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音程の難しさ
投稿日時:2004年11月09日 04:14
投稿者:pochi(ID:NDliaJA)
http://fstrings.com/board/board.asp?id=10499
場違いGeiger1951氏投稿に関して、
"1人で練習するとき「開放弦の共鳴で確認しなさい」"
此れを書き込んだのは私です。上級者レベル迄は御説の通りだと思いますが、プロフェッショナルレベルでは少し違う様に思います。だから、音大卒業レベル以下の人は読まないで下さい。
ピアノの平均率は、ヴァイオリンとは違います。共鳴を使った場合の音程も当然ピアノとは違います。ピアノの伴奏が有っても、音程を少し外す事に依って、その音を浮き立たせる技術が有ります。ヴァイオリンはフレットが無いので、音程を表現の幅として使う事が出来ます。基本的には、解放絃を使って共鳴させるのが良いのですが、そうでは無い場合も多く有る様に思います。メロディーラインに於ける長短3度・6度は、永遠の命題でしょう。「長調にも暗い長調、短調にも明るい短調が有る」位の認識は必要だと思います。
場違いGeiger1951氏投稿に関して、
"1人で練習するとき「開放弦の共鳴で確認しなさい」"
此れを書き込んだのは私です。上級者レベル迄は御説の通りだと思いますが、プロフェッショナルレベルでは少し違う様に思います。だから、音大卒業レベル以下の人は読まないで下さい。
ピアノの平均率は、ヴァイオリンとは違います。共鳴を使った場合の音程も当然ピアノとは違います。ピアノの伴奏が有っても、音程を少し外す事に依って、その音を浮き立たせる技術が有ります。ヴァイオリンはフレットが無いので、音程を表現の幅として使う事が出来ます。基本的には、解放絃を使って共鳴させるのが良いのですが、そうでは無い場合も多く有る様に思います。メロディーラインに於ける長短3度・6度は、永遠の命題でしょう。「長調にも暗い長調、短調にも明るい短調が有る」位の認識は必要だと思います。
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Re: 音程の難しさ
投稿日時:2004年11月12日 18:24
投稿者:?(ID:MEJYMiU)
>問題は一人のとき半音を平均律でとれるのか、ということなんですが。
なんのためにその必要が???
『ピアノと調和して弾く=平均律で弾く』ということではないと思うんですが。
スレの話題とずれてしまいますね。ただの独り言です。
なんのためにその必要が???
『ピアノと調和して弾く=平均律で弾く』ということではないと思うんですが。
スレの話題とずれてしまいますね。ただの独り言です。
[17359]
Re: 音程の難しさ
投稿日時:2004年11月12日 20:24
投稿者:Geiger1951(ID:MSeFeAk)
>> 『ピアノと調和して弾く=平均律で弾く』
>> ということではないと思うんですが。
******
?さま、これは私の意見でもあります。
ある演奏家が「ピアノとあわせるときは平均律だ」という意味の発言をしましたが、それは当たらないと思っています。
ピアノとあわせるときこそ調性を主張すべきなのがヴァイオリンだと思います。ユニゾンのときヴァイオリンが「調性が分かる音程で弾く」ことは極めて重要です。ま、難しいですがね。
これくらいにしないとスコラ哲学になりそうですね。
>> ということではないと思うんですが。
******
?さま、これは私の意見でもあります。
ある演奏家が「ピアノとあわせるときは平均律だ」という意味の発言をしましたが、それは当たらないと思っています。
ピアノとあわせるときこそ調性を主張すべきなのがヴァイオリンだと思います。ユニゾンのときヴァイオリンが「調性が分かる音程で弾く」ことは極めて重要です。ま、難しいですがね。
これくらいにしないとスコラ哲学になりそうですね。
[17385]
イントネーション
投稿日時:2004年11月14日 17:40
投稿者:東海林(ID:NEEilBY)
「ヴァイオリンの音程はかつて旋律はピタゴラス風の線的なイントネーションを、和音は純正に近い和声的なイントネーションを使った。」
「ブラームスのような和声的な音楽には三度音程の狭い後者イントネーションがふさわしい。」
「こうしたイントネーションを自在に使える人は今はほとんどいないが、いくつかの録音で聴くことができる。その代表として挙げられるのがエネスコとクライスラーだ。エネスコのブラームスは残念ながらないが、たとえば有名なバッハの無伴奏を聴くと、ずいぶん音程が外れているように聴こえる。晩年の録音で耳を悪くしていたこともあり、たしかに外れているところもあるが、それはピアノの平均律風の音程を基準にしているからで、クライスラーのイントネーションを基準にすればわずかなものだとわかるはずだ。」
「現在はピアノの平均律風の平板なものになったが、それは楽譜中心主義的なシゲティの新即物主義以降にはじまりクレーメルで頂点を迎えた。」
(三橋圭介『200CD協奏曲』立風書房)
上の文章を読んで改めてエネスコのバッハ無伴奏のレコードを聞いてみましたが、以前は全く楽しめなかったのですが、こういうのも良いかなと思えるようになりました。
「ブラームスのような和声的な音楽には三度音程の狭い後者イントネーションがふさわしい。」
「こうしたイントネーションを自在に使える人は今はほとんどいないが、いくつかの録音で聴くことができる。その代表として挙げられるのがエネスコとクライスラーだ。エネスコのブラームスは残念ながらないが、たとえば有名なバッハの無伴奏を聴くと、ずいぶん音程が外れているように聴こえる。晩年の録音で耳を悪くしていたこともあり、たしかに外れているところもあるが、それはピアノの平均律風の音程を基準にしているからで、クライスラーのイントネーションを基準にすればわずかなものだとわかるはずだ。」
「現在はピアノの平均律風の平板なものになったが、それは楽譜中心主義的なシゲティの新即物主義以降にはじまりクレーメルで頂点を迎えた。」
(三橋圭介『200CD協奏曲』立風書房)
上の文章を読んで改めてエネスコのバッハ無伴奏のレコードを聞いてみましたが、以前は全く楽しめなかったのですが、こういうのも良いかなと思えるようになりました。
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Re: 音程の難しさ
投稿日時:2004年11月14日 18:00
投稿者:Geiger1951(ID:MSeFeAk)
東海林さん、ご無沙汰です。
三橋圭介さんの著作は読んでいませんし、エネスコのバッハは不勉強で全く聴いておりません。申し訳ありません。
ただ、
>> 「現在はピアノの平均律風の平板なものになったが、それは楽譜中心主義的なシゲティの新即物主義以降にはじまりクレーメルで頂点を迎えた。」
*****
という三橋さんの意見はかなり勇気あるものだと感じます。
シゲティの音程は
"OPUS蔵"
の1930年代録音を聴く限り綺麗で調性感覚に優れます。
平均律的とは地球の反対ほど違いますね。
クレーメルが平均律的かどうか、あとでじっくり聴いて見ます。オイストラフ門下ですから、オイストラフがそれを許すはずがないように思いますけれど。
三橋圭介さんの著作は読んでいませんし、エネスコのバッハは不勉強で全く聴いておりません。申し訳ありません。
ただ、
>> 「現在はピアノの平均律風の平板なものになったが、それは楽譜中心主義的なシゲティの新即物主義以降にはじまりクレーメルで頂点を迎えた。」
*****
という三橋さんの意見はかなり勇気あるものだと感じます。
シゲティの音程は
"OPUS蔵"
の1930年代録音を聴く限り綺麗で調性感覚に優れます。
平均律的とは地球の反対ほど違いますね。
クレーメルが平均律的かどうか、あとでじっくり聴いて見ます。オイストラフ門下ですから、オイストラフがそれを許すはずがないように思いますけれど。
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