[32260]
catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年03月25日 18:03
投稿者:pochi(ID:SBdYcmA)
ヱブ頁上フィールドワーク
ガラミアン受け売り諸頁。
ttp://tcslab.csce.kyushu-u.ac.jp/old-users/t_ito/violin/Vntec/tec11.html
ttp://homepage2.nifty.com/m-nyan/music/violin/016.html
オーボエですが上に掛ける事を推奨している人もいます。
ttp://www.josef-oboe.com/japanese/article/r_s_memo.html
ガラミアン受け売り諸頁。
ttp://tcslab.csce.kyushu-u.ac.jp/old-users/t_ito/violin/Vntec/tec11.html
ttp://homepage2.nifty.com/m-nyan/music/violin/016.html
オーボエですが上に掛ける事を推奨している人もいます。
ttp://www.josef-oboe.com/japanese/article/r_s_memo.html
ヴァイオリン掲示板に戻る
4 / 7 ページ [ 63コメント ]
【ご参考】
[32745]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月06日 20:59
投稿者:父娘でVn始めました(ID:KTlTkzU)
う~~~~ん???次の二つのご意見の関係がわかりません。私の頭が悪いのでしょうか?
[32697]
catgutさま
引用開始
父娘でVn始めましたさま、
本スレッドの最初に私は以下のように書いています。
「弦楽器のヴィブラートは基本的には基準音の上下におよそ均等にかかる」
これが
「ヴィヴラートの振幅のちょうど中心を音程として認識する」
とは全く違うニュアンスであることはご理解頂けると思います。
引用終了
[32742]
catgutさま
引用開始
名無しさま、
再び大変誠実なコメントを頂き感謝致します。
私の立場は大変シンプルです。
「ガラミアン(系)の指導ではヴィブラートは必ず基準音の下に、必ず下に向けてかけ始めなけらばならないとされることがほとんどだが、奏者の好みや音感に従って自由に(基準音に対してどこにでも、上に向けても)かけて構わない」
というものです。
ガラミアンが「ヴィブラート範囲の音程の上限を認識する」と主張しているので、それが誤りであることを示すために、通常はヴィブラート範囲のおよそ中間を認識するというデータを示しているだけで、最終的には奏者の音感で美しく聞えるようにかければいいわけです。
引用終了
結局、ガラミアンの言うようなビブラートも、ありなのですか、なしなのですか?ガラミアンのように認識されるようなビブラートの技法(永峰氏の所謂コツ)って言うものがありうるのですか、あり得ないのですか?そこが疑問です。これまでのcatgutさまの御説では、あり得ない(音程中心認識説)、というご見解であったと理解しておりましたが。誤解でしょうか?御説によれば、ビブラートの頂点(あるいはその付近)が音程として認識されるようなビブラートはあり得るのですか、あり得ないのですか、お答えを頂きたいのです。
お前もガラミアンの一派か、というお答えは、ご勘弁を。
[32697]
[32697]
Re: ヴィブラートのかけ方について その4
投稿日時:2007年04月06日 02:43
投稿者:catgut(ID:ORchcIg)
父娘でVn始めましたさま、
本スレッドの最初に私は以下のように書いています。
「弦楽器のヴィブラートは基本的には基準音の上下におよそ均等にかかる」
これが
「ヴィヴラートの振幅のちょうど中心を音程として認識する」
とは全く違うニュアンスであることはご理解頂けると思います。
本スレッドの最初に私は以下のように書いています。
「弦楽器のヴィブラートは基本的には基準音の上下におよそ均等にかかる」
これが
「ヴィヴラートの振幅のちょうど中心を音程として認識する」
とは全く違うニュアンスであることはご理解頂けると思います。
引用開始
父娘でVn始めましたさま、
本スレッドの最初に私は以下のように書いています。
「弦楽器のヴィブラートは基本的には基準音の上下におよそ均等にかかる」
これが
「ヴィヴラートの振幅のちょうど中心を音程として認識する」
とは全く違うニュアンスであることはご理解頂けると思います。
引用終了
[32742]
[32742]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月06日 16:52
投稿者:catgut(ID:ORchcIg)
名無しさま、
再び大変誠実なコメントを頂き感謝致します。
私の立場は大変シンプルです。
「ガラミアン(系)の指導ではヴィブラートは必ず基準音の下に、必ず下に向けてかけ始めなけらばならないとされることがほとんどだが、奏者の好みや音感に従って自由に(基準音に対してどこにでも、上に向けても)かけて構わない」
というものです。
ガラミアンが「ヴィブラート範囲の音程の上限を認識する」と主張しているので、それが誤りであることを示すために、通常はヴィブラート範囲のおよそ中間を認識するというデータを示しているだけで、最終的には奏者の音感で美しく聞えるようにかければいいわけです。
また「必ず下に向けてかけ始めなければならない」という主張が誤りであることを示すためにガラミアン(系)以外の指導では「上に向けてかけ始める」と指導していることを示しているわけです。実際の演奏では下に向けてかけ始めるのが楽な人はそれで構いませんし、通常上に向けてかけ始める人でも、演奏上の都合によっては一時的に下に向けてかけても構わない(当然逆も)わけです。
再び大変誠実なコメントを頂き感謝致します。
私の立場は大変シンプルです。
「ガラミアン(系)の指導ではヴィブラートは必ず基準音の下に、必ず下に向けてかけ始めなけらばならないとされることがほとんどだが、奏者の好みや音感に従って自由に(基準音に対してどこにでも、上に向けても)かけて構わない」
というものです。
ガラミアンが「ヴィブラート範囲の音程の上限を認識する」と主張しているので、それが誤りであることを示すために、通常はヴィブラート範囲のおよそ中間を認識するというデータを示しているだけで、最終的には奏者の音感で美しく聞えるようにかければいいわけです。
また「必ず下に向けてかけ始めなければならない」という主張が誤りであることを示すためにガラミアン(系)以外の指導では「上に向けてかけ始める」と指導していることを示しているわけです。実際の演奏では下に向けてかけ始めるのが楽な人はそれで構いませんし、通常上に向けてかけ始める人でも、演奏上の都合によっては一時的に下に向けてかけても構わない(当然逆も)わけです。
引用開始
名無しさま、
再び大変誠実なコメントを頂き感謝致します。
私の立場は大変シンプルです。
「ガラミアン(系)の指導ではヴィブラートは必ず基準音の下に、必ず下に向けてかけ始めなけらばならないとされることがほとんどだが、奏者の好みや音感に従って自由に(基準音に対してどこにでも、上に向けても)かけて構わない」
というものです。
ガラミアンが「ヴィブラート範囲の音程の上限を認識する」と主張しているので、それが誤りであることを示すために、通常はヴィブラート範囲のおよそ中間を認識するというデータを示しているだけで、最終的には奏者の音感で美しく聞えるようにかければいいわけです。
引用終了
結局、ガラミアンの言うようなビブラートも、ありなのですか、なしなのですか?ガラミアンのように認識されるようなビブラートの技法(永峰氏の所謂コツ)って言うものがありうるのですか、あり得ないのですか?そこが疑問です。これまでのcatgutさまの御説では、あり得ない(音程中心認識説)、というご見解であったと理解しておりましたが。誤解でしょうか?御説によれば、ビブラートの頂点(あるいはその付近)が音程として認識されるようなビブラートはあり得るのですか、あり得ないのですか、お答えを頂きたいのです。
お前もガラミアンの一派か、というお答えは、ご勘弁を。
[32746]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月06日 22:06
投稿者:通りすがり(ID:FINJlSk)
catgut様
これだけ長い議論を展開されるその熱意には全く敬服いたします。その源が、「ビブラートは下に掛けるものだ」という教育がcatgut様の目に余るように思われたたことにあり、それを正すためのスレッドなのかな?と思ったのでした。
実際過去のスレッドでは以下のように
「その2」31544で
>以前も書きましたが、日本では欧米と違って「基準音の下にかける派」が圧倒的に多く見えた理由が、本当に「上下にかける派」がごく少なかったのか、それとも欧米と同じ程度の比率で存在しているのに「下にかける派」と衝突しないように沈黙していたのかよく分らないところがあります。
31590で
>pochiさまもご指摘の通り、現実には「下にかけはじめる」奏法ばかりではないのに「下にかけはじめる」という話が一人歩きしていたようですね。
31819では
>ところが、従来は「下に向けてかけはじめなければならない」という言説が横行していました。
しかし31929では
>ガラミアンは実際の指導の際に必ずしも「下にかける」ように指導されなかったようですし、門下の方も重視されていないということです。「ヴァイオリン奏法と指導の原理」の記述が一人歩きしている感が拭えません。ヴィブラートの指導の歴史でもガラミアン以外に「下にかける」という指導は存在しないのです
32019では
>本気で「ヴィブラートを基準音の下にかける」という指導が一部で実際に行われており、本気でそれをやろうとしている生徒さんがいらっしゃるわけです。
などと書き込みされています。
ところがこのスレでは
>当初は「下派」がどの程度の比率なのかわからなかったので「結構いるのかも?」と漠然と思っていました。
と少しトーンが下がっておられます。
質問① 今のところcatgut様は日本で或いは欧米でどの程度割合の指導者が「下に向けて掛ける」と指導しているとお考えですか?
質問② これまでお調べになった指導”書”で「上下派」と「下派」の割合はどれくらいですか?
catgut様の御尽力で「下にかける」という指導法の起源はほぼ明らかになりましたが、その点に関してはcatgut様お一人の御研究の成果であり、1編の論文にもなりましょう。
しかし、「ビブラートの掛け方について」というのをテーマとするならば、”下に向けて掛ける(という指導)”が有効なのか無効なのかはたまた有害なのかを論じる方が、この掲示板を読まれる多くの方にとって有益と考えるのは私だけでしょうか。
「下派」が意外に少数派で、
>ですから全体的な悪影響はそれほどないと思います。
(では悲喜劇って、一体・・・)
のであれば、このスレッドは文献学以上の価値はないと思います。
これだけ長い議論を展開されるその熱意には全く敬服いたします。その源が、「ビブラートは下に掛けるものだ」という教育がcatgut様の目に余るように思われたたことにあり、それを正すためのスレッドなのかな?と思ったのでした。
実際過去のスレッドでは以下のように
「その2」31544で
>以前も書きましたが、日本では欧米と違って「基準音の下にかける派」が圧倒的に多く見えた理由が、本当に「上下にかける派」がごく少なかったのか、それとも欧米と同じ程度の比率で存在しているのに「下にかける派」と衝突しないように沈黙していたのかよく分らないところがあります。
31590で
>pochiさまもご指摘の通り、現実には「下にかけはじめる」奏法ばかりではないのに「下にかけはじめる」という話が一人歩きしていたようですね。
31819では
>ところが、従来は「下に向けてかけはじめなければならない」という言説が横行していました。
しかし31929では
>ガラミアンは実際の指導の際に必ずしも「下にかける」ように指導されなかったようですし、門下の方も重視されていないということです。「ヴァイオリン奏法と指導の原理」の記述が一人歩きしている感が拭えません。ヴィブラートの指導の歴史でもガラミアン以外に「下にかける」という指導は存在しないのです
32019では
>本気で「ヴィブラートを基準音の下にかける」という指導が一部で実際に行われており、本気でそれをやろうとしている生徒さんがいらっしゃるわけです。
などと書き込みされています。
ところがこのスレでは
>当初は「下派」がどの程度の比率なのかわからなかったので「結構いるのかも?」と漠然と思っていました。
と少しトーンが下がっておられます。
質問① 今のところcatgut様は日本で或いは欧米でどの程度割合の指導者が「下に向けて掛ける」と指導しているとお考えですか?
質問② これまでお調べになった指導”書”で「上下派」と「下派」の割合はどれくらいですか?
catgut様の御尽力で「下にかける」という指導法の起源はほぼ明らかになりましたが、その点に関してはcatgut様お一人の御研究の成果であり、1編の論文にもなりましょう。
しかし、「ビブラートの掛け方について」というのをテーマとするならば、”下に向けて掛ける(という指導)”が有効なのか無効なのかはたまた有害なのかを論じる方が、この掲示板を読まれる多くの方にとって有益と考えるのは私だけでしょうか。
「下派」が意外に少数派で、
>ですから全体的な悪影響はそれほどないと思います。
(では悲喜劇って、一体・・・)
のであれば、このスレッドは文献学以上の価値はないと思います。
[32751]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月06日 23:09
投稿者:catgut(ID:Izc3mZA)
父娘でVn始めましたさま、
失礼ですが「ヴィブラート音の音程の出し方」の問題と「演奏論」を混同されているように思われます。
あるヴィブラート音について自分や聴衆に聞える音程はこうやって出す、という方法は多少の個人差はありますがほぼ機械的に決まるはずです。
「上下派」と「下派」の違いは、「上下派」は意識と客観的な音程が一致していますが、「下派」は無意識的に音程を少し高めに補正しているところが違うだけです(本当に少し低めにしている人も多少いると思います)。
その後は両者とも意図した音程を出しているのですから「演奏論」としては全く同じことです。
失礼ですが「ヴィブラート音の音程の出し方」の問題と「演奏論」を混同されているように思われます。
あるヴィブラート音について自分や聴衆に聞える音程はこうやって出す、という方法は多少の個人差はありますがほぼ機械的に決まるはずです。
「上下派」と「下派」の違いは、「上下派」は意識と客観的な音程が一致していますが、「下派」は無意識的に音程を少し高めに補正しているところが違うだけです(本当に少し低めにしている人も多少いると思います)。
その後は両者とも意図した音程を出しているのですから「演奏論」としては全く同じことです。
[32755]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月07日 00:00
投稿者:catgut(ID:NWMWcng)
通りすがりさま、
以前も書きましたが、この問題の難しいところは「下派」は自分が少数派だと知っていても自分たちのほうが正しいと信じ、主張が強いところだと思います。その理由として、
・アメリカのカリスマ的指導者が言っている
・科学的根拠がある(と信じている)
ためなのでしょう。
「下にかける」説の最大の弊害は、ヴィブラートに関する情報交換の障壁になっていたことかもしれません。「下派」の本やWebでの記述を見ると、基準音の上にはみ出すと「ジプシー音楽やタンゴ音楽」とか「演歌」のようだというクラシック奏者にとっては気になる記述をしばしば見かけます。これではヴィブラートに関する議論は大幅に制限されます。
質問① 今のところcatgut様は日本で或いは欧米でどの程度割合の指導者が「下に向けて掛ける」と指導しているとお考えですか?
→「芸大のアンケート」で「殆んどが上下派」というのを信じるなら、少数派なのではないでしょうか。「下に向けて掛ける」と指導されたから芸大に入れなかったとは考えたくないですね。
質問② これまでお調べになった指導”書”で「上下派」と「下派」の割合はどれくらいですか?
→これはガラミアンとその支持者のみが「下派」で、ごく少数の「併記派」がありそれ以外は「上下派」か(「上下派」しかいなかったので)明記していないかのどれかということになります。
「基準音の下にかける」ないし「下に向けてかける」とする指導書
1962年 「ヴァイオリン奏法と指導の原理」英語版 イヴァン・ガラミアン
1963年 「バイオリニストのためのビブラート奏法」 七沢八郎
1999年 指導書A
2005年 指導書B
2007年 ストリング誌3月号掲載の2種の記事
「基準音の上下にかける」ないし「上に向けてかける」とする指導書
1750年頃 「ヴァイオリン奏法」レオポルド・モーツァルト
Siegfried Eberhardt, "Violin-Vibrato"
ドイツ語版1910年刊 英語版1911年刊
Fritz Rau, "Das Vibrato auf der Violine und die Grundlagen einer
natuerlichen Entwicklung der Technik fuer die linke Hand"1922年刊
MAIA BANG "Violin Method Part V" 1925年刊(アウアーの指導に準拠)
Bela Szigeti, "Das Vibrato" 1950年刊
Roger Leviste, "The Rational Technique of Vibrato for the Use of Violinists"1953年刊
Gilbert R. Waller, "Vibrato Method" 1951年刊
Lewis L. Stoelzing, "Basic Vibrato Studies" 1950年刊
1971年 Vibrato on the violin Werner Hauck
1954年 「篠崎バイオリン教本 第3巻」
1964年 「ヴァイオリン演奏の技法 日本語版」カール・フレッシュ(原書は1930年頃)
1964年 「新しいバイオリン教本 第3巻」
1980年 「ヴァイオリンのおけいこ」鷲見三郎他
1990年代前半 「ストリング」誌掲載 菅原英洋氏の記事
「併記」
1997年 VIVA!Vibrato Gerald Fischbach, Robert S. Frost
「無記載」
1921年 Violin Playing as I teach it レオポルド・アウアー
以前も書きましたが、この問題の難しいところは「下派」は自分が少数派だと知っていても自分たちのほうが正しいと信じ、主張が強いところだと思います。その理由として、
・アメリカのカリスマ的指導者が言っている
・科学的根拠がある(と信じている)
ためなのでしょう。
「下にかける」説の最大の弊害は、ヴィブラートに関する情報交換の障壁になっていたことかもしれません。「下派」の本やWebでの記述を見ると、基準音の上にはみ出すと「ジプシー音楽やタンゴ音楽」とか「演歌」のようだというクラシック奏者にとっては気になる記述をしばしば見かけます。これではヴィブラートに関する議論は大幅に制限されます。
質問① 今のところcatgut様は日本で或いは欧米でどの程度割合の指導者が「下に向けて掛ける」と指導しているとお考えですか?
→「芸大のアンケート」で「殆んどが上下派」というのを信じるなら、少数派なのではないでしょうか。「下に向けて掛ける」と指導されたから芸大に入れなかったとは考えたくないですね。
質問② これまでお調べになった指導”書”で「上下派」と「下派」の割合はどれくらいですか?
→これはガラミアンとその支持者のみが「下派」で、ごく少数の「併記派」がありそれ以外は「上下派」か(「上下派」しかいなかったので)明記していないかのどれかということになります。
「基準音の下にかける」ないし「下に向けてかける」とする指導書
1962年 「ヴァイオリン奏法と指導の原理」英語版 イヴァン・ガラミアン
1963年 「バイオリニストのためのビブラート奏法」 七沢八郎
1999年 指導書A
2005年 指導書B
2007年 ストリング誌3月号掲載の2種の記事
「基準音の上下にかける」ないし「上に向けてかける」とする指導書
1750年頃 「ヴァイオリン奏法」レオポルド・モーツァルト
Siegfried Eberhardt, "Violin-Vibrato"
ドイツ語版1910年刊 英語版1911年刊
Fritz Rau, "Das Vibrato auf der Violine und die Grundlagen einer
natuerlichen Entwicklung der Technik fuer die linke Hand"1922年刊
MAIA BANG "Violin Method Part V" 1925年刊(アウアーの指導に準拠)
Bela Szigeti, "Das Vibrato" 1950年刊
Roger Leviste, "The Rational Technique of Vibrato for the Use of Violinists"1953年刊
Gilbert R. Waller, "Vibrato Method" 1951年刊
Lewis L. Stoelzing, "Basic Vibrato Studies" 1950年刊
1971年 Vibrato on the violin Werner Hauck
1954年 「篠崎バイオリン教本 第3巻」
1964年 「ヴァイオリン演奏の技法 日本語版」カール・フレッシュ(原書は1930年頃)
1964年 「新しいバイオリン教本 第3巻」
1980年 「ヴァイオリンのおけいこ」鷲見三郎他
1990年代前半 「ストリング」誌掲載 菅原英洋氏の記事
「併記」
1997年 VIVA!Vibrato Gerald Fischbach, Robert S. Frost
「無記載」
1921年 Violin Playing as I teach it レオポルド・アウアー
[32756]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月07日 02:38
投稿者:通りすがり(ID:IBIIcHY)
catgut様
レスありがとうございます。
段々と貴方の主張が分かってきました。
なにぶんあまりに長大な議論ですので、時々まとめないとわけが分からなくなります。
私は以前から、技術的な観点と、音程の感じ方の問題、旋律の構成法の3点に分けて、ビブラートの掛け方を論じるべきだと考えていますが、catgut様のお調べになった範囲で、これらのことを分けて論じている教本なり指導書なりは存在したのでしょうか?
お見受けしたところガラミアンが誤って、ビブラートの上限をその音程と認識すると、上記3点をごちゃ混ぜにして論じた、という以外にはなさそうなのですが、いかがですか?
catgut様は分けて論じるべきというのに賛同していただけますか?
また32390でpochi様が
>その上で、情報収集として、どの様な人々、どの位の人々が、どの程度ガラミアンの受け売りで「ヴィブラートは基準音の高いところを人間の耳は音程として感じている」と情宣しているか、調べようとしています。
と指摘されて以来、「どの位の人々が」という点がクリアーにならないままになっていますが、皆様いかがでしょうか。
レスありがとうございます。
段々と貴方の主張が分かってきました。
なにぶんあまりに長大な議論ですので、時々まとめないとわけが分からなくなります。
私は以前から、技術的な観点と、音程の感じ方の問題、旋律の構成法の3点に分けて、ビブラートの掛け方を論じるべきだと考えていますが、catgut様のお調べになった範囲で、これらのことを分けて論じている教本なり指導書なりは存在したのでしょうか?
お見受けしたところガラミアンが誤って、ビブラートの上限をその音程と認識すると、上記3点をごちゃ混ぜにして論じた、という以外にはなさそうなのですが、いかがですか?
catgut様は分けて論じるべきというのに賛同していただけますか?
また32390でpochi様が
>その上で、情報収集として、どの様な人々、どの位の人々が、どの程度ガラミアンの受け売りで「ヴィブラートは基準音の高いところを人間の耳は音程として感じている」と情宣しているか、調べようとしています。
と指摘されて以来、「どの位の人々が」という点がクリアーにならないままになっていますが、皆様いかがでしょうか。
[32757]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月07日 02:39
投稿者:カルボナーレ(ID:J5KDMXE)
以前にも書きましたが、ガラミアンのPrinciples of Violin Playing and Teachingでのヴィブラートに関する記載(原文の英文)において、
- 人の耳は一番高い音をはるかにとらえやすい
- だから、上下”均等”に振ると、上ずって聴こえる。
- また、ビブラートは基準音を押さえた後に下に向かって掛け始めるべき
と言っており、
- 上下均等に振る事
- 基準音から上向きに掛けはじめること
の否定は明確に行っていますが、
- ビブラートの上端=聴こえる音程である
- 基準音を超えて、上側に振ってはいけない
とは述べていません。
あとは読んだ人がどのように自分なりに受け取るかによって、もともとの記載がいろいろと勝手に読み替えられ、一部のガラミアン信奉者が自分の解釈に基づいて、あたかもガラミアンが
- ビブラートの上端=聴こえる音程である
- 基準音を超えて、上側に振ってはいけない
と言い切ったかのような発言をしているのだと、私は解釈しています。(別スレッドで議論されている指導上の手法、練習の手段という観点は一旦いっさい排除した上での、私なりのシンプルな解釈です。)
ガラミアン支持派と称して下向きオンリーを主張する強行派がいることは認めますし、私はその主張は違うと思います。さらにその主張=”ガラミアンの教え”とすることについては、強く否定したいと思います。
[32542]
で引用されている北沢氏のヴィブラートに関する記載において、私がその文献を持っていないのでcatgutさんに質問なのですが、その中には、C図ではなく、別の図を使い、波線の上端に直線を引っ張ってここが聴こえる音程である、と記述しているのでしょうか。
それは非常に重要なポイントであり、単に[32542]
での引用がほぼ全てであれば、上に書いたガラミアンが言っていることとほぼ等価であり、
- ビブラートの上端=聴こえる音程である
- 基準音を超えて、上側に振ってはいけない
とは述べていないと思います。
が、一方、具体的に、別の図を使い、波線の上端に線を引っ張ってここが聴こえる音程である、と記述しているのであれば、ずばりそのように主張しているということになります。
- 人の耳は一番高い音をはるかにとらえやすい
- だから、上下”均等”に振ると、上ずって聴こえる。
- また、ビブラートは基準音を押さえた後に下に向かって掛け始めるべき
と言っており、
- 上下均等に振る事
- 基準音から上向きに掛けはじめること
の否定は明確に行っていますが、
- ビブラートの上端=聴こえる音程である
- 基準音を超えて、上側に振ってはいけない
とは述べていません。
あとは読んだ人がどのように自分なりに受け取るかによって、もともとの記載がいろいろと勝手に読み替えられ、一部のガラミアン信奉者が自分の解釈に基づいて、あたかもガラミアンが
- ビブラートの上端=聴こえる音程である
- 基準音を超えて、上側に振ってはいけない
と言い切ったかのような発言をしているのだと、私は解釈しています。(別スレッドで議論されている指導上の手法、練習の手段という観点は一旦いっさい排除した上での、私なりのシンプルな解釈です。)
ガラミアン支持派と称して下向きオンリーを主張する強行派がいることは認めますし、私はその主張は違うと思います。さらにその主張=”ガラミアンの教え”とすることについては、強く否定したいと思います。
[32542]
[32542]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月03日 17:58
投稿者:catgut(ID:FAFwApA)
ガラミアン説を最初に日本で紹介したのではないかと思われる本が見つかりましたのでご紹介します。
「バイオリニストのためのビブラート奏法」 七沢八郎著 全音楽譜出版社
ガラミアンのPrinciples of Violin Playing and Teachingの初版は1962年ですが、何と1963年10月31日に発行されています。50ページほどの小冊子です。七沢氏は「従来のビブラート」は間違いと決め付け、「多くのバイオリニスト」が「基準音の上下に」「上に向けて」かけていると知りながら「基準音の下に」「下に向けて」かけるヴィブラートこそが正しいヴィブラートであると主張しています。
ただし、本書の主張はガラミアン説そのものですが、ガラミアンの名は直接は出てきません。本書の中で練習方法をブローダス・アール(Broadus Erle)によるとしていることから、七沢氏はブローダス・アール経由でガラミアン説を知った可能性が高いと思われます。
「第一章 正しいビブラートと間違いやすいビブラート」では、タイトル通り
「基準音の下に」「下に向けて」かけるヴィブラートを「正しいヴィブラート」と
位置付け、従来の「基準音の上下に」「上に向けて」かけるヴィブラートを「誤り」と決め付けています。
以下、本書から引用します。
--------------------------------------------
「音を同じ強さで上下に震わした場合、高い音の方を、その目的の音程と感ずるのが、我々の音に対する本能だと考えられます。」
「多くのバイオリニストたちは、C図(引用者注:基準音の上下の波形図)のように、演奏する音程を中心にして、上下にVib.を行うことが正しいと考えていると思います。」
「また、多くのバイオリニストたちは(C図のVib.も同様ですが)Vib.の始まりの運動を必ずといってよい程、上方に向かって行います。」
---------------------------------------------
本書を読んで「多くのバイオリニスト」たちはどう思ったのでしょうか。
自分のヴィブラートは「不安定で民族音楽のような」間違ったヴィブラートだと納得したのでしょうか。
「バイオリニストのためのビブラート奏法」 七沢八郎著 全音楽譜出版社
ガラミアンのPrinciples of Violin Playing and Teachingの初版は1962年ですが、何と1963年10月31日に発行されています。50ページほどの小冊子です。七沢氏は「従来のビブラート」は間違いと決め付け、「多くのバイオリニスト」が「基準音の上下に」「上に向けて」かけていると知りながら「基準音の下に」「下に向けて」かけるヴィブラートこそが正しいヴィブラートであると主張しています。
ただし、本書の主張はガラミアン説そのものですが、ガラミアンの名は直接は出てきません。本書の中で練習方法をブローダス・アール(Broadus Erle)によるとしていることから、七沢氏はブローダス・アール経由でガラミアン説を知った可能性が高いと思われます。
「第一章 正しいビブラートと間違いやすいビブラート」では、タイトル通り
「基準音の下に」「下に向けて」かけるヴィブラートを「正しいヴィブラート」と
位置付け、従来の「基準音の上下に」「上に向けて」かけるヴィブラートを「誤り」と決め付けています。
以下、本書から引用します。
--------------------------------------------
「音を同じ強さで上下に震わした場合、高い音の方を、その目的の音程と感ずるのが、我々の音に対する本能だと考えられます。」
「多くのバイオリニストたちは、C図(引用者注:基準音の上下の波形図)のように、演奏する音程を中心にして、上下にVib.を行うことが正しいと考えていると思います。」
「また、多くのバイオリニストたちは(C図のVib.も同様ですが)Vib.の始まりの運動を必ずといってよい程、上方に向かって行います。」
---------------------------------------------
本書を読んで「多くのバイオリニスト」たちはどう思ったのでしょうか。
自分のヴィブラートは「不安定で民族音楽のような」間違ったヴィブラートだと納得したのでしょうか。
それは非常に重要なポイントであり、単に[32542]
[32542]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月03日 17:58
投稿者:catgut(ID:FAFwApA)
ガラミアン説を最初に日本で紹介したのではないかと思われる本が見つかりましたのでご紹介します。
「バイオリニストのためのビブラート奏法」 七沢八郎著 全音楽譜出版社
ガラミアンのPrinciples of Violin Playing and Teachingの初版は1962年ですが、何と1963年10月31日に発行されています。50ページほどの小冊子です。七沢氏は「従来のビブラート」は間違いと決め付け、「多くのバイオリニスト」が「基準音の上下に」「上に向けて」かけていると知りながら「基準音の下に」「下に向けて」かけるヴィブラートこそが正しいヴィブラートであると主張しています。
ただし、本書の主張はガラミアン説そのものですが、ガラミアンの名は直接は出てきません。本書の中で練習方法をブローダス・アール(Broadus Erle)によるとしていることから、七沢氏はブローダス・アール経由でガラミアン説を知った可能性が高いと思われます。
「第一章 正しいビブラートと間違いやすいビブラート」では、タイトル通り
「基準音の下に」「下に向けて」かけるヴィブラートを「正しいヴィブラート」と
位置付け、従来の「基準音の上下に」「上に向けて」かけるヴィブラートを「誤り」と決め付けています。
以下、本書から引用します。
--------------------------------------------
「音を同じ強さで上下に震わした場合、高い音の方を、その目的の音程と感ずるのが、我々の音に対する本能だと考えられます。」
「多くのバイオリニストたちは、C図(引用者注:基準音の上下の波形図)のように、演奏する音程を中心にして、上下にVib.を行うことが正しいと考えていると思います。」
「また、多くのバイオリニストたちは(C図のVib.も同様ですが)Vib.の始まりの運動を必ずといってよい程、上方に向かって行います。」
---------------------------------------------
本書を読んで「多くのバイオリニスト」たちはどう思ったのでしょうか。
自分のヴィブラートは「不安定で民族音楽のような」間違ったヴィブラートだと納得したのでしょうか。
「バイオリニストのためのビブラート奏法」 七沢八郎著 全音楽譜出版社
ガラミアンのPrinciples of Violin Playing and Teachingの初版は1962年ですが、何と1963年10月31日に発行されています。50ページほどの小冊子です。七沢氏は「従来のビブラート」は間違いと決め付け、「多くのバイオリニスト」が「基準音の上下に」「上に向けて」かけていると知りながら「基準音の下に」「下に向けて」かけるヴィブラートこそが正しいヴィブラートであると主張しています。
ただし、本書の主張はガラミアン説そのものですが、ガラミアンの名は直接は出てきません。本書の中で練習方法をブローダス・アール(Broadus Erle)によるとしていることから、七沢氏はブローダス・アール経由でガラミアン説を知った可能性が高いと思われます。
「第一章 正しいビブラートと間違いやすいビブラート」では、タイトル通り
「基準音の下に」「下に向けて」かけるヴィブラートを「正しいヴィブラート」と
位置付け、従来の「基準音の上下に」「上に向けて」かけるヴィブラートを「誤り」と決め付けています。
以下、本書から引用します。
--------------------------------------------
「音を同じ強さで上下に震わした場合、高い音の方を、その目的の音程と感ずるのが、我々の音に対する本能だと考えられます。」
「多くのバイオリニストたちは、C図(引用者注:基準音の上下の波形図)のように、演奏する音程を中心にして、上下にVib.を行うことが正しいと考えていると思います。」
「また、多くのバイオリニストたちは(C図のVib.も同様ですが)Vib.の始まりの運動を必ずといってよい程、上方に向かって行います。」
---------------------------------------------
本書を読んで「多くのバイオリニスト」たちはどう思ったのでしょうか。
自分のヴィブラートは「不安定で民族音楽のような」間違ったヴィブラートだと納得したのでしょうか。
- ビブラートの上端=聴こえる音程である
- 基準音を超えて、上側に振ってはいけない
とは述べていないと思います。
が、一方、具体的に、別の図を使い、波線の上端に線を引っ張ってここが聴こえる音程である、と記述しているのであれば、ずばりそのように主張しているということになります。
[32759]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月07日 03:25
投稿者:父娘でVn始めました(ID:KTlTkzU)
私が質問したいのは音程の認識論だけです。
まあ技法は別論としましょう。
もう一度お聞きします。
ビブラートの中心が聞こえる音程である
というご見解であるのか、そうでないのか、どちらですか。
音程認識論についてお答えを頂戴したいのです。どうですか。
まあ技法は別論としましょう。
もう一度お聞きします。
ビブラートの中心が聞こえる音程である
というご見解であるのか、そうでないのか、どちらですか。
音程認識論についてお答えを頂戴したいのです。どうですか。
[32760]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月07日 04:05
投稿者:通りすがり(ID:IBIIcHY)
父娘でVn始めました様
横レスですみません。
「認識論」の場合実験を行わないと、机上の空論になってしまいますよね。どなたかデータを示してもらえませんか?
別スレにも書きましたが、人間はビブラートの音程をひとつの音程として認識するのでしょうか?
赤い光と青い光が点滅している場合、点滅のサイクルが非常に早くなると別の色(黄色でしたか?)が見えると思いますが、遅いと点滅していると認識しますよね。音も同じでは?通常の周期のビブラートはビブラートとして認識されるのではないでしょうか?
上ずって聞こえるとか何とかいえるのでしょうか?ハーモニーや旋律内のその音の位置によるのでしょうか???
横レスですみません。
「認識論」の場合実験を行わないと、机上の空論になってしまいますよね。どなたかデータを示してもらえませんか?
別スレにも書きましたが、人間はビブラートの音程をひとつの音程として認識するのでしょうか?
赤い光と青い光が点滅している場合、点滅のサイクルが非常に早くなると別の色(黄色でしたか?)が見えると思いますが、遅いと点滅していると認識しますよね。音も同じでは?通常の周期のビブラートはビブラートとして認識されるのではないでしょうか?
上ずって聞こえるとか何とかいえるのでしょうか?ハーモニーや旋律内のその音の位置によるのでしょうか???
[32761]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月07日 04:43
投稿者:父娘でVn始めました(ID:KTlTkzU)
私は、catgutさまのご見解を質問しているだけです。
[32768]
Re: catgut氏の云うところのヴィブラート学習悲喜劇
投稿日時:2007年04月07日 10:13
投稿者:名無し(ID:RYYgQg)
通りすがり様
「ビブラートの中心が認識される音程である」という結論に至る実験結果は、こちらの論文が優れていると思われます。
Pitch center of stringed instrument vibrato tones
ttp://www.wellesley.edu/Physics/brown/
pubs/vibPerF100P1728-P1735.pdf
私はガラミアンと会ったことはありませんが、弟子であるズーカーマンとは面識があります。ビリヤードをしているときに、私の友人がヴィブラートをしたにかける件に関して、異論を述べたことがあります。(ビールを飲んでいました。)ズーカーマンはピッチに関することは言及せず、「後ろ(下)に指が伸びるようになれば、自動的に戻ってくるから。」との説明をしていたと覚えています。
いずれにせよ、ヴィブラートの問題を音程の変化のみで論じるのはどうかと思います。演奏家が基準音と定めた指の位置とその周辺では、指の圧力が違います。現在ではどのような技術だったのか分からないといわれている、弓によるヴィオラ・ダ・ガンバのヴィブラートはピッチはほとんど変わらなかったものと思われます。
さまざまな観点からヴィブラートを考察した論文は下記のものが興味深いです。
Perceptual Evaluation of Vibrato Models
ttp://www.oicm.umontreal.ca/cim05/
cim05_articles/VERFAILLE_V_CIM05.pdf
「ビブラートの中心が認識される音程である」という結論に至る実験結果は、こちらの論文が優れていると思われます。
Pitch center of stringed instrument vibrato tones
ttp://www.wellesley.edu/Physics/brown/
pubs/vibPerF100P1728-P1735.pdf
私はガラミアンと会ったことはありませんが、弟子であるズーカーマンとは面識があります。ビリヤードをしているときに、私の友人がヴィブラートをしたにかける件に関して、異論を述べたことがあります。(ビールを飲んでいました。)ズーカーマンはピッチに関することは言及せず、「後ろ(下)に指が伸びるようになれば、自動的に戻ってくるから。」との説明をしていたと覚えています。
いずれにせよ、ヴィブラートの問題を音程の変化のみで論じるのはどうかと思います。演奏家が基準音と定めた指の位置とその周辺では、指の圧力が違います。現在ではどのような技術だったのか分からないといわれている、弓によるヴィオラ・ダ・ガンバのヴィブラートはピッチはほとんど変わらなかったものと思われます。
さまざまな観点からヴィブラートを考察した論文は下記のものが興味深いです。
Perceptual Evaluation of Vibrato Models
ttp://www.oicm.umontreal.ca/cim05/
cim05_articles/VERFAILLE_V_CIM05.pdf
ヴァイオリン掲示板に戻る
4 / 7 ページ [ 63コメント ]