ヴァイオリン好きのための情報サイト
ヴァイオリン・ウェブ
ホーム 演奏家 楽曲 CD 製作者
トピックス 伝言板 掲示板 占い
アーカイブ 検索 メルマガ
マップ リンク ポリシー

ノリントン先生は正しいのか - ヴァイオリン掲示板

[スレッド一覧に戻る] 並び順 [ 日付の新しい順 | 日付の古い順 ]

このスレッド内のレス一覧

[39899]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 catgut [09/04/15 23:48:47]

もし「20世紀前半はロマン主義的」と書いているが、新即物主義(新古典主義)が登場した時期と重なっているではないかという指摘なら、それは当然です。前掲の資料でもワルターやワインガルトナーはロマン派に分類されています。20世紀前半と後半での傾向を書いているわけですから。

[39897]

もうあきれ果てて言う言葉が尽きた

[雑談・その他]
 室内楽奏者 [09/04/15 21:13:53]

あ、の、ね
人間だれでも「ついうっかり」はありますよ。
「間違いました、新古典主義と書いたのは手が滑ったのです」
と、ひとことあやまりゃいいんだよ。
演奏の「新古典主義」の代表者が第1次大戦後に出現はしてません。
あなた自身が「20世紀後半」と、すばやく訂正したでしょ?
その姿勢でいる以上、どんなに学識があっても駄目ですね。
もう、お相手するのに疲れましたよ。

[39896]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 catgut [09/04/15 19:39:44]

何が問題なのかいまいち分かりませんが、芸大教授だった柴田南雄は以下のように述べているそうです。

ttp://www.seikaisei.com/misc/table0.html
新古典主義(新即物主義)
新古典主義=新即物主義の時代様式にぞくする演奏家たち
第一次大戦直後から、作曲様式は一変する。後期ロマン派=表現主義の、大編成による主観的な鬱然たる大曲に代わって、簡素な編成、明快な形式感と透明な響きをもつ、いわゆる新古典主義(ストラヴィンスキー、ヒンデミット、フランスの六人組など)の様式が両大戦間の主流となる。これと平行して、演奏スタイルもまた、楽譜に忠実、正しいリズム、不変のテンポを金科玉条とした。そして過度の情緒や虚飾を排して客観性を重んじた。それを一種の形式主義と称することもできるが、要するに前の時代の表現主義への激しい反動が起こったのである。

[39891]

違うなー

[雑談・その他]
 室内楽奏者 [09/04/15 13:28:41]

論点はそんなことではない。このスレッドをお読み頂けれは、1931〜2のドイツとフランスのメジャーオケのヴァイオリンとチェロの大部分はcontinuous vibratoであるが、年輩の一部の奏者は違うと述べたのが私だとお分かりでしょう。さらにフルートやコントラバス、そしてピッツィカートでも掛けていないと見受ける旨も述べた。1910年にはオケのヴィブラートは違うだろう。その前ブルックナー時代は想像するだけうんぬん…。
私を「改宗」させようとのご努力は無用に願います。
第一次大戦の影響と「新即物主義」をソースでと私は言ったはずです。

[39884]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 catgut [09/04/14 23:39:42]

室内楽奏者さま、

カザルス The Art of Interpretaton には以下のようにあります。

こんにち、弦楽器奏者の間で、どんな犠牲を払っても「美しい音」を作り出そうとする風潮が目立つ。しかも、作品のなかでその音が置かれた状況にかかわりなくどの音にもヴィブラートをかけて安心感を与え、人びとを説得し、感化させることができると一般に確信されている。カザルスはそのような傾向をぜったいにとらなかった。

1920年頃以前の弦楽器奏者は、現在ほどヴィブラートを使っていなかったということについては納得されたでしょうか。

第一次大戦を境に作曲や演奏スタイルが大幅に変わったことについては、それだけで1スレッド費やしたほうが良いかもしれませんね。最近は岡田暁生京都大学準教授が著作でよく取り上げているようです。

[39881]

発言には責任が伴うんだよね

[雑談・その他]
 室内楽奏者 [09/04/14 20:29:22]

「ヴァイオリンの謎」というサイトを拝見しました。
catgut氏の個人サイトですか。
あそこで列挙されていることであまり興味深くないのもありますが、ヴィブラートの音響測定が出来るソフトを紹介しているのは大変結構だとおもいます。反論があるなら追実験すればよい訳です。
その他の項目も、根拠となる文献その他が丹念に挙げられていますね。疑問に思う人はソースを当れば良いわけですし、反論したければ別のソースを挙げて行えばよい。

最近のこのBBSでの論陣は、別人のように感じられます。
------
>>>>・第一次大戦の影響説
>>>>→これはソース不要ですね。
------
「ソース不要」ということはつまりは
☆個人的な見解
☆周知の事実
のどちらかだ、ということですね。
第一次大戦の結果ヴィブラートが変わったなどというのは「周知の事実」ではありません。
個人的見解なら当然のこととして「発言責任」が発生します。

>>>>演奏の傾向が大戦の前後で大きく変わりました(新即物主義の台頭)。
オーケストラの録音でこれを実証できますか。
また、当時のオケを聴いた人が生存していますか。
それが無理なら、しかるべきソースを示してください。
それこそがcatugut流だった筈です。

[39878]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 catgut [09/04/14 15:27:22]

私は諸説を紹介したまでです。すべてについて責任は持てません。

ただ、クラシック演奏は西洋の伝統芸術ですから、第一次大戦のような従来の価値観が崩壊するような出来事がないと、オーケストラ規模で従来の演奏習慣を否定するようなことは起きにくかっただろうと思います。

また自由度の高いイントネーションと、連続的なヴィブラートは、ヴィブラートが音程感を弱めるという点で両立しにくかった可能性はあると思います。

[39876]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 室内楽奏者 [09/04/14 13:22:35]

catgut氏が本スレではもはや応答しないので、まとめます。
別スレのcatgut氏
>>>>ヴァイオリン演奏のポリシーについて以下の傾向があると思います。
>>>20世紀前半(ロマン主義的)
>>>・ヴァイオリン演奏の本質は歌の真似である。
-----
これを以て
39870 catgut氏
>>>>>・第一次大戦の影響説
>>→これはソース不要ですね。演奏の傾向が大戦の前後で大きく変わりました(新即物主義の台頭)。
----
は「ロマン主義の台頭」と読み替えりゃいいんですかぁ?
となると、第一次大戦の影響うんぬんも怪しいですね。ロマン主義は作曲においては19世紀中葉以降のもの、絵画においてはメッテルニヒ体制からのものですから…。

[39872]

新即物主義と来ましたか

[雑談・その他]
 室内楽奏者 [09/04/13 22:37:56]

新即物主義は最初美術で台頭し、やがて作曲に及び、最後に演奏に浸透しましたね。
「第1次大戦直後」の新即物主義の高名な大ヴァイオリニストの例を挙げて、その人のヴィブラート様式が新即物主義とどう関係するのか解明しないと…

[39870]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 catgut [09/04/13 21:41:18]

・第一次大戦の影響説
→これはソース不要ですね。演奏の傾向が大戦の前後で大きく変わりました(新即物主義の台頭)。

・クライスラーの影響説
→これもソース不要ですね。

・スチールE線の影響説

ttp://seeds.whitesnow.jp/blog/archives/2005/02/post_79.html
20世紀初頭の教則本では、ガット弦の場合とスチール弦の場合の2通りの運指法が記載されている。スチール弦の運指では、金属の耳障りな音の発生を押さえるために、開放弦の回避や圧倒的なヴィブラートが求められている。

・ジャスの影響説
→知ってるようで知らない管楽器おもしろ雑学事典 佐伯茂樹著 ヤマハミュージックメディア 

・ソリスト志望者増加の影響説
→どなたの説か失念しましたが以前見かけたものです。

[39866]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 室内楽奏者 [09/04/13 20:37:01]

色々な説があるのですね。
興味しんしんです…
お手数で恐縮ですが、各説のソースをご教示願えませんか。
そうしてこそ価値があると思いますが…

[39855]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 catgut [09/04/12 22:37:25]

なぜ1920年頃を節目としてオーケストラで連続的なヴィブラートが使われるようになったかについては以下のような説があります。

・第一次大戦の影響説
第一次大戦で価値観が大きく変わり演奏習慣を変えようとする大きな動きが起きた。

・クライスラーの影響説
クライスラーのヴィブラートが魅力的だったので多数のヴァイオリニストが真似た。

・スチールE線の影響説
第一次大戦の影響で良質なガットE線が入手できず音色の違いを誤魔化すためにヴィブラートを絶えずかけた。(そもそもガットE線は指が当たる部分で切れやすい)。

・ジャスの影響説
主に管楽器でジャズのヴィブラートを真似てクラシック音楽でも使われるようになった。フルートなどはヴィブラートを使うようになったがクラリネットだけはクラシックではヴィブラートはほとんど使っていない。

・ソリスト志望者増加の影響説
レコードの普及で社会的に大成功するソリストが出て、ソリスト志望者が増えた。ソリスト教育を受けた人がオーケストラ奏者に回ったのでオーケストラでもヴィブラートを使うようになった(オペラ歌手が合唱に回るようなものか)。

[39842]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 室内楽奏者 [09/04/11 14:50:53]

推測・憶測じゃなく、純然たる音源で調べます…
ソロイストのヴィブラートで言うなら
ttp://www.hmv.co.jp/product/detail/1084298
イェネ・フバイ(1858生まれ)はゆっくりとですがはっきりヴィブラートしますね。むしろ弟子の女流イェリ・ダラニー(バルトークのヴァイオリンソナタ1.2番の初演者)も無論掛けますが先生より控えめに聴こえます。
こういう音源はありがたいですね。

[39809]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 室内楽奏者 [09/04/08 20:20:39]

[39800 父娘Vnさま。
立証は不可能だと思います。
たとえば音律に関して言うなら、18世紀の特定演奏家がどんな音律で弾いたか、「立証」はできません。モーツァルトがどんな音律か?「憶測」はいくらも可能ですが、所詮憶測に過ぎません。録音が無いからです。ところが憶測を理論的根拠に言い募る人(音楽学者さえも)がいるのは不幸なことだと思います。
SP録音以前の演奏家のヴィブラートは「証拠に基づく議論」の対象にはなりえないと思います。文献は所詮文献です。
以下に私が書くことは「ひとつの憶測」です。

OPUS蔵でヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)とカール・フレッシュ(1873-1944)が吹き込んだバッハの二重協奏曲が入手できます。1937年の録音です。名高い両人の比較が可能な、ありがたい音源です。両人のヴィブラートは非常に異なります。19歳の年齢差の然らしむる所でしょう。
シゲティより16歳若いのがダヴィド・オイストラフです。この二人も大変違う演奏様式です。約20歳という年齢差は演奏様式の上でかなり意味を持つ、というのが私の予測ないし仮説です。
1931年のドイツの正統派オケの動画からして、ヴァイオリンとチェロの奏者の大部分にcontinuous viburatoが事実認められる。しかし1910年代には違うだろうと予測されます。この予測の根拠は上記動画の年配演奏者のヴィブラートが異なる(指のヴィブラートであると考えられる)ことと、管楽器のヴィブラートが今日と異なる(特にフルート)こと。またコントラバスがヴィブラートを行っていない可能性が高い。ヴァイオリンとチェロがピッツィカートではヴィブラートしないように見受けられることから、1910年ころにはドイツのメジャーオケで弦楽器奏者のcontinuous viburato比率は低かろうと考えるのが妥当でしょう。1890年、ブルックナー作品の初演時代の演奏様式は、もはや想像の上に想像を重ねる世界です。

でも案外、ヴィブラートは行われていたんじゃないでしょうかね。
----------------
話は変わります。私はノリントン氏の音楽は嫌いですが、彼が優れた音楽家かも知れないということは否定しません。

彼が紳士らしく立ち上がり、潔く次のように発言したらよかったと思います。

ノリントン氏「紳士・淑女のみなさん、みなさんがクライスラーやイザイを愛しておられるのは十分承知です。しかしみなさんと違って私は彼らが嫌いです。Continuousu Viburatoを聴くと私は不愉快になります。私が指揮するときは、オーケストラには私の心地よいと感じるピュア・トーンで演奏してもらいます。みなさんはそれを承知の上でお出かけください」

それこそが彼氏のとるべきフェアな態度だったろうにと思う。
実際に彼がクライスラーを引用した発言はアンフェアで偽善的だと思います。ヴィブラートに親しんでいる紳士淑女の反発を買わないための狡猾な政治的振る舞いに過ぎないでしょう。
エルガーのヴァイオリン協奏曲はクライスラー初演です。

[39807]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 catgut [09/04/08 7:44:49]

pochiさま、
最初のアウアーは1920年録音と思われます。
2番目のジンバリストのフィルムは1926年撮影です。

[39802]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 pochi [09/04/08 1:40:56]

ttp://www.youtube.com/watch?v=s1vVlMp2YTA&hl=ja
ヴィブラートは控えめに聞こえます。

ttp://www.youtube.com/watch?v=9vDJMChiils
結構掛けています。ちょっと少なめくらいか。

どちらも1910年以前ですね。

[39800]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 父娘Vn [09/04/08 0:39:56]

前々から少々疑問に思っていたことがあります。
録音や活動写真で遡ることができる範囲には限界がありますよね(当然ですが)。では、それ以前の話としては、たとえば、(あくまでも「たとえば」ですよ。)

1830年代には、ヴィブラートは現代のように用いられていなかった。

というような命題って、論証可能でしょうか。逆に、

1830年代には、ヴィブラートは現代のように用いられていた。

という命題ですが、こちらは、論証可能でしょうか。

どちらも、厳密に言えば立証困難であるように思うのです。

文献学的には、ヴィブラートを用いるなと書き残している偉い人がいるということは、逆にヴィブラートをかけたがる人が多く居た事の証左である、と言えるのかもしれませんよね(もちろんこれも断定は困難ですが)。

ポルタメントに対する好みが時代によって行ったり来たりしたことと、何だか似ているようにも感じますが(全くの印象論です)。バッハやベートーベンを現代のピアノで弾いてはいけないと言うのとも似ているように思います(これは似てない?)。

習慣的なヴィブラートを廃することで、音の微妙な陰影を追及することが新鮮な美しさを産んだと言うことは、一聴衆として決して悪いことではない(なかった)とは思うのです(印象論です)が、これって正しいか誤っているかと言う論法より、好きか嫌いか美しいと思うかどうかと言う話の方がふさわしいように思うのです(印象論です)。

[39785]さま。こういうことは、このスレでは、申し上げてはならないのでしょうか。

[39797]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 pochi [09/04/07 23:12:35]

>>1930年代前半には既に大半の奏者がcontinuous vibratoをもちいて居た証拠は動かない。

***これを1920年代に換えたらどうなんでしょう。

[39796]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 catgut [09/04/07 22:35:50]

Szigeti on the Violin(日本語訳タイトル:シゲティのヴァイオリン演奏技法)より

Gives a glimpse of how critically and with what reluctance the vibrato
-- now indispensable -- was regarded around the middle of the
nineteenth century, and supplements the preceding chapter with
some impressions of Joachim's playing

19世紀の中頃に(現在は不可欠の)ヴィブラートが如何に批判的に、如何に嫌悪感をもって見られていたかを一瞥する;そしてヨアヒムの奏法の印象を前章に補足する。

シゲティはこう書いています。

私が仲間や生徒にイザイやフーベルマンの録音を聴かせる時にはいつも、彼らに今日流行している基準によって判断してはいけない、そして時代精神に根ざす独特の表現を考慮に入れるように注意する。(中略) 我々が口をそろえて賞賛する録音が21世紀の変わり目の頃の人たちの耳にはどう聞こえるであろうか。

[39794]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 室内楽奏者 [09/04/07 20:36:55]

熱心な議論、ありがとうございます。
とても参考になり有益であり、感心します。

証拠として私が尊重したい優先順位は
動画>録音>>演奏家の発言ないし書いたもの>聴いた人の書いたもの、なんですね。
動画は王道です。絶対にまぎれません。
サイレントであっても大きな証拠になります。

録音はとくにオケの場合あいまいになりやすく、「掛けていると聴こえる」「いや掛けて居ない」と論争になります。聴覚って主観的でどうとでも感じられますからね…。
1932年の
(1)ワインガルトナー+パリ響(1932年)
(2)ブッシュ+ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
(3)メンゲルベルク+コンセルトヘボー(これのみ1931年)
に加え、
(4)エーリヒ・クライバー+ベルリン国立歌劇場(1932年)
をも証拠として取り上げます。
(1)〜(4)すべて記録映画です。
チェロとヴァイオリンのトュッティ奏者に常時ヴィブラートが立証されました。
皆さんの強い反論もないようです。
ただし、私の観察ではどうやらコントラバスは掛けていないようにも見えますね。

ところが…
ttp://www.kanzaki.com/norrington/roger-nyt200302.html
ノリントンの発言:
>>>>偉大なオーストリアのバイオリニストであるフリッツ・クライスラーが、カフェの音楽家やハンガリーやジプシーのバイオリン弾きのスタイルを取り入れて、この方法を始めたように思われます。
-----
カフェやロマの音楽が下品で、西欧の正しい伝統でない、という差別意識が感じられます。むしろ事実は正反対であって、カフェやロマの音楽に教養ある西欧の音楽家が惹かれていたと考えたほうが謙虚でしょう。ブラームスのCl.5重奏や、ハンガリー舞曲集がその不動の証拠です。正統派の音楽家たちはカフェやロマの音楽を尽きぬ霊感の井戸としていたと申しても不当ではないでしょう。

ノリントン発言続き:
>>>>20年代の初期には、流行に敏感でエンターテインメント志向のフランスの奏者たちが絶え間ないビブラートを試し始め、そして20年代後半にはイギリス人がその先例に倣いました。
>>>しかし、高潔なドイツや大きなアメリカの団体の大部分は、30年代になるまで手を染めませんでした。ベルリン・フィルは1935年まではっきりしたビブラートの録音は出てきませんし、ウィーン・フィルは1940年までありません。
-----
ここにも、フランスが「エンターテインメント志向」というような、定量化できない形容詞を交えた、感情的な固定観念が露わですね。「高潔なドイツ」とは語るに落ちた言い草で白けてしまいます。


私は以下のような意見を持っております。ドイツ正統派のオケは音楽美意識の変遷があったにせよ、1930年代前半には既に大半の奏者がcontinuous vibratoをもちいて居た証拠は動かない。
だから「20世紀前半のオケにはピュア・トーンが普遍的」というノリントンの持論はあまりに言い過ぎであり事実を曲げるものである。

何故ノリントンは事実を曲げてまでこんなことを言い立てるのか、それは彼が心底「ピュアトーン大好き」だから、と思います。幸運にも音楽性に富む指揮者で、自分の「大好き」を人にやらせる力があったということではないでしょうか。でも彼の「宣教」をあまり真に受けると真実が捻じ曲げられる危険を感じます。ヴィブラート様式の変遷などというのはよほど調べないとわからない分野です。Xin氏の言われる音源が入手できないか私も興味しんしんです。SPの復刻版をますます収集したくなります。

[39793]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 Xin [09/04/07 9:46:37]


ttp://www.youtube.com/watch?v=lV_YXtUs_Ow
Joseph Joachim - Brahms' Hungarian Dance No.2 (1903)
In 1903, He recorded four Violin pieces for Gramophone & Typewriter company.

Youtubeで検索すると1900年代初頭の録音がたくさんみつかります。
1800年代にレコードが発売されているので、
このころの録音がないかとさがしています

[39792]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 catgut [09/04/07 7:25:27]

すでにQBさまから紹介されていますが、「未来のための演奏論」内藤彰著の関連資料として20世紀初期の音源が以下に掲載されています。

ttp://tnco.or.jp/mirai.html

音資料(14) - 当時の歌手の幅の狭いヴィブラート(p.122)
音資料(15) - わずかなヴィブラートやポルタメントが特徴的なヨハン・シュトラウス自身の演奏(p.126)
音資料(16) - ヨアヒムによる特徴的な抑揚(p.128)
音資料(17) - サラサーテの軽いヴィブラートによる「ツィゴイネルワイゼン」(p.129)

[39790]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 カルボナーレ [09/04/07 1:55:08]

2ヶ月に1回の発刊の「サラサーテ」という弦楽器の雑誌の購入者プレゼントに、SPレコードから録ったチゴイネルワイゼンをテーマにしたCDがありました。
1904年のパブロ サラサーテの演奏がチゴイネルワイゼン+4曲と、1900〜1940頃に録音された彼以外の8人のチゴイネルワイゼンのSP盤再生の録音が収録されています。
SP盤ということでフラッターではないとは言い切れませんが、そのCDにより主にソリストのビブラートの比較ができます。

聴いた印象ですが、
ソロという点では、1904年のサラサーテの演奏では、現在に比べると細かく浅めのビブラートが使われています。基本的にはかけていますが、かけないピュアな音もあり、音楽表現の中で使い分けています。
1900年代後半のバックマンの演奏は、サラサーテよりも大きめかつ深めのビブラートが長い音には定常的に使われています。ただし、細かい音の動きと、重音ではかけていないことが多いように聴こえます。ピリッツの1910年代半ばの演奏も同様の傾向です。
フランチェスカッティの1922年の演奏は、重音にもかけており、全体的に現代の演奏とあまり変わりなく聴こえますが、細かい動きのところでかけていないとかけているところがあります。
プシホダの1910年代後半の演奏は、フランチェスカッティ以上に現代の演奏に近いです。メルサの1930年の演奏も同様です。
ヴァイスゲルバーの1928年の演奏は、バックマンやピリッツよりも控えめなビブラートで、フレーズの終わりののばしの音もビブラートなしで弾いています。
イダ ヘンデルの1940年の演奏(生まれからして間違い?)は、基本的にはビブラートをかけるという現代の我々には聞き慣れた演奏です。

ホルストの1920年代後半の演奏のみオケ+ピアノ伴奏です。ソロは基本的にはビブラートをかけるという現代の我々には聞き慣れた演奏です。曲の始まり(普通はオケ伴奏)はソリストがビブラートをかけて加わっている可能性はありますが、オケもビブラートをかけているようであり、途中のゆっくりの所でも低弦がビブラートを用いて音の移り変わりを強調しています。後半のテンポが早くなるところも、フレーズの終わりの音の処理にアタック含めオケもビブラートをかけています。現代に比べると控えめかもしれませんが、結構オケもビブラートをかけています。

[39788]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 catgut [09/04/06 8:16:04]

文献担当ですが、この件は以前調べてみました。

ヴィブラート技術自体はヴァイオリン誕生以前から知られているそうです。
リュートなどでも現在のヴァイオリンと同様のヴィブラートが使われていた
とニューグローブ音楽大辞典のヴィブラートの項で見た記憶があります。
イザイも比較的目立つヴィブラートを使ったと言われています。

しかし20世紀初期にヴァイオリニストに強い影響力があったアウアーや
カール・フレッシュはヴィブラートを使い過ぎてはいけないと明確に書いています。

アウアーが1921年に出版したViolin Playing as I teach itで、
連続的なヴィブラートを使おうとする生徒と、それを止めさせようとするアウアーの戦いがアウアー自身によって描かれています。つまり1910年代頃に連続的なヴィブラートを習得しようとするヴァイオリン奏者が増えてきたということでしょう。

アウアーは具体的には「一般的に、のばさない音にはヴィブラートを用いることを禁止し、長い音符がフレーズの中で相互に続いている場合にさえヴィブラートを乱用しないように激しく注意する」(今田理枝訳)と書いています。アウアーの弟子がハイフェッツというのは皮肉ですが、1920年以前に一部のソリストを除いて現在よりヴィブラートが控えめに用いられていたことは間違いないと思います。

[39787]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 pochi [09/04/06 1:25:43]

昔の人がどのような演奏をしていたのかは、現場では解りません。文献の引用はcatgut氏に任せるとして、

いい加減に弾き慣れているセミプロオケ等で、「この曲は時代的にノンヴィブラートである。ノンヴィブラートで弾け」と指揮者が云うと、普段とは違って気を付けて弾く様に成るから、結果的に演奏が良くなる。という話を知り合いの指揮者から聞いた事があります。

クラシック音楽はマンネリなので、チョット毛色の違ったノンヴィブラート奏法の演奏は新鮮味があって話題性に長けるのではないか?

ヴィブラート奏法を始めたのはクライスラーではなく、それ以前のイザイではないか?

リンクを読むと、オーケストラでは1920年代〜1940年頃、ヴィブラート奏法が「ハリウッド」とともに一般化したとも読めます。

金管のヴィブラートはストコフスキーでしたっけ?リンクを読むとストコフスキー批判が透けて読めます。

個人的趣味として、「エルガーやブロッホ、バルトークを演奏するとき」ノンヴィブラートも有りだと思います。私自身はバッハの無伴奏の16分音符にもヴィブラートを掛ける悪癖?があります。

反論には成っていませんね。

[39786]

Re: ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 catgut [09/04/06 0:00:16]

わが祖国(TOCE-13068)のライナーノートでノリントンはこのように書いていますが。

さらに重要なのは、かのヨアヒムが「純粋な音」と呼んだ響きを実現するため、すべての楽器がヴィブラートを最小限にとどめながら、あるいはごく稀にしか用いずに演奏することだ。どんなオーケストラでも、1920年以前は、
これがごくあたりまえの流儀だった。
(c)ロジャー・ノリントン、1997 訳:木幡一誠

[39785]

ノリントン先生は正しいのか

[雑談・その他]
 室内楽奏者 [09/04/05 23:12:23]

証拠に基づく建設的な議論をやりたいものです。
別スレでは
☆必要条件に過ぎないものを十分条件と言いくるめようとする
☆特殊例を一般的と主張する
☆Aの結果がBであるものを、あたかもBがAの原因だと強弁する
というような方もいます。

証拠に基づくとは、ソースが明らかで、誰でも追実験できる意です。
----
ttp://www.kanzaki.com/norrington/roger-interview2004.htmlが
マエストロ・ノリントンの主張を正当に反映しているのか断言はできません。しかしそんなに外れないとすると、ノリントン先生は
「1930年代まではヴィブラートが使われていなかった」
と主張していることになります。
(判断に間違いがあれば指摘をお願いします)
とすると、証拠に基づき、ノリントン先生に反駁できます。
---------
{証拠1}アルバート・サモンズによるエルガーのヴァイオリン協奏曲
(1929年3月18日と4月10日録音:ニュー・クイーンズホール・オーケストラ 指揮ヘンリー・ウッド)
はソロイストは常時ヴィブラートですし、オケも普通に掛けています。Naxos 8.110951


{証拠2}ワーナーヴィジョン・ジャパン発売のDVD
"The Art of Conducting" 『第1巻 』
フェリックス・ワインガルトナー指揮 パリ交響楽団による1932年の記録映画。
ウェーバー「魔段の射手」序曲の演奏において、ヴァイオリンとチェロの大部分の奏者は現代のオケとさほど変わらぬヴィブラートを掛けている。
公平のため付言すれば一部の奏者のヴィブラートは指のヴィブラートであって現代的はものとは異なる。年配の奏者の一部にとくにそれが認められる。
{証拠3}同上DVD フリッツ・ブッシュ指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団による1932年の記録映画。
ワーグナー「タンホイザー」序曲 やはりヴァイオリンとチェロで常時ヴィブラートが明らか。
{証拠4}ワーナーヴィジョン・ジャパン発売のDVD
"The Art of Conducting" 『第2巻 』
ウィレム・メンゲルベルク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボー管弦楽団の記録映画。
ビセー「アルルの女」第1組曲よりアダージェット、ウェーバー「オペロン」序曲。ヴァイオリンとチェロのパートは常時ヴィブラートを行っている。

{証拠5}私は手元にCDを持ちませんが、作曲者エルガー自身の指揮、ベアトリス・ハリソン(作曲者ひいきのチェリスト)によるエルガーのチョロ協奏曲演奏は、少なくとも独奏者は常時ヴィブラートだそうです。実際に聴かれた方のレポをお願いします。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Beatrice_Harrison#Recordings
Elgar: Cello concerto (New Symphony Orchestra cond. by Edward Elgar) HMV D1507-9 (3 records).
------
これらよりして、ノリントン先生が主張する学説は疑わしい。
私自身がエルガーやブロッホ、バルトークを演奏するときは常時ヴィブラートを必ず掛けます。常時ヴィブラートこそが作曲者の意図に沿うと考えないわけに行かないからです。

ノリントン先生がエルガーのチェロ協奏曲において石坂団十郎さんに"Senza Vibrato"で弾いてくれないかと依頼したのは、理論的根拠を持たない。故にノリントン先生の個人的趣味に基づくと、私は判断します。
みなさまの反論をお願いします。

Copyright © 1995-1998, 2001-2020 violin@web all rights reserved.