ヴァイオリン奏法の開拓者達 ヴァイオリンが生まれて400有余年。この間、いかにしてその高度な 奏法が開発されたのか、ヴァイオリン誕生と同時に演奏者という視点に 絞って考察してみよう。 16世紀末期~17世紀前期(黎明期~基本奏法の確立) イタリアにおいては、 ヴァイオリン誕生の黎明期であった16世紀後半より、 楽器としてのヴァイオリンについての奏法の探求が始まった。 ヴァイオリン特有の奏法の確立において大きな貢献のあった 最初の奏者は、イタリア・クレモナ生まれの作曲家、 クラウディオ・モンテヴェルディ(Claudio Monteverdi、1567-1643)によるマントヴァ楽派のビアージョ・マリーニ、カルロ・ファリーナの名前が挙げられる。彼らは17世紀初頭までに運弓法、 重音奏法、ピチカートを初めとする主要な奏法のほぼすべてを その作品の中で試みている。その他、 ダリオ・カステッロ、マルコ・ウッチェリーニの他、作曲家のアレッサンドロ・グランディ(Alessandro Grandi、c.1590-c.1630)、パオロ・クワリアーティ(Paolo Quagliati、c.1555-1628)らの貢献により 17世紀中頃までに基本的な奏法はほぼ確立された。 17世紀中期~18世紀中期(楽曲様式の確立に伴う地位の向上) 17世紀の後半になると、独奏ソナタ形式による楽曲がジョヴァンニ・バティスタ・ヴィターリ、トマソ・アントニオ・ヴィターリのほか、ジョヴァンニ・レグレンツィ(Giovanni Legrenzi、1626-1690)、ジョバンニ・バティスタ・バッサーニ(Giovanni Battista Bassani、c.1657-1716)、ジョヴァンニ・バティスタ・ボノンチーニ(Giovanni Battista Bononcini、1670-1747)、ピエトロ・カザーティ(Pietro Casati、1684-1745)などにより創作され、ヴァイオリン音楽の様式の確立に貢献した。 ジュゼッペ・タルティーニ(Wikipediaより引用) 17世紀末にはアルカンジェロ・コレッリによるコンチェルト・グロッソ、 ジュゼッペ・トレッリ、アントニオ・ヴィヴァルディ、トマゾ・アルビノーニ(Tomaso Albinoni、1671-1751)によるソロ・コンチェルト などにより合奏におけるヴァイオリンの新たな地位を確立させた。 18世紀前期までには、イタリアの各地にはヴァイオリン音楽に おける指導的地位を持つ作曲家・演奏家が集中している。 ヴェネチアではカルロ・テッサリーニ、フランチェスコ・アントニオ・ボンポルティ(Francesco Antonio Bonporti、1672-1749)、ボローニャには フランチェスコ・マンフレディーニ、エヴァリスト・ダッラーバコ、ローマにはピエトロ・ロカテッリ、フィレンツェ にはフランチェスコ・マリア・ヴェラチーニ、ナポリにはニコラ・ポルポラ(Nicola Porpora、1686-1768)、フランチェスコ・ドゥランテ(Francesco Durante、1684-1755)、レオナルド・レオ(Leonardo Leo、1694-1744)、 ジョヴァンニ・バティスタ・ペルゴレージ(Giovanni Battista Pergolesi、1710-1736)、トリノにはジョヴァンニ・バティスタ・ソミス、ガエターノ・プニャーニ、パドゥアには ジュゼッペ・タルティーニ、ピエトロ・ナルディーニがいた。中でも特に功績が大きいとされる のがロカテッリとタルティーニであり、ヴァイオリン奏法をより高度に発展させた。 18世紀後期~19世紀後期(ヴィルトゥオーソと楽派) ニコロ・パガニーニ(Wikipediaより引用) 18世紀後期のイタリアではガエターノ・プニャーニ門下のジョヴァンニ・バティスタ・ヴィオッティが コンチェルトをはじめとした多くの作品を発表した。 19世紀に入るとかの有名なニコロ・パガニーニが出現し、ヴィルトゥオシティ(演奏妙技)が意識されるようになる。パガニーニはどの楽派にも所属せず、異端的 存在であり、その奏法も一代で完全に途絶えた。イタリアには その後カミッロ・シヴォリ、アントニオ・バッツィーニらのヴィルトゥオーソ(技巧的演奏家)も生まれたが、 以来楽壇における目立った動きは見られなくなった。 フランスにおいてはその後パリに活動の場を移したヴィオッティの門下からロドルフ・クロイツェル、ピエール・ロード、ピエール・バイヨ、シャルル=オーギュスト・ド・ベリオなどの優れた 弟子たちが輩出された。この系譜をフランス・ベルギー(フランコ・ベルギー)楽派と呼び、 20世紀のフリッツ・クライスラー、アルテュール・グリュミオーなどに続く重要な血筋を形成した。以下、その系譜を簡単に示す。 ピエール・バイヨ ➡ フランソワ・アブネック、ジャック・フェレオル・マザ、シャルル・ダンクラ ピエール・ロード ➡ ヨーゼフ・ベーム、シャルル・ダンクラ フランソワ・アブネック ➡ ジャン=デルファン・アラール ➡ パブロ・デ・サラサーテ フランソワ・アブネック ➡ ユベール・レオナール ➡ アンリ・マルトー ユベール・レオナール ➡ マルタン・ピエール・マルシック ➡ カール・フレッシュ、ジャック・ティボー ロドルフ・クロイツェル ➡ ランベール・マサール ➡ ヘンリク・ヴィエニャフスキ、フランティシェク・オンドリチェク、フリッツ・クライスラー シャルル=オーギュスト・ド・ベリオ ➡ アンリ・ヴュータン ➡ ウジェーヌ・イザイ ルイ・シュポーア(Wikipediaより引用) ドイツにおいては、当時までヴィルトゥオーソ系の作曲家が 目立って輩出されず、イタリア的な演奏技巧の強調よりむしろ 楽曲としての完成度に重きをおく傾向にあった。しかし ベートーヴェンのクロイツェル・ソナタに見られるように、 フランス楽派の影響もあったとされる。こうした中で 本格的なドイツ・ロマン派独自の音楽を創作したのがルイ・シュポーアである。彼の楽曲は高度な演奏技巧を散りばめながらも、 楽曲構成へのこだわりも強いのが特徴である。この手法は さらに高められ、メンデルスゾーン、ブルッフ、ブラームス などに受け継がれていく。ドイツにおけるヴァイオリニストの系譜を以下に示す。 ルイ・シュポーア ➡ フェルディナンド・ダヴィッド ➡ ヨーゼフ・ヨアヒム、アウグスト・ヴィルヘルミ フリードリヒ・ヴィルヘルム・ピクシス ➡ モリッツ・ミルトナー ➡ アントニン・ベネヴィッツ ➡ オタカール・シェフチーク ➡ ヤン・クーベリック ヨーゼフ・ベーム ➡ ゲオルク・ヘルメスベルガー1世 ➡ ヨーゼフ・ヘルメスベルガー1世、ゲオルク・ヘルメスベルガー2世 ヨーゼフ・ベーム ➡ ヨーゼフ・ヨアヒム ➡ イェネー・フバイ ➡ ヨーゼフ・シゲティ
ヴァイオリンが生まれて400有余年。この間、いかにしてその高度な 奏法が開発されたのか、ヴァイオリン誕生と同時に演奏者という視点に 絞って考察してみよう。
16世紀末期~17世紀前期(黎明期~基本奏法の確立)
イタリアにおいては、 ヴァイオリン誕生の黎明期であった16世紀後半より、 楽器としてのヴァイオリンについての奏法の探求が始まった。
ヴァイオリン特有の奏法の確立において大きな貢献のあった 最初の奏者は、イタリア・クレモナ生まれの作曲家、 クラウディオ・モンテヴェルディ(Claudio Monteverdi、1567-1643)によるマントヴァ楽派のビアージョ・マリーニ、カルロ・ファリーナの名前が挙げられる。彼らは17世紀初頭までに運弓法、 重音奏法、ピチカートを初めとする主要な奏法のほぼすべてを その作品の中で試みている。その他、 ダリオ・カステッロ、マルコ・ウッチェリーニの他、作曲家のアレッサンドロ・グランディ(Alessandro Grandi、c.1590-c.1630)、パオロ・クワリアーティ(Paolo Quagliati、c.1555-1628)らの貢献により 17世紀中頃までに基本的な奏法はほぼ確立された。
17世紀中期~18世紀中期(楽曲様式の確立に伴う地位の向上)
17世紀の後半になると、独奏ソナタ形式による楽曲がジョヴァンニ・バティスタ・ヴィターリ、トマソ・アントニオ・ヴィターリのほか、ジョヴァンニ・レグレンツィ(Giovanni Legrenzi、1626-1690)、ジョバンニ・バティスタ・バッサーニ(Giovanni Battista Bassani、c.1657-1716)、ジョヴァンニ・バティスタ・ボノンチーニ(Giovanni Battista Bononcini、1670-1747)、ピエトロ・カザーティ(Pietro Casati、1684-1745)などにより創作され、ヴァイオリン音楽の様式の確立に貢献した。
(Wikipediaより引用)
17世紀末にはアルカンジェロ・コレッリによるコンチェルト・グロッソ、 ジュゼッペ・トレッリ、アントニオ・ヴィヴァルディ、トマゾ・アルビノーニ(Tomaso Albinoni、1671-1751)によるソロ・コンチェルト などにより合奏におけるヴァイオリンの新たな地位を確立させた。
18世紀前期までには、イタリアの各地にはヴァイオリン音楽に おける指導的地位を持つ作曲家・演奏家が集中している。 ヴェネチアではカルロ・テッサリーニ、フランチェスコ・アントニオ・ボンポルティ(Francesco Antonio Bonporti、1672-1749)、ボローニャには フランチェスコ・マンフレディーニ、エヴァリスト・ダッラーバコ、ローマにはピエトロ・ロカテッリ、フィレンツェ にはフランチェスコ・マリア・ヴェラチーニ、ナポリにはニコラ・ポルポラ(Nicola Porpora、1686-1768)、フランチェスコ・ドゥランテ(Francesco Durante、1684-1755)、レオナルド・レオ(Leonardo Leo、1694-1744)、 ジョヴァンニ・バティスタ・ペルゴレージ(Giovanni Battista Pergolesi、1710-1736)、トリノにはジョヴァンニ・バティスタ・ソミス、ガエターノ・プニャーニ、パドゥアには ジュゼッペ・タルティーニ、ピエトロ・ナルディーニがいた。中でも特に功績が大きいとされる のがロカテッリとタルティーニであり、ヴァイオリン奏法をより高度に発展させた。
18世紀後期~19世紀後期(ヴィルトゥオーソと楽派)
(Wikipediaより引用)
18世紀後期のイタリアではガエターノ・プニャーニ門下のジョヴァンニ・バティスタ・ヴィオッティが コンチェルトをはじめとした多くの作品を発表した。 19世紀に入るとかの有名なニコロ・パガニーニが出現し、ヴィルトゥオシティ(演奏妙技)が意識されるようになる。パガニーニはどの楽派にも所属せず、異端的 存在であり、その奏法も一代で完全に途絶えた。イタリアには その後カミッロ・シヴォリ、アントニオ・バッツィーニらのヴィルトゥオーソ(技巧的演奏家)も生まれたが、 以来楽壇における目立った動きは見られなくなった。
フランスにおいてはその後パリに活動の場を移したヴィオッティの門下からロドルフ・クロイツェル、ピエール・ロード、ピエール・バイヨ、シャルル=オーギュスト・ド・ベリオなどの優れた 弟子たちが輩出された。この系譜をフランス・ベルギー(フランコ・ベルギー)楽派と呼び、 20世紀のフリッツ・クライスラー、アルテュール・グリュミオーなどに続く重要な血筋を形成した。以下、その系譜を簡単に示す。
(Wikipediaより引用)
ドイツにおいては、当時までヴィルトゥオーソ系の作曲家が 目立って輩出されず、イタリア的な演奏技巧の強調よりむしろ 楽曲としての完成度に重きをおく傾向にあった。しかし ベートーヴェンのクロイツェル・ソナタに見られるように、 フランス楽派の影響もあったとされる。こうした中で 本格的なドイツ・ロマン派独自の音楽を創作したのがルイ・シュポーアである。彼の楽曲は高度な演奏技巧を散りばめながらも、 楽曲構成へのこだわりも強いのが特徴である。この手法は さらに高められ、メンデルスゾーン、ブルッフ、ブラームス などに受け継がれていく。ドイツにおけるヴァイオリニストの系譜を以下に示す。