ヴァイオリン専門の総合情報サイト
ヴァイオリン・ウェブ

トップ 演奏家 楽曲 CD 製作者
トピックス 伝言板 掲示板 占い
アーカイブ 検索 メルマガ
マップ リンク ポリシー

ヴァイオリン演奏家ライブラリ


Isaac Stern

演奏家ライブラリでは、個々の演奏家にスポットを当てた詳細な情報と、 演奏家にまつわる企画記事の2本立てのコンテンツをご提供します。データベースに お気に入りのヴァイオリニストが見つかったら是非投票をお願いします。 あなたの投票により人気順位が変動します。また、各ヴァイオリニストについての 投稿情報もお待ちしています。

■演奏家の一覧を見る
[演奏家インデックスへ]

■演奏家のお話をする
[演奏家BBSへ]

■演奏家を検索する
スペースを空けて複数入力するとOR検索します。

■演奏家のデータを追加する


■企画記事
演奏家関連企画記事。時々追加。
ヴァイオリン奏法の開拓者達
夭逝の天才ヴァイオリニスト

■ヴァイオリン奏法の開拓者達
 ヴァイオリンが生まれて400有余年。この間、いかにしてその高度な 奏法が開発されたのか、ヴァイオリン誕生と同時に演奏者という視点に 絞って考察してみよう。

■16世紀末期〜17世紀前期
黎明期〜基本奏法の確立

 イタリアにおいては、 ヴァイオリン誕生の黎明期であった16世紀後半より、 楽器としてのヴァイオリンについての奏法の探求が始まった。 ヴァイオリン特有の奏法の確立において大きな貢献のあった 最初の奏者は、イタリア・クレモナ生まれの作曲家、 モンテヴェルディによるマントヴァ楽派のマリーニ、ファリーナ の名前が挙げられる。彼らは17世紀初頭までに運弓法、 重音奏法、ピチカートを初めとする主要な奏法のほぼすべてを その作品の中で試みている。その他、 カステロ、グランディ、ウッチェリーニ、クワリアーティらにより 17世紀中頃までに基本的な奏法はほぼ確立された。


■17世紀中期〜18世紀中期
楽曲様式の確立に伴う地位の向上

 17世紀の後半になると、独奏ソナタ形式による楽曲が レグレンツィ、カッザーティ、ヴィターリ、ボノンチーニ、バッサーニ などにより創作され、ヴァイオリン音楽の様式の確立に貢献した。 17世紀末にはコレルリによるコンチェルト・グロッソ、 アルビノーニ、トレリ、ヴィヴァルディによるソロ・コンチェルト などにより合奏におけるヴァイオリンの新たな地位を確立させた。 18世紀前期までには、イタリアの各地にはヴァイオリン音楽に おける指導的地位を持つ作曲家・演奏家が集中している。 ヴェネチアではテッサリーニ、ボンポルティ、ボローニャには マンフレディーニ、ダラバーコ、ローマにはロカテリ、フィレンツェ にはヴェラチーニ、ナポリにはポルポラ、ドゥランテ、レオ、 ペルゴレージ、トリノにはソミス、プニャーニ、パドゥアには タルティーニ、ナルディーニがいた。中でも特に功績が大きいとされる のがロカテリとタルティーニであり、ヴァイオリン奏法をより高度に 発展させた。

■18世紀後期〜19世紀後期
ヴィルトゥオーソと楽派

 18世紀後期のイタリアではプニャーニ門下のビオッティが コンチェルトをはじめとした多くの作品を発表した。 19世紀に入るとかの有名なパガニーニが出現し、ヴィルトゥオジティが 意識されるようになる。パガニーニはどの楽派にも所属せず、異端的 存在であり、その奏法も一代で完全に途絶えた。イタリアには その後シヴォリ、バッジーニらのヴィルトゥオーソも生まれたが、 以来楽壇における目立った動きは見られなくなった。 フランスにおいてはその後パリに活動の場を移したヴィオッティの 門下からクロイツェル、ロード、バイヨー、ド・ベリオなどの優れた 弟子たちが輩出された。この系譜をフランス・ベルギー派と呼び、 20世紀のクライスラー、グリュミオーなどに続く重要な血筋を 形成した。以下、その系譜を簡単に示す。

バイヨー→アブネック、マザス、ダンクラ
アブネック→アラール→サラサーテ
アブネック→レオナール→マルトー
レオナール→マルシック→フレッシュ、ティボー
クロイツェル→マサール→ヴィエニアフスキー、オンドルジーチェク、クライスラー
ド・ベリオ→ヴュータン→イザイ

 ドイツにおいては、当時までヴィルトゥオーソ系の作曲家が 目立って輩出されず、イタリア的な演奏技巧の強調よりむしろ 楽曲としての完成度に重きをおく傾向にあった。しかし ベートーヴェンのクロイツェルソナタに見られるように、 フランス楽派の影響もあったとされる。こうした中で 本格的なドイツ・ロマン派独自の音楽を創作したのが シュポーアである。彼の楽曲は高度な演奏技巧を散りばめながらも、 楽曲構成へのこだわりも強いのが特徴である。この手法は さらに高められ、メンデルスゾーン、ブルッフ、ブラームス などに受け継がれていく。ドイツにおけるヴァイオリニストの 系譜を以下に示す。

シュポーア→ダヴィッド→ヴィルヘルミ
ピクシス→ミルトナー→シェフチーク→クーベリック
ベーム→ヘルメスベルガー(1〜3世)
ベーム→ヨアヒム→フバイ→シゲティ

[2001/03/17]

■夭逝の天才ヴァイオリニスト
 映画界ではジェームス・ディーン、ロック音楽界ではジミ・ヘンドリクスなど、どの分野にも夭逝の天才達がいる。ヴァイオリン界でも、その将来を嘱望されながら悲劇的な最期を遂げたヴァイオリニスト達がいる。今回は私が個人的に是非とも皆様の記憶に留めて頂きたい3人をご紹介する。

 ジネット・ヌヴーは伝説的な女流ヴァイオリニストの一人だ。10代に満たない頃から既に公開演奏会を行い、名だたる名教師たちも彼女の才能には驚き、そして目を細めた。彼女が7歳の時、エネスコのレッスンでこんなやりとりがあった。彼女の弾くバッハを引き止め、「そのパッセージ、私はそう弾かないよ」。するとヌヴーは「私は自分の理解した通りに弾くの」。エネスコはにっこり笑って続けさせた。またフレッシュは彼女に「君は天からの授かりものを持っている。私にできるのは純粋に技術的な助言だけだ」と言った。ヌヴーは16歳でヴィエニアフスキコンクールに出場し、27歳のオイストラフを第2位に退けて優勝した。1939年に戦争が勃発するまでには既にヨーロッパ全土で熱狂的な支持を受けていた。ヌヴーは流派にとらわれない、非常に自由なスタイルを持つ奏者だった。あるときは弓をハイフェッツのように持ち、またあるときはティボーのように持った。観客はびっくりしたが、彼女にしてみれば必要な時に必要な持ち方をする、それだけのことだった。戦後、再び活発な演奏活動を行うようになったが、1949年10月28日、アメリカに向かう飛行機が墜落し愛器ストラディヴァリとともに海に散った。成功の絶頂の中、30歳というあまりに早すぎる死だった。

 アメリカは20世紀半ば、驚異的な才能を持つ一人のヴァイオリニストを生んだ。マイケル・レビン。彼ほど完璧にツィゴイネルワイゼンを演奏する奏者が他にいるだろうか。フレージングに一切の無駄がなく、完全なイントネーションに加え、ひと弓でのスタッカート、左手のピッチカートの音の粒と音量まで完全にコントロールされている。20世紀の最も偉大な教師の一人、アイヴァン・ガラミアンはこう言っている。「私が今まで教えた生徒の中で一番才能があったのはマイケル・レビンだ。欠点がなかった。全くなかった」。彼が録音を行っていたのは14歳から24歳までの10年間だが、この間に2回のパガニーニの協奏曲の録音を含め、主要な協奏曲と数多くの小品を録音している。そして特に凄みを発揮するのは20歳を超えた頃からである。彼はカプリースやチゴイネルワイゼンを2度録音しているが、技術的完成度、音色の美しさには確かに共通点があるものの、2度目の録音では何かに取り憑かれたかのように素晴らしい演奏である。その後徐々に演奏活動から遠のき、1972年に不可解な死を遂げる。36歳の若さだった。

 最後は我が国日本が生んだ、演奏活動を続けていれば間違いなく世界のトップレベルになったであろう渡辺茂夫をご紹介したい。彼は10代に満たない頃すでに国内では神童として名が通っていた。その評価が決定的になったのは、来日したハイフェッツに高く評価され、ジュリアード音楽院への留学を強く推薦されたことだった。茂夫にヴァイオリンの手ほどきを施した父季彦氏はハイフェッツの師アウアーの教授法の熱心な研究者で、その最も偉大な門下生、ハイフェッツの推薦は決定を意味していた。しかしこのことが悲劇の幕開けとなるとはこの時、誰も思わなかった。ジュリアードで茂夫が師事したガラミアンは、近代的合理奏法を推し進めた教育者である。そのため、アウアー流派を強く信奉し、既に完成したスタイルを確立していた茂夫とは奏法上の意見が折り合わなかった。次第に茂夫はアメリカに来た意味を見失い始める。折りしも戦後間もない微妙な時期で、敗戦国からやってきたこの少年に対する周囲の目も相当に冷たいものであったともいう。こうして彼は演奏ができない体になって日本に戻った。時代と巡り合わせによる悲劇という他ない。

 彼は10代に満たない頃から既に深い音楽的洞察を行っている。これは残された録音からも明らかである。この天才を授かったわずか10歳そこそこの少年は、メニューインの来日時の演奏を日記中に評して「深みのない演奏だった」と述べている。実演がどうだったかはひとまずおいて、彼がこの感想を抱くだけの確立した音楽を自身の中に持っていたことは間違いない。彼の音色は私の知るすべての日本のヴァイオリニストの中でもっとも個性的で、そして最も美しい。その上、天性に他ならない自然で優雅なフレージングを持っている。もし、演奏活動を続けていれば、と思わずにはいられない。

 飽食の時代と言われて久しい現代、レビンや茂夫ほどに才能のあるヴァイオリニストがかように悲劇的な運命を辿ることも少ないだろう。ヌヴーは事故死ではあるが、彼女も含め時代のうねりに巻き込まれ、内面的葛藤を抱えた夭逝のヴァイオリニストには一種独特の凄みがあると思うのは懐古主義に過ぎないのだろうか。

[2001/04/13]

Copyright © 1995-1998, 2001-2017 violin@web all rights reserved.