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楽譜の校訂者 | ヴァイオリン掲示板

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雑談・その他 15 Comments
[8592]

楽譜の校訂者

投稿日時:2004年01月02日 11:52
投稿者:修行中(ID:EDhwYEM)
昔からすごい気になってた事(単に調べが足りないだけかもしれませんが・・・)があるのです。
良く譜面を購入するときに誰が校訂をしてるのかも考慮してるのですが
インターナショナル版だとフラチェスカッティ、ガラミアン、オイストラフ等は分かるのですが、特にペータース版で
HANS SITT
Arbos
Davisson
Stross
などなど・・・
誰なんだろうといつも思ってました。
どなたかご存知の方がいればどういう方なのか教えてください。
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【ご参考】
[8847]

Re: 楽譜の校訂者

投稿日時:2004年01月10日 20:54
投稿者:pochi(ID:GHBxWVY)
>>「音楽は教えられるものではない、只聴くものだ」
結局、祝詞と同じなのでしょうか?タカマガハラカシコミカシコミ、、、
[8880]

Re: 楽譜の校訂者

投稿日時:2004年01月12日 22:33
投稿者:玉木宏樹(ID:GIMlEwk)
作曲家が全責任負って、いろんなことを書き込むなんて、多分
ベートーベン以後だよ。そのベートーベンだって猛烈な悪筆。
ベートーベンと同様に作曲でしか飯を食えなくなったシューマンが、
やたら書き込むが、メトロノーム表示が無茶苦茶。
クレッシェンドはロッシーニの発明。その効果は凄まじく、
今で言えば、ヘビメタ級の衝撃。だからそれ以前の作曲家のスコアには
クレッシェンドはない。
モーツァルトのピアノ協奏曲のソロパートは自分が弾くために、左手は
今で言うコードネームしか書いてない。
モーツァルト以前の譜面なんて、ノート情報以外なんてほとんどない。
作曲なんて所詮、演奏のためのテキスト作りなんだよね。
いろんなことを書き込みすぎるマーラーなんて、人間不信の権化。
今みたいに原典に忠実になんて言うようになったのは、ハイフェッツを筆頭とした
ノイエザッハリヒカイト(新即物主義)以来と思うんだけど、ハイフェッツにしても、
本当は、当時のイザイやティボーたちの生ぬるいお引きずりポルタメントを
拒否するためだったはず。

先日、作曲家協議会の集まりがあって、雑談になったとき、三枝氏が
みんな、どれだけスコアに強弱や表情を書くか、と言う話になり、
彼も私もほとんど書かないことがわかった。
最近は出版が多くなったので、いやいや書きますがね。
そういえば、こんなことがあった。
私が24年前に初演した、7台のシンセサイザーと三管編成の東フィル
のための交響曲「雲井時鳥国」の練習の時、遅い楽章で、メインのオーボエが
あまりにも無表情に吹くので、「表情をつけて」というと、彼は「だって、
エスプレッシーヴォって書いてないもん」と来たね。私は頭に来たね。
「音楽ってもんは、ノンエスプレッシーヴォって書いてないかぎり無表情に
吹くもんじゃないだろう」ってね。なんでもかんでも楽譜に書いてることだけを
やろうとするのは、自らを部品化する行為なんだよね。情けない。
「楽譜に書いてない」という、察しの悪いやつには大声で言いたい。
「じゃあ、書けばできるのかよ! ってね。
[8885]

Re: 楽譜の校訂者

投稿日時:2004年01月13日 06:29
投稿者:pochi(ID:GHBxWVY)
>「だって、エスプレッシーヴォって書いてないもん」と来たね。
*****こんな事言い放って、馘にならないの?
[9019]

原典版といえばこんなことも

投稿日時:2004年01月16日 23:23
投稿者:Geiger1951(ID:Fxk4BJE)
「原典版」ネタで極めて低次元に落とした告白話をします。
++++
シューベルトの大幻想曲ハ長調(Op.159)の譜を私は
IMC(No.907)のHermann校訂のものと
Henle原典版(ロスタルのフィンガリング付き)
を持っています。

若いときIMC版を使っていて、買い替えの時原典版にしましたが、見てあせりました。
IMC(Hermann校訂)は原典版にくらべ結構音を変えています。
上行スケールが途中で折り返しになっていたり、重音が省略。
露骨に言うと、「弾きやすいようにアレンジした譜」
だということです。オイストラフのLP(CD化されていない模様)も当然IMCです。
原典版で成功する自信が持てず、すごすごとIMCを買い直してペロリと赤い舌を出してそっちを使いました。
久保田巧さんは確か原典版を上手にお弾きになっていて舌を巻きます。
低次元でスイマセン。
++++
全然逆ですが、フォーレのソナタ1番は新しく出た原典版(PETERS:7487)がスケルツォのメトロノームが遅いのです。
これも正直にゲロすると遅い方が小生は有難い。
ピアニストとテンポで大喧嘩になったとき、「あんた原典版をケナスのか」で何とか言いくるめました。
こういう狡さは困ったオジサンの専売特許です。ハハハ。
[9025]

Re: 楽譜の校訂者

投稿日時:2004年01月17日 04:14
投稿者:kirin(ID:JnA2WZQ)
日本のある大バイオリニストがアメリカでサンサーンスの3番のコンチェルトを弾いたとき、批評家から2楽章の旋律が、表情が薄く物足りない、とような批判を受けたそうです。それに対し某氏は、批評家は楽譜に書かれたSempliceの指示を知らないからそういうことを言う、と不満を述べていましたが、作曲家がどういう指示を書いても、演奏家にイメージした音楽が伝わるのはなかなか難しいと思うのですが、それだけでなく、一旦書かれてしまった楽譜というのは、作曲家の手から離れて独自に歩むものだと言う気がします。作曲家が思ったような演奏をしてくれないと思うこともあるだろうし、逆に思わぬ演奏をして驚くこともあるのでは。
名曲は名演奏によっても作られるものだと思います。
ちょっと、テーマから外れてしまいましたか?
[9026]

Re: 楽譜の校訂者

投稿日時:2004年01月17日 07:42
投稿者:pochi(ID:JVIgaAk)
[9019]
[9019]

原典版といえばこんなことも

投稿日時:2004年01月16日 23:23
投稿者:Geiger1951(ID:Fxk4BJE)
「原典版」ネタで極めて低次元に落とした告白話をします。
++++
シューベルトの大幻想曲ハ長調(Op.159)の譜を私は
IMC(No.907)のHermann校訂のものと
Henle原典版(ロスタルのフィンガリング付き)
を持っています。

若いときIMC版を使っていて、買い替えの時原典版にしましたが、見てあせりました。
IMC(Hermann校訂)は原典版にくらべ結構音を変えています。
上行スケールが途中で折り返しになっていたり、重音が省略。
露骨に言うと、「弾きやすいようにアレンジした譜」
だということです。オイストラフのLP(CD化されていない模様)も当然IMCです。
原典版で成功する自信が持てず、すごすごとIMCを買い直してペロリと赤い舌を出してそっちを使いました。
久保田巧さんは確か原典版を上手にお弾きになっていて舌を巻きます。
低次元でスイマセン。
++++
全然逆ですが、フォーレのソナタ1番は新しく出た原典版(PETERS:7487)がスケルツォのメトロノームが遅いのです。
これも正直にゲロすると遅い方が小生は有難い。
ピアニストとテンポで大喧嘩になったとき、「あんた原典版をケナスのか」で何とか言いくるめました。
こういう狡さは困ったオジサンの専売特許です。ハハハ。
猊下投稿
>フォーレのソナタ1番は新しく出た原典版(PETERS:7487)がス ケルツォのメトロノームが遅いのです。
*****少し速いなと思っていました。知らなかった。難しいんですよね。個人的に速い方が格好良いと思います。
音学してる人は凄いな!!!
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