1819~1848年、ウィーン音楽院(現・ウィーン国立音楽大学)の初代ヴァイオリン科教授を務めた。
8歳よりイェネー・フバイに師事。
1905年、12歳でシベリウスのヴァイオリン協奏曲を献呈される。なお当初はウィ
リー・ブルメスターが献呈される予定だった。同曲改訂版のベルリン初演はカレル・ハ
リーシュが担った。
9歳よりモスクワ音楽院で学んだ。
1925~1926年、渡米。フリッツ・ライナーの招き等でシンシナティ交響楽団、ロサンジェルス・フィルハーモニック、ピッツバーグ交響楽団の指揮者等を歴任。
ロシアではイワン・ヴォイツェホヴィチ・グルジマ
リー(Ivan Voitsekhovich Grzhimali)、日本ではフリマ
リーとも。
1855~1861年、プラハ音楽院で学んだ。
1869年、モスクワ音楽院に招かれ、1874~1915年には教授を務めた。
リエージュ王立音楽院、ブリュッセル音楽院で学んだ。
1852~1863年、ヨーロッパ諸国とロシアで演奏し成功を収める。
1864年、アメリカ大陸に渡る。1868年カナダに帰化。
フルネームはヴィルヘルミーヌ・マリア・フランツィスカ・ネルダ(Wilhelmine Maria Franziska Neruda)。
ヴィルマ・ノルマン=ネルダ(Wilma Norman-Neruda)、レディ・ハレ(Lady Hallé)とも。
1843~1848年、ウィーン音楽院(現・ウィーン国立音楽大学)で学んだ。
1843~1846年、プラハ音楽院で学んだ。
1855~1862年、ベルリンのシュテルン音楽院の教授を務めた。
1866年、モスクワ音楽院教授に就任。