[1461]
調弦と音律
投稿日時:2002年08月07日 18:40
投稿者:あすぱら(ID:IokkiQk)
バイオリンの調弦って、みなさんどういう音律で、されていますでしょうか?
私自身は、隣合う弦が、純正律(自然倍音)の5度になるように、と教わり、今までそのようにしてきました。しかし、色々とネットを見ていく中で、(ピアノと合わせる場合以外でも)、平均律でチューニングするという方もいらっしゃるのを知り、色々なやり方があるのだと、驚きました。
弦楽器だけのアンサンブルや、ソロの曲を弾かれる場合(つまり、ピアノが入っていない時)にどのように、チューニングされているか教えてください!できれば、理由も教えていただけると嬉しいです。
ちなみに、私が純正律で調弦するように、と教わった時の理由は、「ピタゴラスで旋律&純正律で和音」と音程をとっていく場合に、開放弦が響きやすく、ガイドになることが多いから、といったような理由でした。
(確かに、チューニングがずれると、弾きにくくなるのですが、それが平均律だったら、どうなんだ?という点については、ピアノとはあんまり合わせないし、チューナーも持っていないので、よくわからないのです。。)
私自身は、隣合う弦が、純正律(自然倍音)の5度になるように、と教わり、今までそのようにしてきました。しかし、色々とネットを見ていく中で、(ピアノと合わせる場合以外でも)、平均律でチューニングするという方もいらっしゃるのを知り、色々なやり方があるのだと、驚きました。
弦楽器だけのアンサンブルや、ソロの曲を弾かれる場合(つまり、ピアノが入っていない時)にどのように、チューニングされているか教えてください!できれば、理由も教えていただけると嬉しいです。
ちなみに、私が純正律で調弦するように、と教わった時の理由は、「ピタゴラスで旋律&純正律で和音」と音程をとっていく場合に、開放弦が響きやすく、ガイドになることが多いから、といったような理由でした。
(確かに、チューニングがずれると、弾きにくくなるのですが、それが平均律だったら、どうなんだ?という点については、ピアノとはあんまり合わせないし、チューナーも持っていないので、よくわからないのです。。)
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Re: 調弦と音律
投稿日時:2002年08月19日 09:00
投稿者:tama(ID:IYgoA2Q)
pochiさん
私はこのHPに来たのが最近なので、今までどんな発言があったか、若干読んでみました。pochiさんの「調弦は平均律でするのが唯一の方法」という御主張には、「音感は鍛えても仕方がない」という考え方が背景にあるのではないか、と推察しました。(間違っていたらごめんなさい。)
弦楽器のイントネーションでしつこく書かれているように、ピタゴラスで音階を演奏すること、倍音列に乗った和音を聴く(演奏する)能力をつけることは、弦楽器の演奏にとって「決定的に」重要だと思います。この時、どのような調弦をしたらどのような結果が得られるか、ということを考える必要があるでしょう。
まず、「平均律に調弦する」ことは、チューナーでも使わない限り「不可能」だと思います。それができるのは、「絶対音感」を持った人だけでしょう。(ここで言う「絶対音感」とは、有名になった本に書かれているような誤った定義ではありません。本当に「音高」を正確に判断できる能力です。)ほとんど(もちろん、プロも含めて)の人間は、訓練された「相対音感」か、「擬似的に、ないし後天的に経験から導かれる絶対音感のようなもの」しか持っていません。しかし逆に、この音感は「鍛えることができる」のです。そして、そのためには、調弦を純正にとり、音の並び方、響き方を「知る」ことが最初のステップになります。
いろいろお読みしたところ、pochiさんもヴァイオリンを教えていらっしゃるようですが、私は、「音感は鍛えることができる」といつも言っています。(そうでないと、教わる方もやりきれないでしょう。感覚はきたえてもしょうがない、と考えている先生に、私なら師事したくはありません。)事実、「自分には音感がない」ないし、「音痴だ」と考えている人のほとんどが、音を判断する経験が無いためにそう思い込んでいるものです。もちろん、中には全く音感のない人もいるでしょう。それは、色覚障害や味蕾の発達不全などと同じように、「違いを知覚する能力が何らかの原因で欠落している」場合に限ると思います。
旋律を平均律で演奏すると、とても「平板な」音楽になります。ピタゴラスでとれば、まるで魔法にかかったように、旋律は生き生きと生命力を持ちます。この違いは、訓練すれば「ほぼ誰にでも」わかるものなのです。
弦楽器のイントネーションをどのように読んだら、「音程はどうでもいい、調弦は平均律」という結論になるのか、私には皆目理解できません。
ここを読んでいる多くの「練習途上にある」ヴァイオリニストのために、是非、しっかりした根拠を挙げていただきたいと思います。
私はこのHPに来たのが最近なので、今までどんな発言があったか、若干読んでみました。pochiさんの「調弦は平均律でするのが唯一の方法」という御主張には、「音感は鍛えても仕方がない」という考え方が背景にあるのではないか、と推察しました。(間違っていたらごめんなさい。)
弦楽器のイントネーションでしつこく書かれているように、ピタゴラスで音階を演奏すること、倍音列に乗った和音を聴く(演奏する)能力をつけることは、弦楽器の演奏にとって「決定的に」重要だと思います。この時、どのような調弦をしたらどのような結果が得られるか、ということを考える必要があるでしょう。
まず、「平均律に調弦する」ことは、チューナーでも使わない限り「不可能」だと思います。それができるのは、「絶対音感」を持った人だけでしょう。(ここで言う「絶対音感」とは、有名になった本に書かれているような誤った定義ではありません。本当に「音高」を正確に判断できる能力です。)ほとんど(もちろん、プロも含めて)の人間は、訓練された「相対音感」か、「擬似的に、ないし後天的に経験から導かれる絶対音感のようなもの」しか持っていません。しかし逆に、この音感は「鍛えることができる」のです。そして、そのためには、調弦を純正にとり、音の並び方、響き方を「知る」ことが最初のステップになります。
いろいろお読みしたところ、pochiさんもヴァイオリンを教えていらっしゃるようですが、私は、「音感は鍛えることができる」といつも言っています。(そうでないと、教わる方もやりきれないでしょう。感覚はきたえてもしょうがない、と考えている先生に、私なら師事したくはありません。)事実、「自分には音感がない」ないし、「音痴だ」と考えている人のほとんどが、音を判断する経験が無いためにそう思い込んでいるものです。もちろん、中には全く音感のない人もいるでしょう。それは、色覚障害や味蕾の発達不全などと同じように、「違いを知覚する能力が何らかの原因で欠落している」場合に限ると思います。
旋律を平均律で演奏すると、とても「平板な」音楽になります。ピタゴラスでとれば、まるで魔法にかかったように、旋律は生き生きと生命力を持ちます。この違いは、訓練すれば「ほぼ誰にでも」わかるものなのです。
弦楽器のイントネーションをどのように読んだら、「音程はどうでもいい、調弦は平均律」という結論になるのか、私には皆目理解できません。
ここを読んでいる多くの「練習途上にある」ヴァイオリニストのために、是非、しっかりした根拠を挙げていただきたいと思います。
[1521]
単純に、各弦を純正で5度を取っていくと・・・
投稿日時:2002年08月19日 10:12
投稿者:マルタ(ID:kEZmVmA)
先にも発言がありましたが、純正で取っていくとGになるとはっきりと分かる位低くなります。
2セントの違いというのはA→D→Gと2セント「ずつ」ずれていくという事で、基準音のAから離れれば離れるほどその差はひろがっていきます。
1セントは平均律半音の100分の1ですから、Gではその差が分かるほど低くなってしまうという事です。
tamaさんwrote
:2/3倍の振動数で調弦したときの問題点として、G線の共鳴にE線の1stポジションの2の指で押えるG
を合わせると、若干低くなってしまうことです
これだけでなく、A線の共鳴で1ポジ1で押さえる音も、Gとの幅が広すぎになり、D線1ポジ3をG線の共鳴で押さえるとこれも不自然なものです。(まだまだありますがこの辺りで・・・)
そこで平均律に近い音程で調弦し、その不自然さをカバーするため調弦の時にわざわざ純正の響きから外すのではないでしょうか。外した結果が平均律かどうかはひとまずおいておきますが。
弦楽器は開放弦との共鳴で心地よい響きが得られていくといっても過言ではないと私は思います。各弦を純正に調弦していては演奏するための調弦と少々離れていってしまうのです。
蛇足ですがビオラの場合だと単純に純正に調弦すると平均律との差はますます広がり、明らかにおかしくなってしまいます。
2セントの違いというのはA→D→Gと2セント「ずつ」ずれていくという事で、基準音のAから離れれば離れるほどその差はひろがっていきます。
1セントは平均律半音の100分の1ですから、Gではその差が分かるほど低くなってしまうという事です。
tamaさんwrote
:2/3倍の振動数で調弦したときの問題点として、G線の共鳴にE線の1stポジションの2の指で押えるG
を合わせると、若干低くなってしまうことです
これだけでなく、A線の共鳴で1ポジ1で押さえる音も、Gとの幅が広すぎになり、D線1ポジ3をG線の共鳴で押さえるとこれも不自然なものです。(まだまだありますがこの辺りで・・・)
そこで平均律に近い音程で調弦し、その不自然さをカバーするため調弦の時にわざわざ純正の響きから外すのではないでしょうか。外した結果が平均律かどうかはひとまずおいておきますが。
弦楽器は開放弦との共鳴で心地よい響きが得られていくといっても過言ではないと私は思います。各弦を純正に調弦していては演奏するための調弦と少々離れていってしまうのです。
蛇足ですがビオラの場合だと単純に純正に調弦すると平均律との差はますます広がり、明らかにおかしくなってしまいます。
[1522]
Re: 調弦と音律
投稿日時:2002年08月19日 11:17
投稿者:じゅん(ID:VTIgc5A)
私が思うには、超限を平均率に合わせないと、調性が変わる度に解放がちがう音程になるように思ういます。ですから、ある程度、基本となる解放弦は平均率にあわせるべきだと思いますが。私も最初は何も先生は(スズキだったため)教えてくれませんでした。それで、なにも考えず、5度づつ合わせていると、当然広い5度としてとっていました。そこで、曲の途中解放を使うとなんだかすごく変な感じがしたのを覚えています。
それからきちんとした先生につき、まずはじめに言われたことは「調弦のときC線はちょっと高めの方が、いい」と言われました。最初は慣れなくて、頭で考えながらやっていたため、ものすごく高すぎたりしていましたが、今では、5度を平均率で合わせることに慣れました。逆に純正で合わせることが、広すぎに感じます。
そして、曲を弾く時は必ず、和声を考え、和声の響きの上にのるように、弾いています。そのようにしないと、上昇していく音程はどんどん異常に高くなっていきますし下降するものは低くなっていってしまい、それはそれで、気持ち悪く感じます。
理屈で言えば、私の場合、平均率とピタゴラス音程を両方使っているということかもしれません。でもそれは理屈からはいったというよりも、自分の音をよく聞いて、一番心地よく、楽器も響き、そして、曲としても、心地よくきこえる音程をとっていたら、そうなったということですかね。
ですから生徒にも1つ1つの音程をピアノでとらずに、必ず和声を弾き、その響きの中で解け合う音程をとらせています。その為には、響きをつぶしたような音を出していたら、できません。音程と音色、これって、同じことかもしれません。でも楽器が響いている人日本では少ないですね。。。。
それからきちんとした先生につき、まずはじめに言われたことは「調弦のときC線はちょっと高めの方が、いい」と言われました。最初は慣れなくて、頭で考えながらやっていたため、ものすごく高すぎたりしていましたが、今では、5度を平均率で合わせることに慣れました。逆に純正で合わせることが、広すぎに感じます。
そして、曲を弾く時は必ず、和声を考え、和声の響きの上にのるように、弾いています。そのようにしないと、上昇していく音程はどんどん異常に高くなっていきますし下降するものは低くなっていってしまい、それはそれで、気持ち悪く感じます。
理屈で言えば、私の場合、平均率とピタゴラス音程を両方使っているということかもしれません。でもそれは理屈からはいったというよりも、自分の音をよく聞いて、一番心地よく、楽器も響き、そして、曲としても、心地よくきこえる音程をとっていたら、そうなったということですかね。
ですから生徒にも1つ1つの音程をピアノでとらずに、必ず和声を弾き、その響きの中で解け合う音程をとらせています。その為には、響きをつぶしたような音を出していたら、できません。音程と音色、これって、同じことかもしれません。でも楽器が響いている人日本では少ないですね。。。。
[1528]
Re: 調弦と音律
投稿日時:2002年08月20日 09:00
投稿者:tama(ID:NkkGNZc)
じゅんさん
引用が後ろからになってすみません。
>ですから生徒にも1つ1つの音程をピアノでとらずに、必ず和声を弾き、その響きの中で解け合う音程をとらせています。
その通りだと思います。響きを耳で知り、それを再現することが大切ですね。スケールをピアノで合わせている先生に出会ったことがありますが・・・
しかし、「自分で判断する」ための前提、すなわち協和音を「理解する」為に、何をなさっているのでしょうか?平均律で合わせた五度は、「美しい」ものではありません。平均律で合わされた楽器を手渡された生徒さんは、一体何を基準に「美しい」和声を知るのですか?
>でも楽器が響いている人日本では少ないですね
そうですね。とても残念です。特に、日本のオーケストラの弦の響きのなさにはがっかりします。これは一体何が原因だと思いますか?私には、しっかりした音程感、和声感の欠如もその原因の一つだと思うのです。そもそも響かない五度になっている弦楽器で練習して、そういった感性が磨かれるでしょうか。
>私が思うには、超限を平均率に合わせないと、調性が変わる度に解放がちがう音程になるように思ういます。
これが、まさに先達達が悩みに悩んできたことですね。その結果が「平均律」な訳です。
しかし、弦楽器は「鍵盤、ないし鍵盤の付いた弦楽器」とは根本的に異なります。「主音の相対的な高さを変えられる」のです。ですから、かなりの部分が解決されます。(もちろん、全部ではありません。しかし、そもそも「鳴らない」調弦をすることよりは弊害が少ないと思います。)
>ですから、ある程度、基本となる解放弦は平均率にあわせるべきだと思いますが。
細かいことのようで申し訳ありません。「ある程度、平均律に合わせる」とはどのような意味でしょうか。
ここで問題になっているのは、「そもそも和音としてならない平均律で楽器を調弦すべきか」どうか、ということです。
>そこで、曲の途中解放を使うとなんだかすごく変な感じがしたのを覚えています。
そうですね。本当に耳をしっかり使わないと、そういった弊害が大きくなります。
>それからきちんとした先生につき、まずはじめに言われたことは「調弦のときC線はちょっと高めの方が、いい」と言われました。
ビオラ(ないしチェロ)の方のようですね。
私も、「ピアノ、オケで演奏するときには、他の楽器との関係上、やむを得ず調弦を変えるのが普通です。特にC弦はかなり高めでないと他の楽器との乖離がひどくなります」と教えています。
>そして、曲を弾く時は必ず、和声を考え、和声の響きの上にのるように、弾いています。
そうなんです。その響きを、平均律にあった楽器でどうやって求めるのか、が、私の知りたいことです。
>そのようにしないと、上昇していく音程はどんどん異常に高くなっていきますし下降するものは低くなっていってしまい、それはそれで、気持ち悪く感じます。
これは、ちょっと考え方を変えてみてください。一流とされている演奏家でも、「だんだん音程が高くなる」人はたくさんいます。特にソロを弾いていると、高い方が気持ちよく感じることが多いですからね。ただし、それは「和声感」を持っていない、ないし「使っていない」からであって、調弦のせいではありません。
引用が後ろからになってすみません。
>ですから生徒にも1つ1つの音程をピアノでとらずに、必ず和声を弾き、その響きの中で解け合う音程をとらせています。
その通りだと思います。響きを耳で知り、それを再現することが大切ですね。スケールをピアノで合わせている先生に出会ったことがありますが・・・
しかし、「自分で判断する」ための前提、すなわち協和音を「理解する」為に、何をなさっているのでしょうか?平均律で合わせた五度は、「美しい」ものではありません。平均律で合わされた楽器を手渡された生徒さんは、一体何を基準に「美しい」和声を知るのですか?
>でも楽器が響いている人日本では少ないですね
そうですね。とても残念です。特に、日本のオーケストラの弦の響きのなさにはがっかりします。これは一体何が原因だと思いますか?私には、しっかりした音程感、和声感の欠如もその原因の一つだと思うのです。そもそも響かない五度になっている弦楽器で練習して、そういった感性が磨かれるでしょうか。
>私が思うには、超限を平均率に合わせないと、調性が変わる度に解放がちがう音程になるように思ういます。
これが、まさに先達達が悩みに悩んできたことですね。その結果が「平均律」な訳です。
しかし、弦楽器は「鍵盤、ないし鍵盤の付いた弦楽器」とは根本的に異なります。「主音の相対的な高さを変えられる」のです。ですから、かなりの部分が解決されます。(もちろん、全部ではありません。しかし、そもそも「鳴らない」調弦をすることよりは弊害が少ないと思います。)
>ですから、ある程度、基本となる解放弦は平均率にあわせるべきだと思いますが。
細かいことのようで申し訳ありません。「ある程度、平均律に合わせる」とはどのような意味でしょうか。
ここで問題になっているのは、「そもそも和音としてならない平均律で楽器を調弦すべきか」どうか、ということです。
>そこで、曲の途中解放を使うとなんだかすごく変な感じがしたのを覚えています。
そうですね。本当に耳をしっかり使わないと、そういった弊害が大きくなります。
>それからきちんとした先生につき、まずはじめに言われたことは「調弦のときC線はちょっと高めの方が、いい」と言われました。
ビオラ(ないしチェロ)の方のようですね。
私も、「ピアノ、オケで演奏するときには、他の楽器との関係上、やむを得ず調弦を変えるのが普通です。特にC弦はかなり高めでないと他の楽器との乖離がひどくなります」と教えています。
>そして、曲を弾く時は必ず、和声を考え、和声の響きの上にのるように、弾いています。
そうなんです。その響きを、平均律にあった楽器でどうやって求めるのか、が、私の知りたいことです。
>そのようにしないと、上昇していく音程はどんどん異常に高くなっていきますし下降するものは低くなっていってしまい、それはそれで、気持ち悪く感じます。
これは、ちょっと考え方を変えてみてください。一流とされている演奏家でも、「だんだん音程が高くなる」人はたくさんいます。特にソロを弾いていると、高い方が気持ちよく感じることが多いですからね。ただし、それは「和声感」を持っていない、ないし「使っていない」からであって、調弦のせいではありません。
[1529]
Re: 調弦と音律
投稿日時:2002年08月20日 09:17
投稿者:tama(ID:J1koCZk)
マルタさん
(引用なのでそのままにしますが、この発言は私ではなくpochiさんのものです)
>>tamaさんwrote
:2/3倍の振動数で調弦したときの問題点として、G線の共鳴にE線の1stポジションの2の指で押えるGを合わせると、若干低くなってしまうことです
>> これだけでなく、A線の共鳴で1ポジ1で押さえる音も、Gとの幅が広すぎになり、D線1ポジ3をG線の共鳴で押さえるとこれも不自然なものです。(まだまだありますがこの辺りで・・・)
この何が問題なのかがよくわかりません。
確かに、例えばG線の1で取った開放弦と共鳴するAは、「Gdurの主音をG線の開放弦に合わせたときのピタゴラスの第2音」に等しくなり、平均律より「かなり高い」Aです。このために起きる弊害は何でしょうか?
pochiさんもこの点にこだわっておられますが、例えば線密度の話を持ち出してしまうと、「弦を押さえる場所は常に一定」という結論にすらなりませんか?
>>そこで平均律に近い音程で調弦し、その不自然さをカバーするため調弦の時にわざわざ純正の響きから外すのではないでしょうか。外した結果が平均律かどうかはひとまずおいておきますが。
とても不思議なのは、「平均律派」の方々が、いったいどうやって調弦されているのか、ということです。この点については、お教え下さい。
>>弦楽器は開放弦との共鳴で心地よい響きが得られていくといっても過言ではないと私は思います。各弦を純正に調弦していては演奏するための調弦と少々離れていってしまうのです。
「演奏するための調弦」とは、例えば、演奏者にとっての差音とホールトーンの関係などと同様のことを問題にされているのですか?ちょっとよくわからないので、お教え下さい。
この前にも書きましたが、特に「音感の発展途上」にある人たちにとって、「響き」を知ること、「弦楽器の旋律の音程」を理解することは、決定的に重要です。その点、どうお考えですか?
(引用なのでそのままにしますが、この発言は私ではなくpochiさんのものです)
>>tamaさんwrote
:2/3倍の振動数で調弦したときの問題点として、G線の共鳴にE線の1stポジションの2の指で押えるGを合わせると、若干低くなってしまうことです
>> これだけでなく、A線の共鳴で1ポジ1で押さえる音も、Gとの幅が広すぎになり、D線1ポジ3をG線の共鳴で押さえるとこれも不自然なものです。(まだまだありますがこの辺りで・・・)
この何が問題なのかがよくわかりません。
確かに、例えばG線の1で取った開放弦と共鳴するAは、「Gdurの主音をG線の開放弦に合わせたときのピタゴラスの第2音」に等しくなり、平均律より「かなり高い」Aです。このために起きる弊害は何でしょうか?
pochiさんもこの点にこだわっておられますが、例えば線密度の話を持ち出してしまうと、「弦を押さえる場所は常に一定」という結論にすらなりませんか?
>>そこで平均律に近い音程で調弦し、その不自然さをカバーするため調弦の時にわざわざ純正の響きから外すのではないでしょうか。外した結果が平均律かどうかはひとまずおいておきますが。
とても不思議なのは、「平均律派」の方々が、いったいどうやって調弦されているのか、ということです。この点については、お教え下さい。
>>弦楽器は開放弦との共鳴で心地よい響きが得られていくといっても過言ではないと私は思います。各弦を純正に調弦していては演奏するための調弦と少々離れていってしまうのです。
「演奏するための調弦」とは、例えば、演奏者にとっての差音とホールトーンの関係などと同様のことを問題にされているのですか?ちょっとよくわからないので、お教え下さい。
この前にも書きましたが、特に「音感の発展途上」にある人たちにとって、「響き」を知ること、「弦楽器の旋律の音程」を理解することは、決定的に重要です。その点、どうお考えですか?
[1535]
Re: 調弦と音律
投稿日時:2002年08月21日 19:38
投稿者:tama(ID:JpKRNJg)
pochiさん
>>この手の議論はしたくありません。世の中の人は100人中99人は音痴です。音痴が理論武装してもやはり音痴なのです。
「この手の議論はしたくありません。」とおっしゃっているので、少々気が引けますが・・・私がこのサイトを読んだところ、ヴァイオリンを始めたばかり、ないしは始めようとしている人たちも多いと思います。そういった人たちのためにも、もう少しお付き合い下さい。
まず、「音痴」とはどういう意味ですか?言葉の定義が違っていては話になりませんよね。私は以下のように考えています。
歌を歌うという「技術」が必要なことは置いておいて、まず、「音程を聴いてわかるかどうか」という点に絞って考えてください。私は書いたように、先天的に「音高の違いを認知できない」人以外は、訓練によって音程を聴きわけることができるようになると思っています。この点について、pochiさんが「そうは思わない」ということであれば、この事自体は議論しません。ただ、「訓練しても音程を理解することが出来ないと思っている」先生は、生徒にどうやって音程を教えるのか、という疑問は残りますが。
>>有名な演奏家の中でも正確な音程が判って弾いている人は少数派です。室内楽で精緻な音程を持っているグループとしては、アルバンベルクカルテットの人たちです。有名なカルテットの中にはひどい音程の所が多い様に思います。
そうですね。私もそう思います。ついでに言えば、アルディッティも耳があると思いますが。
>>この世界で飯をはむ事がないのなら、どんな調弦でも構いません。が、楽器の響きを感じるための調弦と限定するのなら、純正律で調弦したほうが練習になるのかもしれませんね。
まず、「いかなる場合でも調弦の五度は平均律で合わせるのが正しい」というご意見との整合性をおたずねします。
それと、「この世界で飯をはむ事がないのなら」という点にちょっとひっかかりました。世の中には「どうせアマチュアだから」と言って手を抜いて教える先生が多いようですが、これって、とっても失礼なことだと思いませんか?
>>まず感じること、感じられることが大切で、そのために理論が後から付いてくるのです。理論的に正しいから良いのだというのは、芸術の世界では奇妙な物になってしまいます。
その通りですね。だから、「人間の感性に感じやすい」純正律が重要なのではないですか?
>>これは、不自然ではありません。何か勘違いされているのでしょう。少し難しい例を出してみましょう。A線の1st position CをA-mollでとったとしましょう。このCは、開放弦Eに対してあまりにも低くなりすぎます。やはり5度を狭めに(平均律で)取っておいたほうが矛盾が少なくなります。
私の疑問をご理解いただいていないようなので、もう一度ご説明します。(書き方が悪かったようですね。)
おっしゃるように、ある条件で「はもる」音を取ると、他の音とは「はもらなく」なります。そのこと自体は「あたりまえ」ですね。私が疑問なのは、そのこと「自体が」何か問題なのだろうか、ということです。この「はもる」音を上手に利用することが、「感じられる」音程を良くすることだとは言えませんか?
>>あの~、線密度が重要なのは、倍音が低くなってしまうからです。これが線密度の重要性が判らない人は、楽器の響きで音程を取れても出てくる音階は無茶苦茶になってしまいます。
「線密度の重要性」は結構ですが、それで全て解決するのですか?(もしかすると、私の知らない・・・恐らくヴァイオリンを弾いている人の多くが知らない・・・特別な解法でもあるのでしょうか?もしそうでしたら、是非ご教授下さい。
>>平均律の5度として、純正5度とは別の物として覚えないといけません。
これも不思議です。純正五度を理解することよりもはるかに困難な「平均律の五度を覚える」ことを、世の中の100人の内の99人の「音痴」の人に求めるのですか?ほとんどの人が「音感がない」とおっしゃるわりには、要求が過酷だと思いますが・・・
>>中音域ではその通りなのですが、これは非常に難しい議論です。ある程度以上高い/低い音程になると、人間の耳の感度の問題から、音程を高め/低めに取らないと正常に聞こえないという問題が発生します。
特に高音域ではかなり問題が生じます。それはわかりますが、調弦の音域はおっしゃるところの「中音域」ではありませんか?
>>もう一つの問題点として、浪漫派後期ブラームス以降になると、細かい転調が多くなります。このときに純正律で調弦すると、重音の前後で辻褄合わせの幅が広くなりすぎるのです。特にブラームスは、弦楽器の特性、響きを無視して作曲しているので、音程が取りにくくなっています。
はい。こういう議論なら、よくわかります。ブラームスが弦楽器の響きを「無視」しているかどうかはさておき、ブラームスを演奏するとき、音程をどうとったらよいのかは、頭がウニになってしまいますね。ただし、だから「全部均してしまう」ことには反対ですが。
>>この手の議論はしたくありません。世の中の人は100人中99人は音痴です。音痴が理論武装してもやはり音痴なのです。
「この手の議論はしたくありません。」とおっしゃっているので、少々気が引けますが・・・私がこのサイトを読んだところ、ヴァイオリンを始めたばかり、ないしは始めようとしている人たちも多いと思います。そういった人たちのためにも、もう少しお付き合い下さい。
まず、「音痴」とはどういう意味ですか?言葉の定義が違っていては話になりませんよね。私は以下のように考えています。
歌を歌うという「技術」が必要なことは置いておいて、まず、「音程を聴いてわかるかどうか」という点に絞って考えてください。私は書いたように、先天的に「音高の違いを認知できない」人以外は、訓練によって音程を聴きわけることができるようになると思っています。この点について、pochiさんが「そうは思わない」ということであれば、この事自体は議論しません。ただ、「訓練しても音程を理解することが出来ないと思っている」先生は、生徒にどうやって音程を教えるのか、という疑問は残りますが。
>>有名な演奏家の中でも正確な音程が判って弾いている人は少数派です。室内楽で精緻な音程を持っているグループとしては、アルバンベルクカルテットの人たちです。有名なカルテットの中にはひどい音程の所が多い様に思います。
そうですね。私もそう思います。ついでに言えば、アルディッティも耳があると思いますが。
>>この世界で飯をはむ事がないのなら、どんな調弦でも構いません。が、楽器の響きを感じるための調弦と限定するのなら、純正律で調弦したほうが練習になるのかもしれませんね。
まず、「いかなる場合でも調弦の五度は平均律で合わせるのが正しい」というご意見との整合性をおたずねします。
それと、「この世界で飯をはむ事がないのなら」という点にちょっとひっかかりました。世の中には「どうせアマチュアだから」と言って手を抜いて教える先生が多いようですが、これって、とっても失礼なことだと思いませんか?
>>まず感じること、感じられることが大切で、そのために理論が後から付いてくるのです。理論的に正しいから良いのだというのは、芸術の世界では奇妙な物になってしまいます。
その通りですね。だから、「人間の感性に感じやすい」純正律が重要なのではないですか?
>>これは、不自然ではありません。何か勘違いされているのでしょう。少し難しい例を出してみましょう。A線の1st position CをA-mollでとったとしましょう。このCは、開放弦Eに対してあまりにも低くなりすぎます。やはり5度を狭めに(平均律で)取っておいたほうが矛盾が少なくなります。
私の疑問をご理解いただいていないようなので、もう一度ご説明します。(書き方が悪かったようですね。)
おっしゃるように、ある条件で「はもる」音を取ると、他の音とは「はもらなく」なります。そのこと自体は「あたりまえ」ですね。私が疑問なのは、そのこと「自体が」何か問題なのだろうか、ということです。この「はもる」音を上手に利用することが、「感じられる」音程を良くすることだとは言えませんか?
>>あの~、線密度が重要なのは、倍音が低くなってしまうからです。これが線密度の重要性が判らない人は、楽器の響きで音程を取れても出てくる音階は無茶苦茶になってしまいます。
「線密度の重要性」は結構ですが、それで全て解決するのですか?(もしかすると、私の知らない・・・恐らくヴァイオリンを弾いている人の多くが知らない・・・特別な解法でもあるのでしょうか?もしそうでしたら、是非ご教授下さい。
>>平均律の5度として、純正5度とは別の物として覚えないといけません。
これも不思議です。純正五度を理解することよりもはるかに困難な「平均律の五度を覚える」ことを、世の中の100人の内の99人の「音痴」の人に求めるのですか?ほとんどの人が「音感がない」とおっしゃるわりには、要求が過酷だと思いますが・・・
>>中音域ではその通りなのですが、これは非常に難しい議論です。ある程度以上高い/低い音程になると、人間の耳の感度の問題から、音程を高め/低めに取らないと正常に聞こえないという問題が発生します。
特に高音域ではかなり問題が生じます。それはわかりますが、調弦の音域はおっしゃるところの「中音域」ではありませんか?
>>もう一つの問題点として、浪漫派後期ブラームス以降になると、細かい転調が多くなります。このときに純正律で調弦すると、重音の前後で辻褄合わせの幅が広くなりすぎるのです。特にブラームスは、弦楽器の特性、響きを無視して作曲しているので、音程が取りにくくなっています。
はい。こういう議論なら、よくわかります。ブラームスが弦楽器の響きを「無視」しているかどうかはさておき、ブラームスを演奏するとき、音程をどうとったらよいのかは、頭がウニになってしまいますね。ただし、だから「全部均してしまう」ことには反対ですが。
[1539]
Re: 調弦と音律
投稿日時:2002年08月22日 05:15
投稿者:じゅん(ID:VTIgc5A)
私もpochiさん同様もうこれ以上この論争はしたくありません。
tamaさんがすべて純正率でやりたければそれでいいじゃないですかね。要は心地よく聞こえれば、いいんじゃない?
>>響きを耳で知り、それを再現することが大切ですね。スケールをピアノで合わせている先生に出会ったことがありますが・・・
ある程度の経験者はともかく、初心者なんかはやはりとりあえずピアノである程度はあわせるべきでしょう。特に初心者は自分の音を聞くというよりもバイオリンを弾くということに縛られて、私達の想像以上に大変な思いをして弾いているわけですからある程度ピアノでならしてあげないと自分の音がどのぐらいずれているかなんてわかりませんよ。平均率か純正率かはそれ以降の話でしょう。
>>しかし、「自分で判断する」ための前提、すなわち協和音を「理解する」為に、何をなさっているのでしょうか?平均律で合わせた五度は、「美しい」ものではありません。平均律で合わされた楽器を手渡された生徒さんは、一体何を基準に「美しい」和声を知るのですか?
それもナンセンスな質問です。協和音を理解するかどうかなんてある程度は慣れの問題。理解するとかしないとかの問題ではなくてその人が音に対して、どのくらい執着するかしないか。だからといってわからない人をあきらめているわけではないですけれど、それにはやはり紙面上では書ききれなく、色んな方法を試していますし、それを書いたところで、頭から理解しようとしている人にはきっと理解できないやり方かもしれません。。。
あすぱらさん
ピアノもチューナーもない場合にある程度自分でわかるように先生がそのようにおっしゃったのだと思います。私達プロは何もなくとも平均率に合わせられる人が多分ほとんどでしょう。でも初心者の人は何もなくては多分まったく検討はずれかもしくは純正率になるはず。チューナーにしても弓圧が少しかわっただけで、すぐ針がゆれるので、それにしばられていても当然正しいとは限らないでしょうね。どちらにしてもある程度の目安でしかないです。いわゆる道しるべとして思っておきましょう。
最後に私の知っている人でまるっきり純正率で調弦をしている人がいます。でもその人は一般的ではけっしてないです。だからといってそれを人に押付けたりはしていません。そこらへんは臨機応変にやっていますね。でもちょっとソロの音程は。。。?と思うこともありますが、楽器そのものは響いています。
音楽は音程だけでもなく、響きだけでもないはず。それらの音楽の要素がすべてバランスよく感じられると、いいのですが。。。。みなさん何か1つに執着しがちですね。
tamaさんがすべて純正率でやりたければそれでいいじゃないですかね。要は心地よく聞こえれば、いいんじゃない?
>>響きを耳で知り、それを再現することが大切ですね。スケールをピアノで合わせている先生に出会ったことがありますが・・・
ある程度の経験者はともかく、初心者なんかはやはりとりあえずピアノである程度はあわせるべきでしょう。特に初心者は自分の音を聞くというよりもバイオリンを弾くということに縛られて、私達の想像以上に大変な思いをして弾いているわけですからある程度ピアノでならしてあげないと自分の音がどのぐらいずれているかなんてわかりませんよ。平均率か純正率かはそれ以降の話でしょう。
>>しかし、「自分で判断する」ための前提、すなわち協和音を「理解する」為に、何をなさっているのでしょうか?平均律で合わせた五度は、「美しい」ものではありません。平均律で合わされた楽器を手渡された生徒さんは、一体何を基準に「美しい」和声を知るのですか?
それもナンセンスな質問です。協和音を理解するかどうかなんてある程度は慣れの問題。理解するとかしないとかの問題ではなくてその人が音に対して、どのくらい執着するかしないか。だからといってわからない人をあきらめているわけではないですけれど、それにはやはり紙面上では書ききれなく、色んな方法を試していますし、それを書いたところで、頭から理解しようとしている人にはきっと理解できないやり方かもしれません。。。
あすぱらさん
ピアノもチューナーもない場合にある程度自分でわかるように先生がそのようにおっしゃったのだと思います。私達プロは何もなくとも平均率に合わせられる人が多分ほとんどでしょう。でも初心者の人は何もなくては多分まったく検討はずれかもしくは純正率になるはず。チューナーにしても弓圧が少しかわっただけで、すぐ針がゆれるので、それにしばられていても当然正しいとは限らないでしょうね。どちらにしてもある程度の目安でしかないです。いわゆる道しるべとして思っておきましょう。
最後に私の知っている人でまるっきり純正率で調弦をしている人がいます。でもその人は一般的ではけっしてないです。だからといってそれを人に押付けたりはしていません。そこらへんは臨機応変にやっていますね。でもちょっとソロの音程は。。。?と思うこともありますが、楽器そのものは響いています。
音楽は音程だけでもなく、響きだけでもないはず。それらの音楽の要素がすべてバランスよく感じられると、いいのですが。。。。みなさん何か1つに執着しがちですね。
[1551]
Re: 調弦と音律
投稿日時:2002年08月24日 03:21
投稿者:abc(ID:KCckBQY)
お二方の火花を散らす論争、大変興味深く拝見させていただいています。因みに私は純正律です。他のごらんになっているみなさんはどうなのでしょうか?
しかし、毎日のこととはいえ調弦は難しいものです。弓圧を少し変えただけで音程は変わってしまいます。
pochiさんは気が進まないようですが、ロムしている人たちは興味津々です。お二方とも頑張って下さい。それと、できれば、平均律での調弦の仕方を教えてください。やってみたことがないので、それで都合が良ければ一にも二にもなく乗り換えます。
しかし、毎日のこととはいえ調弦は難しいものです。弓圧を少し変えただけで音程は変わってしまいます。
pochiさんは気が進まないようですが、ロムしている人たちは興味津々です。お二方とも頑張って下さい。それと、できれば、平均律での調弦の仕方を教えてください。やってみたことがないので、それで都合が良ければ一にも二にもなく乗り換えます。
[1554]
Re: 調弦と音律
投稿日時:2002年08月24日 10:25
投稿者:tama(ID:IRIxI0A)
>じゅんさん
>>私もpochiさん同様もうこれ以上この論争はしたくありません。tamaさんがすべて純正率でやりたければそれでいいじゃないですかね。要は心地よく聞こえれば、いいんじゃない?
申し訳ありませんが、もしじゅんさんが「平均律で調弦すべきだ」と本気でお考えなら、もう少しお付き合いいただけませんか?何度も言いますが、ヴァイオリンを練習している人たちが、純正に調弦することを知り、ピタゴラスでスケールを弾くことを覚えたらどれだけ素敵なことだろう、と思っていますので、徹底的にわかってほしいからです。
>ある程度の経験者はともかく、初心者なんかはやはりとりあえずピアノである程度はあわせるべきでしょう。
これは、断固、反対です。むしろスピーディーな上達を妨げます。
>特に初心者は自分の音を聞くというよりもバイオリンを弾くということに縛られて、私達の想像以上に大変な思いをして弾いているわけですからある程度ピアノでならしてあげないと自分の音がどのぐらいずれているかなんてわかりませんよ。平均率か純正率かはそれ以降の話でしょう。
初心者、特に大人から始めた方達が大変な思いをしていることを、本当の意味で理解している先生は少ないですね。例えば「弓を持つ形はこう」だとか、「手の形はこういうもの」という「ご自分の方法論の当てはめ」をしてしまっているのをよく見ます。体が出来上がってしまった大人の一人一人の差を考えないんですね。話が拡散しすぎるから、この点はこれだけにしますが。
これに対して、純正な五度調弦、ピタゴラスのスケールは、くり返して「聴かせ」「弾かせ」ることで、誰でも得られるモノなんです。
ピアノを長い間弾いてきた人が大人になってからヴァイオリンを始めると、しばらくは「ピアノ耳」で苦労します。わざわざ苦労のネタを作る必要はない。
>>それもナンセンスな質問です。協和音を理解するかどうかなんてある程度は慣れの問題。理解するとかしないとかの問題ではなくてその人が音に対して、どのくらい執着するかしないか。だからといってわからない人をあきらめているわけではないですけれど、それにはやはり紙面上では書ききれなく、色んな方法を試していますし、それを書いたところで、頭から理解しようとしている人にはきっと理解できないやり方かもしれません。。。
まず、「頭から理解しようとしている」という誤解だけはといておきます。私は長い間、ほとんど理屈を知りませんでした。理屈に興味を持ったのは、「弦楽器のイントネーション」を読んでからですね。その時に、「ああ、自分もこういう理屈をしって合理的な練習をしていたら、もっと上手くなっていたかもしれないなぁ」ととても悔しく思いました。理屈というのは、「合理的な練習をするための手助け」なんです。だから、純正に五度を調弦して最初にGDurのスケールを練習するとき、「開放弦が正しいスケールのガイドになる」ことを知っていることが「手助け」なんです。しかし、日本の多くのプレーヤーや先生達は、「自分が勉強するのが嫌だから」理屈を嫌う傾向がある、とすら思っています。「理屈じゃ音楽はできない」という言葉をある種の「逃げ」に使っているとしか思えない。
協和音を理解するかし無いか、というのは、まさに慣れの問題です。仰るとおり。だから、調弦を純正にすれば「慣れやすい」んです。そう思いませんか?(この点については、pochiさんの「音感は訓練してもよくならない」というご意見とは異なるようですね。)
>私達プロは何もなくとも平均率に合わせられる人が多分ほとんどでしょう。
本当ですか?もちろん、今まで出会ってきた奏者の調弦を「計った」事はありませんが、本当に平均律きっちりに取っている人、いたかなぁ。
一旦純正に合わせ、少し狭くする、という作業をする人はたくさんいますけど。
>最後に私の知っている人でまるっきり純正率で調弦をしている人がいます。でもその人は一般的ではけっしてないです。
あのぉ・・・私もすでに言っていますが、「オケやピアノと合わせるときにまでなんでもかんでも純正に合わせろ」と言っているんではないんです。ヴァイオリンを練習している人たちが、「正しい耳」を作るためにはどうしても純正に合わせることが必要だ、と言うのが力点。
>でもちょっとソロの音程は。。。?と思うこともありますが、楽器そのものは響いています。
純正に合わせたから音程が悪い、ということはないでしょう。その人の問題。ちなみに、pochiさんがおっしゃっている「平均律派」のミルシテインですが、(しかし、あんな古いレコード聴いて、調弦が平均律ってわかるなんて、凄い耳ですね)大変音程にムラのある演奏家です。特にチャイコフスキーのコンチェルトなんか、すごいですよね。知らないで聴いてると、とてもあんな大ヴァイオリニストの演奏とは思えません。
>音楽は音程だけでもなく、響きだけでもないはず。それらの音楽の要素がすべてバランスよく感じられると、いいのですが。。。。みなさん何か1つに執着しがちですね。
私は、音程にだけ執着している訳ではありません。ここで話題になっていることが音程だから、音程の話になっているだけですよ。しかしこれだけは言えるはずです。「音程がよい演奏の方が美しい」
>>私もpochiさん同様もうこれ以上この論争はしたくありません。tamaさんがすべて純正率でやりたければそれでいいじゃないですかね。要は心地よく聞こえれば、いいんじゃない?
申し訳ありませんが、もしじゅんさんが「平均律で調弦すべきだ」と本気でお考えなら、もう少しお付き合いいただけませんか?何度も言いますが、ヴァイオリンを練習している人たちが、純正に調弦することを知り、ピタゴラスでスケールを弾くことを覚えたらどれだけ素敵なことだろう、と思っていますので、徹底的にわかってほしいからです。
>ある程度の経験者はともかく、初心者なんかはやはりとりあえずピアノである程度はあわせるべきでしょう。
これは、断固、反対です。むしろスピーディーな上達を妨げます。
>特に初心者は自分の音を聞くというよりもバイオリンを弾くということに縛られて、私達の想像以上に大変な思いをして弾いているわけですからある程度ピアノでならしてあげないと自分の音がどのぐらいずれているかなんてわかりませんよ。平均率か純正率かはそれ以降の話でしょう。
初心者、特に大人から始めた方達が大変な思いをしていることを、本当の意味で理解している先生は少ないですね。例えば「弓を持つ形はこう」だとか、「手の形はこういうもの」という「ご自分の方法論の当てはめ」をしてしまっているのをよく見ます。体が出来上がってしまった大人の一人一人の差を考えないんですね。話が拡散しすぎるから、この点はこれだけにしますが。
これに対して、純正な五度調弦、ピタゴラスのスケールは、くり返して「聴かせ」「弾かせ」ることで、誰でも得られるモノなんです。
ピアノを長い間弾いてきた人が大人になってからヴァイオリンを始めると、しばらくは「ピアノ耳」で苦労します。わざわざ苦労のネタを作る必要はない。
>>それもナンセンスな質問です。協和音を理解するかどうかなんてある程度は慣れの問題。理解するとかしないとかの問題ではなくてその人が音に対して、どのくらい執着するかしないか。だからといってわからない人をあきらめているわけではないですけれど、それにはやはり紙面上では書ききれなく、色んな方法を試していますし、それを書いたところで、頭から理解しようとしている人にはきっと理解できないやり方かもしれません。。。
まず、「頭から理解しようとしている」という誤解だけはといておきます。私は長い間、ほとんど理屈を知りませんでした。理屈に興味を持ったのは、「弦楽器のイントネーション」を読んでからですね。その時に、「ああ、自分もこういう理屈をしって合理的な練習をしていたら、もっと上手くなっていたかもしれないなぁ」ととても悔しく思いました。理屈というのは、「合理的な練習をするための手助け」なんです。だから、純正に五度を調弦して最初にGDurのスケールを練習するとき、「開放弦が正しいスケールのガイドになる」ことを知っていることが「手助け」なんです。しかし、日本の多くのプレーヤーや先生達は、「自分が勉強するのが嫌だから」理屈を嫌う傾向がある、とすら思っています。「理屈じゃ音楽はできない」という言葉をある種の「逃げ」に使っているとしか思えない。
協和音を理解するかし無いか、というのは、まさに慣れの問題です。仰るとおり。だから、調弦を純正にすれば「慣れやすい」んです。そう思いませんか?(この点については、pochiさんの「音感は訓練してもよくならない」というご意見とは異なるようですね。)
>私達プロは何もなくとも平均率に合わせられる人が多分ほとんどでしょう。
本当ですか?もちろん、今まで出会ってきた奏者の調弦を「計った」事はありませんが、本当に平均律きっちりに取っている人、いたかなぁ。
一旦純正に合わせ、少し狭くする、という作業をする人はたくさんいますけど。
>最後に私の知っている人でまるっきり純正率で調弦をしている人がいます。でもその人は一般的ではけっしてないです。
あのぉ・・・私もすでに言っていますが、「オケやピアノと合わせるときにまでなんでもかんでも純正に合わせろ」と言っているんではないんです。ヴァイオリンを練習している人たちが、「正しい耳」を作るためにはどうしても純正に合わせることが必要だ、と言うのが力点。
>でもちょっとソロの音程は。。。?と思うこともありますが、楽器そのものは響いています。
純正に合わせたから音程が悪い、ということはないでしょう。その人の問題。ちなみに、pochiさんがおっしゃっている「平均律派」のミルシテインですが、(しかし、あんな古いレコード聴いて、調弦が平均律ってわかるなんて、凄い耳ですね)大変音程にムラのある演奏家です。特にチャイコフスキーのコンチェルトなんか、すごいですよね。知らないで聴いてると、とてもあんな大ヴァイオリニストの演奏とは思えません。
>音楽は音程だけでもなく、響きだけでもないはず。それらの音楽の要素がすべてバランスよく感じられると、いいのですが。。。。みなさん何か1つに執着しがちですね。
私は、音程にだけ執着している訳ではありません。ここで話題になっていることが音程だから、音程の話になっているだけですよ。しかしこれだけは言えるはずです。「音程がよい演奏の方が美しい」
[1556]
Re: 調弦と音律
投稿日時:2002年08月24日 11:41
投稿者:kimochiii(ID:JzNBiRQ)
気持ちのいい5度をならしてみよう。
それを計ってみれば周波数比が2:3になっているであろう。
うん?気持ちのいい5度が1:1.498・・・になってる?本当ですかぁ?
単純な整数比、が自然の摂理ともあっている。
平均律ってのは、不器用なピアノ(などの鍵盤楽器)の為に造られた人為的な妥協の音律なのだ。
出来ることならPiano in C, Piano in Es などなどが欲しい訳だが、
そうも行かないので、ピアノは、何調でもそこそこそれらしい音が出るように妥協している楽器なのだ。
それを計ってみれば周波数比が2:3になっているであろう。
うん?気持ちのいい5度が1:1.498・・・になってる?本当ですかぁ?
単純な整数比、が自然の摂理ともあっている。
平均律ってのは、不器用なピアノ(などの鍵盤楽器)の為に造られた人為的な妥協の音律なのだ。
出来ることならPiano in C, Piano in Es などなどが欲しい訳だが、
そうも行かないので、ピアノは、何調でもそこそこそれらしい音が出るように妥協している楽器なのだ。
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