[12563]
欧羅巴階級制に就いて、
投稿日時:2004年05月16日 13:24
投稿者:pochi(ID:N1QoJkA)
http://fstrings.com/board/board.asp?id=12476
yam氏投稿[12483]
[12482]
に関連して、
河出書房「渋沢龍彦」訳「丸木度佐渡」「悪徳の栄」を通読して下さい。冗漫な文章に嫌気が差すかも知れませんが、西洋貴族社会批判として痛快です。「丸木度佐渡」は、バスティーユ監獄の排水溝をマイク代わりにアジって仏蘭西革命の一端を担った人です。
道の真ん中を歩きたいと思う人も居れば、右端を歩きたい人も居ます。ラグビーの松尾氏の様に人の流れに逆らってぶつかりそうに成るのを除け乍歩く事を趣味にして居た人も居ます。世界に人間が70億人居るとすれば、70億通りの人生が有る訳で、今、この瞬間にも死に行く人は沢山居ますし、生まれ出る人も沢山居る訳です。
快楽を脳内生理学で捉えますと、アドレナリン・ノルアドレナリン・ドーパミン等脳内物質の出方を快く思うかどうか?に尽きるのだそうです。(薬物関係の御話は、医師に御任せ致します)人間の行動に於て、考えると、結局の所、「緊張と弛緩」と言ったトコロでしょう。「上司に叱られるのでは無いか?と恐乍、仕事をして、やっと出来上がって、もう一度見直してみて、間違って居た事を気が付いて、もう一度やり直そうと思ったが、時間が無く、そのまま報告した」何て言う経験はサラリーマン諸氏にとって、日常茶飯事です。この時、上司の反応は様々ですが、急に上司が死んで、仕事に意味が無く成ったり、全く頓珍漢な事を言われて褒められたり、自分が気兼ねして居た本質的な問題点では全く無い枝葉末節でシツコク叱責を受けたり、反応は様々です。自分が何を期待して、相手の反応がどうであるか?に快感原則が有りますね。色々な職業が有ります。外科医なら、危ないなと思い乍手術をして、上手に縫合が終わった瞬間、至福の喜びを得る人も有るでしょうし、その人が退院をした瞬間が至福の喜びで有る人も居るでしょう。単車速度競争者であれば、コーナーにフルスピードで突っ込んで、ブレーキングをタイヤが滑る直前まで掛け、体重移動した時、光り輝く一本の線が見えます。この線に載ると、コーナーを高速で駆け抜けた様な快感に陥ります。コーナーを抜けた瞬間に得られる、ホッとした気持ちが堪らなく良いと思う人も居るでしょう。人夫々ですが、金銭的な価値に高低は有っても、本質的な価値に高低なぞ有るはずも有りません。
社会的地位を極限迄高めた王や皇帝等は、生まれ乍にして他人を支配する事に慣れて居ます。経済的精神的価値の頂点に立って居る訳ですから、「間違いを恐れる事」が一切無いのです。働く必要は有りませんから、日常の雑事(行事)に追われる訳ですが、此れに快感を見出せ無い人も沢山いらっしゃる訳です。其処で、戦争なんかおっ始める人もいらっしゃる訳なのです。歴史学者に拠ると、昔の戦争なんぞいい加減なもので、戦争して居る真横で見て見ぬ振りで畑仕事を勤しんで居た何て事も普通だったらしいですが、基本的に戦争は、農閑期に行う行事だった様です。衆生の鬱積したストレス(蟠り)の捌け口でも有ったのです。国家同士の戦いで国民全員が参加せざるを得無く成ったのは、第一次大戦かららしいですから、極く最近の事です。10年に一度は戦争をしないと、戦いの手法が技術として受け継がれないので、必ず行わ無いと行け無いものだったそうです。そんな戦争にも飽きて仕舞った人は、何をするんでしょう?実際に自分が人を殺して遊んでみたく成った人も沢山いらっしゃいます。そして、本当にやっちゃってたんです。女遊び、男遊びも中途半端では有りません。衆生にタブーを下賜、其れを破る特権を見せ付ける事に拠って、権威を高める努力も有って、有とあらゆる手段で衆生を傷め付けて来たのです。欧羅巴では、学問が特権階級に浸透せず、文字が読める人は稀だったので、過去の過ちを繰り返し続けました。そんな中で、土地生産性の低い欧羅巴の地では、貿易(戦争をしに行くと言う意味も有ります)布教(精神的価値を奪うという意味も有ります)、即ち、他から収奪するという習慣が骨の髄迄染込みました。(此の辺りが中国と違うトコロですね)その精神的拠り所が神様なのです。神様の代理として、沢山の人間達が存在しました。(今でも沢山存在しますジョン・ポール・セカンド・エリザベス女王・天皇陛下等)欧羅巴はその様な習慣の中、製品の大量生産に成功します。(マルクス・エンゲルスを通読して下さい)植民地支配の世界規模での発展が「バスコ・ダ・ガマ」から始まり、「コロンブス」、「アメリゴ・ベスプッチ」、「キャプテン・クック」で終わりです。北南米にはコロンブスがカリブ諸島に到着した頃、3億人の人口が居たと言われて居ります。此れは、略当時の欧羅巴全体の人口に匹敵します。徹底的に殺し尽くしましたが、それでも生き残って居るのが、中南米の現地人達です。現在、白人の血がどれだけ混ざって居るか?に拠って、明確な階級制が有ります。非常に解り易いと思います。アルゼンチン・チリ等では、独逸に拠るユダヤ人虐殺の論理で期を同じくして原住民を略殲滅しました。北米、では、天然痘に拠って、殆どが死に絶え、残りは奴隷として使い捨てで、殺されました。この完成の象徴が教会です。教会を建設する時には現地人の労働力が必要ですが、建設が終わったら、労働者は産業廃棄物なので、教会の裏に埋めました。1970年代迄は、「インディオ・ハンティング・ツアー」と言う人殺し旅行が有りました。「ガンディー」、「マーティー・ルーサー・キング・ジュニア」と言った人々の尽力に拠って、ヒューマニズムが異民族に敷延されたのは、越南戦争後の極く最近の事です。白人と黒人が一緒に成って、越南人を殺しに行って、連帯感が生まれたのがきっかけです。20世紀の初め、「サルトル」は、茶論仲間の「ヤスパース」「ハイデッガー」等と共に、論理で神を殺しました。それが徐々に浸透したとも言えます。「サルトル」の愛人であった「ボーヴォ・ワール」が「ゴースト・ライター」でしょうね。「ボー・ヴォ・ワール」は、日本では、田嶋陽子先生が衆生に噛砕いて説明して居ますので、「第二の性」は敢えて読まなくても良いでしょう。今度は、希臘時代からの伝統に則って、10年に1度の戦争を、時代の回転を早める為、何時も行わざるを得無い状況下、アラブ人を殺しに行って、しくじって、もうすぐ撤兵します。今度の戦争は、結局、ユーロと弗の代理戦争に過ぎません。複雑に見せて、その実、何方も戦争しなければイケナイ情勢に有ったのです。結果は有耶無耶に成ります。念の為、越南戦争は、中国と全白人社会の代理戦争です。越南人は何方に付こうか選択を迫られ、最終的に拠りヒューマニズムを自分達に敷延して呉れる中国に付きました。そんな時代に死んだのが、ストラヴィンスキーやハイフェッツです。最後迄しぶとく生き残って居たのが、ショスタコーヴィッチです。体が強かったんでしょうね。此れが西洋音楽の歴史的背景と言って良いでしょう。西洋音楽に神様が必要なのは、サルトル等が神を殺す迄、神を殺してからは、必要無いのでは?と想像して居ります。芸術家は未だ衆生が神に近付いた様な気分に成る為の掛け橋かも知れません。米国に於ては、衆生にとってクラシック音楽は、欧羅巴の階級制の上位に位置して居るかの様な錯覚に陥る為の道具です。日本人にとっては、バナナ(黄色いが心はシロ、差別用語)に成る為の道具です。日本人女性は、西洋人に近付く為に有とアラユル手段を使ってその幻想を得んと努力して居ます。美容整形・ファッションがその代表でしょう。歴史的に世界中ファッションは常に男がリードします。新しい物が有ったら取り敢ず飛付いてみるのは世界中男に決まって居ます。似合いもし無い、高温多湿の日本の気候に合わない背広なんか着て、汗だくに成って居るのは、お笑いでしょう。「着流し」と言う日本の気候に適合した便利な物が有るのに、、、。あの~パンツを日本人が履き始めたのは最近の事ですよ。トイレットペイパーが普及したのは、大阪万博の後です。
大胆な予測をしておきます。30年後迄には、国家の概念が殆ど無く成り、日本は中国に併合されます。経済的には既に骨抜きです。流石中国、注意深く日本の取り込みを行って居ます。
今、西洋音楽を行える最後のチャンスかも知れません。今日がそうかも知れません。今、この瞬間がそうかも知れません。ゼウスでもヤハヴェでも南蛮神に祈りを捧げる道具として、西洋人に近付く道具として、何でも良いから西洋音楽を御賞味下さい。賞味期限切れかも知れません。掲示板にて微力乍お手伝いを致します。
やや乱暴な投稿ですが、御意見・御質問、歓迎致します。
ほな。
yam氏投稿[12483]
[12483]
Re: 聴かなくてもいい作曲家
投稿日時:2004年05月14日 23:37
投稿者:おまけ(ID:YUJwSVA)
ベートーヴェンは過激な共和主義思想の持ち主で、怒りっぽくて、不細工で、ケチンボで女中にしょっちゅう逃げられるほどでした。モーツァルトは贅沢好きでスカトロ趣味で賭博が大好きな浪費家でした。バッハは頑固で喧嘩好きでした。18の時に学生相手に刀を抜いたり、オルガンのそばに女をはべらせたりしてクビになりました。ベルリオーズは麻薬中毒でした。シューマンは十代から大酒飲み、ヘビースモーカーであり、女遊びが過ぎて脳梅毒になりました。例外もあるでしょうが、一般論として言えることは、クソ真面目で高潔な芸術家よりも、性格破綻者の芸術家のほうが人間としても魅力的だし、面白い作品を作ってくれています。文学しかり、美術しかり、音楽しかり。なぜか。それは芸術の本質は自由の精神にあるからです。順法精神しかアタマにないようなサラリーマンタイプでは芸術家にはなれません。
[12482]
Re: 聴かなくてもいい作曲家
投稿日時:2004年05月14日 23:16
投稿者:あほらしい(ID:YUJwSVA)
ナンセンスですね。
上流階級の文化がお嫌いなら、クラシック音楽を聴くことをやめることですね。所詮クラシック音楽は王侯貴族やブルジョア上流階級の文化です。どこをどう間違っても労働者階級や貧民の文化ではない。ヨーロッパは階級社会であり、クラシック音楽はそういうヨーロッパの上流階級の文化的伝統から生まれてきたのです。
また、所謂前衛音楽、現代音楽がさっぱり人気がないのに対してショスタコーヴィッチの音楽がどうしてこんなに世界中で演奏され、聴かれているのか少し考えてみてはいかがでしょうか?
ワーグナーはユダヤ人差別主義者だったし借金の踏み倒し、夜逃げの常習犯でもあり、晩年は精神病の王様に気に入られて一国の財政を傾かせましたが、その作品は素晴らしいものでした。
誰がどういう状況で作曲した曲であろうと、いい曲はいい曲だし、つまらない曲はつまらない曲です。作品が後世まで残るかどうか、沢山の人に繰り返し聴か続けるかどうかは、作曲者の人格や思想や作曲の動機や社会環境には全く関係のないことです。
上流階級の文化がお嫌いなら、クラシック音楽を聴くことをやめることですね。所詮クラシック音楽は王侯貴族やブルジョア上流階級の文化です。どこをどう間違っても労働者階級や貧民の文化ではない。ヨーロッパは階級社会であり、クラシック音楽はそういうヨーロッパの上流階級の文化的伝統から生まれてきたのです。
また、所謂前衛音楽、現代音楽がさっぱり人気がないのに対してショスタコーヴィッチの音楽がどうしてこんなに世界中で演奏され、聴かれているのか少し考えてみてはいかがでしょうか?
ワーグナーはユダヤ人差別主義者だったし借金の踏み倒し、夜逃げの常習犯でもあり、晩年は精神病の王様に気に入られて一国の財政を傾かせましたが、その作品は素晴らしいものでした。
誰がどういう状況で作曲した曲であろうと、いい曲はいい曲だし、つまらない曲はつまらない曲です。作品が後世まで残るかどうか、沢山の人に繰り返し聴か続けるかどうかは、作曲者の人格や思想や作曲の動機や社会環境には全く関係のないことです。
河出書房「渋沢龍彦」訳「丸木度佐渡」「悪徳の栄」を通読して下さい。冗漫な文章に嫌気が差すかも知れませんが、西洋貴族社会批判として痛快です。「丸木度佐渡」は、バスティーユ監獄の排水溝をマイク代わりにアジって仏蘭西革命の一端を担った人です。
道の真ん中を歩きたいと思う人も居れば、右端を歩きたい人も居ます。ラグビーの松尾氏の様に人の流れに逆らってぶつかりそうに成るのを除け乍歩く事を趣味にして居た人も居ます。世界に人間が70億人居るとすれば、70億通りの人生が有る訳で、今、この瞬間にも死に行く人は沢山居ますし、生まれ出る人も沢山居る訳です。
快楽を脳内生理学で捉えますと、アドレナリン・ノルアドレナリン・ドーパミン等脳内物質の出方を快く思うかどうか?に尽きるのだそうです。(薬物関係の御話は、医師に御任せ致します)人間の行動に於て、考えると、結局の所、「緊張と弛緩」と言ったトコロでしょう。「上司に叱られるのでは無いか?と恐乍、仕事をして、やっと出来上がって、もう一度見直してみて、間違って居た事を気が付いて、もう一度やり直そうと思ったが、時間が無く、そのまま報告した」何て言う経験はサラリーマン諸氏にとって、日常茶飯事です。この時、上司の反応は様々ですが、急に上司が死んで、仕事に意味が無く成ったり、全く頓珍漢な事を言われて褒められたり、自分が気兼ねして居た本質的な問題点では全く無い枝葉末節でシツコク叱責を受けたり、反応は様々です。自分が何を期待して、相手の反応がどうであるか?に快感原則が有りますね。色々な職業が有ります。外科医なら、危ないなと思い乍手術をして、上手に縫合が終わった瞬間、至福の喜びを得る人も有るでしょうし、その人が退院をした瞬間が至福の喜びで有る人も居るでしょう。単車速度競争者であれば、コーナーにフルスピードで突っ込んで、ブレーキングをタイヤが滑る直前まで掛け、体重移動した時、光り輝く一本の線が見えます。この線に載ると、コーナーを高速で駆け抜けた様な快感に陥ります。コーナーを抜けた瞬間に得られる、ホッとした気持ちが堪らなく良いと思う人も居るでしょう。人夫々ですが、金銭的な価値に高低は有っても、本質的な価値に高低なぞ有るはずも有りません。
社会的地位を極限迄高めた王や皇帝等は、生まれ乍にして他人を支配する事に慣れて居ます。経済的精神的価値の頂点に立って居る訳ですから、「間違いを恐れる事」が一切無いのです。働く必要は有りませんから、日常の雑事(行事)に追われる訳ですが、此れに快感を見出せ無い人も沢山いらっしゃる訳です。其処で、戦争なんかおっ始める人もいらっしゃる訳なのです。歴史学者に拠ると、昔の戦争なんぞいい加減なもので、戦争して居る真横で見て見ぬ振りで畑仕事を勤しんで居た何て事も普通だったらしいですが、基本的に戦争は、農閑期に行う行事だった様です。衆生の鬱積したストレス(蟠り)の捌け口でも有ったのです。国家同士の戦いで国民全員が参加せざるを得無く成ったのは、第一次大戦かららしいですから、極く最近の事です。10年に一度は戦争をしないと、戦いの手法が技術として受け継がれないので、必ず行わ無いと行け無いものだったそうです。そんな戦争にも飽きて仕舞った人は、何をするんでしょう?実際に自分が人を殺して遊んでみたく成った人も沢山いらっしゃいます。そして、本当にやっちゃってたんです。女遊び、男遊びも中途半端では有りません。衆生にタブーを下賜、其れを破る特権を見せ付ける事に拠って、権威を高める努力も有って、有とあらゆる手段で衆生を傷め付けて来たのです。欧羅巴では、学問が特権階級に浸透せず、文字が読める人は稀だったので、過去の過ちを繰り返し続けました。そんな中で、土地生産性の低い欧羅巴の地では、貿易(戦争をしに行くと言う意味も有ります)布教(精神的価値を奪うという意味も有ります)、即ち、他から収奪するという習慣が骨の髄迄染込みました。(此の辺りが中国と違うトコロですね)その精神的拠り所が神様なのです。神様の代理として、沢山の人間達が存在しました。(今でも沢山存在しますジョン・ポール・セカンド・エリザベス女王・天皇陛下等)欧羅巴はその様な習慣の中、製品の大量生産に成功します。(マルクス・エンゲルスを通読して下さい)植民地支配の世界規模での発展が「バスコ・ダ・ガマ」から始まり、「コロンブス」、「アメリゴ・ベスプッチ」、「キャプテン・クック」で終わりです。北南米にはコロンブスがカリブ諸島に到着した頃、3億人の人口が居たと言われて居ります。此れは、略当時の欧羅巴全体の人口に匹敵します。徹底的に殺し尽くしましたが、それでも生き残って居るのが、中南米の現地人達です。現在、白人の血がどれだけ混ざって居るか?に拠って、明確な階級制が有ります。非常に解り易いと思います。アルゼンチン・チリ等では、独逸に拠るユダヤ人虐殺の論理で期を同じくして原住民を略殲滅しました。北米、では、天然痘に拠って、殆どが死に絶え、残りは奴隷として使い捨てで、殺されました。この完成の象徴が教会です。教会を建設する時には現地人の労働力が必要ですが、建設が終わったら、労働者は産業廃棄物なので、教会の裏に埋めました。1970年代迄は、「インディオ・ハンティング・ツアー」と言う人殺し旅行が有りました。「ガンディー」、「マーティー・ルーサー・キング・ジュニア」と言った人々の尽力に拠って、ヒューマニズムが異民族に敷延されたのは、越南戦争後の極く最近の事です。白人と黒人が一緒に成って、越南人を殺しに行って、連帯感が生まれたのがきっかけです。20世紀の初め、「サルトル」は、茶論仲間の「ヤスパース」「ハイデッガー」等と共に、論理で神を殺しました。それが徐々に浸透したとも言えます。「サルトル」の愛人であった「ボーヴォ・ワール」が「ゴースト・ライター」でしょうね。「ボー・ヴォ・ワール」は、日本では、田嶋陽子先生が衆生に噛砕いて説明して居ますので、「第二の性」は敢えて読まなくても良いでしょう。今度は、希臘時代からの伝統に則って、10年に1度の戦争を、時代の回転を早める為、何時も行わざるを得無い状況下、アラブ人を殺しに行って、しくじって、もうすぐ撤兵します。今度の戦争は、結局、ユーロと弗の代理戦争に過ぎません。複雑に見せて、その実、何方も戦争しなければイケナイ情勢に有ったのです。結果は有耶無耶に成ります。念の為、越南戦争は、中国と全白人社会の代理戦争です。越南人は何方に付こうか選択を迫られ、最終的に拠りヒューマニズムを自分達に敷延して呉れる中国に付きました。そんな時代に死んだのが、ストラヴィンスキーやハイフェッツです。最後迄しぶとく生き残って居たのが、ショスタコーヴィッチです。体が強かったんでしょうね。此れが西洋音楽の歴史的背景と言って良いでしょう。西洋音楽に神様が必要なのは、サルトル等が神を殺す迄、神を殺してからは、必要無いのでは?と想像して居ります。芸術家は未だ衆生が神に近付いた様な気分に成る為の掛け橋かも知れません。米国に於ては、衆生にとってクラシック音楽は、欧羅巴の階級制の上位に位置して居るかの様な錯覚に陥る為の道具です。日本人にとっては、バナナ(黄色いが心はシロ、差別用語)に成る為の道具です。日本人女性は、西洋人に近付く為に有とアラユル手段を使ってその幻想を得んと努力して居ます。美容整形・ファッションがその代表でしょう。歴史的に世界中ファッションは常に男がリードします。新しい物が有ったら取り敢ず飛付いてみるのは世界中男に決まって居ます。似合いもし無い、高温多湿の日本の気候に合わない背広なんか着て、汗だくに成って居るのは、お笑いでしょう。「着流し」と言う日本の気候に適合した便利な物が有るのに、、、。あの~パンツを日本人が履き始めたのは最近の事ですよ。トイレットペイパーが普及したのは、大阪万博の後です。
大胆な予測をしておきます。30年後迄には、国家の概念が殆ど無く成り、日本は中国に併合されます。経済的には既に骨抜きです。流石中国、注意深く日本の取り込みを行って居ます。
今、西洋音楽を行える最後のチャンスかも知れません。今日がそうかも知れません。今、この瞬間がそうかも知れません。ゼウスでもヤハヴェでも南蛮神に祈りを捧げる道具として、西洋人に近付く道具として、何でも良いから西洋音楽を御賞味下さい。賞味期限切れかも知れません。掲示板にて微力乍お手伝いを致します。
やや乱暴な投稿ですが、御意見・御質問、歓迎致します。
ほな。
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[ 4コメント ]
【ご参考】
[12565]
Re: 欧羅巴階級制に就いて、
投稿日時:2004年05月16日 17:21
投稿者:まる子(ID:FlAjMBA)
pochiさんは感受性の御強い方なんですね。私も少々有る方で、「日本の学校組織形態を虐待だと考えて居ります。」と仰って居られましたが私もそんな気が致します。こう云う事では無いかもしれませんが個人的には、英語にカタカナふる、文法に日本語訳、音符にドレミふる、君が代歌う等々(大した事では無いと思われるかもしれませんが)…制服を皆揃って着ているのは日本位らしく外国の人が「キョウハオマツリデモアルンデスカ?」と訊いたらしいですけれどいつまで使うんでしょう…此れを親に言うと、言っていても仕方ないと言われ大人には分かって貰えないのかと思って居たのでpochiさんの様に仰る方々が居らして良かったと思い真面目に愚痴って仕舞いました。これからお稽古なので…ヴァイオリンに無関係で長々と、皆様失礼致しました
[12572]
Re: 欧羅巴階級制に就いて、
投稿日時:2004年05月17日 02:37
投稿者:ジェチカ(ID:NSNpSYM)
お、重いっ。このスレッドだけブラックホールのように重いですね。
しかし、なんとなく書き込まなければいけないような雰囲気を感じました、、、。
pochiさんが少しだけ言及していらっしゃった「労働」と「学歴」という観念は、貴族社会(王室ではなく貴族に絞ります)を覗き見する上でとても面白いポイントのように思えます。「働く必要がない」お金のある貴族に絞って話をすると、彼らはある種の教育課程を修了すれば、その後の24時間365日、労働による拘束がありません。日々、普通の人々が仕事に追われ、仕事のことを考え、仕事上の人間関係に費やす一日8時間以上の時を、自分のために使えます。実は現代社会ではこれが曲者で、ここで退屈し、自分の存在意義に疑問を持つ40歳以下の若い貴族連中を間近に見てきました。彼らはお酒や薬に快楽を見出しがちです。そして、自分を正当化するために高学歴に走ります。大学卒業後、そのまま仕事を得ずにPhDまでひた走り、10年以上かけて博士論文を終わらせる、、、もしくはMBAを取得する、、など。一般的に働いている人が得ている(もしくは得ようとしている)仕事での達成感や自己肯定を手にできない大人が「学歴」で自分の進歩を感じ取る、というのは理解できる理屈だと思います。(この感覚は仕事や家庭で停滞を感じている人が、お稽古事で前進している、と言う感覚を体験して昇華する、というものに似ているような気がします)
昔はパブリック・スクールさえ出ていれば、オックスフォード・ケンブリッジに入りやすいものでした。(だからチャールズのような人でもケンブリッジ卒です)。私の友人がオックスフォードを受けたとき、試験中にグレープ・フルーツがでたそうです。さくらんぼが出たと言っていた人もいました。ぎざぎざのついたスプーンの使い方を心得て正しくグレープ・フルーツが食べられるか、またさくらんぼの種を正しく処理できるか、、、またわざと試験官がもごもご喋って、”Pardon?”と聞き返したらアウトとか。今現在はこんなことは無いと思いますが、差別があるのは統計からも明らかです、。
話がそれましたが、時間があって日々の細かい雑事に追われることの無い人(もしくはそれを拒否している人)は、自分に意識が集中しがちです。自分のことを考え出して、自己肯定をする場が無く、落ち込み、絶望感を味わってお酒や薬に溺れてAA (Alcoholics Anonymous)やNA(Narcotics Anonymous)に担ぎこれます。自己を深く見つめすぎて、袋小路に陥ります。「働かなくてはいけない」という、人生におけるある程度の必要条件は、人間に道筋を与えて、精神の安定を促すのだと、彼らを見ているとつくづく思います。資本主義経済が敷いたレールに乗って走っていけばいいのですから。そこを疑問に思うとまた袋小路にはまってしまったりして。
サルトル・ハイデガー等、一般的に実存主義と呼ばれる人の種本で最初に神をコロシタと言われているのはニーチェでしょうが(敢えてpochiさんは彼に言及しなかったのだと思いますが)、神をコロシテ、人間が何も信じなくなるわけではなく、神がいたところに人間の理性や科学をあてがっただけで、何かをよりどころにしなければ生きていけないのが人間と言うもので、、、。直線的な進歩を信じたモダニズムを否定し、ヘーゲルを否定し、純粋哲学を否定したポスト・Mも今は昔ですね。サイードも亡くなり、一時代が終わったような感があります。
彼らがコロシタ神、真理、もしくは普遍性と一緒に「芸術」という概念も死したと言っていいと思います。私は個人的には「芸術家」という概念も信じていません。物事は全て相対的なものですから。ベートーベンやバッハに「神々しさ」を感じる人は、神を感じているのではなく、神を追い求める人間のあくなき探究心に惹かれているのだと思っています。泥臭い人間の欲求です。高みにたどり着こうともがいて、停滞し続けて自己の中に幸せを見出す術を見つけていない人間の我でしょうか。
つらつらと書き殴って、なんだか一貫性がないような超長文のこのレス、私の中ではひっついているんですが、、、、。
最後に、、、まる子さん、イギリスの学校も私立・公立とも、ほぼ制服です。日本人が大好きなイートン校は制服が燕尾服ですよ。毎日がコンサート!!
しかし、なんとなく書き込まなければいけないような雰囲気を感じました、、、。
pochiさんが少しだけ言及していらっしゃった「労働」と「学歴」という観念は、貴族社会(王室ではなく貴族に絞ります)を覗き見する上でとても面白いポイントのように思えます。「働く必要がない」お金のある貴族に絞って話をすると、彼らはある種の教育課程を修了すれば、その後の24時間365日、労働による拘束がありません。日々、普通の人々が仕事に追われ、仕事のことを考え、仕事上の人間関係に費やす一日8時間以上の時を、自分のために使えます。実は現代社会ではこれが曲者で、ここで退屈し、自分の存在意義に疑問を持つ40歳以下の若い貴族連中を間近に見てきました。彼らはお酒や薬に快楽を見出しがちです。そして、自分を正当化するために高学歴に走ります。大学卒業後、そのまま仕事を得ずにPhDまでひた走り、10年以上かけて博士論文を終わらせる、、、もしくはMBAを取得する、、など。一般的に働いている人が得ている(もしくは得ようとしている)仕事での達成感や自己肯定を手にできない大人が「学歴」で自分の進歩を感じ取る、というのは理解できる理屈だと思います。(この感覚は仕事や家庭で停滞を感じている人が、お稽古事で前進している、と言う感覚を体験して昇華する、というものに似ているような気がします)
昔はパブリック・スクールさえ出ていれば、オックスフォード・ケンブリッジに入りやすいものでした。(だからチャールズのような人でもケンブリッジ卒です)。私の友人がオックスフォードを受けたとき、試験中にグレープ・フルーツがでたそうです。さくらんぼが出たと言っていた人もいました。ぎざぎざのついたスプーンの使い方を心得て正しくグレープ・フルーツが食べられるか、またさくらんぼの種を正しく処理できるか、、、またわざと試験官がもごもご喋って、”Pardon?”と聞き返したらアウトとか。今現在はこんなことは無いと思いますが、差別があるのは統計からも明らかです、。
話がそれましたが、時間があって日々の細かい雑事に追われることの無い人(もしくはそれを拒否している人)は、自分に意識が集中しがちです。自分のことを考え出して、自己肯定をする場が無く、落ち込み、絶望感を味わってお酒や薬に溺れてAA (Alcoholics Anonymous)やNA(Narcotics Anonymous)に担ぎこれます。自己を深く見つめすぎて、袋小路に陥ります。「働かなくてはいけない」という、人生におけるある程度の必要条件は、人間に道筋を与えて、精神の安定を促すのだと、彼らを見ているとつくづく思います。資本主義経済が敷いたレールに乗って走っていけばいいのですから。そこを疑問に思うとまた袋小路にはまってしまったりして。
サルトル・ハイデガー等、一般的に実存主義と呼ばれる人の種本で最初に神をコロシタと言われているのはニーチェでしょうが(敢えてpochiさんは彼に言及しなかったのだと思いますが)、神をコロシテ、人間が何も信じなくなるわけではなく、神がいたところに人間の理性や科学をあてがっただけで、何かをよりどころにしなければ生きていけないのが人間と言うもので、、、。直線的な進歩を信じたモダニズムを否定し、ヘーゲルを否定し、純粋哲学を否定したポスト・Mも今は昔ですね。サイードも亡くなり、一時代が終わったような感があります。
彼らがコロシタ神、真理、もしくは普遍性と一緒に「芸術」という概念も死したと言っていいと思います。私は個人的には「芸術家」という概念も信じていません。物事は全て相対的なものですから。ベートーベンやバッハに「神々しさ」を感じる人は、神を感じているのではなく、神を追い求める人間のあくなき探究心に惹かれているのだと思っています。泥臭い人間の欲求です。高みにたどり着こうともがいて、停滞し続けて自己の中に幸せを見出す術を見つけていない人間の我でしょうか。
つらつらと書き殴って、なんだか一貫性がないような超長文のこのレス、私の中ではひっついているんですが、、、、。
最後に、、、まる子さん、イギリスの学校も私立・公立とも、ほぼ制服です。日本人が大好きなイートン校は制服が燕尾服ですよ。毎日がコンサート!!
[12575]
Re: 欧羅巴階級制に就いて、
投稿日時:2004年05月17日 04:02
投稿者:pochi(ID:QmMkcDA)
「人間は、神の呪縛から逃れようともがき、神の下へ帰る」ですか?「人間」に該当しない、非白人はどうしたら良いのでしょうね。やっぱり、南蛮神にお祈りして、白人に近付く努力をしなければ成らないんでしょうか?「マルコムX」でしたっけ。
私は生活の為に、宗教関係でも働きましたが、そういう風に成って居るんです。私は別に気にし無い事にして居ましたが、白人支配の精神的主柱だと思いました。難しい事、考える閑が有ったら、お仕事です。仕事はキライでは有りませんでした。でも、この世界、続かない様に出来て居るんです。「素振蟹」は、殺されちゃってます。
仕事仲間は、もうこの世には居ません。神の下へ行ったのか、佛に成ったのかは、本人の自由ですが、愚直に自らの美意識に忠実に生きるのは厳しかったんでしょうね。天衣無縫・天真爛漫で世渡りするのは、難しいですね。まあ、生き残った者として、彼等への供養の意味も有るんです。おっと、病院に入って居る輩も未だ居ますが、会っても向こうは判らないですしね。そっとして措くしか無いのです。現在の私の様に、馬鹿らしくなって、次々と死んで行ったんでしょうね。友人達の人種構成は、多種多様ですよ。夫々似非教徒してましたね。徒花なんて言葉が有りますが、自分がまさかそうなるとは思っても居ませんでした。
感受性ですか?便所に棲めば臭いに慣れます。でもね、臭い事は覚えて置か無いとね。私は放浪癖が有るんでしょうね。臭いは何かを求めて、希求して、旅の果てに倒れて死んで行くのが人生なんでしょう。
日本での生活もしてみましたが、制約が多くて難しいですね。美意識で受け付け得無いトコロが多過ぎるんです。今でも日本の情報は限られて居ますが入って来ます。事情を説明すれば、解る人も居ない訳では有りませんが、所詮は他人事ですから、テキトーに対処して呉れて助かります。
やっと日本語の読み書きが、、、今日はまあ、この辺で、復帰に向けてヴァイオリンの練習でもします。1絃で2オクターブG線でHから上がまだ難しいのです。C迄弾ければ、良いのですが、、、。10度はやっぱり難しいですね。出来るの変態ですよね。出来て居た気分になってた頃が懐かしい。此れやっとかないとパガニーニ弾けませんから。
師曰く、
「指が指盤の上でお散歩する様に弾きなさい」
ほな。
私は生活の為に、宗教関係でも働きましたが、そういう風に成って居るんです。私は別に気にし無い事にして居ましたが、白人支配の精神的主柱だと思いました。難しい事、考える閑が有ったら、お仕事です。仕事はキライでは有りませんでした。でも、この世界、続かない様に出来て居るんです。「素振蟹」は、殺されちゃってます。
仕事仲間は、もうこの世には居ません。神の下へ行ったのか、佛に成ったのかは、本人の自由ですが、愚直に自らの美意識に忠実に生きるのは厳しかったんでしょうね。天衣無縫・天真爛漫で世渡りするのは、難しいですね。まあ、生き残った者として、彼等への供養の意味も有るんです。おっと、病院に入って居る輩も未だ居ますが、会っても向こうは判らないですしね。そっとして措くしか無いのです。現在の私の様に、馬鹿らしくなって、次々と死んで行ったんでしょうね。友人達の人種構成は、多種多様ですよ。夫々似非教徒してましたね。徒花なんて言葉が有りますが、自分がまさかそうなるとは思っても居ませんでした。
感受性ですか?便所に棲めば臭いに慣れます。でもね、臭い事は覚えて置か無いとね。私は放浪癖が有るんでしょうね。臭いは何かを求めて、希求して、旅の果てに倒れて死んで行くのが人生なんでしょう。
日本での生活もしてみましたが、制約が多くて難しいですね。美意識で受け付け得無いトコロが多過ぎるんです。今でも日本の情報は限られて居ますが入って来ます。事情を説明すれば、解る人も居ない訳では有りませんが、所詮は他人事ですから、テキトーに対処して呉れて助かります。
やっと日本語の読み書きが、、、今日はまあ、この辺で、復帰に向けてヴァイオリンの練習でもします。1絃で2オクターブG線でHから上がまだ難しいのです。C迄弾ければ、良いのですが、、、。10度はやっぱり難しいですね。出来るの変態ですよね。出来て居た気分になってた頃が懐かしい。此れやっとかないとパガニーニ弾けませんから。
師曰く、
「指が指盤の上でお散歩する様に弾きなさい」
ほな。
[12588]
Re: 欧羅巴階級制に就いて、
投稿日時:2004年05月17日 23:30
投稿者:まる子(ID:FlAjMBA)
ジェチカさん、はじめまして。御言葉有難う御座居ます。変な事を言ってすみません。少年の一寸した愚痴です。
>イギリスの学校も私立・公立とも、ほぼ制服です。
えっそうなんですか、一応、最近のニュースで聞いた事なのですが…鵜呑みにして居りました。これからは厭な事も右から左、流しておきます。…pochiさんの、
>臭い事は覚えて置か無いとね。
無菌状態の箱の中で咲いたバラの花が取るに足ら無いばい菌の為に…みたいな事でしょうか…違うか…pochiさん何だかお疲れですか?余計なお世話でしょうが、元気出して下さいね。……善し悪しは解りませんが、ヴァイオリンを弾くと左指先が黒く為りますが、皆様そうなのでしょうか。他の方のは見た事がないので…黒檀ですよね、無害でしょうか
皆様、御面倒でしたら無視して下さい、何度も失礼致しました
>イギリスの学校も私立・公立とも、ほぼ制服です。
えっそうなんですか、一応、最近のニュースで聞いた事なのですが…鵜呑みにして居りました。これからは厭な事も右から左、流しておきます。…pochiさんの、
>臭い事は覚えて置か無いとね。
無菌状態の箱の中で咲いたバラの花が取るに足ら無いばい菌の為に…みたいな事でしょうか…違うか…pochiさん何だかお疲れですか?余計なお世話でしょうが、元気出して下さいね。……善し悪しは解りませんが、ヴァイオリンを弾くと左指先が黒く為りますが、皆様そうなのでしょうか。他の方のは見た事がないので…黒檀ですよね、無害でしょうか
皆様、御面倒でしたら無視して下さい、何度も失礼致しました
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