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MENUHIN, Yehudi[ ユーディ・メニューイン ]

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プロフィール

Last Update
[14/12/10]
MENUHIN, Yehudi [ ユーディ・メニューイン ]
America    B: I9I6/04/22  D: 99/03/I2

門下名: ENESCO, Georges ; PERSINGER, Louis
使用楽器: STRADIVARI, Antonio

読者人気度:
総合得点:
47
3753pts
得点内訳:
1244 1244 1265
音色 技術 解釈

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アメリカ・ニューヨークに生まれ、パーシンガー、エネスコ、アドルフ・ブッシュなどに師事。いわゆる「神童」として有名になったタイプで、7歳のときにサンフランシスコでデビュー。一時楽壇を席巻した。後にイギリスに定住することとなり、イギリスで音楽教育機関を設立。ナイジェル・ケネディを育てた。1999年3月12日ベルリンで死去。享年82歳。

[01/03/11] FSTRINGS

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残念です
松永 圭弘
08/11/17 10:56:21

 ぼくは、録音でしか、あるいは録画でしか、彼を知りません。ぼくが今習っているバイオリンの先生は、オーケストラ時代に、メニューインと共演されたそうですが、「荒いとか、音がうわずるとか周りは言っているみたいだけど、実際はもう、あの響きは、生で聴いたことある人しか分からないよ。もう、別格だよ」と、思い出を語ってくれました。


メニューインの先生
オカムラ
04/07/10 23:11:42

手持ちの資料に「五歳のとき初めて先生の下に就いた」とあります。(バイオリン始めた時期いつだったけ?)そして七歳でデビュー(たしか)、そして十二歳でベルリンフィルと協奏曲で共演


神童時代のメニューイン
ぽぴぃ
03/02/06 15:00:04

壮年期から晩年までの衰えたメニューインの印象が強いわりに
神童〜青年時代のメニューインをよく知らなかったが、最近その頃の
名演の数々を聴いて驚いた。

それらは1931年のブルッフのコンチェルト、1933年のラロの
スペイン交響曲とショーソンの詩曲、1938年のメンデルスゾーンの
コンチェルトだった。強烈な個性はないものの、女性的な香りのある
美しい音色と極めて卓越したテクニックで、難なく弾ききる様は確かに
神童と呼ばれるにふさわしい。

もちろんそれらは鍛えぬかれ、考えぬかれてできたものではなく、
あくまで天性の勘によって成されたものであることは確かだ。
だからテクニックが落ちてきた時にそれにとって代わる表現力や
個性が希薄だったために衰えばかりを聴き手に感じさせてしまった、
と思われてならない。


Re:ハルトナックによる評伝
N.M.
01/12/02 11:32:35

まず第1にメニューインは衰えたのか、という問題があります。
すなわち第2次世界大戦後もモノーラル時代までの好調時には戦前の神童期と同レベルの超絶技巧を駆使しています。
確かに出来不出来が多くなったという点では衰えたとい得るかもしれませんが。
本当に衰えてしまったのは1956年の脊椎手術後です。これ以後ボウイングが衰え演奏に聞き辛さが出てきます。
しかし調子のいいときはそれほど気になりません。

あとは1936年から1937年にかけて一時引退下という点が「衰え」のファクターになっているということも考えられます。
この時期ほとんどヴァイオリンをさわっていなかったそうです。復帰後1938年録音のメンデルスゾーンやシューマン:Vn協奏曲などは名演ですが、1940年ライヴのバッハ、ブラームス:Vn協のライヴは大味で不器用な演奏です。

さらに第2次大戦中の慰問公演ではヴァイオリンをさらう時間は全くなかったそうです。

Tony Palmerによるメニューインのドキュメンタリーでは第2次世界大戦時の結婚生活の破綻と離婚、大戦時の過酷な現実、大戦後ナチの収容所の惨状を見たことがスランプにおちいった原因としています。


ハルトナックによる評伝
前田 泉
01/11/28 0:27:11

ヨーアヒム・ハルトナックの名著「20世紀の名ヴァイオリニスト」で、メニューインの章は白眉です。神童時代の後に来た急激な衰えの原因は「演奏家としての基礎が不充分であった」ことだ、としています。
第二次大戦中の慰問演奏がその衰えを早めたにしても、シェリングが似たような慰問活動を余力をもってこなせたのは堅固な基礎訓練の賜物だとしています。うーんとウナるほど重い評伝です。


正式名称(?)
N.M.
01/09/02 6:25:25

1993年貴族のバロン(男爵)に叙され正規には
The Rt Hon The Lord Menuhin of Stoke d'Abernon, OM, KCB
と表記するそうです。


国籍
N.M.
01/09/02 6:20:08

1985年イギリスに帰化。


手術
N.M.
01/09/02 6:08:29

メニューインは1956年に脊椎の手術を受けています。
(それと関係があるかどうか分かりませんが彼のレコードを聴いているとこの年頃以降の録音にボウイングの衰えが目立つ気がします。)
ソースは『マエストロに乾杯』石戸谷結子(共同通信社 1994年)で「それはヨガに基づいた逆立ちのことでしょう。それと自分で開発した背骨の運動なんてものもあります。五十六年に脊椎の手術をしたので、それ以来気をつけているんです。」とインタビューに答えています。手術の原因についてはここでは語っていません。

しかし『神話をつくる人たち』共同通信社編(1980年)の故・数住岸子さんによる「ユーディ・メニューイン かくてクライスラーは去った」という記事に「彼が二十歳後半の時、首にケイレンを覚えたこと、そのケイレンが姿勢を不安定にし、右手の硬直にまでおよんだことは周知の通りである。彼は今でも首の脱力運動を心掛けているといった。」とあります。


死去
N.M.
01/03/27 11:13:35

1999年3月12日ベルリンで死去。享年82歳。


CD情報

サイト上に皆様から寄せられたレビュー情報です。

▼ [EMI] TOCE-7285 MENUHIN, Yehudi
<ベートーヴェン/2大ソナタ集>
読者推薦数[0] 読者非推薦数[0]
▼ [AVID] AMSC 590 MENUHIN, Yehudi
<MENUHIN: BRUCH - MENDELSSOHN>
読者推薦数[0] 読者非推薦数[0]


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