ジョコンダ・デ・ヴィート / Gioconda de Vito 掲示板に投稿 [ 英語/日本語| 英字/カナ| 英字/カナ| 英字/カナ| 掲示板 ] 1907年07月26日~1994年10月14日Italy - Britain 所属音楽学校:パリ国立高等音楽院(学生)期間:不明~不明 師匠:なし/不明弟子:なし/不明 1907年7月26日イタリアのマルティーナ・フランカ生まれ。7歳の時に旅回りのバンドのバンド・マスターに手ほどきを受け、11歳でぺーザロ音楽院に入学してレミー・プリンチペに師事し、ローマやパリでも学んだ。16歳でローマでチャイコフスキーの協奏曲を弾いてデビューしたが、本格的なソロ活動には入らず、パリ音楽院でさらなる研鑽を積んだ。 1932年にウィーン国際ヴァイオリン・コンクールで優勝するも、リサイタルを殆ど開くことなく、1934年から聖チェチーリア音楽院の教授になった。 1946年にイギリスに赴き、高い評価を得たのが縁となって再三にわたって渡英し、1948年頃からEMIに録音を残すようになった。1957年ローマ法王の前でバッハを弾き、名声を高めたが、1962年引退。 1994年10月14日ローマにて死去。 2001年11月21日 吉会芸術活動促進部主任代行
1907年7月26日イタリアのマルティーナ・フランカ生まれ。7歳の時に旅回りのバンドのバンド・マスターに手ほどきを受け、11歳でぺーザロ音楽院に入学してレミー・プリンチペに師事し、ローマやパリでも学んだ。16歳でローマでチャイコフスキーの協奏曲を弾いてデビューしたが、本格的なソロ活動には入らず、パリ音楽院でさらなる研鑽を積んだ。
1932年にウィーン国際ヴァイオリン・コンクールで優勝するも、リサイタルを殆ど開くことなく、1934年から聖チェチーリア音楽院の教授になった。
1946年にイギリスに赴き、高い評価を得たのが縁となって再三にわたって渡英し、1948年頃からEMIに録音を残すようになった。1957年ローマ法王の前でバッハを弾き、名声を高めたが、1962年引退。
1994年10月14日ローマにて死去。
2001年11月21日 吉会芸術活動促進部主任代行