豆知識のページ
こちらではヴァイオリンに関するノンセクションの話題の中で、 特に演奏する方向けに絞られないような話題を提供します。 いまのところいまひとつ整理されていませんが、今後 加筆・訂正・統廃合を行っていく予定です。

[コンクール] [音楽学校] [その他]


コンクール

コンクールの歴史は意外と浅く、本格的に世界中の奏者を対象に国際コンクールが 開催されるようになったのは戦後の話である。コンクールに優勝すると 一流奏者になれる...かというとそのようなことは全くなく、単にその時点で 一定の注目を集められるということだけである。例えば1990年に 諏訪内晶子 が日本人として初めてチャイコフスキー国際コンクールに優勝して非常に話題に なったが、彼女はすぐに本格的な演奏活動を行わず、進学の道を選んだ。 そうした選択も有り得るということである。そうした意味で今日著名な演奏家は 必ずしも著名国際コンクールに優勝しているとは限らない。 五嶋みどりは メータやバーンスタインに認められニューヨーク・フィルという世界一流オーケストラとの 共演を重ねる事でメジャーになったし、 アンネ・ゾフィー=ムター もカラヤンに寵愛され、現在のステータスの基礎を築いた。一方で、 ギドン・クレーメル のようにエリザベート国際コンクール、パガニーニ国際コンクール、 チャイコフスキー国際コンクール全てに優勝している著名ヴァイオリニストもいる。 しかしながら、繰り返すが国際コンクールで優勝しながらその名前をほとんど 知られていないヴァイオリニストもいるのは事実である。下記に主要コンクールを 挙げる。

□ヴィエニアフスキ国際コンクール[ポーランド,1935〜]

ヴィエニアフスキ の生誕100年を記念して1935年に開始。第1回の優勝者は ヌヴー、第2位は ダヴィッド・オイストラフ。第2回の優勝者は イーゴリ・オイストラフ。 1981年には 漆原啓子が日本人として初めて優勝。その後は ヴェンゲーロフ(1990年)などが優勝している。

□パガニーニ国際コンクール[イタリア,1954〜]

パガニーニの故郷ジェノバで開催。これまでの主な優勝者は 当時パガニーニの再来と評された アッカルト(1958年)、 クレーメル(1969年)など。 そして1999年には 庄司紗矢香が日本人初の優勝を史上最年少、16歳で成し遂げた。

□エリザベート国際コンクール[ベルギー,1937〜]

初開催時の名称はイザイ・コンクールで、1951年から現在の呼称となる。 これまでの優勝者は オイストラフ(1937年)、 コーガン(1951年)、日本人では1980年に 堀米ゆず子が初めて優勝し、1993年には 戸田弥生が栄冠を勝ち取っている。

□ロン=ティボー国際コンクール[フランス,1943〜]

ティボーがピアニストのマルグリット・ロンと共同で創設。 お膝元のフランス人の入賞が目立つが、1990年には 小林美恵が日本人初の優勝、1996年には 樫本大進が史上最年少で優勝している。

□チャイコフスキー国際コンクール[ロシア,1958〜]

最も権威ある音楽コンクールのひとつ。4年に一度開催される。これまで クレーメル(1970年)、 ムローヴァ(1982年)、 日本人では1990年に 諏訪内晶子が初めて優勝した。


音楽学校

かつて、あるいは現在優秀なヴァイオリニストを輩出している学校について お話します。ご自身でCDを購入して解説を見ると、よく出てくる音楽学校が あると思います。こちらではそうした音楽学校の歴史などを詳しく見ていこうと 思います。音楽学校には時代ごとのトレンドがあり、最近だと特に日本では アメリカのジュリアード音楽院出身のヴァイオリニストが目立っています。 以下、各音楽学校ごとの説明をします。

□パリ音楽院[Conservatoire national superieur de musique]

「コンセルヴァトワール」とは音楽学校という意味だが、現在は パリ音楽院の代名詞ともなっている。設立は1795年8月3日で、 フランス最古の音楽教育機関である。フォーレが院長を務めたこともあり、 代々一流の音楽家が教育にあたっている。年齢、学歴に関係なく入学できる。

□モスクワ音楽院[Moscow Conservatory]

1866年ロシア音楽協会モスクワ支部によって設立された。 チャイコフスキーが和声学の教授として教鞭を執ったことも ある。20世紀のロシアの主要作曲家はほとんどここの出身。 レニングラード音楽院とともに、ロシアの伝統ある 音楽大学のひとつ。 オイストラフ は1934年からここで教鞭を取った。

□ライプツィヒ音楽院[Die staatliche Hochschule fur Musik, Leipzig]

1843年メンデルスゾーンが中心となり設立。 メンデルスゾーンが院長兼作曲科教授、シューマンが ピアノと作曲、メンデルスゾーンの有名な ホ短調の協奏曲 の初演で知られる フェルディナンド・ダヴィッド がヴァイオリン科の主任教授であった。 19世紀には世界で最も優れた音楽教育機関だったが、現在ではかつての隆盛の影はない。

□ジュリアード音楽院[Juilliard School of Music]

正式名はThe Juilliard Schoolで、ドラマ、ダンス部門を含む。 1920年にニューヨークの富豪オーガスタス・ジュリアードの遺産より音楽振興のために寄付 された2000万ドルを基金としてジュリアード音楽財団が発足。 同財団により運営されている。初代校長はJohn Erskine, 以降 Ernest Hutcheson, Oscar Wagner, William Schuman, Peter Menninが校長を務める。現在活躍する巨匠的ヴァイオリニストから 若手まで、ジュリアード音楽院出身者は多数である。 パールマンズッカーマンキョンファシャハム五嶋みどり諏訪内晶子 など。教授として著名なのは レビン や パールマン達の世代を育て、またかつては 渡辺茂夫 も指導した アイヴァン・ガラミアン (故人)と、その助手でガラミアンの死後も続々と一線で活躍する演奏家を育てた ドロシー・ディレイ である。


その他の話題

その他の話題としては、今のところ下記のものを執筆してみました。

□カーネギー・ホール[Carnegie Hall]

ニューヨークに位置する伝統の演奏会ホール。大ホールの座席数は 現在約3000。1891年5月5日、チャイコフスキー指揮ニューヨーク 交響楽団の演奏で柿落とし。当初ミュージック・ホールと呼ばれていたが、 1898年に富豪Andrew Carnegie出資で改築を行って以来現在の 呼称となる。1962年、リンカーン・センターの開場により 取り壊されることになりかけたが、 アイザック・スターン の尽力により存続することになった。この時スターンは自身の 演奏活動を犠牲にし、改築の現場監督まで買って出たという。

しばしば「カーネギー・ホールデビュー」という言葉がしばしば 使われるほど、演奏家にとっては、この由緒あるホールでの コンサートが一流奏者としてのひとつのステップと言える。 47年アメリカで同名の映画が制作されたが、 ハイフェッツ をはじめとする一流演奏家が次々と出演する珍しい映画である。


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