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ヴィブラートのかけ方について その2
投稿日時:2007年02月16日 19:52
投稿者:catgut(ID:EAlId0M)
「ヴィブラートのかけ方について」のスレッドが長くなってきましたので、
新しいスレッドを作成しました。
今後はこちらでお願い致します。
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今後はこちらでお願い致します。
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Re: ヴィブラートのかけ方について その2
投稿日時:2007年03月01日 23:18
投稿者:アマチュアチェロ弾き(ID:MFdyYyU)
catgutさん
元々チェロの場合、ヴァイオリンと弾き方が違うのであまり下とか上とか意識しないのかもしれませんね。結果として、基準音の上下にかかっていますが。
>上記のBobさんのガラミアン批判は手厳しいですね。
>If Galamian's statement is nonsensical, it's nonsensical, no matter how famous he was.
私もBob氏と同じ考えです。例え自分の師であろうが、間違いは間違いですね。妄信と尊敬とは違うでしょうから。
そのサイトの別の場所でもヴィブラートに関する論争が行われています。
ttp://www.cello.org/heaven/mbarchs/aug10/pitchvib.txt
私がその著述から影響を受けたVictor Sazer氏は、「上端をピッチとして認識するので、下にかけるべき」と主張しています。尊敬する人でも、間違いは間違いです(^^;
それから、ストリング3月号がようやく入手できました。永峰さんの実験ですが、詳細が不明なので残念ながらコメント出来ません。
元々チェロの場合、ヴァイオリンと弾き方が違うのであまり下とか上とか意識しないのかもしれませんね。結果として、基準音の上下にかかっていますが。
>上記のBobさんのガラミアン批判は手厳しいですね。
>If Galamian's statement is nonsensical, it's nonsensical, no matter how famous he was.
私もBob氏と同じ考えです。例え自分の師であろうが、間違いは間違いですね。妄信と尊敬とは違うでしょうから。
そのサイトの別の場所でもヴィブラートに関する論争が行われています。
ttp://www.cello.org/heaven/mbarchs/aug10/pitchvib.txt
私がその著述から影響を受けたVictor Sazer氏は、「上端をピッチとして認識するので、下にかけるべき」と主張しています。尊敬する人でも、間違いは間違いです(^^;
それから、ストリング3月号がようやく入手できました。永峰さんの実験ですが、詳細が不明なので残念ながらコメント出来ません。
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Re: ヴィブラートのかけ方について その2
投稿日時:2007年03月01日 23:23
投稿者:アマチュアチェロ弾き(ID:MFdyYyU)
皆様
私の仮のサイトに、2名のタイスの瞑想曲を加えました。いずれもとても有名な方です。
少々波形が汚いですが、これはオケの伴奏が大きめであること、及びホールでの反響音が大きいことが理由と考えられます。しかし、同じwavファイルを、TartiniやG-tune、音声認識ソフトなどで確かめましたが、全くピッチの認識が出来ていませんでした。なので、まあいいかということで、アップしてみました。ヴィブラートをどういう風にかけ始めるのか等、有用な情報が得られると思います。私は特にコメントはしません。皆様方で読み取ってくださいね。また、純正律、ピタゴラス律の基準線も加えましたので、それも参考になるかもしれません。正式サイトでは、10名程度のタイスの瞑想曲を予定しています。チェロのデータも加えるつもりです。
ttp://music.geocities.jp/amateur_cellist/test.htm
私の仮のサイトに、2名のタイスの瞑想曲を加えました。いずれもとても有名な方です。
少々波形が汚いですが、これはオケの伴奏が大きめであること、及びホールでの反響音が大きいことが理由と考えられます。しかし、同じwavファイルを、TartiniやG-tune、音声認識ソフトなどで確かめましたが、全くピッチの認識が出来ていませんでした。なので、まあいいかということで、アップしてみました。ヴィブラートをどういう風にかけ始めるのか等、有用な情報が得られると思います。私は特にコメントはしません。皆様方で読み取ってくださいね。また、純正律、ピタゴラス律の基準線も加えましたので、それも参考になるかもしれません。正式サイトでは、10名程度のタイスの瞑想曲を予定しています。チェロのデータも加えるつもりです。
ttp://music.geocities.jp/amateur_cellist/test.htm
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Re: ヴィブラートのかけ方について その2
投稿日時:2007年03月02日 03:38
投稿者:catgut(ID:OAJ1WQI)
アマチュアチェロ弾きさま、
力作ですね。当然ピタゴラスで調弦されていると推定していいですよね。
なお、1950年代に出版されたヴィブラート研究書がことごとく「ヴィブラートは上下にかける」としていることから「ヴィブラートを下にかける」という説はHAUCKの言う通りガラミアンの「独創」と考えてほぼ間違いありません。
ではなぜガラミアンは「ヴィブラートを下にかける」という当時としては突拍子もない主張をしたかという点が問題となります。
(1)単なる間違い
「高い周波数が聞えやすい」という話をヴィブラートにも適用されると間違って思い込み、その論理的帰結として「基準音の下にかける」「下に向けてかける」と考えた。
→そうであれば無視してよい。
(2)教育上の便宜
なんらかの局面で「少しフラット気味に」「下に向けて」かけるのが有効であると考えていた。
→この場合、ガラミアンの著作からは適用条件が不明。
私は(1)だと思いますが、(2)であると考える人はいろいろな理由付けをしているようです。(2)について具体的な理由があるのであればぜひご教示ください。
今まで出たコメントでは以下のようなものがあったと思います。
・ノックするイメージでかけるほうがかけやすい
(個人差があるのでは?)
・人間の筋肉にとって合理的
(有り得ないと思います)
・ヴィブラートは高めにかかると耳障りなので初心者は下にかけるつもりでかけるとちょうどよくなる。
力作ですね。当然ピタゴラスで調弦されていると推定していいですよね。
なお、1950年代に出版されたヴィブラート研究書がことごとく「ヴィブラートは上下にかける」としていることから「ヴィブラートを下にかける」という説はHAUCKの言う通りガラミアンの「独創」と考えてほぼ間違いありません。
ではなぜガラミアンは「ヴィブラートを下にかける」という当時としては突拍子もない主張をしたかという点が問題となります。
(1)単なる間違い
「高い周波数が聞えやすい」という話をヴィブラートにも適用されると間違って思い込み、その論理的帰結として「基準音の下にかける」「下に向けてかける」と考えた。
→そうであれば無視してよい。
(2)教育上の便宜
なんらかの局面で「少しフラット気味に」「下に向けて」かけるのが有効であると考えていた。
→この場合、ガラミアンの著作からは適用条件が不明。
私は(1)だと思いますが、(2)であると考える人はいろいろな理由付けをしているようです。(2)について具体的な理由があるのであればぜひご教示ください。
今まで出たコメントでは以下のようなものがあったと思います。
・ノックするイメージでかけるほうがかけやすい
(個人差があるのでは?)
・人間の筋肉にとって合理的
(有り得ないと思います)
・ヴィブラートは高めにかかると耳障りなので初心者は下にかけるつもりでかけるとちょうどよくなる。
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Re: ヴィブラートのかけ方について その2
投稿日時:2007年03月02日 22:48
投稿者:catgut(ID:OAJ1WQI)
スレッドが長くなってきたので一度まとめておきます。
新しく以下のことが分りました。
・「ヴィブラートを基準音の下にかける」という考え方はガラミアン個人の発案である。
1950年代(Bela Szigeti,Roger Leviste,Gilbert Waller,Lewis Stoelzing)の4種類のヴィブラート研究書で「ヴィブラートは基準音の上下にかける」としており、また1971年に出版されたWerner Hauckの"Vibrato on the Violin"では1962年に出版されたガラミアンの本(ヴィブラートを基準音の下にかけるという記述がある)を名指しで「他に例がない考え方」として批判している。
・音大生には「ヴィブラートを基準音の下にかける」と考えている人は意外と少ない。
ストリング誌2007/3号で永峰高志氏が「東京芸術大学と洗足音楽大学の生徒にレッスンやオケの授業でアンケートを取ると上下にかけると答えた生徒が殆んど」と書かれている。
→インターネットや新しい指導書では若手が書き手であるためガラミアンの支持者が多いようだが、中堅以上の指導者は必ずしもそうではないのではないかと思われる。
新しく以下のことが分りました。
・「ヴィブラートを基準音の下にかける」という考え方はガラミアン個人の発案である。
1950年代(Bela Szigeti,Roger Leviste,Gilbert Waller,Lewis Stoelzing)の4種類のヴィブラート研究書で「ヴィブラートは基準音の上下にかける」としており、また1971年に出版されたWerner Hauckの"Vibrato on the Violin"では1962年に出版されたガラミアンの本(ヴィブラートを基準音の下にかけるという記述がある)を名指しで「他に例がない考え方」として批判している。
・音大生には「ヴィブラートを基準音の下にかける」と考えている人は意外と少ない。
ストリング誌2007/3号で永峰高志氏が「東京芸術大学と洗足音楽大学の生徒にレッスンやオケの授業でアンケートを取ると上下にかけると答えた生徒が殆んど」と書かれている。
→インターネットや新しい指導書では若手が書き手であるためガラミアンの支持者が多いようだが、中堅以上の指導者は必ずしもそうではないのではないかと思われる。
[31795]
Re: ヴィブラートのかけ方について その2
投稿日時:2007年03月03日 01:04
投稿者:wtnabe(ID:GId0QEc)
伝わっていないようなので、簡潔に書きます。
1.ビブラートのかけ方は、よい演奏をするためにどうあるべきかの観点から議論するもので、データを基礎に議論するものではありません。なぜなら、よい演奏のためにビブラートがあるという言い方はできますが、データのためにビブラートがあるとは言えないからです。
2.歴史は過去にあった事実を示しますが、それがそのまま現在で有効であるとはいえません。環境が変わり時代の理性・感性が変わっても、その風雪に耐えたものだけが残ります。進歩について行けないものは生き残れません。
過去に事実を述べることはただそれだけのことで、何の証明にもなりません。理論のより処としたいならば、現代でも通用する事実であるか十分に吟味することが不可欠です。
3.データはある目的を分析するためにあるものです。その目的とデータを組み合わせて初めて意味を持つのであって、データ単独では意味を持たずただの数字の羅列にすぎません。当然データはその前提を超えることは出来ません。
もともと音の構成のためのデータを、指導論の評価に使うことは出来ませんし、そこから意味のある結論は導き出せません。
という考え方をもとにして、個別に検討すると、
ストリング誌ので永峰さんの実験はあの内容で十分です。それは、演奏の問題として耳にどう聞こえるかが判断基準であって、tartini等で確認することは全く意味がないからです。万が一、演奏会の聴衆が全てチューナーを抱え、針の動きを観察しながら音楽を鑑賞する事態になれば、tartiniで観察することも意味が出てくるでしょうが、そのような現実が起こる可能性はないでしょう。
それでも実証性にこだわるなら、catgutさんも自分の論拠に実証性を持たせるべきです。自分に反対の意見に実証性を要求したり・その意見を無視しながら、自分の意見を補完するものは、無反省に、そのコンテキストを無視した引用を行い実証なしに採用するという態度では、議論どころかその合理性のなさでつまずいてしまいます。これでは、参照どころか、考慮の対象にすらなりません。catgutさんが、実証されていると名言されている資料はひとつですから、それ以外は、フレッシュの書物を含めて全て表紙を閉じたまま議論するべきです。
もし、それでも議論の対象にしたいのであれば、最低限次の論証が必要です。
1.指導方法と波形に因果関係がある。
ビブラートを下にかけると指導された人は基準音を最上点としてビブラートをかけ、中心でかけるように指導された人は基準音を中心にかけ、上にかけると指導された人は基準音を最下点としてビブラートをかけていることを、データとして実証する。
2.音楽的によいビブラートと悪いビブラートを判別する。
上記ビブラート3種類とそのバリエーション(音程が上に向かうものや、下に向かうものがあるでしょうから。。)がそれぞれ、音楽的によいか悪いかを判定する。
これをもって初めて議論の対象になるのであって、今の状態ではただ単にcatgutさんのたわ言にすぎません。
このままでは、[31787]
[31787]
Re: ヴィブラートのかけ方について その2
投稿日時:2007年03月02日 03:38
投稿者:catgut(ID:OAJ1WQI)
アマチュアチェロ弾きさま、
力作ですね。当然ピタゴラスで調弦されていると推定していいですよね。
なお、1950年代に出版されたヴィブラート研究書がことごとく「ヴィブラートは上下にかける」としていることから「ヴィブラートを下にかける」という説はHAUCKの言う通りガラミアンの「独創」と考えてほぼ間違いありません。
ではなぜガラミアンは「ヴィブラートを下にかける」という当時としては突拍子もない主張をしたかという点が問題となります。
(1)単なる間違い
「高い周波数が聞えやすい」という話をヴィブラートにも適用されると間違って思い込み、その論理的帰結として「基準音の下にかける」「下に向けてかける」と考えた。
→そうであれば無視してよい。
(2)教育上の便宜
なんらかの局面で「少しフラット気味に」「下に向けて」かけるのが有効であると考えていた。
→この場合、ガラミアンの著作からは適用条件が不明。
私は(1)だと思いますが、(2)であると考える人はいろいろな理由付けをしているようです。(2)について具体的な理由があるのであればぜひご教示ください。
今まで出たコメントでは以下のようなものがあったと思います。
・ノックするイメージでかけるほうがかけやすい
(個人差があるのでは?)
・人間の筋肉にとって合理的
(有り得ないと思います)
・ヴィブラートは高めにかかると耳障りなので初心者は下にかけるつもりでかけるとちょうどよくなる。
力作ですね。当然ピタゴラスで調弦されていると推定していいですよね。
なお、1950年代に出版されたヴィブラート研究書がことごとく「ヴィブラートは上下にかける」としていることから「ヴィブラートを下にかける」という説はHAUCKの言う通りガラミアンの「独創」と考えてほぼ間違いありません。
ではなぜガラミアンは「ヴィブラートを下にかける」という当時としては突拍子もない主張をしたかという点が問題となります。
(1)単なる間違い
「高い周波数が聞えやすい」という話をヴィブラートにも適用されると間違って思い込み、その論理的帰結として「基準音の下にかける」「下に向けてかける」と考えた。
→そうであれば無視してよい。
(2)教育上の便宜
なんらかの局面で「少しフラット気味に」「下に向けて」かけるのが有効であると考えていた。
→この場合、ガラミアンの著作からは適用条件が不明。
私は(1)だと思いますが、(2)であると考える人はいろいろな理由付けをしているようです。(2)について具体的な理由があるのであればぜひご教示ください。
今まで出たコメントでは以下のようなものがあったと思います。
・ノックするイメージでかけるほうがかけやすい
(個人差があるのでは?)
・人間の筋肉にとって合理的
(有り得ないと思います)
・ヴィブラートは高めにかかると耳障りなので初心者は下にかけるつもりでかけるとちょうどよくなる。
”そもそもこの設定自体が誤りである”という選択肢を追加するべきでしょう。
ここから先は感想です。
catgutさんもアマチュアチェロ弾きも、自分で演奏なさるでしょうし、演奏会やCDを通じて多くの演奏に接しているでしょう。そのなかで、演奏者や曲相・その場の雰囲気で、響きが違う・鳴りが違うと感じることがないでしょうか?
(もし全て同じと感じているならこの後の文章は無意味ですので、読まなくて結構です。)
それらの曲を波形に変換してみて同じ波形だとしたら、波形処理のソフトが未熟なために違いを認識できない考えないのですか?
そうではなくで、同じ波形なのだから波形が正しく、自分の耳が良くないと考えてしまうのですか?
もし、そうなら、自分の耳を信じられない事はとても悲しいことですね。
[31796]
Re: ヴィブラートのかけ方について その2
投稿日時:2007年03月03日 02:58
投稿者:catgut(ID:OAJ1WQI)
wtnabeさま、
>ストリング誌ので永峰さんの実験はあの内容で十分です。
とおっしゃられていることから、wtanabeさまは全くこの問題について
理解されていないと思います。
せめてこの点を理解して頂かないと議論がまったく成立しません。
繰り返しになりますが、「ヴィブラートを下にかける」と信じている人(永峰さまも当然含まれます)も実際の演奏では上下にかけている場合が大半なのです。つまり約30セントもの音程をずれて認識しているわけです。
・永峰さまがヴィブラートをかけた際に、本人に聞えている音程と学生に聞 えている音程が一致しているのか
・永峰さまが「波のてっぺんの音程」に聞えた学生の弾いた音が、本当に「波のてっぺんの音程なのか」
が客観的に検証できなければ実験として意味がないのです。
例えば、永峰さまが主観的に考えているより、上にヴィブラートをかけてしまっている場合、学生は永峰さまが考えているより高い音程を認識してその音程を弾く可能性があります。すると永峰さまは学生が「波のてっぺんの音程が聞える」と誤解していまう可能性があるわけです。これらの疑いを払拭するためには、客観的な方法で音程を計測する必要があるわけです。
>ストリング誌ので永峰さんの実験はあの内容で十分です。
とおっしゃられていることから、wtanabeさまは全くこの問題について
理解されていないと思います。
せめてこの点を理解して頂かないと議論がまったく成立しません。
繰り返しになりますが、「ヴィブラートを下にかける」と信じている人(永峰さまも当然含まれます)も実際の演奏では上下にかけている場合が大半なのです。つまり約30セントもの音程をずれて認識しているわけです。
・永峰さまがヴィブラートをかけた際に、本人に聞えている音程と学生に聞 えている音程が一致しているのか
・永峰さまが「波のてっぺんの音程」に聞えた学生の弾いた音が、本当に「波のてっぺんの音程なのか」
が客観的に検証できなければ実験として意味がないのです。
例えば、永峰さまが主観的に考えているより、上にヴィブラートをかけてしまっている場合、学生は永峰さまが考えているより高い音程を認識してその音程を弾く可能性があります。すると永峰さまは学生が「波のてっぺんの音程が聞える」と誤解していまう可能性があるわけです。これらの疑いを払拭するためには、客観的な方法で音程を計測する必要があるわけです。
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Re: ヴィブラートのかけ方について その2
投稿日時:2007年03月03日 12:11
投稿者:catgut(ID:OAJ1WQI)
興味深い論文がありました。tartiniのヴィブラート分析機能の機能強化についての論文です。オリジナルの作者とは違う人が作成しています。
tartiniの紹介も含まれています。現時点ではモジュールはまだ配布されていないようです。
ttp://www.vf.utwente.nl/~ebbers/TartiniVibrato.pdf
tartiniを使って「ヴィブラートで認識される音程」について調べられることに
ついても言及されています。
Another topic about vibrato is the perception of the average pitch of notes that are being played with vibrato. When a note is played with vibrato, a certain pitch is perceived by the listener, not a rapid rising and lowering of pitches. Some musicians say that the perceived,
constant pitch is exactly in the middle of the vibrato, others say that the pitch is slightly higher than the middle of the vibrato. Tartini could help to shed some light on this matter.
tartiniの紹介も含まれています。現時点ではモジュールはまだ配布されていないようです。
ttp://www.vf.utwente.nl/~ebbers/TartiniVibrato.pdf
tartiniを使って「ヴィブラートで認識される音程」について調べられることに
ついても言及されています。
Another topic about vibrato is the perception of the average pitch of notes that are being played with vibrato. When a note is played with vibrato, a certain pitch is perceived by the listener, not a rapid rising and lowering of pitches. Some musicians say that the perceived,
constant pitch is exactly in the middle of the vibrato, others say that the pitch is slightly higher than the middle of the vibrato. Tartini could help to shed some light on this matter.
[31803]
Re: ヴィブラートのかけ方について その2
投稿日時:2007年03月03日 14:36
投稿者:アマチュアチェロ弾き(ID:MFdyYyU)
wtnabeさん 初めまして。
かなりの誤解が生じているようです。といっても、私の過去の投稿からすればそのような誤解が生じても仕方の無いことかもしれません。反省の意味を込めて、誤解が少しでも解消されるよう書いてみたいと思います。
>1.ビブラートのかけ方は、よい演奏をするためにどうあるべきかの観点から議論するもので、データを基礎に議論するものではありません。
私のやろうとしているのは、『よい演奏をするためにどうあるべきか』を、『データを媒介として』行おうとしているに過ぎません。決してデータ優先主義なのではなく、その向こうにある『一流ソリストの良い演奏』を見つめようとしているのです。そのために、良い演奏を行っておられる一流のソリストの皆さんのデータを集め、自分のデータとどこがどのように違うのかを調べ、その結果どのような練習をすればよいのかを考え、そしてそれを実践する、という手法をとっているのです。
>ストリング誌ので永峰さんの実験はあの内容で十分です。それは、演奏の問題として耳にどう聞こえるかが判断基準であって、tartini等で確認することは全く意味がないからです。
『耳にどう聞こえるかが判断基準であって』というのは勿論その通りです。そして、「永峰さんが波のてっぺんを音程として『感じた』」というのも事実でしょう。しかし、それは一般的ではありません。他の先生が同様の実験を行って異なる結果が得られる可能性も十分考えられますね。さてそのような場合、我々はいったい何を信じればよいのでしょうか?そのためにTartini等の解析ソフトの力を借りるわけです。より多くの人が納得でき、かつ再現性のある実験を行うのです。但し、これは「データを鵜呑みにする」という意味ではありません。データの持つ背景や意味などを十分に理解できる人が判断すべきことは言うまでもありません。データが一人歩きしてはいけませんよね。
>1.指導方法と波形に因果関係がある。
これに関しては、私は全くわかりません。検証するのはかなり困難かもしれませんね。
>2.音楽的によいビブラートと悪いビブラートを判別する。
これはどうなんでしょう? ビブラートの良し悪しについてはかなり主観が入りますので。
因みに私の好みのビブラートについては、波形によりかなり判別できますよ。
>演奏者や曲相・その場の雰囲気で、響きが違う・鳴りが違うと感じることがないでしょうか?
うーん、これは私にとってかなりショッキングな問いかけです。そもそも、クラシック音楽を聴かれる方で、感情の持たないロボットのような聴き方をする人がいるのでしょうか?因みに私は演奏会に行くとすぐに泣いてしまうほどの感情過多な人間です(^^;
>それらの曲を波形に変換してみて同じ波形だとしたら、波形処理のソフトが未熟なために違いを認識できない考えないのですか?
波形というのは、演奏を語る上でのほんの一側面でしかありません。言うまでも無いことです。しかし、例えば「ヴィブラートが基準音に対して、どのようにかかっているのか」を議論する場合、その一側面だけでも十分語れますね。
>そうではなくで、同じ波形なのだから波形が正しく、自分の耳が良くないと考えてしまうのですか?
人間の耳(あるいは知覚)というのは、非常に精巧な部分と、いい加減(別の表現をすれば「柔軟」)な部分があります。人間の耳と機械による測定を単純に比較することは出来ないでしょう。双方、得意な部分が異なるのです。
<ちょっと感想>
新しい技術が出てくると、どうしてもそれに対する抵抗があるのは致し方が無いことだと思います。私もwtnabeさんや他の方々の「抵抗」が理解できないわけではありません。特にこういった伝統を重んじるクラシック音楽においてはなおさらでしょうね。しかし私は音楽する「心」を機械で測定しようとしているのではなく、単に音楽をするための素材である「音」について、より良いものを得るために調査しているに過ぎません。
言うまでも無いことですが、音楽をするのは機械ではなく人間です。議論の余地は無いでしょう。
wtnabeさん、いろいろ書いてくださいましてありがとうございます。自分と考え方が異なる人のご意見は大変勉強になります。
今後ともよろしくお願いいたします。
かなりの誤解が生じているようです。といっても、私の過去の投稿からすればそのような誤解が生じても仕方の無いことかもしれません。反省の意味を込めて、誤解が少しでも解消されるよう書いてみたいと思います。
>1.ビブラートのかけ方は、よい演奏をするためにどうあるべきかの観点から議論するもので、データを基礎に議論するものではありません。
私のやろうとしているのは、『よい演奏をするためにどうあるべきか』を、『データを媒介として』行おうとしているに過ぎません。決してデータ優先主義なのではなく、その向こうにある『一流ソリストの良い演奏』を見つめようとしているのです。そのために、良い演奏を行っておられる一流のソリストの皆さんのデータを集め、自分のデータとどこがどのように違うのかを調べ、その結果どのような練習をすればよいのかを考え、そしてそれを実践する、という手法をとっているのです。
>ストリング誌ので永峰さんの実験はあの内容で十分です。それは、演奏の問題として耳にどう聞こえるかが判断基準であって、tartini等で確認することは全く意味がないからです。
『耳にどう聞こえるかが判断基準であって』というのは勿論その通りです。そして、「永峰さんが波のてっぺんを音程として『感じた』」というのも事実でしょう。しかし、それは一般的ではありません。他の先生が同様の実験を行って異なる結果が得られる可能性も十分考えられますね。さてそのような場合、我々はいったい何を信じればよいのでしょうか?そのためにTartini等の解析ソフトの力を借りるわけです。より多くの人が納得でき、かつ再現性のある実験を行うのです。但し、これは「データを鵜呑みにする」という意味ではありません。データの持つ背景や意味などを十分に理解できる人が判断すべきことは言うまでもありません。データが一人歩きしてはいけませんよね。
>1.指導方法と波形に因果関係がある。
これに関しては、私は全くわかりません。検証するのはかなり困難かもしれませんね。
>2.音楽的によいビブラートと悪いビブラートを判別する。
これはどうなんでしょう? ビブラートの良し悪しについてはかなり主観が入りますので。
因みに私の好みのビブラートについては、波形によりかなり判別できますよ。
>演奏者や曲相・その場の雰囲気で、響きが違う・鳴りが違うと感じることがないでしょうか?
うーん、これは私にとってかなりショッキングな問いかけです。そもそも、クラシック音楽を聴かれる方で、感情の持たないロボットのような聴き方をする人がいるのでしょうか?因みに私は演奏会に行くとすぐに泣いてしまうほどの感情過多な人間です(^^;
>それらの曲を波形に変換してみて同じ波形だとしたら、波形処理のソフトが未熟なために違いを認識できない考えないのですか?
波形というのは、演奏を語る上でのほんの一側面でしかありません。言うまでも無いことです。しかし、例えば「ヴィブラートが基準音に対して、どのようにかかっているのか」を議論する場合、その一側面だけでも十分語れますね。
>そうではなくで、同じ波形なのだから波形が正しく、自分の耳が良くないと考えてしまうのですか?
人間の耳(あるいは知覚)というのは、非常に精巧な部分と、いい加減(別の表現をすれば「柔軟」)な部分があります。人間の耳と機械による測定を単純に比較することは出来ないでしょう。双方、得意な部分が異なるのです。
<ちょっと感想>
新しい技術が出てくると、どうしてもそれに対する抵抗があるのは致し方が無いことだと思います。私もwtnabeさんや他の方々の「抵抗」が理解できないわけではありません。特にこういった伝統を重んじるクラシック音楽においてはなおさらでしょうね。しかし私は音楽する「心」を機械で測定しようとしているのではなく、単に音楽をするための素材である「音」について、より良いものを得るために調査しているに過ぎません。
言うまでも無いことですが、音楽をするのは機械ではなく人間です。議論の余地は無いでしょう。
wtnabeさん、いろいろ書いてくださいましてありがとうございます。自分と考え方が異なる人のご意見は大変勉強になります。
今後ともよろしくお願いいたします。
[31804]
Re: ヴィブラートのかけ方について その2
投稿日時:2007年03月03日 14:43
投稿者:アマチュアチェロ弾き(ID:MFdyYyU)
catgutさん
面白そうな論文ですね。読ませていただきます。ありがとうございました。
面白そうな論文ですね。読ませていただきます。ありがとうございました。
[31809]
Re: ヴィブラートのかけ方について その2
投稿日時:2007年03月03日 17:10
投稿者:catgut(ID:OAJ1WQI)
「ヴィブラートを下にかける」ことによるメリットはいまだに説得力がある説明を聞くことができませんが「ヴィブラートを下にかける」デメリットは以下が考えられます。
・本当に基準音から下にヴィブラートをかけると音程がおかしく聞える
これはjackさまが作成されたmp3ファイルを聞けば明らかです。
・ヴィブラートを下にかけるという不必要な訓練に時間を費やす
・ヴィブラートを下にかけるという意識のために表現の自由度を
制限する可能性がある
例えば大きなヴィブラートをかけにくくなります。
・ヴィブラートを下にかけるという意識のために運指の自由度を
制限する可能性がある
シフト後など上にかけはじめれば楽なケースでも下にかけなけれ
ばならないということになります。
すでに示した通り、「ヴィブラートを下にかける」という考え方はガラミアン以前になく、ガラミアン以降の同様の説はガラミアンを引用したものばかりです。私にはガラミアンの説がヴァイオリン500年の歴史を覆す大発見だとはとても思えません。
・本当に基準音から下にヴィブラートをかけると音程がおかしく聞える
これはjackさまが作成されたmp3ファイルを聞けば明らかです。
・ヴィブラートを下にかけるという不必要な訓練に時間を費やす
・ヴィブラートを下にかけるという意識のために表現の自由度を
制限する可能性がある
例えば大きなヴィブラートをかけにくくなります。
・ヴィブラートを下にかけるという意識のために運指の自由度を
制限する可能性がある
シフト後など上にかけはじめれば楽なケースでも下にかけなけれ
ばならないということになります。
すでに示した通り、「ヴィブラートを下にかける」という考え方はガラミアン以前になく、ガラミアン以降の同様の説はガラミアンを引用したものばかりです。私にはガラミアンの説がヴァイオリン500年の歴史を覆す大発見だとはとても思えません。
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