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先生の選曲について | ヴァイオリン掲示板

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雑談・その他 7 Comments
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先生の選曲について

投稿日時:2008年10月10日 19:54
投稿者:混乱のさなか(ID:GThzRTE)
「ビオラの先生にバイオリンを習う」のスレを立てた者です。またまた、別件で質問させてください。
わけあって、2年間ついた娘のバイオリンの先生を離れることにしました。
先生自身は個人としても演奏者としてもとても尊敬できる方ですし、教え方のシステムも非常に明確です。 離れる決定をしたいくつもある理由の大きい部分は、娘の成長具合と先生の方針が相容れない所があったためで、将来、また同じ先生に付くこともあり得ると思っていますし、先生もそれを受け入れてくださっています。

前置きが長くなりました。
娘が過去1年に学んだ曲は、モーツァルト3番全楽章、メンデルスゾーン 全楽章でした。 かなり中味の幼い13歳の娘には取り組む課題が大きすぎて、食傷状態になってしまいました。 頼み込んで、小さめの曲を2ついただき、これはとても楽しんだものの、最後のレッスンでも、先生は「彼女は次はブルッフのコンチェルトをやらなきゃだめだよ。ロンド・カプリシオーソもね。」と強調されていました。
ある方からは、「大学の入試では、ブラームスとかチャイコフスキーとか大きいコンチェルトを弾かなくてはならず、15歳、16歳頃にこれらに取り組むことを考えると、今のタイミングとして小さいコンチェルトをこなしておかなくてはならない。」と、先生の選曲をサポートする意見もお聞きしました。

先生は「小曲は学ぶところがない。そんなものを与えたら、だらけてしまう。」とおっしゃりながら、それでも、小さめの曲(娘にはそれでも大変だったのですが)を2曲くださったのですが、私としては、この2曲のほうが前の2つのコンチェルトに比べて学ぶ点がはっきりしていて、身についたものが多かったように思います。
ちなみに、娘は、現実の努力とは結びつかないものの、ある程度専門的にやっていきたいという意思はもっています。
いろいろな方針の先生がいらっしゃると思います。が、小中学生が大曲に取り組むことの意義は、みなさんどう思われますか? 次の先生を決めるときの参考にさせていただきたいと思います。
【ご参考】
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Re: 先生の選曲について

投稿日時:2008年10月10日 21:01
投稿者:rio(ID:NGEZaHE)
あくまで趣味としてVnを楽しむのか
Vnで生計を立てることも視野に入れるのか

で異なるのでは?

現在「ある程度専門的に」という意思があれば
アナリーゼはあとにしても、テクニカルな面では
小学校高学年であれば、一通りこなしておくべきのように思います。
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Re: 先生の選曲について

投稿日時:2008年10月10日 21:26
投稿者:父娘Vn(ID:NCJBGIQ)
「ある程度専門的に」にもいろいろありますね。
なんだか、ご趣味のお話を伺っている感じです。

それにしても、13才でそのレパートリーが荷が重いのであれば、どこが「専門的」???と言うご意見もあるかも知れませんね。まあでも10代後半以降に目覚ましく成長する人もいると聞きます。

親が荷が重いこの曲は出来が悪いこの局の方がこの子に向いているなぞと思っているだけで、ご師匠は全然別の子供さんのいい面を見て居られて、そこを一生懸命伸ばそうとして居られて、親御さんは気づいてない、なんてことは、この世界、珍しくないものです。子供さんの音楽のできの善し悪しを、ご師匠よりも親御さんの方がより良く判断できると言うのであれば、親が教えればよろしい(音楽を)。そうでないから、よいご師匠を探すのでしょう。


それでもいつの日かお子様のご才能が美事花開く日が来ると信じるなら、親が焦って右往左往せず、今の位置で、じっと辛抱するのも、良いかも、知れませんよ。
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Re: 先生の選曲について

投稿日時:2008年10月10日 22:53
投稿者:クロアシ(ID:SUEFNUA)
>モーツァルト3番全楽章
>メンデルスゾーン 全楽章
>ブルッフのコンチェルト

私の印象では、先生は、なるべく効率よく、テクニカルな面を解決するために、最短距離を突っ走ろうとしていたのだろうと思います。音大受験の話でも出たのですか? 先生の焦りが伝わって来るようです。
個人的には、大曲に挑むことの意義は大きいと思います。苦労する中で、色々な技術をモノにするチャンスが増えるからです。ただし、スケール・エチュードをきちんとこなしている事が前提です。これをいい加減にすっ飛ばしたら、漫然と弾けるだけになって、何も身に付かないということになりかねません。

ヴィオラ教師に就く可能性があるという話ですが、ヴィオラとヴァイオリンでは、やはり鳴らし方がかなり違います。両者の奏法に充分通じた教師もいないことはないでしょうが、それほど多くないと思います。教師の選択から、もう少し冷静に考え直した方がいいのでは、という気もします。

「ある程度専門的」の定義が私にもよく分からないのですが、今の進度では、地方国立大の教育学部に引っかかるかどうかのレヴェルだと思います。将来、身につけた技術で何をしたいのか、よく話し合われた方がいいと思います。
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Re: 先生の選曲について

投稿日時:2008年10月10日 23:40
投稿者:父娘Vn(ID:NCJBGIQ)
クロアシさんに賛成。

>現実の努力とは結びつかない
これが完全に結びついている人なんて殆どいませんよ(その年代で図抜けて上手な子たちの中で、ですよ)。13才で?まずいないでしょう。本人のやる気のなさを嘆いている暇があったら、親として適切なコーチングのあり方を探求しましょう。「現実の努力とは。。。」などとこんなところに書き込むのは、コーチングのあり方としては最悪ですね。(ちょっと言葉がきついかも知れませんが、重要なことですから、御赦し下さい。)
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Re: 先生の選曲について

投稿日時:2008年10月11日 01:06
投稿者:猫目石(ID:OBFBYoA)
何歳でどの曲をやったか、ではなくて学んだ内容が大切だと思います。
音大入試前にブラームスのコンチェルトを弾いていたとしても内容が伴わなければ(音楽的なこと以前に技術的なこと)落ちるでしょうし。
きちんとした指導者の元であれば小学生でそれなりの曲を与えても問題はないと思います。子供の将来は親御さんが良い指導者を見つけられるかに掛かっていると思います。
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Re: 先生の選曲について

投稿日時:2008年10月11日 02:23
投稿者:混乱のさなか(ID:GThzRTE)
Rioさん、父娘Vnさん、クロアシさん、Pochiさん、掲示板の重鎮の方々からのコメントをいただき本当に感謝しています。目から鱗のご意見もたくさんありました。

この先生に付く前は、本当に小さくて短い曲を仕上げるのもかなりの親のサポートが必要でした。年齢的に独り立ちが必要だというあせりもあり、「いきなりコンチェルト!しかも、全楽章!無理無理!」とは頭から親が決め付けてしまっていたように思います。本人が一人でこなせる曲であれば、独り立ちもスムーズだろうし、親の負担も軽いし、そんな曲だってたくさんあるだろうに、なんていう打算も働いていました。最悪ですね。本人ではなく、親が弱腰・逃げ腰になっていました。その言い訳に「曲が大きすぎる」ということを使おうとしていた現実にものすごく反省しています。理にかなった選曲だったんですね。見えない部分を見ようとしなかった自分の未熟さを恥じています。それを気づかせてくださったコメント、とてもありがたいです。

「ある程度専門的」というのが適切な表現ではなかったようです。本人の中で将来像の輪郭がまだはっきりしていないだろうという気持ちから、「ある程度」という言葉を使ってしまいました。余計でした。
本人は音楽でお金を稼いで食べていくという現実的な意識はもっていないと思います。(将来何をするにしても、それによってお金を稼がなければ食べていけないという現実すら希薄です。)ただ、音楽をづっと続けたい。当然音楽を専門に勉強してきたい。オーケストラに入るのか、ソロイストになるのか、チェンバー・ミュージシャンが向いているのか突き詰めてはいないと思いますが、音楽をずっとやっていきたいと口にしています。
その気持ちをサポートすべく、演奏家としても指導者としても尊敬できる今の先生を紹介してもらい(たまたま大学の先生であっただけで、大学の先生だから付いたわけではありません。)2年間本人も周りもがんばってきたものの、学校も忙しくなり思うように練習できない(学校からまっすぐ帰って5時、宿題を終えて10時。イギリスの公立校です。そこから練習をはじめて集中できない。必要な筋肉を発達させるために最低限必要だといわれる2時間の練習が確保できない。しない。)、「細かいところに気をつける」は彼女の不得手な部分ですが、注意不足から、間違った運指、間違った弦を繰り返し、レッスンのしょっぱなからガンガンにしかられる。(東欧出身の体育会系の先生です。)すると、本人は幽体離脱状態になってしまい、きちんと呼吸していないから、以降はフレージングをはじめ、何も学べる状態ではなくなる。高いレッスン代(週2回45分づつ)がレッスンのでだしの5分ですべて無駄という状態が続きました。しかられて、しかられて、全て否定されて、本人の自信もどんどん萎みこんでいくような気がしていました(この部分の傷はそれほどでもなかったということが後でわかりました。)

先生の指導は、非常に理にかなっています。スケールも各スケールの1番から8番まで(Carl Fresche)丁寧にきちんと指導してくださるし、その時やっている曲の技術的なバックアップに必要なスタディも、Rode、Fiolliro、Kreuzterなどから選んでくださっていました。そして、何よりも、娘をかわがってくださり(レッスンではほぼ「いじめ」のような叱り方ですが・・)、最後のレッスンの後に出したお礼のメールの返事にも、「とにかく、きちんとした先生につくように。人当たりがよく、自信たっぷりに誤ったことを教える先生もたくさんいるから、気をつけるように。もし、うまくいかなかったら、いつでも戻っていいから。」とおっしゃっていました。そして、「相手にしているのは13歳の子供、レッスンにおける大きな無駄を容認し、サポートし続けるのが親の役目。」とも。2年間本人、先生、親のチームとしてやってきたという気持ちがあるので、本当に涙がこぼれました。

Pochiさんのおっしゃるように、この先生でそのまま進むのが正解だと、直感的に思います。でも、気力的、それと悲しいかな経済的に限界まで来ているので、やはり、しばらくは新しい先生探しに翻弄しようと思います。そして、納得の行く先生がみつからなかったら、頭をさげて前の先生に戻るつもりです。その時は、経済状況が改善しているといいのですが。でも、みなさんのおかげで、探すべき先生像が見えてきました。 ありがとうございました。 長文になってしまい、失礼しました。
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Re: 先生の選曲について

投稿日時:2008年10月11日 07:59
投稿者:父娘Vn(ID:NCJBGIQ)
ご重鎮とは私以外の方のことですよね。

今は昔、私の師匠のそのまた師匠(故人)の話。
ある生徒が、エチュードを2曲、弾いてこいといわれ、練習して行った。一箇所だけ、ちょっとミス。即、「ストップ。今日はここまで。」その日は、以降のレッスンなし。
日本の中学を途中でやめて、マドリードまで来て、週に数回のレッスンで、これが毎回毎回続いて、、、、
さぞ絶望的な気分になられたことと思うのですが。その方は、今では日本で最高の演奏家の一人です。

舞台の上では、一回しか弾けません。一回で完璧に弾けなければなりません。だから、レッスン室では、一発で完全に完璧に弾けるように、そういう練習をして来ないといけない。そうでなければ、舞台に立って、お客様に聴いて頂く資格がない。という教えであると思います。

ちょろちょろミスしても甘い顔をして優しく教えてくれる先生が良いのであれば、教える方も教わる方も趣味的ですよね。

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