[26593]
ピタゴラス音律は何故美しいか?
投稿日時:2006年04月10日 20:24
投稿者:セロ轢きのGosh(ID:EBU3FIA)
純正律(自然倍音列)の和音が美しくハモることは物理的に理解できます。 ピタゴラス音律の数学的な美しさもそれなりに解るような気がしますし、弦楽器(ヴァイオリン族)と相性のいい音律であるらしいことも見当が付きます。 平均律の数学的な意味も一応解っているつもりです。
解らないのは、ピタゴラス音律に乗った旋律が美しく聞こえるのは何故か。 そこに、物理的あるいは生理学的な根拠はあるのでしょうか?
自然の摂理そのままみたいな純正率と違って、ピタゴラス律はある意味平均律に負けないくらい人工的な・数学的な理論の遊びの産物のように思えます。
「だって、現にピタゴラスで弾いた方が気持ちいいでしょ?」
という方は多いと思いますが、では民族音楽なんかにでてくる(非ピタゴラス)音律は「間違って」いるのでしょうか?
つまり、小生の疑問は、
「ピタゴラス音律というのは結局のところ西洋音楽、特に弦楽器分野の方言みたいなもので、それで育った人にとっては故郷訛りを聞くように心地よく響く、というだけのことではないのか?」
ということです。
「ピタゴラスの全音は約204セントです」みたいな平均律を中心の物言いには不満を感じますが、かといって、「ピタゴラスが正しくて平均律は平均的に狂っている」というのも違うのかなぁ、と。
素人の音律論はウンザリだ、という声が聞こえてきそうですが、(それに、音楽というよりも物理・数学・大脳生理学・文化論的な好奇心による質問なので益々恐縮ですが)、そこを曲げて識者諸兄からご教示頂けるとありがたく思います。
解らないのは、ピタゴラス音律に乗った旋律が美しく聞こえるのは何故か。 そこに、物理的あるいは生理学的な根拠はあるのでしょうか?
自然の摂理そのままみたいな純正率と違って、ピタゴラス律はある意味平均律に負けないくらい人工的な・数学的な理論の遊びの産物のように思えます。
「だって、現にピタゴラスで弾いた方が気持ちいいでしょ?」
という方は多いと思いますが、では民族音楽なんかにでてくる(非ピタゴラス)音律は「間違って」いるのでしょうか?
つまり、小生の疑問は、
「ピタゴラス音律というのは結局のところ西洋音楽、特に弦楽器分野の方言みたいなもので、それで育った人にとっては故郷訛りを聞くように心地よく響く、というだけのことではないのか?」
ということです。
「ピタゴラスの全音は約204セントです」みたいな平均律を中心の物言いには不満を感じますが、かといって、「ピタゴラスが正しくて平均律は平均的に狂っている」というのも違うのかなぁ、と。
素人の音律論はウンザリだ、という声が聞こえてきそうですが、(それに、音楽というよりも物理・数学・大脳生理学・文化論的な好奇心による質問なので益々恐縮ですが)、そこを曲げて識者諸兄からご教示頂けるとありがたく思います。
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Re: ピタゴラス音律は何故美しいか?
投稿日時:2006年05月12日 10:14
投稿者:pochi(ID:EHMASYE)
間違いに気が付いて、消去したものをわざわざ訂正していただいて、有難う御座居ました。本当に初歩的な間違いをします。音程を理論でなく、私は、感性で理解しているからです。音程の表現上の使い方には、私なりの美学が有りますので、他人に間違って居るなんて、言われる筋合いはありません。当然、ミス・トーンもありますよ。転調が多い曲では、ピタゴラスで弾いて居ると、矛盾が大きく成って行く傾向が有りますから、何処かで解決する場所を考える必要がありますね。ピタゴラス・カンマで全音を重ねていったら、5度は愚か、オクターブも成立しません。然し、人間の耳は、不思議なもので、高い音は、高めに取った方が、気持ち良く感じるし、低い音は低めにピアノの調律もされて居るから、厳格でなければ、ピアノとの整合性は大体取れます。ピアノとの解離が有る所は、ヴァイオリンを浮き立たせる為に敢えて使う音程だと思います。「間違って居る依りも高い方がまし」なんて、迷言もあるくらいですが、低く取る事も屡々ありますよ。音程はあくまでも調性を音楽的に表現する手段だと思います。Beatはかなり正確に一貫して流れて居るもの、リズムは揺らぎ、ですね。全部音楽を構成する重要な要素だと思います。
[27265]
Re: ピタゴラス音律は何故美しいか?
投稿日時:2006年05月12日 10:15
投稿者:MHO(ID:IRhTIHg)
HIro さん、
すみません、まだ理解できません。用語の定義が異なると議論がかみ合わないです。具体的に言っていただくと分かりよいかもしれません。転調時の異名同音 (enharmonic) 処理のことなら言われるとおりのことが起こります。でもピアノ伴奏の時は平均律ですからオケとか無伴奏の時ですね。
imho
すみません、まだ理解できません。用語の定義が異なると議論がかみ合わないです。具体的に言っていただくと分かりよいかもしれません。転調時の異名同音 (enharmonic) 処理のことなら言われるとおりのことが起こります。でもピアノ伴奏の時は平均律ですからオケとか無伴奏の時ですね。
imho
[27266]
Re: ピタゴラス音律は何故美しいか?
投稿日時:2006年05月12日 13:30
投稿者:市井のアマチュア(ID:FUUXInk)
理論に関しては、大昔に確定している筈ですから、末世の我々が新発見など出来ません。バロック時代には音律の研究が盛んで、鍵盤楽器は様々な調律をされました。21世紀の我々の遠く及ばない知識をバロックの音楽理論家はもっていたと思います。ですから音律の理論面(5度圏をまわったらどうなるとか)は本で読めば済むので、生産性がない議論になります。
我々の楽器は4本の開放弦がある以上、5度圏をくるくる回ることはあり得ず、旋律の流れにはピタゴラス(ピュでしたっけ)を使い、弦楽四重奏の内声なら純正をつかったり、オケでは平均律に妥協したりする訳でしょう。
ヴァイオリンのピタゴラスは旋律における「表情的音程」と混同されて使われています。表情的音程はピタゴラスの延長線上でしょう。
我々の楽器は4本の開放弦がある以上、5度圏をくるくる回ることはあり得ず、旋律の流れにはピタゴラス(ピュでしたっけ)を使い、弦楽四重奏の内声なら純正をつかったり、オケでは平均律に妥協したりする訳でしょう。
ヴァイオリンのピタゴラスは旋律における「表情的音程」と混同されて使われています。表情的音程はピタゴラスの延長線上でしょう。
[27279]
Re: ピタゴラス音律は何故美しいか?
投稿日時:2006年05月13日 12:23
投稿者:匿名希望X(ID:IwUzckQ)
尊敬するフルーティストの友人と、ピュタゴラス音程について話しました。
フルートはあんまり音の高さの調節が出来ないそうです。
ですからある調のスケールを吹いたときに、相応しい響きを作ることが大事だと言います。一つ一つの音の役割がある。気流の速度や向き、倍音成分、何よりも音の立ち上がり。
(管楽器のことに昧いため、正確でないことを懼れます)
ヴァイオリンは容易に音程をいじることが出来ますから、音色の問題、ボウイングの問題、とりわけ弓の速度やアタックの発音の問題、フレージングの問題と切り離して音程を議論してしまう危険性があります。
諸々の表現手段全体の中で、無論音程調節は非常に大切である、と理解すればよいと、私は考えるようになりました。
フルートはあんまり音の高さの調節が出来ないそうです。
ですからある調のスケールを吹いたときに、相応しい響きを作ることが大事だと言います。一つ一つの音の役割がある。気流の速度や向き、倍音成分、何よりも音の立ち上がり。
(管楽器のことに昧いため、正確でないことを懼れます)
ヴァイオリンは容易に音程をいじることが出来ますから、音色の問題、ボウイングの問題、とりわけ弓の速度やアタックの発音の問題、フレージングの問題と切り離して音程を議論してしまう危険性があります。
諸々の表現手段全体の中で、無論音程調節は非常に大切である、と理解すればよいと、私は考えるようになりました。
[27282]
Re: ピタゴラス音律は何故美しいか?
投稿日時:2006年05月13日 19:29
投稿者:Hiro(ID:FpMjkAU)
[27265]
MHOさんへ
返事が遅くなってすみません。
>用語の定義が異なると議論がかみ合わないです。具体的に言っていただくと分かりよいかもしれません。
とりあえず手の届く範囲とあたってみたのですが、やはり実技におけるピタゴラスには曖昧な要素が多くはっきりしないものばかりなので(定義なども)、このへんでやめておいた方が良さそうなきがしてきました・・・(誤解が誤解を呼びそうなので)
お答えありがとうございます。
それでは失礼します。
[27265]
Re: ピタゴラス音律は何故美しいか?
投稿日時:2006年05月12日 10:15
投稿者:MHO(ID:IRhTIHg)
HIro さん、
すみません、まだ理解できません。用語の定義が異なると議論がかみ合わないです。具体的に言っていただくと分かりよいかもしれません。転調時の異名同音 (enharmonic) 処理のことなら言われるとおりのことが起こります。でもピアノ伴奏の時は平均律ですからオケとか無伴奏の時ですね。
imho
すみません、まだ理解できません。用語の定義が異なると議論がかみ合わないです。具体的に言っていただくと分かりよいかもしれません。転調時の異名同音 (enharmonic) 処理のことなら言われるとおりのことが起こります。でもピアノ伴奏の時は平均律ですからオケとか無伴奏の時ですね。
imho
返事が遅くなってすみません。
>用語の定義が異なると議論がかみ合わないです。具体的に言っていただくと分かりよいかもしれません。
とりあえず手の届く範囲とあたってみたのですが、やはり実技におけるピタゴラスには曖昧な要素が多くはっきりしないものばかりなので(定義なども)、このへんでやめておいた方が良さそうなきがしてきました・・・(誤解が誤解を呼びそうなので)
お答えありがとうございます。
それでは失礼します。
[27449]
Re: ピタゴラス音律は何故美しいか?
投稿日時:2006年05月21日 05:13
投稿者:MHO(ID:IRhTIHg)
スレ主さんの当初の疑問はピュタゴラスの「旋律」は何故美しいか?でしたが、途中で「和声も」美しいという話になりました。中世ではどちらも美しかったようです。現代で「和声も」美しいと感じられる方がおられたら、平均律の普及が遠因かも知れません。
まずは定義について誤解なきよう下記のサイトを参照下さい。
・各種音律の定義
http://en.wikipedia.org/wiki/Mathematics_of_musical_scales
・ピュタゴラス音律と中世ポリフォニー
http://www.medieval.org/emfaq/harmony/pyth.html
[26975]
Hiroさん、の引用文
>'The expressive quality of the 2nds in particular has led to the judgement that this system of turning [Pythagorean intonation] is especially well suited to late medieval polyphony'
----------------------
これが気になっていたのですが、2nds は和音を指しているようです。現代人は長2度を不協和音に分類し、そのように感じますが、13-14世紀ポリフォニーでは幾分安らぎを与える和音と捉えられていたようです(協和と不協和のグレイ領域)。ピュタゴラス音律では9がマジックナンバーのようで5度の2回重ねの9度(2度)、又は9倍音が重要な役割を果たしています。9度の2段重ねが長3度を生むわけです。
Hiro さんが別稿で引用された Pythagorean Scale 「ド、レ、ミフラット、ミ、ソ、ラ、シフラット、シ、レ」は上記サイトを含めお目にかかったことがありません。中世の Pythagorean tuning 「ピュタゴラス音律」とは無関係と思います。
ゴシック時代に美しいとされたピュタゴラス音律はルネサンス以降ではその対極にある3度純正のミーントーン音律に取って代わられます。さらに Werckmeister 等の well-temperament を経て平均律へと変わってきました。いわば美の理念は数々の妥協とともに発散し、音楽もそれに合わせて多様化してきたと言えます。作曲がある音律を想定してなされたのであれば、それにふさわしい音律で演奏すべきだと思います。
本題のヴァイオリンの音律ですが、5度調弦が普遍的なものであればピュタゴラスが最も適切なのですが、同時に3度を純正に弾くという妥協も可能なわけです。下記サイトの「旋律はピュタゴラス律、重音は純正律」という妥協は意味があると思います。
http://violinmasterclass.com/intonation_qt.php?video=int_def2&sctn=Definition
しかし実際の演奏では、心地よい重音純正3度の響きを避け、生き生きとしたピュタゴラス3度を使って色づけといったことも行われるのでしょう。また、平均律で弾く方もおられます。平均律がこれだけ蔓延したのは、作曲上のユーティリティの良さに加え、和声的には2,4、5、7度が純正に近く、3、6度が鋭く、又旋律的には全音が等間隔で半音が比較的狭く導音に適するというピュタゴラス律の特徴を併せ持っているからでしょう。このことからピュタゴラス律を美しいと感じるのは、平均律を幼い頃から聞かされているということが遠因となっていると言えないでしょうか?浪漫の無い話で恐縮です。ちなみに私は平均律を美しいと思ったことは一度もありません。ピアノ伴奏曲では仕方なくそれに合わせますが。
[27266]
市井のアマチュアさん、
>理論に関しては、大昔に確定している筈ですから、末世の我々が新発見など出来ません。
------
鍵盤楽器の音律論に関しては新たな文献が発掘されるまでは多分そうでしょう(バッハの well-tempered は今も論争続いていますね)。しかし、Vnの音律がどのように変遷してきたか、どの時代にどの音律が好まれ適用されたかなどの実践に関しては証拠が少なく、むしろ判っていないことが多いのではないでしょうか?これは音律理論ではなく、演奏理論だと思います。
[27264]
pochiさん、
>音程を理論でなく、私は、感性で理解しているからです。
-------------------
以前同じ指摘を受けて、感性で弾ける人は羨ましいと答えました。私は幼い頃は不真面目であまり練習しなかったので感性をヴァイオリンで表現できる技術がありません。今の師匠は音律論は一切仰らず指導されます。代々継承されてきた巨匠の教えを私なりに理論的に解釈してそれに近い感性と技術を少しでも早く身につけたいと思っています。
>ピタゴラス・カンマで全音を重ねていったら、5度は愚か、オクターブも成立しません。
---------------------
意味が良く分かりません。ピュタゴラス全音を6回重ねてもオクターブの関係にならず、ピュタゴラス・カンマだけ高くなるということならその通りです。例えば A-H-Cis-Dis-Eis-Fisis-Gisis の全音6回重ねにおいて Gisis はA' より 23 セント高くなります。もしクラシック音楽でこのようなフレーズがあればオクターブ6等分(平均律)の全音で弾くべきだと思います。
まずは定義について誤解なきよう下記のサイトを参照下さい。
・各種音律の定義
http://en.wikipedia.org/wiki/Mathematics_of_musical_scales
・ピュタゴラス音律と中世ポリフォニー
http://www.medieval.org/emfaq/harmony/pyth.html
[26975]
[26975]
Re: ピタゴラス音律は何故美しいか?
投稿日時:2006年05月02日 22:35
投稿者:Hiro(ID:GRQ1Rlk)
>>>和声では美しく感じられません
果たしてそうでしょうか?
他人の説で恐縮ですが2002年版の’The Oxford Companion to Music’1016ページによれば:
'The expressive quality of the 2nds in particular has led to the judgement that this system of turning [Pythagorean intonation] is especially well suited to late medieval polyphony'
との記述があります。
参考まで
果たしてそうでしょうか?
他人の説で恐縮ですが2002年版の’The Oxford Companion to Music’1016ページによれば:
'The expressive quality of the 2nds in particular has led to the judgement that this system of turning [Pythagorean intonation] is especially well suited to late medieval polyphony'
との記述があります。
参考まで
>'The expressive quality of the 2nds in particular has led to the judgement that this system of turning [Pythagorean intonation] is especially well suited to late medieval polyphony'
----------------------
これが気になっていたのですが、2nds は和音を指しているようです。現代人は長2度を不協和音に分類し、そのように感じますが、13-14世紀ポリフォニーでは幾分安らぎを与える和音と捉えられていたようです(協和と不協和のグレイ領域)。ピュタゴラス音律では9がマジックナンバーのようで5度の2回重ねの9度(2度)、又は9倍音が重要な役割を果たしています。9度の2段重ねが長3度を生むわけです。
Hiro さんが別稿で引用された Pythagorean Scale 「ド、レ、ミフラット、ミ、ソ、ラ、シフラット、シ、レ」は上記サイトを含めお目にかかったことがありません。中世の Pythagorean tuning 「ピュタゴラス音律」とは無関係と思います。
ゴシック時代に美しいとされたピュタゴラス音律はルネサンス以降ではその対極にある3度純正のミーントーン音律に取って代わられます。さらに Werckmeister 等の well-temperament を経て平均律へと変わってきました。いわば美の理念は数々の妥協とともに発散し、音楽もそれに合わせて多様化してきたと言えます。作曲がある音律を想定してなされたのであれば、それにふさわしい音律で演奏すべきだと思います。
本題のヴァイオリンの音律ですが、5度調弦が普遍的なものであればピュタゴラスが最も適切なのですが、同時に3度を純正に弾くという妥協も可能なわけです。下記サイトの「旋律はピュタゴラス律、重音は純正律」という妥協は意味があると思います。
http://violinmasterclass.com/intonation_qt.php?video=int_def2&sctn=Definition
しかし実際の演奏では、心地よい重音純正3度の響きを避け、生き生きとしたピュタゴラス3度を使って色づけといったことも行われるのでしょう。また、平均律で弾く方もおられます。平均律がこれだけ蔓延したのは、作曲上のユーティリティの良さに加え、和声的には2,4、5、7度が純正に近く、3、6度が鋭く、又旋律的には全音が等間隔で半音が比較的狭く導音に適するというピュタゴラス律の特徴を併せ持っているからでしょう。このことからピュタゴラス律を美しいと感じるのは、平均律を幼い頃から聞かされているということが遠因となっていると言えないでしょうか?浪漫の無い話で恐縮です。ちなみに私は平均律を美しいと思ったことは一度もありません。ピアノ伴奏曲では仕方なくそれに合わせますが。
[27266]
[27266]
Re: ピタゴラス音律は何故美しいか?
投稿日時:2006年05月12日 13:30
投稿者:市井のアマチュア(ID:FUUXInk)
理論に関しては、大昔に確定している筈ですから、末世の我々が新発見など出来ません。バロック時代には音律の研究が盛んで、鍵盤楽器は様々な調律をされました。21世紀の我々の遠く及ばない知識をバロックの音楽理論家はもっていたと思います。ですから音律の理論面(5度圏をまわったらどうなるとか)は本で読めば済むので、生産性がない議論になります。
我々の楽器は4本の開放弦がある以上、5度圏をくるくる回ることはあり得ず、旋律の流れにはピタゴラス(ピュでしたっけ)を使い、弦楽四重奏の内声なら純正をつかったり、オケでは平均律に妥協したりする訳でしょう。
ヴァイオリンのピタゴラスは旋律における「表情的音程」と混同されて使われています。表情的音程はピタゴラスの延長線上でしょう。
我々の楽器は4本の開放弦がある以上、5度圏をくるくる回ることはあり得ず、旋律の流れにはピタゴラス(ピュでしたっけ)を使い、弦楽四重奏の内声なら純正をつかったり、オケでは平均律に妥協したりする訳でしょう。
ヴァイオリンのピタゴラスは旋律における「表情的音程」と混同されて使われています。表情的音程はピタゴラスの延長線上でしょう。
>理論に関しては、大昔に確定している筈ですから、末世の我々が新発見など出来ません。
------
鍵盤楽器の音律論に関しては新たな文献が発掘されるまでは多分そうでしょう(バッハの well-tempered は今も論争続いていますね)。しかし、Vnの音律がどのように変遷してきたか、どの時代にどの音律が好まれ適用されたかなどの実践に関しては証拠が少なく、むしろ判っていないことが多いのではないでしょうか?これは音律理論ではなく、演奏理論だと思います。
[27264]
[27264]
Re: ピタゴラス音律は何故美しいか?
投稿日時:2006年05月12日 10:14
投稿者:pochi(ID:EHMASYE)
間違いに気が付いて、消去したものをわざわざ訂正していただいて、有難う御座居ました。本当に初歩的な間違いをします。音程を理論でなく、私は、感性で理解しているからです。音程の表現上の使い方には、私なりの美学が有りますので、他人に間違って居るなんて、言われる筋合いはありません。当然、ミス・トーンもありますよ。転調が多い曲では、ピタゴラスで弾いて居ると、矛盾が大きく成って行く傾向が有りますから、何処かで解決する場所を考える必要がありますね。ピタゴラス・カンマで全音を重ねていったら、5度は愚か、オクターブも成立しません。然し、人間の耳は、不思議なもので、高い音は、高めに取った方が、気持ち良く感じるし、低い音は低めにピアノの調律もされて居るから、厳格でなければ、ピアノとの整合性は大体取れます。ピアノとの解離が有る所は、ヴァイオリンを浮き立たせる為に敢えて使う音程だと思います。「間違って居る依りも高い方がまし」なんて、迷言もあるくらいですが、低く取る事も屡々ありますよ。音程はあくまでも調性を音楽的に表現する手段だと思います。Beatはかなり正確に一貫して流れて居るもの、リズムは揺らぎ、ですね。全部音楽を構成する重要な要素だと思います。
>音程を理論でなく、私は、感性で理解しているからです。
-------------------
以前同じ指摘を受けて、感性で弾ける人は羨ましいと答えました。私は幼い頃は不真面目であまり練習しなかったので感性をヴァイオリンで表現できる技術がありません。今の師匠は音律論は一切仰らず指導されます。代々継承されてきた巨匠の教えを私なりに理論的に解釈してそれに近い感性と技術を少しでも早く身につけたいと思っています。
>ピタゴラス・カンマで全音を重ねていったら、5度は愚か、オクターブも成立しません。
---------------------
意味が良く分かりません。ピュタゴラス全音を6回重ねてもオクターブの関係にならず、ピュタゴラス・カンマだけ高くなるということならその通りです。例えば A-H-Cis-Dis-Eis-Fisis-Gisis の全音6回重ねにおいて Gisis はA' より 23 セント高くなります。もしクラシック音楽でこのようなフレーズがあればオクターブ6等分(平均律)の全音で弾くべきだと思います。
[27455]
Re: ピタゴラス音律は何故美しいか?
投稿日時:2006年05月21日 07:53
投稿者:Hiro(ID:FpMjkAU)
>>Hiro さんが別稿で引用された Pythagorean Scale 「ド、レ、ミフラット、ミ、ソ、ラ、シフラット、シ、レ」は上記サイトを含めお目にかかったことがありません。中世の Pythagorean tuning 「ピュタゴラス音律」とは無関係と思います。
その通りです。[26956]
[26971]のコメントで「早とちりして間違えてPythagorean intonation ではなく Pythagorean Scale の方の説明をしてしまった」と申し上げました。
その通りです。[26956]
[26956]
Re: ピタゴラス音律は何故美しいか?
投稿日時:2006年05月01日 20:41
投稿者:Hiro(ID:FpMjkAU)
ああ!Pithagorean intonationのほうですね。
早とちりですみません。
四番目と五番目のあいだが平均率でないやつですよね、確か。
でもあれって、中世音楽向けだってだれかが言ってたような気が・・・
早とちりですみません。
四番目と五番目のあいだが平均率でないやつですよね、確か。
でもあれって、中世音楽向けだってだれかが言ってたような気が・・・
[27459]
Re: ピタゴラス音律は何故美しいか?
投稿日時:2006年05月21日 09:48
投稿者:匿名希望X(ID:N1mJZUg)
>>>[27449]
MHOさん書き込み
>>ピュタゴラス律を美しいと感じるのは、平均律を幼い頃から聞かされているということが遠因となっていると言えないでしょうか?
>>ちなみに私は平均律を美しいと思ったことは一度もありません。ピアノ伴奏曲では仕方なくそれに合わせますが。
:::::::::::::::
浪漫の無い回答になりますが(爆)、ピュタゴラス律でヴァイオリニストが弾き始めた19世紀初頭(らしい)には平均律など普及しておらず、鍵盤楽器はウェルテンペラメントだったでしょう。平均律は20世紀になってもヨーロッパでは完全に行き渡ってはいなかったのです。証拠もあります。
ピュタゴラス律というより、高めの導音、だと私は理解します。つまり高めの導音の刺激的な鋭さを要求する作品が増えたこと、演奏会場が大理石の大広間から市民階級向けのコンサートホールに変わったこと、という社会的な側面、響きの純粋性より旋律の煽情性、という時代の嗜好の変化である。と私は思います。
なお、和音で平均律やピュタゴラスが美しくないのは同感ですが、演奏会場では広い長3度の方が純正に聴こえるという側面は無視できません。学習段階では3度は「結合音」を聴いてきちんと取らないと駄目ですが、曲を演奏するときは鋭い3度のほうが会場では美しい。妥協策でバッハの無伴奏の3度や6度はなるべくアルペッジョする奏者もいます。
おなじ理由でプロの合唱団も3度はピアノに近い取り方をしていると承知します。
「平均律は美しくない」といっても、合唱人間はだいたいピアノで音取りしています。堕落かも知れないが大体それで会場では上手くいっているらしいですから、なんともいえません。
[27449]
Re: ピタゴラス音律は何故美しいか?
投稿日時:2006年05月21日 05:13
投稿者:MHO(ID:IRhTIHg)
スレ主さんの当初の疑問はピュタゴラスの「旋律」は何故美しいか?でしたが、途中で「和声も」美しいという話になりました。中世ではどちらも美しかったようです。現代で「和声も」美しいと感じられる方がおられたら、平均律の普及が遠因かも知れません。
まずは定義について誤解なきよう下記のサイトを参照下さい。
・各種音律の定義
http://en.wikipedia.org/wiki/Mathematics_of_musical_scales
・ピュタゴラス音律と中世ポリフォニー
http://www.medieval.org/emfaq/harmony/pyth.html
[26975] Hiroさん、の引用文
>'The expressive quality of the 2nds in particular has led to the judgement that this system of turning [Pythagorean intonation] is especially well suited to late medieval polyphony'
----------------------
これが気になっていたのですが、2nds は和音を指しているようです。現代人は長2度を不協和音に分類し、そのように感じますが、13-14世紀ポリフォニーでは幾分安らぎを与える和音と捉えられていたようです(協和と不協和のグレイ領域)。ピュタゴラス音律では9がマジックナンバーのようで5度の2回重ねの9度(2度)、又は9倍音が重要な役割を果たしています。9度の2段重ねが長3度を生むわけです。
Hiro さんが別稿で引用された Pythagorean Scale 「ド、レ、ミフラット、ミ、ソ、ラ、シフラット、シ、レ」は上記サイトを含めお目にかかったことがありません。中世の Pythagorean tuning 「ピュタゴラス音律」とは無関係と思います。
ゴシック時代に美しいとされたピュタゴラス音律はルネサンス以降ではその対極にある3度純正のミーントーン音律に取って代わられます。さらに Werckmeister 等の well-temperament を経て平均律へと変わってきました。いわば美の理念は数々の妥協とともに発散し、音楽もそれに合わせて多様化してきたと言えます。作曲がある音律を想定してなされたのであれば、それにふさわしい音律で演奏すべきだと思います。
本題のヴァイオリンの音律ですが、5度調弦が普遍的なものであればピュタゴラスが最も適切なのですが、同時に3度を純正に弾くという妥協も可能なわけです。下記サイトの「旋律はピュタゴラス律、重音は純正律」という妥協は意味があると思います。
http://violinmasterclass.com/intonation_qt.php?video=int_def2&sctn=Definition
しかし実際の演奏では、心地よい重音純正3度の響きを避け、生き生きとしたピュタゴラス3度を使って色づけといったことも行われるのでしょう。また、平均律で弾く方もおられます。平均律がこれだけ蔓延したのは、作曲上のユーティリティの良さに加え、和声的には2,4、5、7度が純正に近く、3、6度が鋭く、又旋律的には全音が等間隔で半音が比較的狭く導音に適するというピュタゴラス律の特徴を併せ持っているからでしょう。このことからピュタゴラス律を美しいと感じるのは、平均律を幼い頃から聞かされているということが遠因となっていると言えないでしょうか?浪漫の無い話で恐縮です。ちなみに私は平均律を美しいと思ったことは一度もありません。ピアノ伴奏曲では仕方なくそれに合わせますが。
[27266] 市井のアマチュアさん、
>理論に関しては、大昔に確定している筈ですから、末世の我々が新発見など出来ません。
------
鍵盤楽器の音律論に関しては新たな文献が発掘されるまでは多分そうでしょう(バッハの well-tempered は今も論争続いていますね)。しかし、Vnの音律がどのように変遷してきたか、どの時代にどの音律が好まれ適用されたかなどの実践に関しては証拠が少なく、むしろ判っていないことが多いのではないでしょうか?これは音律理論ではなく、演奏理論だと思います。
[27264] pochiさん、
>音程を理論でなく、私は、感性で理解しているからです。
-------------------
以前同じ指摘を受けて、感性で弾ける人は羨ましいと答えました。私は幼い頃は不真面目であまり練習しなかったので感性をヴァイオリンで表現できる技術がありません。今の師匠は音律論は一切仰らず指導されます。代々継承されてきた巨匠の教えを私なりに理論的に解釈してそれに近い感性と技術を少しでも早く身につけたいと思っています。
>ピタゴラス・カンマで全音を重ねていったら、5度は愚か、オクターブも成立しません。
---------------------
意味が良く分かりません。ピュタゴラス全音を6回重ねてもオクターブの関係にならず、ピュタゴラス・カンマだけ高くなるということならその通りです。例えば A-H-Cis-Dis-Eis-Fisis-Gisis の全音6回重ねにおいて Gisis はA' より 23 セント高くなります。もしクラシック音楽でこのようなフレーズがあればオクターブ6等分(平均律)の全音で弾くべきだと思います。
まずは定義について誤解なきよう下記のサイトを参照下さい。
・各種音律の定義
http://en.wikipedia.org/wiki/Mathematics_of_musical_scales
・ピュタゴラス音律と中世ポリフォニー
http://www.medieval.org/emfaq/harmony/pyth.html
[26975] Hiroさん、の引用文
>'The expressive quality of the 2nds in particular has led to the judgement that this system of turning [Pythagorean intonation] is especially well suited to late medieval polyphony'
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これが気になっていたのですが、2nds は和音を指しているようです。現代人は長2度を不協和音に分類し、そのように感じますが、13-14世紀ポリフォニーでは幾分安らぎを与える和音と捉えられていたようです(協和と不協和のグレイ領域)。ピュタゴラス音律では9がマジックナンバーのようで5度の2回重ねの9度(2度)、又は9倍音が重要な役割を果たしています。9度の2段重ねが長3度を生むわけです。
Hiro さんが別稿で引用された Pythagorean Scale 「ド、レ、ミフラット、ミ、ソ、ラ、シフラット、シ、レ」は上記サイトを含めお目にかかったことがありません。中世の Pythagorean tuning 「ピュタゴラス音律」とは無関係と思います。
ゴシック時代に美しいとされたピュタゴラス音律はルネサンス以降ではその対極にある3度純正のミーントーン音律に取って代わられます。さらに Werckmeister 等の well-temperament を経て平均律へと変わってきました。いわば美の理念は数々の妥協とともに発散し、音楽もそれに合わせて多様化してきたと言えます。作曲がある音律を想定してなされたのであれば、それにふさわしい音律で演奏すべきだと思います。
本題のヴァイオリンの音律ですが、5度調弦が普遍的なものであればピュタゴラスが最も適切なのですが、同時に3度を純正に弾くという妥協も可能なわけです。下記サイトの「旋律はピュタゴラス律、重音は純正律」という妥協は意味があると思います。
http://violinmasterclass.com/intonation_qt.php?video=int_def2&sctn=Definition
しかし実際の演奏では、心地よい重音純正3度の響きを避け、生き生きとしたピュタゴラス3度を使って色づけといったことも行われるのでしょう。また、平均律で弾く方もおられます。平均律がこれだけ蔓延したのは、作曲上のユーティリティの良さに加え、和声的には2,4、5、7度が純正に近く、3、6度が鋭く、又旋律的には全音が等間隔で半音が比較的狭く導音に適するというピュタゴラス律の特徴を併せ持っているからでしょう。このことからピュタゴラス律を美しいと感じるのは、平均律を幼い頃から聞かされているということが遠因となっていると言えないでしょうか?浪漫の無い話で恐縮です。ちなみに私は平均律を美しいと思ったことは一度もありません。ピアノ伴奏曲では仕方なくそれに合わせますが。
[27266] 市井のアマチュアさん、
>理論に関しては、大昔に確定している筈ですから、末世の我々が新発見など出来ません。
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鍵盤楽器の音律論に関しては新たな文献が発掘されるまでは多分そうでしょう(バッハの well-tempered は今も論争続いていますね)。しかし、Vnの音律がどのように変遷してきたか、どの時代にどの音律が好まれ適用されたかなどの実践に関しては証拠が少なく、むしろ判っていないことが多いのではないでしょうか?これは音律理論ではなく、演奏理論だと思います。
[27264] pochiさん、
>音程を理論でなく、私は、感性で理解しているからです。
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以前同じ指摘を受けて、感性で弾ける人は羨ましいと答えました。私は幼い頃は不真面目であまり練習しなかったので感性をヴァイオリンで表現できる技術がありません。今の師匠は音律論は一切仰らず指導されます。代々継承されてきた巨匠の教えを私なりに理論的に解釈してそれに近い感性と技術を少しでも早く身につけたいと思っています。
>ピタゴラス・カンマで全音を重ねていったら、5度は愚か、オクターブも成立しません。
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意味が良く分かりません。ピュタゴラス全音を6回重ねてもオクターブの関係にならず、ピュタゴラス・カンマだけ高くなるということならその通りです。例えば A-H-Cis-Dis-Eis-Fisis-Gisis の全音6回重ねにおいて Gisis はA' より 23 セント高くなります。もしクラシック音楽でこのようなフレーズがあればオクターブ6等分(平均律)の全音で弾くべきだと思います。
>>ピュタゴラス律を美しいと感じるのは、平均律を幼い頃から聞かされているということが遠因となっていると言えないでしょうか?
>>ちなみに私は平均律を美しいと思ったことは一度もありません。ピアノ伴奏曲では仕方なくそれに合わせますが。
:::::::::::::::
浪漫の無い回答になりますが(爆)、ピュタゴラス律でヴァイオリニストが弾き始めた19世紀初頭(らしい)には平均律など普及しておらず、鍵盤楽器はウェルテンペラメントだったでしょう。平均律は20世紀になってもヨーロッパでは完全に行き渡ってはいなかったのです。証拠もあります。
ピュタゴラス律というより、高めの導音、だと私は理解します。つまり高めの導音の刺激的な鋭さを要求する作品が増えたこと、演奏会場が大理石の大広間から市民階級向けのコンサートホールに変わったこと、という社会的な側面、響きの純粋性より旋律の煽情性、という時代の嗜好の変化である。と私は思います。
なお、和音で平均律やピュタゴラスが美しくないのは同感ですが、演奏会場では広い長3度の方が純正に聴こえるという側面は無視できません。学習段階では3度は「結合音」を聴いてきちんと取らないと駄目ですが、曲を演奏するときは鋭い3度のほうが会場では美しい。妥協策でバッハの無伴奏の3度や6度はなるべくアルペッジョする奏者もいます。
おなじ理由でプロの合唱団も3度はピアノに近い取り方をしていると承知します。
「平均律は美しくない」といっても、合唱人間はだいたいピアノで音取りしています。堕落かも知れないが大体それで会場では上手くいっているらしいですから、なんともいえません。
[27477]
Re: ピタゴラス音律は何故美しいか?
投稿日時:2006年05月22日 03:57
投稿者:MHO(ID:IRhTIHg)
[27459]
匿名希望Xさん、ありがとうございます。
少し誤解されているかもしれないので補足します。戦後日本では、ピアノ、電子楽器、電子音、シンセなどで平均律が蔓延し、幼い頃からこれらを聞かされた耳は平均律に慣らされています。もしある音律を美しく感じることが後天的なのであれば、ピュタゴラス律と平均律のシステムが良く似ていることから、両方とも美しく聞こえて不思議はないだろうと申し上げたわけです。逆に純正律の旋律は奇異に感じることでしょう。
>学習段階では3度は「結合音」を聴いてきちんと取らないと駄目ですが、曲を演奏するときは鋭い3度のほうが会場では美しい。
-----------------
それは欧米でも一般的にそのように教えるのでしょうか?私はまだ学習段階ですので師匠の教えの通り重音は「結合音」を聴いてきちんととらないと破門されます。
[27459]
Re: ピタゴラス音律は何故美しいか?
投稿日時:2006年05月21日 09:48
投稿者:匿名希望X(ID:N1mJZUg)
>>>[27449] MHOさん書き込み
>>ピュタゴラス律を美しいと感じるのは、平均律を幼い頃から聞かされているということが遠因となっていると言えないでしょうか?
>>ちなみに私は平均律を美しいと思ったことは一度もありません。ピアノ伴奏曲では仕方なくそれに合わせますが。
:::::::::::::::
浪漫の無い回答になりますが(爆)、ピュタゴラス律でヴァイオリニストが弾き始めた19世紀初頭(らしい)には平均律など普及しておらず、鍵盤楽器はウェルテンペラメントだったでしょう。平均律は20世紀になってもヨーロッパでは完全に行き渡ってはいなかったのです。証拠もあります。
ピュタゴラス律というより、高めの導音、だと私は理解します。つまり高めの導音の刺激的な鋭さを要求する作品が増えたこと、演奏会場が大理石の大広間から市民階級向けのコンサートホールに変わったこと、という社会的な側面、響きの純粋性より旋律の煽情性、という時代の嗜好の変化である。と私は思います。
なお、和音で平均律やピュタゴラスが美しくないのは同感ですが、演奏会場では広い長3度の方が純正に聴こえるという側面は無視できません。学習段階では3度は「結合音」を聴いてきちんと取らないと駄目ですが、曲を演奏するときは鋭い3度のほうが会場では美しい。妥協策でバッハの無伴奏の3度や6度はなるべくアルペッジョする奏者もいます。
おなじ理由でプロの合唱団も3度はピアノに近い取り方をしていると承知します。
「平均律は美しくない」といっても、合唱人間はだいたいピアノで音取りしています。堕落かも知れないが大体それで会場では上手くいっているらしいですから、なんともいえません。
>>ピュタゴラス律を美しいと感じるのは、平均律を幼い頃から聞かされているということが遠因となっていると言えないでしょうか?
>>ちなみに私は平均律を美しいと思ったことは一度もありません。ピアノ伴奏曲では仕方なくそれに合わせますが。
:::::::::::::::
浪漫の無い回答になりますが(爆)、ピュタゴラス律でヴァイオリニストが弾き始めた19世紀初頭(らしい)には平均律など普及しておらず、鍵盤楽器はウェルテンペラメントだったでしょう。平均律は20世紀になってもヨーロッパでは完全に行き渡ってはいなかったのです。証拠もあります。
ピュタゴラス律というより、高めの導音、だと私は理解します。つまり高めの導音の刺激的な鋭さを要求する作品が増えたこと、演奏会場が大理石の大広間から市民階級向けのコンサートホールに変わったこと、という社会的な側面、響きの純粋性より旋律の煽情性、という時代の嗜好の変化である。と私は思います。
なお、和音で平均律やピュタゴラスが美しくないのは同感ですが、演奏会場では広い長3度の方が純正に聴こえるという側面は無視できません。学習段階では3度は「結合音」を聴いてきちんと取らないと駄目ですが、曲を演奏するときは鋭い3度のほうが会場では美しい。妥協策でバッハの無伴奏の3度や6度はなるべくアルペッジョする奏者もいます。
おなじ理由でプロの合唱団も3度はピアノに近い取り方をしていると承知します。
「平均律は美しくない」といっても、合唱人間はだいたいピアノで音取りしています。堕落かも知れないが大体それで会場では上手くいっているらしいですから、なんともいえません。
少し誤解されているかもしれないので補足します。戦後日本では、ピアノ、電子楽器、電子音、シンセなどで平均律が蔓延し、幼い頃からこれらを聞かされた耳は平均律に慣らされています。もしある音律を美しく感じることが後天的なのであれば、ピュタゴラス律と平均律のシステムが良く似ていることから、両方とも美しく聞こえて不思議はないだろうと申し上げたわけです。逆に純正律の旋律は奇異に感じることでしょう。
>学習段階では3度は「結合音」を聴いてきちんと取らないと駄目ですが、曲を演奏するときは鋭い3度のほうが会場では美しい。
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それは欧米でも一般的にそのように教えるのでしょうか?私はまだ学習段階ですので師匠の教えの通り重音は「結合音」を聴いてきちんととらないと破門されます。
[27483]
Re: ピタゴラス音律は何故美しいか?
投稿日時:2006年05月22日 12:44
投稿者:セロ轢きのGosh(ID:EBU3FIA)
> もしある音律を美しく感じることが後天的なのであれば
後天的かどうか検証できるのでしょうか?
(実践の観点では噴飯ものの質問であることは重々承知してますが、これが一応、本スレッドの趣旨のつもりです)
後天的かどうか検証できるのでしょうか?
(実践の観点では噴飯ものの質問であることは重々承知してますが、これが一応、本スレッドの趣旨のつもりです)
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