評論家になり、専門職としての評論家は必要なくなってしまったと思います。レコ芸も廃刊の危機です。

そもそも、レコードが芸術であるはずがないのです。「レコード芸術」という言葉に違和感があるからこそ、タイトルとしてパンチがあったのに、レコードを芸術と勘違いしている人々を作ってしまったのではないでしょうか?

コンサートレビューも、ネットでの任意のレビューと、評論家の書くレビューは等価です。

演奏家が自ら評論する場合、匿名で行う必要があります。他人の演奏に対してクリティサイズすることは、演奏家には有り得ません。

ネット社会では、マスメディアも融解していきます。CMをみれば、番組がどんな人をターゲットにしているのか、解ります。読者投稿欄をみれば、新聞等のターゲットが解ります。
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Re: 音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年06月24日 17:18
投稿者:通行人(ID:giRyMYA)
>評論家自身が演奏家でない場合、演奏家の代弁ができないのは確かでしょう。


演奏家は職人であって研究者ではない。

職人ふぜいにまともな文章が書けると思っているのかね?

そもそも、評論家もピン~キリで、全部いっしょくたにして論じるのは、無意味なんだよ。

提灯持ちの記事なんぞは評論もどきでしょうが。
[44626]

Re: 音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年06月24日 17:21
投稿者:通行人(ID:giRyMYA)
>レコードが芸術であるはずがない


これが正論なら、以下も同様ですね(笑

写真は芸術ではない。

演劇に比べたら映画は芸術ではない。

版画は複製品だから芸術ではない。
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Re: 音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年06月24日 19:02
投稿者:pochi(ID:EyRIKDA)
通行人氏、
「(笑」が気になります。敢えて、「(嗤」とお返し致しましょう。

芸術を、「価値観の提示」と定義しています。

音楽の場合、その瞬間をホールで表現しているのに、電気信号に変換してしまったら、違うものです。ご存じの通り、演奏会と録音は似ても似つかないモノになっています。

レコードが芸術であるなら、レコーディングエンジニアが評価対象になるべきであって、その演奏とは限らないでしょう。音を作り込んだエンジニアのクレジットが入っているレコードはどのくらいの割合なのでしょうか?

CDを電気の箱で聴いて、演奏家の「音色がドウタラ・表現がカンタラ」なんて曰うのは、笑止千万です。

レコードが芸術なら、ミヒャエル・ナナサコフ氏がピアノの腕を上げて、世界最高・史上最高のピアニストに名乗りを上げる事でしょう。21世紀のグレン・グールドです。

写真は写真家が評価されるのであって、被写体そのものはあまり評価されません。芸術家である写真家の目を通した作品、芸術です。筆とキャンバスが違う、絵に近いモノですね。

映画は複合的ですね。写真が動画に変わったモノ、絵として撮る事だけを前提とした演技が評価対象になっていますよね。

版画は印刷の一種なので、写真に近いでしょう。版画の絵師は芸術家として評価されるべきですし、芸術でしょう。
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