[48286]
レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2
投稿日時:2013年12月20日 05:20
投稿者:pochi(ID:JpZ3giU)
意見を募っているのに、悪態を吐くヤカラが現れ、スレが荒れたので、同趣旨で新規に立てます。まとめたので長くなりますが、宜しければ御笑読下さい。
/////////////
ヴァイオリンのレッスンの本質は、1対多の集団教育(寺子屋)ではなく、1対1のエリート教育(職業演奏家養成)です。職業演奏家を目指した人だけが、人前で弾いて、チョットは聴ける程度になる可能性があります。そうでない人は汚いだけになってしまうのが、ヴァイオリンです。理由は、ヴァイオリンが職業演奏家向きの楽器であって、貴族の遊び向きの楽器では無いからです。貴族向けにはフレットの有る導入が易しいガンバがありました。
そんなヴァイオリンレッスンの厳しさによって、上手くなる人も出てくるし、逆に、多くの子供が辛くてやめてしまいます。幼少期からヴァイオリンを習っていたら、肌身で知っているはずなんですけどね。
http://fstrings.com/board/index.asp?id=47923#48056
ところが、レッスンの本質が解っていないのであろう投稿があります。
http://fstrings.com/board/index.asp?id=47923#48077
学校教育は、貧乏な人でも教育が受けられるようにするのが元来の目的でしょう。子の教育は、本来、親がこれを行い、親では教育できない部分を、教師を雇って教育します。元々は、次善の策でしか無いのです。
学校教育に対する考え方で、巷間よく言われているのは、落語や講談の要素を授業に取り入れて(生徒を観衆だと見立てて)、生徒が興味が持てるように授業するテクニックを磨くべきだ、という主張でしょう。予備校だとモニターを入れて、取り入れているところもありました。
しかし、他人が作ったカリキュラムの教育が理想であるはずがありません。人間教育は、犬(動物)の調教とは違って、教える側と教わる側が、お互いに生身の人間ですから、手法を強制しても、上手く行く筈がないのです。反面教師という言葉も有るくらいで、悪い教師の下でも生徒とのコンビネーションによっては、良い生徒が育つ事がありますし、逆もあります。教育学の基本中の基本ですよね。
ところが、ヴァイオイリンの場合、先生を見本とする真似が基本ですから、反面教師として上手くなる、ということはあり得ません。
1対1で、個々の生徒に対してカスタマイズされたカリキュラムで教えるヴァイオリンのレッスンに於いて、ヴァイオリン教師が、学校の先生を見習うべきところは、無い、と私は思います。音大でも、レッスンは基本的に1対1です。学校教育(1対多)は、ヴァイオリンを教える(教わる)事とは異質だと思います。
もう少し踏み込んでご説明しましょう。
学校教育の内容は、それが、受験であったり、読み書き算盤であったり、色々ですが、詰まる所、「何かに役立つ事」です。ところが、ヴァイオリンは、なんにも役には立ちません。それ自体が目的の「芸」なのです。無目的なモノに理由を付ける時、西洋では「神」が出てきます。音楽は神に捧げるもの、何てことになります。順序が逆かも知れません。
ヴァイオリン演奏は「芸」であっても、伝統芸の一種ですから、先生は、(クラシック)音楽の芸を引き継ぐ、という考え方の元に教えます。
私が「教条」とまで言い放った、音程とリズムは、西洋音楽の基本中の基本です。ヴァイオリンの場合、これを修得するのが結構困難なんですよね。でも、ヴァイオリンを弾く限りは、習得しなければならないし、少なくとも、習得を目指さなければならない。何故なら、伝統芸だからです。その過程でのDiscipline(鍛錬)の有無が、作曲家や楽曲に対する畏敬の念の有無とも言い換えられます。
ヴァイオリンを弾いている人の高祖師くらいまで遡ると、誰でも巨匠にブチ当たります。そんな先人に顔向けが出来るように教えるのが、伝統芸で有るはずです。また、これを教わる必要があります。だから、練習室に作曲家や過去の演奏家の写真が貼っているんです。
そして、才能に恵まれた弟子だけが、その伝統を受け継ぐことが出来、次の世代に引き継いでいくのだと、私は認識しています。職業演奏家向けの楽器なので、なかなか伝統を受け継ぐというレベルにまで到達することは適わないのが、ヴァイオリンの難しいところ、もっと言えば、「芸」はどれも同じでしょう。
だから、一流演奏家は、余業としてではなく、教えなければならないのです。ハイフェッツは教える事を嫌がったのですが、この様に説得され、漸く4人だけ弟子を取ることになりました。有名な話ですよね。
///////////////
音楽教育に依る「人格形成」・「情操」なんて言われていますが、
http://fstrings.com/board/index.asp?id=46419#47890
こちらにあります。しかし、あくまでも副次的なもので、人格形成や情操のために「芸」を仕込むのは、芸の獲得の為には間違った考え方です。必死になって芸を突き詰めようとすると、それなりの人格形成や情操にはなる事も多いのですが、目的と手段を混同すると、芸が芸で無くなってしまいます。即ち、聴衆に感動を与える演奏は出来なくなります。スズキ・メソードの欺瞞はこんなところにも有ると思います。
///////////////
Discipline(鍛錬)が無いヴァイオリンは、楽曲・作曲家への冒涜であり、「人格形成」・「情操」に資することは無く、耳と脳が腐るだけです。
http://fstrings.com/board/index.asp?id=47902#47902
//////////////
文科省の考え方の基本は、
ドーセガッコのセンセはバカだから、ナーンニモワカンネーだろうし、オレタチが立派な帝國軍人養成の為のカリキュラムを作ってやるから、それを現場で上手く適用する手法をそれぞれ考えろ!そのくらいはできるだろ、このアホきょ~し!
という事なのです。富国強兵ですね。
1980年代迄、大蔵省の内部文書では、治世を「牧民」と呼び習わしていました。日本では明治以降、知識階級である官が無知蒙昧の民を啓蒙指導する、という考え方に貫かれています。「牧」は、「餌をやって放し飼い」という意味だったと思います。牧畜と同じですね。官僚(国家公務員上級職)の考え方のエッセンスを捉えたものです。
「1対多」「1対1」という形態の違いの他、何らかの意図(富国強兵等)を以って教える学校教育と、それ自体が目的のヴァイオリン教授は異質です。
///////////////
さて、
レッスンで教えるヴァイオリン教師も学校教育の教育法や教師を見習ったほうがよいのでしょうか?見習えるとすれば、どんなところが見習える可能性があるのでしょうか?
諸姉諸兄の御意見を賜りたい。
/////////////
ヴァイオリンのレッスンの本質は、1対多の集団教育(寺子屋)ではなく、1対1のエリート教育(職業演奏家養成)です。職業演奏家を目指した人だけが、人前で弾いて、チョットは聴ける程度になる可能性があります。そうでない人は汚いだけになってしまうのが、ヴァイオリンです。理由は、ヴァイオリンが職業演奏家向きの楽器であって、貴族の遊び向きの楽器では無いからです。貴族向けにはフレットの有る導入が易しいガンバがありました。
そんなヴァイオリンレッスンの厳しさによって、上手くなる人も出てくるし、逆に、多くの子供が辛くてやめてしまいます。幼少期からヴァイオリンを習っていたら、肌身で知っているはずなんですけどね。
http://fstrings.com/board/index.asp?id=47923#48056
ところが、レッスンの本質が解っていないのであろう投稿があります。
http://fstrings.com/board/index.asp?id=47923#48077
学校教育は、貧乏な人でも教育が受けられるようにするのが元来の目的でしょう。子の教育は、本来、親がこれを行い、親では教育できない部分を、教師を雇って教育します。元々は、次善の策でしか無いのです。
学校教育に対する考え方で、巷間よく言われているのは、落語や講談の要素を授業に取り入れて(生徒を観衆だと見立てて)、生徒が興味が持てるように授業するテクニックを磨くべきだ、という主張でしょう。予備校だとモニターを入れて、取り入れているところもありました。
しかし、他人が作ったカリキュラムの教育が理想であるはずがありません。人間教育は、犬(動物)の調教とは違って、教える側と教わる側が、お互いに生身の人間ですから、手法を強制しても、上手く行く筈がないのです。反面教師という言葉も有るくらいで、悪い教師の下でも生徒とのコンビネーションによっては、良い生徒が育つ事がありますし、逆もあります。教育学の基本中の基本ですよね。
ところが、ヴァイオイリンの場合、先生を見本とする真似が基本ですから、反面教師として上手くなる、ということはあり得ません。
1対1で、個々の生徒に対してカスタマイズされたカリキュラムで教えるヴァイオリンのレッスンに於いて、ヴァイオリン教師が、学校の先生を見習うべきところは、無い、と私は思います。音大でも、レッスンは基本的に1対1です。学校教育(1対多)は、ヴァイオリンを教える(教わる)事とは異質だと思います。
もう少し踏み込んでご説明しましょう。
学校教育の内容は、それが、受験であったり、読み書き算盤であったり、色々ですが、詰まる所、「何かに役立つ事」です。ところが、ヴァイオリンは、なんにも役には立ちません。それ自体が目的の「芸」なのです。無目的なモノに理由を付ける時、西洋では「神」が出てきます。音楽は神に捧げるもの、何てことになります。順序が逆かも知れません。
ヴァイオリン演奏は「芸」であっても、伝統芸の一種ですから、先生は、(クラシック)音楽の芸を引き継ぐ、という考え方の元に教えます。
私が「教条」とまで言い放った、音程とリズムは、西洋音楽の基本中の基本です。ヴァイオリンの場合、これを修得するのが結構困難なんですよね。でも、ヴァイオリンを弾く限りは、習得しなければならないし、少なくとも、習得を目指さなければならない。何故なら、伝統芸だからです。その過程でのDiscipline(鍛錬)の有無が、作曲家や楽曲に対する畏敬の念の有無とも言い換えられます。
ヴァイオリンを弾いている人の高祖師くらいまで遡ると、誰でも巨匠にブチ当たります。そんな先人に顔向けが出来るように教えるのが、伝統芸で有るはずです。また、これを教わる必要があります。だから、練習室に作曲家や過去の演奏家の写真が貼っているんです。
そして、才能に恵まれた弟子だけが、その伝統を受け継ぐことが出来、次の世代に引き継いでいくのだと、私は認識しています。職業演奏家向けの楽器なので、なかなか伝統を受け継ぐというレベルにまで到達することは適わないのが、ヴァイオリンの難しいところ、もっと言えば、「芸」はどれも同じでしょう。
だから、一流演奏家は、余業としてではなく、教えなければならないのです。ハイフェッツは教える事を嫌がったのですが、この様に説得され、漸く4人だけ弟子を取ることになりました。有名な話ですよね。
///////////////
音楽教育に依る「人格形成」・「情操」なんて言われていますが、
http://fstrings.com/board/index.asp?id=46419#47890
こちらにあります。しかし、あくまでも副次的なもので、人格形成や情操のために「芸」を仕込むのは、芸の獲得の為には間違った考え方です。必死になって芸を突き詰めようとすると、それなりの人格形成や情操にはなる事も多いのですが、目的と手段を混同すると、芸が芸で無くなってしまいます。即ち、聴衆に感動を与える演奏は出来なくなります。スズキ・メソードの欺瞞はこんなところにも有ると思います。
///////////////
Discipline(鍛錬)が無いヴァイオリンは、楽曲・作曲家への冒涜であり、「人格形成」・「情操」に資することは無く、耳と脳が腐るだけです。
http://fstrings.com/board/index.asp?id=47902#47902
//////////////
文科省の考え方の基本は、
ドーセガッコのセンセはバカだから、ナーンニモワカンネーだろうし、オレタチが立派な帝國軍人養成の為のカリキュラムを作ってやるから、それを現場で上手く適用する手法をそれぞれ考えろ!そのくらいはできるだろ、このアホきょ~し!
という事なのです。富国強兵ですね。
1980年代迄、大蔵省の内部文書では、治世を「牧民」と呼び習わしていました。日本では明治以降、知識階級である官が無知蒙昧の民を啓蒙指導する、という考え方に貫かれています。「牧」は、「餌をやって放し飼い」という意味だったと思います。牧畜と同じですね。官僚(国家公務員上級職)の考え方のエッセンスを捉えたものです。
「1対多」「1対1」という形態の違いの他、何らかの意図(富国強兵等)を以って教える学校教育と、それ自体が目的のヴァイオリン教授は異質です。
///////////////
さて、
レッスンで教えるヴァイオリン教師も学校教育の教育法や教師を見習ったほうがよいのでしょうか?見習えるとすれば、どんなところが見習える可能性があるのでしょうか?
諸姉諸兄の御意見を賜りたい。
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1 / 3 ページ [ 27コメント ]
【ご参考】
[48293]
Re: レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2
投稿日時:2013年12月20日 15:20
投稿者:pochi(ID:JpZ3giU)
http://fstrings.com/board/index.asp?id=48232#48292
アノニマス氏[13/12/20 14:51:37]投稿、
>自分が猿であることを自覚出来ない猿と
>猿に因数分解が理解出来ないことを責めたてる(或いは応援する?)変態の遣り取り
>実に不毛に感じる
私が変態であるかどうかは、勝手に思っておけばよいのですが、自覚なく暴れる猿はお断りです。
アノニマス氏[13/12/20 14:51:37]投稿、
>自分が猿であることを自覚出来ない猿と
>猿に因数分解が理解出来ないことを責めたてる(或いは応援する?)変態の遣り取り
>実に不毛に感じる
私が変態であるかどうかは、勝手に思っておけばよいのですが、自覚なく暴れる猿はお断りです。
[48294]
Re: レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2
投稿日時:2013年12月20日 16:25
投稿者:アノニマス(ID:FwhpBwI)
>私が変態であるかどうかは、勝手に思っておけばよいのですが、自覚なく暴れる猿はお断りです。
意外にもなかなか素直な面もあるのですね。
猿も見習った方が良いのでは?
所詮猿には因数分解は不可能なので取り合っても仕方無い、無視するのが得策だと思いますが、考え方や趣味嗜好、行動原理は人それぞれですからね。
そう。仰る通り誰が何を考え思うかは「勝手」でありますね。
意外にもなかなか素直な面もあるのですね。
猿も見習った方が良いのでは?
所詮猿には因数分解は不可能なので取り合っても仕方無い、無視するのが得策だと思いますが、考え方や趣味嗜好、行動原理は人それぞれですからね。
そう。仰る通り誰が何を考え思うかは「勝手」でありますね。
[48296]
Re: レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2
投稿日時:2013年12月20日 17:10
投稿者:pochi(ID:JpZ3giU)
柏木氏向け1st.positionの練習の仕方
http://fstrings.com/board/index.asp?id=47630
これなのですが、因数分解ではなく、四則計算です。
http://www.fstrings.com/board/index.asp?id=46172#46452
難易度としては少々難しくしてあるのですが、趣旨は14のフレームなので、この辺りでやっと二元連立方程式だと思います。
因数分解は、長短3度の重音音階でしょうか?
微積や数列・行列は、楽曲の様式を弾き分ける事に相当すると思います。ヴィオッティとそれ以前、ブラームスのクレッシェンドとか、いろいろありますよね。
開放弦からの1オクターブの音階が、10迄数えられるかどうか、に相当すると思います。
http://www.youtube.com/watch?v=kq4rmn-Z1uE
この人は全く満たしていません。全く満たしていないイ長調がアップされていましたが、消去されました。
///////////////
ヴァイオリンはいきなり敷居が高いんです。何とかこの敷居を下げる方法を模索して、チューナーを使う事も散々試したのですが、永年の指導経験に照らし合わせると、結果が良くないのです。(音階が音楽に聴こえるように弾ける人が居なくなる)
行き着いたのが、134の指の音を、弦の共鳴で取ってしまえ!(E線Gだけ2も)という、ちょっと暴力的とも言える方法ですね。これは、指導経験上、中級までは大丈夫、それ以上は、大人になってからでは、到達する人が居ないので、大丈夫、ということにしています。昔から使われている方法でもあるのですが、私のは、アレンジが強すぎて暴論に近いと自覚しています。発癌性のある抗癌剤みたいな気分になります。
暴論だという指摘を逃れるために、チョット細工をして、「柏木氏向け1st.positionの練習の仕方」になるのですが、これは、10迄数えるよりもずっと難しいみたいで、なかなか到達は出来ないみたいです。行わせると、改善されることは、解っています。好きな人は、嬉々として行う人も多いのが、「柏木氏向け1st.positionの練習の仕方」です。楽器が鳴るし、いい音が出せるので嬉しいのでしょうね。「いい日旅立ち」で提案したのは今回が初めてです。今までは機械的なセブシックのアレンジで提案していました。
まあ、結局は、自分の耳で自分が出している音を良く聴く、という事に尽きると思っています。録音も効果的なのですが、やはり、リアルタイムに聴く、というのは、なかなか難しいようです。
http://fstrings.com/board/index.asp?id=47630
これなのですが、因数分解ではなく、四則計算です。
http://www.fstrings.com/board/index.asp?id=46172#46452
難易度としては少々難しくしてあるのですが、趣旨は14のフレームなので、この辺りでやっと二元連立方程式だと思います。
因数分解は、長短3度の重音音階でしょうか?
微積や数列・行列は、楽曲の様式を弾き分ける事に相当すると思います。ヴィオッティとそれ以前、ブラームスのクレッシェンドとか、いろいろありますよね。
開放弦からの1オクターブの音階が、10迄数えられるかどうか、に相当すると思います。
http://www.youtube.com/watch?v=kq4rmn-Z1uE
この人は全く満たしていません。全く満たしていないイ長調がアップされていましたが、消去されました。
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ヴァイオリンはいきなり敷居が高いんです。何とかこの敷居を下げる方法を模索して、チューナーを使う事も散々試したのですが、永年の指導経験に照らし合わせると、結果が良くないのです。(音階が音楽に聴こえるように弾ける人が居なくなる)
行き着いたのが、134の指の音を、弦の共鳴で取ってしまえ!(E線Gだけ2も)という、ちょっと暴力的とも言える方法ですね。これは、指導経験上、中級までは大丈夫、それ以上は、大人になってからでは、到達する人が居ないので、大丈夫、ということにしています。昔から使われている方法でもあるのですが、私のは、アレンジが強すぎて暴論に近いと自覚しています。発癌性のある抗癌剤みたいな気分になります。
暴論だという指摘を逃れるために、チョット細工をして、「柏木氏向け1st.positionの練習の仕方」になるのですが、これは、10迄数えるよりもずっと難しいみたいで、なかなか到達は出来ないみたいです。行わせると、改善されることは、解っています。好きな人は、嬉々として行う人も多いのが、「柏木氏向け1st.positionの練習の仕方」です。楽器が鳴るし、いい音が出せるので嬉しいのでしょうね。「いい日旅立ち」で提案したのは今回が初めてです。今までは機械的なセブシックのアレンジで提案していました。
まあ、結局は、自分の耳で自分が出している音を良く聴く、という事に尽きると思っています。録音も効果的なのですが、やはり、リアルタイムに聴く、というのは、なかなか難しいようです。
[48297]
Re: レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2
投稿日時:2013年12月20日 17:13
投稿者:アノニマス(ID:FwhpBwI)
いや、まあ譬喩ですからね‥
そして、それは猿にとって不可能な内容が基礎的であるということを譬喩した訳ではなく、猿にとっての不可能具合の絶望的なことについての譬喩ですね。
文を言い換えれば、
正当な教育を受けた者にとっては四則計算程のものだが、彼にとっては猿が因数分解するに等しく絶望的に不可能である、となりますか。
でありますから、そこにこだわらなければ別に因数分解でなくとも、読み書き算盤でもなんでも良かったのですが。
猿に不可能なことは沢山あります(チンパンジーの◯◯君は◯◯が出来るとかいう野暮なツッコミは無しで)。
ああ、なんだか面倒な文章になってしまった。
そして、それは猿にとって不可能な内容が基礎的であるということを譬喩した訳ではなく、猿にとっての不可能具合の絶望的なことについての譬喩ですね。
文を言い換えれば、
正当な教育を受けた者にとっては四則計算程のものだが、彼にとっては猿が因数分解するに等しく絶望的に不可能である、となりますか。
でありますから、そこにこだわらなければ別に因数分解でなくとも、読み書き算盤でもなんでも良かったのですが。
猿に不可能なことは沢山あります(チンパンジーの◯◯君は◯◯が出来るとかいう野暮なツッコミは無しで)。
ああ、なんだか面倒な文章になってしまった。
[48298]
Re: レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2
投稿日時:2013年12月20日 17:18
投稿者:アノニマス(ID:FwhpBwI)
それから、
暴論だとは思いませんよ。
普通のことを仰ってます。
私もそう考えます。
暴論だとは思いませんよ。
普通のことを仰ってます。
私もそう考えます。
[48301]
Re: レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2
投稿日時:2013年12月20日 19:50
投稿者:pochi(ID:JpZ3giU)
アノニマス氏、
譬喩としては、将棋の方が良いと思います。
お猿さんは、最初から、銀は後ろに行く、とか、桂馬は前に行けるなんて言っていたのです。それは、成ったら行けるけど、最初は駒の動かし方を覚えなさい、と言い続けたのです。
それでもプロ棋士だと自称するから、将棋を差してあげたら、歩3つレベルで、詰みが解かんないのが、お猿さんです。挙句の果てに、手筋が悪い、とか、態度が悪い、と因縁を付けてきた、ってところでしょう。
お猿さんは、挟み将棋しか知らないから、仕方がないんですけどね。お猿さんなのに挟み将棋を知っていただけでも立派だとは考えられます。
諸姉諸兄の投稿を待ちましょう。
譬喩としては、将棋の方が良いと思います。
お猿さんは、最初から、銀は後ろに行く、とか、桂馬は前に行けるなんて言っていたのです。それは、成ったら行けるけど、最初は駒の動かし方を覚えなさい、と言い続けたのです。
それでもプロ棋士だと自称するから、将棋を差してあげたら、歩3つレベルで、詰みが解かんないのが、お猿さんです。挙句の果てに、手筋が悪い、とか、態度が悪い、と因縁を付けてきた、ってところでしょう。
お猿さんは、挟み将棋しか知らないから、仕方がないんですけどね。お猿さんなのに挟み将棋を知っていただけでも立派だとは考えられます。
諸姉諸兄の投稿を待ちましょう。
[48304]
Re: レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2
投稿日時:2013年12月21日 08:36
投稿者:たぬき(ID:OBJ0OGU)
いえ、特に見習う必要も無いように思います。
音楽という教科に限って申せば、音楽( の授業 )は嫌いと言う生徒が実にクラスの4分の3にものぼると、我が家の中学生は言っていました。
嫌いな理由の一つとして、授業でクラシック音楽鑑賞の後にその感想を書かされるのが嫌だ、というのがあるそうです。
曲が綺麗とか恰好いいとかいう理由ではいけないのか?と尋ねたところ、「 それだとマイナス評価もらっちゃうよ~ 」と笑われました。
曲のどの部分に対してどのように感じたか、具体的に書くことが重要とのこと。
何だか読書感想文を書かされるような感じで、作文が苦手なタイプの生徒には辛いだろうな、という印象ですが・・・。
他にも嫌いな理由は多々あるのでしょうが、ともかく生徒の大半は「 音楽なんかクッソつまんね~ 」と思っているのです。
しかしその生徒たちもポップスやボカロ等にはよくよく親しむのですから、本当は音楽が~ではなく、音楽の授業が嫌いなのだろうと、私は予想しています。
一方の「 音楽が好き 」な生徒は、日頃から何かの形でクラシック音楽に触れている子が多いようです。
個人の先生に楽器の演奏を教わっていて、中学生になった現在も続けている子は、迷わず「 好き 」と言うようです。
当然ですよね、好きだから続いているのでしょう。
そのように音楽好きな生徒を育てていらっしゃる先生が、生徒を音楽嫌いにさせる学校の先生に、何を見習うところがあるのか、私にはわからないのです。
ただ、学校の先生にも学習指導要領に沿って生徒に教えなくてはならない辛さがあるのかもしれませんね。
「 第5節 音楽 」のみ改めて読みましたが、最初の「 目標 」に「 ~情操を養う 」とあったのには思わず「 う~ん・・・」と。
音楽という教科に限って申せば、音楽( の授業 )は嫌いと言う生徒が実にクラスの4分の3にものぼると、我が家の中学生は言っていました。
嫌いな理由の一つとして、授業でクラシック音楽鑑賞の後にその感想を書かされるのが嫌だ、というのがあるそうです。
曲が綺麗とか恰好いいとかいう理由ではいけないのか?と尋ねたところ、「 それだとマイナス評価もらっちゃうよ~ 」と笑われました。
曲のどの部分に対してどのように感じたか、具体的に書くことが重要とのこと。
何だか読書感想文を書かされるような感じで、作文が苦手なタイプの生徒には辛いだろうな、という印象ですが・・・。
他にも嫌いな理由は多々あるのでしょうが、ともかく生徒の大半は「 音楽なんかクッソつまんね~ 」と思っているのです。
しかしその生徒たちもポップスやボカロ等にはよくよく親しむのですから、本当は音楽が~ではなく、音楽の授業が嫌いなのだろうと、私は予想しています。
一方の「 音楽が好き 」な生徒は、日頃から何かの形でクラシック音楽に触れている子が多いようです。
個人の先生に楽器の演奏を教わっていて、中学生になった現在も続けている子は、迷わず「 好き 」と言うようです。
当然ですよね、好きだから続いているのでしょう。
そのように音楽好きな生徒を育てていらっしゃる先生が、生徒を音楽嫌いにさせる学校の先生に、何を見習うところがあるのか、私にはわからないのです。
ただ、学校の先生にも学習指導要領に沿って生徒に教えなくてはならない辛さがあるのかもしれませんね。
「 第5節 音楽 」のみ改めて読みましたが、最初の「 目標 」に「 ~情操を養う 」とあったのには思わず「 う~ん・・・」と。
[48305]
Re: レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2
投稿日時:2013年12月21日 10:47
投稿者:柏木(ID:EQgYhQk)
そもそもレッスンに来る生徒は楽器に興味があったり、もともと好きな子が来ます。
音楽の授業で先生に誉められて楽器をやってみたいと来る生徒も実際いましたよ。
ただ音楽の授業は歌ばかりで嫌いだという生徒もいますが…
すいません、これで最後にします。
音楽の授業で先生に誉められて楽器をやってみたいと来る生徒も実際いましたよ。
ただ音楽の授業は歌ばかりで嫌いだという生徒もいますが…
すいません、これで最後にします。
[48306]
Re: レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2
投稿日時:2013年12月21日 11:13
投稿者:柏木(ID:EQgYhQk)
それと音楽教育は音楽を使って人間性を養うのが目的だそうなので音楽性を高めることが目的ではないところから感想文もしっかり書かせるもかもしれませんね。
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