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弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月10日 16:57
投稿者:スガラボット(ID:QkhEczA)
別スレッドの「重音3度のイントネーション」に関連する話題なのでそちらで発言すべきとも思いましたが、スレ主のcocoさんの元の質問から話題が乖離しすぎるのでこちらで議論させて頂くことにします。
元のスレッドの議論ではバイオリンや弦楽四重奏で重音または和音を弾くとき、へマン著の「弦楽器のイントネーション」の弦楽四重奏の例を引きながら、上の音をピタゴラス律などの旋律的音律で弾き下の音はそれに純正3度または6度で和音を付けるというのが大方のの合意であるように理解しました。
ピタゴラス音律は世界中で昔から琴のような弦楽器の音律として採用され、その旋律姓が良いことが認められています。ただこの音律はハーモニーの観点からは濁りが大きく単旋律の歌以外ではあまり用いられません。現在通常用いられる音律はオクターブを12の半音に均等に等比分割した平均律が主となっています。平均律の5度はピタゴラス5度に比べて1.96セント狭いもののかなり近い値であり、平均律はピタゴラス音律に準じた良好な旋律姓を有するとされています。とはいえ元々がLog2の1/12という無理数の等比列であるためどの和音も完全な響和が得られる筈はなく、特に長三度・単三度の和音を純正にとるには-13.69セント、+15.64セントもずらす必要があります。
重音やアンサンブルにおいてハーモニーを美しく響かせるには、旋律に随伴する3度なり6度なりの音を純正に近くとる必要があり、「重音3度の下の音や2ndVn/Va等の中声部の音はそのように弾くべし」というのが上記の結論ですが、一人で弾く重音の場合はまあそれで困らないとしても、アンサンブルで2ndVn/Vaなどの中声部を弾く立場としては非常に辛いものがあります。なぜならこれらのパートは主旋律があっての随伴音であり、この随伴音のみを旋律として弾くと随分調子外れな歌に聞こえるからです。即ち、主旋律と対旋律という旋律ラインとしての関係は成立し難くなります。
旋律を弾く人から見れば、「俺は美しく歌うからおまえら下々はそれに付けろ」でいいのかも知れませんが、中声部を弾く方もいつもその立場でいいというわけではなく、時には主旋律も廻ってくるのですから、その分析やら切替えが大変で、結局いつも音程に悩み続けることになります。ただ別スレッドの結論のように、今日の日本ではアンサンブルをする場合、プロもアマも関係なくこの考え方が主流となっているように思われます。(そう、僕らビオラ弾きの悩みの一つはここにあるのです。)
ところで先程のピタゴラス音律と平均律の話にも共通するのですが、バイオリンのチューニングをするとき、今時完全5度で4本とも合わせる人はいないと思います。それはA線からD線、G線と低くなるに従って5度が少しずつ広くなっていき平均律からもずれてしまうからです。それでチューニングするとき先生からも少し狭めに合わせるように指導されますが、普通一般的には、ほぼ平均律に合わせるようにチューニングしていることと思います。特にピアノと合わせるときは、殆どの場合ピアノが平均律で調律されているからです。ただ平均律のチューニングだとG線の開放弦に対してE線の開放弦が高すぎてハモらないばかりか、楽器の4本の弦が同時に共鳴する倍音関係にないため、楽器全体の響きが少し損しているように思います。
これを解決するため、ソロや弦楽アンサンブルの場合には調弦を完全5度より少し狭めに合わせることがあります。この手法は弦楽器のの響きを良くすると同時に、弦楽四重奏のレッスンでよく言われる「ビオラとチェロの低弦は少し高めにチューニングするように」という教えとも符合しています。少し高めに合わせた低弦のG音やC音がバイオリンのE線とハモりやすくなるのです。
このチューニングをもう少しシステマティックに行うと、話は古典音律のヴェルクマイスター1のIIIやキルンベルがーIIIといった音律につながっていくのです。こういう古典音律の話を持ち出すとチェンバロのチューニングか古楽お宅の範疇だと考えられがちですが、実はヨーロッパの名門オーケストラや四重奏団には夫々独自にこの様なチューニングシステム(音律)が備わっているのではないかと思われます。よく日本人の演奏家がヨーロッパのオーケストラ団員になると、演奏する音程がはじめの何年かそれまで自分が持っていた音程感と異なることに苦労するという話を聴きますが、それが一つの証だとは言えないでしょうか。
ハイドンがから、モーツアルト、ベートーベン、そしてロマン派に至る音楽の系譜の中では調性感に溢れる曲が創られてきました。この調性感というのは12の音名それぞれの長調・短調合わせて24の調性が独自に有する旋律とハーモニーの色彩感を言います。よく言われるニ長調は祭典的だとかハ短調が悲劇的だとかいうあれのことです。しかし、実は平均律で演奏すると長調と短調の差は勿論ありますが、調の差はピッチの差でしかなく、そこに調毎に異なる共通の色彩感といったものの存在を感じる人は少ない筈です。この調性感はハイドンやモーツアルトが愛好したミーントーン(中全音律)からロマン派に至る音楽に用いられたヴェルクマイスターやキルンベルガー等の古典音律で演奏するときに始めて明確になる概念だと言えます。音律の古典という言葉のイメージとは裏腹にしっかりロマン派の時代まで継承されていたのです。
一つの調で一曲が終わるなら純正律で調律して演奏できます。しかし、途中で転調があると純正律では対応できなくなってしまいます。そこで、一回の調律で各調に対応できるように考え出されたのがこれらの古典音律です。1オクターブに12の鍵盤を用いて、全ての調で和音を純正に響かせることは元々無理なので、不響和になってしまう各音のピッチを少しずつ調整して不快感の少ない美しい響きになるように工夫したのです。これらの音律は一般的に調号(♯や♭)が少ない調では和音が平明に響き、調号が増えるに従って和音に緊張感が加わって旋律性に勝った色彩感になるとされています。この様に演奏に用いる音律と調性感はと切っても切れない関係にあるのです。
A線に比べてD線、G線とC線を平均律より夫々3.5~3.9セントずつ狭めにチューニングすると、低弦は夫々前述のキルンベルがーIII(KB)及びヴェルクマイスター1のIII(VM)になります。またE線をA線に比べて3.5セント狭めにするとKM、完全5度でチューニングするとVMになります。現在はこれらの古典音律をセットできるチューナーがかなり安価に販売されているので、そのつもりになればすぐ試してみることが出来ます。
Vnではよく分からないかも知れませんが、一度このどちらかに調弦してVaなりVcなりをアルバン・ベルクSQやイタリアSQのCDと一緒に弾いてみてください。それぞれのSQがどの音律を採用しているのか正確なところは判りませんが、これと同じ傾向の音律を用いて演奏していることが実感できます。平均律でチューニングしたVaやVcでは決して彼らのハーモニーを共有できないことがお分かりになると思います。(僕がABQとVMで合わせると開放弦のC音のみ自分の方が高すぎる感じがしますから、VMより多分KBの方が近いのだろうと思います。)
弦楽四重奏を演る人は、是非一度こうした音律で各楽器をチューニングしてアンサンブルしてみることをお勧めします。必ずや新しいハーモニーの世界を発見することと思います。こうすれば、それぞれのパートの旋律性も明確で、ハーモニーも純正とは少し異なるかも知れませんが美しい響きを体感することが出来ます。ロマン派なまでの音楽に現れる調性感はこうした古典音律を用いて演奏することによってはじめて現代に蘇らせることが出来るのです。そしてこういう音律で演奏する何よりの歓びは、これまでいつも旋律ラインに従属しなければならなかった随伴音を弾くパートが対等な立場で活き活きとアンサンブル出来るようになることです。
元のスレッドの議論ではバイオリンや弦楽四重奏で重音または和音を弾くとき、へマン著の「弦楽器のイントネーション」の弦楽四重奏の例を引きながら、上の音をピタゴラス律などの旋律的音律で弾き下の音はそれに純正3度または6度で和音を付けるというのが大方のの合意であるように理解しました。
ピタゴラス音律は世界中で昔から琴のような弦楽器の音律として採用され、その旋律姓が良いことが認められています。ただこの音律はハーモニーの観点からは濁りが大きく単旋律の歌以外ではあまり用いられません。現在通常用いられる音律はオクターブを12の半音に均等に等比分割した平均律が主となっています。平均律の5度はピタゴラス5度に比べて1.96セント狭いもののかなり近い値であり、平均律はピタゴラス音律に準じた良好な旋律姓を有するとされています。とはいえ元々がLog2の1/12という無理数の等比列であるためどの和音も完全な響和が得られる筈はなく、特に長三度・単三度の和音を純正にとるには-13.69セント、+15.64セントもずらす必要があります。
重音やアンサンブルにおいてハーモニーを美しく響かせるには、旋律に随伴する3度なり6度なりの音を純正に近くとる必要があり、「重音3度の下の音や2ndVn/Va等の中声部の音はそのように弾くべし」というのが上記の結論ですが、一人で弾く重音の場合はまあそれで困らないとしても、アンサンブルで2ndVn/Vaなどの中声部を弾く立場としては非常に辛いものがあります。なぜならこれらのパートは主旋律があっての随伴音であり、この随伴音のみを旋律として弾くと随分調子外れな歌に聞こえるからです。即ち、主旋律と対旋律という旋律ラインとしての関係は成立し難くなります。
旋律を弾く人から見れば、「俺は美しく歌うからおまえら下々はそれに付けろ」でいいのかも知れませんが、中声部を弾く方もいつもその立場でいいというわけではなく、時には主旋律も廻ってくるのですから、その分析やら切替えが大変で、結局いつも音程に悩み続けることになります。ただ別スレッドの結論のように、今日の日本ではアンサンブルをする場合、プロもアマも関係なくこの考え方が主流となっているように思われます。(そう、僕らビオラ弾きの悩みの一つはここにあるのです。)
ところで先程のピタゴラス音律と平均律の話にも共通するのですが、バイオリンのチューニングをするとき、今時完全5度で4本とも合わせる人はいないと思います。それはA線からD線、G線と低くなるに従って5度が少しずつ広くなっていき平均律からもずれてしまうからです。それでチューニングするとき先生からも少し狭めに合わせるように指導されますが、普通一般的には、ほぼ平均律に合わせるようにチューニングしていることと思います。特にピアノと合わせるときは、殆どの場合ピアノが平均律で調律されているからです。ただ平均律のチューニングだとG線の開放弦に対してE線の開放弦が高すぎてハモらないばかりか、楽器の4本の弦が同時に共鳴する倍音関係にないため、楽器全体の響きが少し損しているように思います。
これを解決するため、ソロや弦楽アンサンブルの場合には調弦を完全5度より少し狭めに合わせることがあります。この手法は弦楽器のの響きを良くすると同時に、弦楽四重奏のレッスンでよく言われる「ビオラとチェロの低弦は少し高めにチューニングするように」という教えとも符合しています。少し高めに合わせた低弦のG音やC音がバイオリンのE線とハモりやすくなるのです。
このチューニングをもう少しシステマティックに行うと、話は古典音律のヴェルクマイスター1のIIIやキルンベルがーIIIといった音律につながっていくのです。こういう古典音律の話を持ち出すとチェンバロのチューニングか古楽お宅の範疇だと考えられがちですが、実はヨーロッパの名門オーケストラや四重奏団には夫々独自にこの様なチューニングシステム(音律)が備わっているのではないかと思われます。よく日本人の演奏家がヨーロッパのオーケストラ団員になると、演奏する音程がはじめの何年かそれまで自分が持っていた音程感と異なることに苦労するという話を聴きますが、それが一つの証だとは言えないでしょうか。
ハイドンがから、モーツアルト、ベートーベン、そしてロマン派に至る音楽の系譜の中では調性感に溢れる曲が創られてきました。この調性感というのは12の音名それぞれの長調・短調合わせて24の調性が独自に有する旋律とハーモニーの色彩感を言います。よく言われるニ長調は祭典的だとかハ短調が悲劇的だとかいうあれのことです。しかし、実は平均律で演奏すると長調と短調の差は勿論ありますが、調の差はピッチの差でしかなく、そこに調毎に異なる共通の色彩感といったものの存在を感じる人は少ない筈です。この調性感はハイドンやモーツアルトが愛好したミーントーン(中全音律)からロマン派に至る音楽に用いられたヴェルクマイスターやキルンベルガー等の古典音律で演奏するときに始めて明確になる概念だと言えます。音律の古典という言葉のイメージとは裏腹にしっかりロマン派の時代まで継承されていたのです。
一つの調で一曲が終わるなら純正律で調律して演奏できます。しかし、途中で転調があると純正律では対応できなくなってしまいます。そこで、一回の調律で各調に対応できるように考え出されたのがこれらの古典音律です。1オクターブに12の鍵盤を用いて、全ての調で和音を純正に響かせることは元々無理なので、不響和になってしまう各音のピッチを少しずつ調整して不快感の少ない美しい響きになるように工夫したのです。これらの音律は一般的に調号(♯や♭)が少ない調では和音が平明に響き、調号が増えるに従って和音に緊張感が加わって旋律性に勝った色彩感になるとされています。この様に演奏に用いる音律と調性感はと切っても切れない関係にあるのです。
A線に比べてD線、G線とC線を平均律より夫々3.5~3.9セントずつ狭めにチューニングすると、低弦は夫々前述のキルンベルがーIII(KB)及びヴェルクマイスター1のIII(VM)になります。またE線をA線に比べて3.5セント狭めにするとKM、完全5度でチューニングするとVMになります。現在はこれらの古典音律をセットできるチューナーがかなり安価に販売されているので、そのつもりになればすぐ試してみることが出来ます。
Vnではよく分からないかも知れませんが、一度このどちらかに調弦してVaなりVcなりをアルバン・ベルクSQやイタリアSQのCDと一緒に弾いてみてください。それぞれのSQがどの音律を採用しているのか正確なところは判りませんが、これと同じ傾向の音律を用いて演奏していることが実感できます。平均律でチューニングしたVaやVcでは決して彼らのハーモニーを共有できないことがお分かりになると思います。(僕がABQとVMで合わせると開放弦のC音のみ自分の方が高すぎる感じがしますから、VMより多分KBの方が近いのだろうと思います。)
弦楽四重奏を演る人は、是非一度こうした音律で各楽器をチューニングしてアンサンブルしてみることをお勧めします。必ずや新しいハーモニーの世界を発見することと思います。こうすれば、それぞれのパートの旋律性も明確で、ハーモニーも純正とは少し異なるかも知れませんが美しい響きを体感することが出来ます。ロマン派なまでの音楽に現れる調性感はこうした古典音律を用いて演奏することによってはじめて現代に蘇らせることが出来るのです。そしてこういう音律で演奏する何よりの歓びは、これまでいつも旋律ラインに従属しなければならなかった随伴音を弾くパートが対等な立場で活き活きとアンサンブル出来るようになることです。
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【ご参考】
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Re: 弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月14日 01:43
投稿者:catgut(ID:IYUjYYQ)
うろ覚えですがSQでの調弦の話は
「クァルテットの技法―グァルネリ弦楽四重奏団と語る」にも少しだけ出ていたような気がします。詳細は忘れました。amazonで今見るとこの本は
286,338円というとんでもない値段が付いています。図書館で読みましょう。
調による「曲の性格」についてはアマチュアチェロ弾きさまと私はほぼ同見解です。ベルリオーズの「管弦楽法」などを読むと、オーケストラの楽器の性質によって明るい調や暗い調などが出来ることを意識して作曲していることがよくわかります。仮に鍵盤楽器の曲しか作らない作曲家でもオーケストラ曲はよく聞いているでしょうから、調と曲想の関係に先入観があっても不思議はありません。なぜかwikiの調に関する記事はこのあたりについて念入りに書かれていますね。
ニ長調
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E9%95%B7%E8%AA%BF
「クァルテットの技法―グァルネリ弦楽四重奏団と語る」にも少しだけ出ていたような気がします。詳細は忘れました。amazonで今見るとこの本は
286,338円というとんでもない値段が付いています。図書館で読みましょう。
調による「曲の性格」についてはアマチュアチェロ弾きさまと私はほぼ同見解です。ベルリオーズの「管弦楽法」などを読むと、オーケストラの楽器の性質によって明るい調や暗い調などが出来ることを意識して作曲していることがよくわかります。仮に鍵盤楽器の曲しか作らない作曲家でもオーケストラ曲はよく聞いているでしょうから、調と曲想の関係に先入観があっても不思議はありません。なぜかwikiの調に関する記事はこのあたりについて念入りに書かれていますね。
ニ長調
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E9%95%B7%E8%AA%BF
[35498]
Re: 弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月14日 18:35
投稿者:スガラボット(ID:l1cQQwA)
<アマチュアチェロ弾き>さま、
僕の書き込みと少しの時間で前後して発言されたようでレスが遅くなりました。以下項目毎に書かせていただきます。
> ピュタゴラス律で演奏される旋律に対して、伴奏は全く切り離して考えるべきだと思いますよ。恐らく『旋律はピュタゴラス律で、伴奏は純正律で』と書いて有ったのではないでしょうか。
僕もそのご意見に全く賛成です。ただハイドンの弦楽四重奏「皇帝」2楽章を例に説明されているのなら旋律と伴奏として切り離して考えられるとは思えませんが…。
> 私は「よく言われるニ長調は祭典的だとかハ短調が悲劇的だとか」というのと、古典音律の色彩感とは別物という見方としています。
「調性感」が「古典音律の色彩感」とは別物であるのかどうか、僕も専門家ではないのでよく判りません。ミーントーントは#と♭等の調性記号が2~3個以下の調で三度が純正に響和するように、五度を犠牲にして配置された音律ですから、それらの調の間では色彩感にあまり差がないと思います。ところで、もしアマチュアチェロ弾きさんも認めておられるように古典音律に伴う(調毎に固有な響きの緊張感に基づく)色彩感と「調性感」の間に関係がないのなら「調性感」って何なんでしょう。もしそれがピッチの差に基づくものなら現代の平均律にも同じように適用できると思いますが、僕が感覚音痴なのか自分では判りません。それに250年程前はAのピッチが415Hz程度だったとすると今の440(442)Hzに比べて約半音低かった訳で、それで当時と今とが同じ調性感を云々するのは変ですよね。
> 文脈からすると『完全五度』ではなく『純正五度』だろうと思います。
済みません、その通りです。僕自身がこの二つの言葉を混同して使用しておりました。『完全五度』と言う言葉は音楽用語として存在しないのかな。
> しかし、それを弦楽器の調律に適用するというのはいかがなものでしょう。
<スレ主の意見>
このご意見が今、日本の音楽界では大多数意見だということは承知しております。それに対するアンチテーゼとして僕はこのスレッドを建てたのですから。ただ僕はベキ論でこの議論を始めたわけではありません。「何とか仲間と演る弦楽四重奏を美しく響かせるようにしたい」これが唯一最大の目的でした。それでヨーロッパの著名弦楽四重奏団のCDと合わせて弾いてみるなどする中から、どうも秘密の一つは彼らの調弦にあるようだと気付いたのです。前にも書きましたが、弦楽四重奏のレッスンを受けると必ず「狭めに調弦」するように指導されます。しかし、ではそれがどの程度かと言うことについては具体的には教えてくれません。その「程度」を求めて色々試行錯誤を重ねるうちに、それはどうも古典音律に近いものらしいことが判ってきました。こうしてかれこれ1年以上、仲間とのカルテットを通じて実践してきた結果、かなりの確信が持てたため、こうしてこの掲示板で発言するに至ったわけです。
日本の音楽界では今、平均律で演奏するのが業界の常識になっています。学校や先生から教わるのもそうです。それに音楽学校で教えるバイオリン奏法はソリスト向けの奏法ですから、ピタゴラス音律に近い平均律の旋律的な美しさを優先するため、古典音律の話は出てきません。前に一度TVで、女流バイオリニストの、すごく綺麗にハモったモーツアルトのVnコンチェルトを聴いたことがありますが、綺麗にハモりすぎて、肝心のソロの演奏があまり浮き出て聞こえて来なかった経験があります。別スレッドで下にかけるのが正しい、いや上下均等だと議論の華やかなヴィブラート奏法もそうですが、ソリストにはソリストの奏法があるのです。
アンサンブルにはアンサンブルの奏法があって然るべきだと思いますが、平均律重視の今の音楽界で古楽以外に古典音律が登場する機会はありません。唯一の例外が先程の室内楽のレッスンで「狭めの調弦」と言われる、これだけなのです。こうした環境の中でアンサンブルで古典音律によるチューニングなどと言えば、仕事をさせてもらえなくなります。
ただこうした環境にあっても、結果さえ良ければいいので、静かに黙って実践している人はいます。よくバイオリンリサイタルなんかで演奏の前にちょこっとだけ調弦するときの五度がやけに狭く感じた経験がある人はいませんか? アレは演奏家がその効果を知っていて、意識的にやっているのです。 でも人に悟られないように、そっと一瞬だけで終わらせるようにします。 平均律の五度が純正五度に対して狭く聞こえる程度が「髪の毛一本」ほどなら、古典音律の狭い五度は感覚的には「髪の毛三本」くらいと言うのが平均的な人間の感覚ではないでしょうか。 この五度は緊張感があって少し背中がゾクッと感じるかも知れませんが、でも五度として許されない程ではないはずです。 それでブラームス以前のソナタを演るときは仮にピアノが平均律で調律されていても、このようにソロバイオリンの五度を少し狭くするだけで美しく響きます。
前の発言でも書いたようにヨーロッパの著名弦楽四重奏団は意識的に狭めの五度でチューニングしていますが、彼らはそれを古典音律(的)だと意識していないようにも思います。伝統に基づく経験則、そういう位置付けではないでしょうか。従って、もし僕の提言に賛同される場合でも、あまり他人に吹聴しないで、仲間内だけでそっとおやりになることをお勧めします。
スガラボット
[071114 12:30]
<アマチュアチェロ弾き>さま、
>ただハイドンの弦楽四重奏「皇帝」2楽章を例に説明されているのなら
これは実は別スレッド「重音3度のイントーネーション」の[35406]
でjackさんが紹介された内容です。以下に引用します。
> へマン著の「弦楽器のイントネーション」で弦楽四重奏のイントネーションを解説しています。ハイドン「皇帝」の変奏曲のテーマを例として、1stVnはピュタゴラス律、2ndVnはその旋律に対して純正3度、6度でハーモニーをつける、という説明をしていました。
僕もこの説に対してアマチュアチェロ弾きさんと同様に懐疑的なのはこれまでの発言の通りです。⇒jackさん、もしこのスレッドをお読みならこれについてもう少し解説していただけると嬉しいのですが…。
<アマチュアチェロ弾き>さま、<catgut>さま、
> 「調性感」が「古典音律の色彩感」とは別物であるのかどうか
この件については先にも書いたように僕はよく分からないのですが、『ニ長調は祭典的だとかハ短調が悲劇的だとか』言われる「調性感」と云うのは、オーケストラなどにおける各楽器の調による音色の差や、そういう効果を意識して作曲家が書いた作品の印象が定着した結果生まれた感覚表現だという説明には説得力がありますね。その意味で別物だと云うことは判りましたが、「古典音律の色彩感」が多少とも寄与しているのではないかとは思っています。
<アマチュアチェロ弾き>さま、
> 弦楽四重奏のレッスンなどでは … Va/Vcの低弦を高めに調弦するように … 全くその通りだと思います。… 完全五度を702centから狭めることに異議を唱えることはしませんが、一気に696centまで持って行くのではなく、700centくらいで一休みしてはいかがでしょう。
弦楽器のチューニングで五度を平均律(700cent)で調弦することは、僕の理解では、(商業音楽の世界で)現在広く一般的に行われていることだと思っています。チューナーを使ったことがないバイオリンの先生でもピアノに合わせて平均律で調弦する習慣はついているのではないでしょうか。たとえ、ピタゴラス律的に旋律ラインを重視して、導音や長三度の音程を高めにとることはあるにしてもです。
ですからレッスンで「Va/Vcの低弦を高めに調弦するように」教えられるとすれば、700centより狭めにと言う意味だと理解しています。確かにABQ等と合わせるとき696(正確にはVM1-Ⅲで696.01)で均等にとるとVaの"C"が少し高い感じがするので、彼らのチューニングはKB3の696.58、或いはもう少し広いのかも知れませんが…。
> 鍵盤楽器に比べて弦楽器の演奏精度は、音律を云々出来るほどに高いものとは思っておりません。例え調弦を古典音律に合わせても、それ以外の音(つまり開放弦以外の音)を古典音律で弾けるのかと言う疑問が残ります。
確かに弦楽器の演奏は左指のちょっとした傾きで5セントや10セントくらい簡単に変わります。またヴィブラートの要素もあって、チェンバロやピアノのように厳密な音律を議論しても不毛な議論に終わってしまうことでしょう。ただし実は調弦をこの様な関係で行うと、左指がある音を押さえて弾くとき、その音が調弦した他の弦と共鳴するため、その音律の正しい音(の付近)を押さえたときに楽器全体の響きが一番美しくなります。もちろんこの美しく響く音は純正の三度にはかなり近いはずですが、他の弦との関係もあってやはり4本の弦を調弦したときの音律の方向に、純正な関係からはかなり引きずられているのではないかと僕は感じます。
この楽器全体が共鳴する感覚は、別スレッドで書いたように僕が今実践している「弦を指板に付けないで弾く」奏法とも関連して、耳ばかりではなく、指と楽器を支えている身体全体で感じます。 この感覚は大なり小なり皆さんも通常の演奏時に感じておられることと思います。僕は経験がないのですが、よくサイレントバイオリンは楽器の共鳴を指や身体で感じないので弾きにくいと云いますよね。それと同じではないかと思います。
絶対音感があって、20セントも狂うと大騒ぎする人も居られるようですが、僕のような騨耳の持ち主にとっては、音程は独立したものではなく楽器全体の響きの中で捉えているので、一週間もすればこういう音程で弾くことに慣れてしまいます。 そして何はともかく、例えばこの狭めの調弦で、G線の開放と隣のD線のE音の重音(6度)を弾いたとき「ああハモっているな」と感じた1の指の音程と、次にその同じE音をA線の開放と重音(4度)を弾いたときに指をずらすことなく美しく響いていることを感じると、とても幸せに感じます。
この話を信じるのも信じないのもそれは皆さん次第ですが、この様に「髪の毛三本程」5度を狭めに調弦してみて、前の6度/4度の重音のことが正しいかどうか、それと何か古典を一曲弾いてみてどんな感じか、一度お試しなってはいかがでしょうか。別にチューナーを使った厳密なチューニングでなくても傾向は判ると思いますから。
僕の書き込みと少しの時間で前後して発言されたようでレスが遅くなりました。以下項目毎に書かせていただきます。
> ピュタゴラス律で演奏される旋律に対して、伴奏は全く切り離して考えるべきだと思いますよ。恐らく『旋律はピュタゴラス律で、伴奏は純正律で』と書いて有ったのではないでしょうか。
僕もそのご意見に全く賛成です。ただハイドンの弦楽四重奏「皇帝」2楽章を例に説明されているのなら旋律と伴奏として切り離して考えられるとは思えませんが…。
> 私は「よく言われるニ長調は祭典的だとかハ短調が悲劇的だとか」というのと、古典音律の色彩感とは別物という見方としています。
「調性感」が「古典音律の色彩感」とは別物であるのかどうか、僕も専門家ではないのでよく判りません。ミーントーントは#と♭等の調性記号が2~3個以下の調で三度が純正に響和するように、五度を犠牲にして配置された音律ですから、それらの調の間では色彩感にあまり差がないと思います。ところで、もしアマチュアチェロ弾きさんも認めておられるように古典音律に伴う(調毎に固有な響きの緊張感に基づく)色彩感と「調性感」の間に関係がないのなら「調性感」って何なんでしょう。もしそれがピッチの差に基づくものなら現代の平均律にも同じように適用できると思いますが、僕が感覚音痴なのか自分では判りません。それに250年程前はAのピッチが415Hz程度だったとすると今の440(442)Hzに比べて約半音低かった訳で、それで当時と今とが同じ調性感を云々するのは変ですよね。
> 文脈からすると『完全五度』ではなく『純正五度』だろうと思います。
済みません、その通りです。僕自身がこの二つの言葉を混同して使用しておりました。『完全五度』と言う言葉は音楽用語として存在しないのかな。
> しかし、それを弦楽器の調律に適用するというのはいかがなものでしょう。
<スレ主の意見>
このご意見が今、日本の音楽界では大多数意見だということは承知しております。それに対するアンチテーゼとして僕はこのスレッドを建てたのですから。ただ僕はベキ論でこの議論を始めたわけではありません。「何とか仲間と演る弦楽四重奏を美しく響かせるようにしたい」これが唯一最大の目的でした。それでヨーロッパの著名弦楽四重奏団のCDと合わせて弾いてみるなどする中から、どうも秘密の一つは彼らの調弦にあるようだと気付いたのです。前にも書きましたが、弦楽四重奏のレッスンを受けると必ず「狭めに調弦」するように指導されます。しかし、ではそれがどの程度かと言うことについては具体的には教えてくれません。その「程度」を求めて色々試行錯誤を重ねるうちに、それはどうも古典音律に近いものらしいことが判ってきました。こうしてかれこれ1年以上、仲間とのカルテットを通じて実践してきた結果、かなりの確信が持てたため、こうしてこの掲示板で発言するに至ったわけです。
日本の音楽界では今、平均律で演奏するのが業界の常識になっています。学校や先生から教わるのもそうです。それに音楽学校で教えるバイオリン奏法はソリスト向けの奏法ですから、ピタゴラス音律に近い平均律の旋律的な美しさを優先するため、古典音律の話は出てきません。前に一度TVで、女流バイオリニストの、すごく綺麗にハモったモーツアルトのVnコンチェルトを聴いたことがありますが、綺麗にハモりすぎて、肝心のソロの演奏があまり浮き出て聞こえて来なかった経験があります。別スレッドで下にかけるのが正しい、いや上下均等だと議論の華やかなヴィブラート奏法もそうですが、ソリストにはソリストの奏法があるのです。
アンサンブルにはアンサンブルの奏法があって然るべきだと思いますが、平均律重視の今の音楽界で古楽以外に古典音律が登場する機会はありません。唯一の例外が先程の室内楽のレッスンで「狭めの調弦」と言われる、これだけなのです。こうした環境の中でアンサンブルで古典音律によるチューニングなどと言えば、仕事をさせてもらえなくなります。
ただこうした環境にあっても、結果さえ良ければいいので、静かに黙って実践している人はいます。よくバイオリンリサイタルなんかで演奏の前にちょこっとだけ調弦するときの五度がやけに狭く感じた経験がある人はいませんか? アレは演奏家がその効果を知っていて、意識的にやっているのです。 でも人に悟られないように、そっと一瞬だけで終わらせるようにします。 平均律の五度が純正五度に対して狭く聞こえる程度が「髪の毛一本」ほどなら、古典音律の狭い五度は感覚的には「髪の毛三本」くらいと言うのが平均的な人間の感覚ではないでしょうか。 この五度は緊張感があって少し背中がゾクッと感じるかも知れませんが、でも五度として許されない程ではないはずです。 それでブラームス以前のソナタを演るときは仮にピアノが平均律で調律されていても、このようにソロバイオリンの五度を少し狭くするだけで美しく響きます。
前の発言でも書いたようにヨーロッパの著名弦楽四重奏団は意識的に狭めの五度でチューニングしていますが、彼らはそれを古典音律(的)だと意識していないようにも思います。伝統に基づく経験則、そういう位置付けではないでしょうか。従って、もし僕の提言に賛同される場合でも、あまり他人に吹聴しないで、仲間内だけでそっとおやりになることをお勧めします。
スガラボット
[071114 12:30]
<アマチュアチェロ弾き>さま、
>ただハイドンの弦楽四重奏「皇帝」2楽章を例に説明されているのなら
これは実は別スレッド「重音3度のイントーネーション」の[35406]
[35406]
Re: 重音3度のイントネーション
投稿日時:2007年11月06日 03:53
投稿者:jack(ID:IRhTIHg)
へマン著の「弦楽器のイントネーション」で弦楽四重奏のイントネーションを解説しています。ハイドン「皇帝」の変奏曲のテーマを例として、1stVnはピュタゴラス律、2ndVnはその旋律に対して純正3度、6度でハーモニーをつける、という説明をしていました。
通奏低音の上につける、旋律の下につける、対位法的に全く独立させる、など方針は色々あるでしょうが、テンポによっても違ってくるでしょうし、それぞれに合理的な理由があって、どれが正しいとは言えないのではないでしょうか。
通奏低音の上につける、旋律の下につける、対位法的に全く独立させる、など方針は色々あるでしょうが、テンポによっても違ってくるでしょうし、それぞれに合理的な理由があって、どれが正しいとは言えないのではないでしょうか。
> へマン著の「弦楽器のイントネーション」で弦楽四重奏のイントネーションを解説しています。ハイドン「皇帝」の変奏曲のテーマを例として、1stVnはピュタゴラス律、2ndVnはその旋律に対して純正3度、6度でハーモニーをつける、という説明をしていました。
僕もこの説に対してアマチュアチェロ弾きさんと同様に懐疑的なのはこれまでの発言の通りです。⇒jackさん、もしこのスレッドをお読みならこれについてもう少し解説していただけると嬉しいのですが…。
<アマチュアチェロ弾き>さま、<catgut>さま、
> 「調性感」が「古典音律の色彩感」とは別物であるのかどうか
この件については先にも書いたように僕はよく分からないのですが、『ニ長調は祭典的だとかハ短調が悲劇的だとか』言われる「調性感」と云うのは、オーケストラなどにおける各楽器の調による音色の差や、そういう効果を意識して作曲家が書いた作品の印象が定着した結果生まれた感覚表現だという説明には説得力がありますね。その意味で別物だと云うことは判りましたが、「古典音律の色彩感」が多少とも寄与しているのではないかとは思っています。
<アマチュアチェロ弾き>さま、
> 弦楽四重奏のレッスンなどでは … Va/Vcの低弦を高めに調弦するように … 全くその通りだと思います。… 完全五度を702centから狭めることに異議を唱えることはしませんが、一気に696centまで持って行くのではなく、700centくらいで一休みしてはいかがでしょう。
弦楽器のチューニングで五度を平均律(700cent)で調弦することは、僕の理解では、(商業音楽の世界で)現在広く一般的に行われていることだと思っています。チューナーを使ったことがないバイオリンの先生でもピアノに合わせて平均律で調弦する習慣はついているのではないでしょうか。たとえ、ピタゴラス律的に旋律ラインを重視して、導音や長三度の音程を高めにとることはあるにしてもです。
ですからレッスンで「Va/Vcの低弦を高めに調弦するように」教えられるとすれば、700centより狭めにと言う意味だと理解しています。確かにABQ等と合わせるとき696(正確にはVM1-Ⅲで696.01)で均等にとるとVaの"C"が少し高い感じがするので、彼らのチューニングはKB3の696.58、或いはもう少し広いのかも知れませんが…。
> 鍵盤楽器に比べて弦楽器の演奏精度は、音律を云々出来るほどに高いものとは思っておりません。例え調弦を古典音律に合わせても、それ以外の音(つまり開放弦以外の音)を古典音律で弾けるのかと言う疑問が残ります。
確かに弦楽器の演奏は左指のちょっとした傾きで5セントや10セントくらい簡単に変わります。またヴィブラートの要素もあって、チェンバロやピアノのように厳密な音律を議論しても不毛な議論に終わってしまうことでしょう。ただし実は調弦をこの様な関係で行うと、左指がある音を押さえて弾くとき、その音が調弦した他の弦と共鳴するため、その音律の正しい音(の付近)を押さえたときに楽器全体の響きが一番美しくなります。もちろんこの美しく響く音は純正の三度にはかなり近いはずですが、他の弦との関係もあってやはり4本の弦を調弦したときの音律の方向に、純正な関係からはかなり引きずられているのではないかと僕は感じます。
この楽器全体が共鳴する感覚は、別スレッドで書いたように僕が今実践している「弦を指板に付けないで弾く」奏法とも関連して、耳ばかりではなく、指と楽器を支えている身体全体で感じます。 この感覚は大なり小なり皆さんも通常の演奏時に感じておられることと思います。僕は経験がないのですが、よくサイレントバイオリンは楽器の共鳴を指や身体で感じないので弾きにくいと云いますよね。それと同じではないかと思います。
絶対音感があって、20セントも狂うと大騒ぎする人も居られるようですが、僕のような騨耳の持ち主にとっては、音程は独立したものではなく楽器全体の響きの中で捉えているので、一週間もすればこういう音程で弾くことに慣れてしまいます。 そして何はともかく、例えばこの狭めの調弦で、G線の開放と隣のD線のE音の重音(6度)を弾いたとき「ああハモっているな」と感じた1の指の音程と、次にその同じE音をA線の開放と重音(4度)を弾いたときに指をずらすことなく美しく響いていることを感じると、とても幸せに感じます。
この話を信じるのも信じないのもそれは皆さん次第ですが、この様に「髪の毛三本程」5度を狭めに調弦してみて、前の6度/4度の重音のことが正しいかどうか、それと何か古典を一曲弾いてみてどんな感じか、一度お試しなってはいかがでしょうか。別にチューナーを使った厳密なチューニングでなくても傾向は判ると思いますから。
[35500]
Re: 弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月15日 00:10
投稿者:アマチュアチェロ弾き(ID:MFdyYyU)
スガラボットさん
レスはゆっくりでかまいません。
>「古典音律の色彩感」が多少とも寄与しているのではないかとは思っています。
これに関しては、新事実が提示されれば議論の発展が望めるかもしれませんね。
>弦楽器のチューニングで五度を平均律(700cent)で調弦することは、僕の理解では、(商業音楽の世界で)現在広く一般的に行われていることだと思っています。
私はプロ・アマ問わず弦楽器奏者との付き合いはかなり多いほうだと思いますが、意識的に平均律で調律しているという人には一度もお目にかかったことがありません。平均律のピアノから音を取るにしてもA音のみをもらって、後はそのA音を基に調弦すると思います。ピアノの調律の場合、完全五度の2音を同時に鳴らして、そのうなりをカウントすることにより平均律に調律しますが、少なくとも弦楽器奏者でわざわざそのようなことをしている人を見たことがありません。ここをご覧の皆様も恐らく2本同時に鳴らして、極力うなりの無いように合わせておられるのではないでしょうか。その結果どの程度正確に純正五度になっているかは別として。
チューナーで合わせるにしても、4本ともチューナーを使う人は少なくとも私の周りには一人もいません。
レスはゆっくりでかまいません。
>「古典音律の色彩感」が多少とも寄与しているのではないかとは思っています。
これに関しては、新事実が提示されれば議論の発展が望めるかもしれませんね。
>弦楽器のチューニングで五度を平均律(700cent)で調弦することは、僕の理解では、(商業音楽の世界で)現在広く一般的に行われていることだと思っています。
私はプロ・アマ問わず弦楽器奏者との付き合いはかなり多いほうだと思いますが、意識的に平均律で調律しているという人には一度もお目にかかったことがありません。平均律のピアノから音を取るにしてもA音のみをもらって、後はそのA音を基に調弦すると思います。ピアノの調律の場合、完全五度の2音を同時に鳴らして、そのうなりをカウントすることにより平均律に調律しますが、少なくとも弦楽器奏者でわざわざそのようなことをしている人を見たことがありません。ここをご覧の皆様も恐らく2本同時に鳴らして、極力うなりの無いように合わせておられるのではないでしょうか。その結果どの程度正確に純正五度になっているかは別として。
チューナーで合わせるにしても、4本ともチューナーを使う人は少なくとも私の周りには一人もいません。
[35501]
Re: 弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月15日 01:31
投稿者:スガラボット(ID:QkhEczA)
<アマチュアチェロ弾き>さん、
> ピアノの調律の場合、完全五度の2音を同時に鳴らして、そのうなりをカウントすることにより平均律に調律しますが、少なくとも弦楽器奏者でわざわざそのようなことをしている人を見たことがありません。
バイオリンの五度を平均律に合わせるときにうなり数える人というのは僕も聞いたことがありません。うなりというのは非常に振動数の近い二つの音が同じくらいの強さのときに感じる現象で、それが数えられるのは振動数の差が数Hz以下のときでしかありません。ピアノなどで五度を合わせるとき、うなりとして聞こえるのは低い音の3倍と五度上の高い音の2倍の振動数の差が数Hz以内になるからですが、これはほぼ同じ音量で叩いた鍵盤楽器の2つの音が自由減衰振動で次第に消えてゆくときによく耳を澄ませば聞こえるという現象です。バイオリンのように弓で弾く強制振動で、しかもピアノに比べてはるかに高次の倍音成分を多くの含むバイオリンの五度の調弦でうなりが聞こえた経験など僕にはありません。バイオリンを調弦するとき、純正五度か、平均律或いはそれより狭い古典音律の五度かの差は響きの緊張感の差でしかありません。僕らの仲間を別にすれば弦楽器の調弦のときチューナーを使う人は少数派だと思いますが、だからといってチューナーを使わない多数の人が純正五度で合わせていると判断するのは少し早計ではないでしょうか。
それでこの議論の結論と言っては何ですが、純正五度もしくは平均律でで調弦してアンサンブルをすることに不都合を感じていない人に、僕の提言を実践して頂く必要は全くありません。また、それは著名弦楽四重奏団がピタゴラス音律或いは平均律で演奏していると感じている人についても同様です。これは、旋律ラインをピタゴラス音律或いは平均律で弾き、それに対する随伴音が純正的に聞こえるように、和音を付けているパートの奏者が和音の構成を常に考えながら音程を調節しながら演奏していると信じておられる人を含みます。
こういう周囲環境の中で僕らのような異端者は、この小さな秘密をなるべく他の人に知られないように『密かに潜行してさりげなく実践している。』という状況が一番適していそうだと言うことが、今回の発言でよく分かりました。
> ピアノの調律の場合、完全五度の2音を同時に鳴らして、そのうなりをカウントすることにより平均律に調律しますが、少なくとも弦楽器奏者でわざわざそのようなことをしている人を見たことがありません。
バイオリンの五度を平均律に合わせるときにうなり数える人というのは僕も聞いたことがありません。うなりというのは非常に振動数の近い二つの音が同じくらいの強さのときに感じる現象で、それが数えられるのは振動数の差が数Hz以下のときでしかありません。ピアノなどで五度を合わせるとき、うなりとして聞こえるのは低い音の3倍と五度上の高い音の2倍の振動数の差が数Hz以内になるからですが、これはほぼ同じ音量で叩いた鍵盤楽器の2つの音が自由減衰振動で次第に消えてゆくときによく耳を澄ませば聞こえるという現象です。バイオリンのように弓で弾く強制振動で、しかもピアノに比べてはるかに高次の倍音成分を多くの含むバイオリンの五度の調弦でうなりが聞こえた経験など僕にはありません。バイオリンを調弦するとき、純正五度か、平均律或いはそれより狭い古典音律の五度かの差は響きの緊張感の差でしかありません。僕らの仲間を別にすれば弦楽器の調弦のときチューナーを使う人は少数派だと思いますが、だからといってチューナーを使わない多数の人が純正五度で合わせていると判断するのは少し早計ではないでしょうか。
それでこの議論の結論と言っては何ですが、純正五度もしくは平均律でで調弦してアンサンブルをすることに不都合を感じていない人に、僕の提言を実践して頂く必要は全くありません。また、それは著名弦楽四重奏団がピタゴラス音律或いは平均律で演奏していると感じている人についても同様です。これは、旋律ラインをピタゴラス音律或いは平均律で弾き、それに対する随伴音が純正的に聞こえるように、和音を付けているパートの奏者が和音の構成を常に考えながら音程を調節しながら演奏していると信じておられる人を含みます。
こういう周囲環境の中で僕らのような異端者は、この小さな秘密をなるべく他の人に知られないように『密かに潜行してさりげなく実践している。』という状況が一番適していそうだと言うことが、今回の発言でよく分かりました。
[35502]
Re: 弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月15日 03:03
投稿者:jack(ID:IRhTIHg)
先週はオケの本番があったためレス遅くなりました。ヘマン女史は確か欧州の音楽院で教鞭を取られた方と思います。「皇帝」のイントネーションや著名SQのヴィオリストの話は、現在旅行中で本が手元に無いため、記憶に基づいて書いたものです。もしご希望あれば帰国後著書を参照し詳細お伝えしたいと思います。
彼女の教えと適用範囲については玉木先生が↓で論じておられます。ご参考まで。
ttp://www.archi-music.com/tamaki/string3.html
彼女の教えと適用範囲については玉木先生が↓で論じておられます。ご参考まで。
ttp://www.archi-music.com/tamaki/string3.html
[35503]
Re: 弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月15日 08:41
投稿者:catgut(ID:IYUjYYQ)
ご参考です。
グァルネリカルテットの「カルテットの技法」の原文の一部がgoogleのブック検索で読めます。
ttp://books.google.co.jp/books?id=9dCWkHjzejgC&pg=PP1&dq=The+Art+of+Quartet+Playing&as_brr=3&sig=L_gzvNQcbYMWbzPd1L6Sm-PGy1E
The Art of Quartet Playing
p26-p29
Tuning; Intonation
SOYER
Another important consideration in tuning is that, as Casals pointed out, the the two lower strings of the cello - and of the viola, too - should be tuned just a shade sharp. In other words, the G string is brought up a little, narrowing the fifth between the G and D; the C is then raised accordingly. This creates much better intonation when playing with the violins or with a piano.
グァルネリカルテットの「カルテットの技法」の原文の一部がgoogleのブック検索で読めます。
ttp://books.google.co.jp/books?id=9dCWkHjzejgC&pg=PP1&dq=The+Art+of+Quartet+Playing&as_brr=3&sig=L_gzvNQcbYMWbzPd1L6Sm-PGy1E
The Art of Quartet Playing
p26-p29
Tuning; Intonation
SOYER
Another important consideration in tuning is that, as Casals pointed out, the the two lower strings of the cello - and of the viola, too - should be tuned just a shade sharp. In other words, the G string is brought up a little, narrowing the fifth between the G and D; the C is then raised accordingly. This creates much better intonation when playing with the violins or with a piano.
[35504]
Re: 弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月15日 11:27
投稿者:スガラボット(ID:l1cQQwA)
<jack>さん、
オケの本番から直ぐ外国へご旅行というご多用の中、レス頂いて本当に有り難うございます。へマン女史の件、帰国されてからで結構ですから、何か判りましたらよろしくお願い致します。
それと、玉木弘樹氏のHPのご紹介有り難うございます。今読み直してみました。これはHPのタイトルからレッスンの友社「ストリング」2003年9月-2006年3月号連載記事から転載されたもののようですが、玉木氏がへマン女史の著作を『ピタゴラス音律と純正律の違いを実践するに当っては、すばらしい指針となる本です。』と紹介されつつも、議論の中で『へマン女史の誤解と限界』という副題で節を区切って反論されているところが興味深かったです。先に僕が書いたG-Eの6度からE-Aの4度を弾くときに1の指をズリ上げる話も出ていて、大体の論旨は僕の議論と整合しているように思いました。(彼は弦楽器を古典音律風に調弦しろとは書いていませんが…。)
また玉木氏は「メロディを純正の音程でとることに拘りすぎると、伴奏の和音が純正律のとき … ハモった響きの中に音程が吸収されてしまい、横の線的な(メロディの)流れが浮き立ってこないのです。」と、僕が前の発言で書いたモーツアルトのVn協の例と同じことを言っておられます。
玉木氏の話の中に『モーツァルトは、「正しい響きの伝道者」と呼ばれたほどの純正律主義者(鍵盤曲は中全音律で演奏していた)…』とありますが、これによると玉木理論において中全音律は広い意味で純正律主義の範疇に含まれること、そして鍵盤曲がそうなら弦楽合奏曲もそのように弾いた方がモーツアルトの考えに沿うのではないかと思いますが、いかがでしょうか。 因みに弦楽四重奏の調弦(C-G-D-A-E)に関する限り、中全音律(ミーントーン)とキルンベルガー3は全く同じになります。
<catgut>さん、
> グァルネリカルテットの「カルテットの技法」の原文の一部がgoogleのブック検索で読めます。
とのご紹介有り難うございます。ここでは、カザルスも指摘したようにVcとVaの低減2本は"a shade sharp"に調弦しろといっていますね。言い直して"a little, narrowing the fifth"(五度より少し狭く)とも言っていますが、これだけでは「髪の毛一本」なのか「髪の毛三本」なのかはよく分かりません。これはガルネリカルテットのいう"fifth"(五度)がピタゴラス五度なのか平均律五度なのか判れば手がかりになると思うんですけど。
オケの本番から直ぐ外国へご旅行というご多用の中、レス頂いて本当に有り難うございます。へマン女史の件、帰国されてからで結構ですから、何か判りましたらよろしくお願い致します。
それと、玉木弘樹氏のHPのご紹介有り難うございます。今読み直してみました。これはHPのタイトルからレッスンの友社「ストリング」2003年9月-2006年3月号連載記事から転載されたもののようですが、玉木氏がへマン女史の著作を『ピタゴラス音律と純正律の違いを実践するに当っては、すばらしい指針となる本です。』と紹介されつつも、議論の中で『へマン女史の誤解と限界』という副題で節を区切って反論されているところが興味深かったです。先に僕が書いたG-Eの6度からE-Aの4度を弾くときに1の指をズリ上げる話も出ていて、大体の論旨は僕の議論と整合しているように思いました。(彼は弦楽器を古典音律風に調弦しろとは書いていませんが…。)
また玉木氏は「メロディを純正の音程でとることに拘りすぎると、伴奏の和音が純正律のとき … ハモった響きの中に音程が吸収されてしまい、横の線的な(メロディの)流れが浮き立ってこないのです。」と、僕が前の発言で書いたモーツアルトのVn協の例と同じことを言っておられます。
玉木氏の話の中に『モーツァルトは、「正しい響きの伝道者」と呼ばれたほどの純正律主義者(鍵盤曲は中全音律で演奏していた)…』とありますが、これによると玉木理論において中全音律は広い意味で純正律主義の範疇に含まれること、そして鍵盤曲がそうなら弦楽合奏曲もそのように弾いた方がモーツアルトの考えに沿うのではないかと思いますが、いかがでしょうか。 因みに弦楽四重奏の調弦(C-G-D-A-E)に関する限り、中全音律(ミーントーン)とキルンベルガー3は全く同じになります。
<catgut>さん、
> グァルネリカルテットの「カルテットの技法」の原文の一部がgoogleのブック検索で読めます。
とのご紹介有り難うございます。ここでは、カザルスも指摘したようにVcとVaの低減2本は"a shade sharp"に調弦しろといっていますね。言い直して"a little, narrowing the fifth"(五度より少し狭く)とも言っていますが、これだけでは「髪の毛一本」なのか「髪の毛三本」なのかはよく分かりません。これはガルネリカルテットのいう"fifth"(五度)がピタゴラス五度なのか平均律五度なのか判れば手がかりになると思うんですけど。
[35510]
Re: 弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月15日 21:32
投稿者:アマチュアチェロ弾き(ID:MFdyYyU)
スガラボットさん こんばんは。
>これはガルネリカルテットのいう"fifth"(五度)がピタゴラス五度なのか平均律五度なのか判れば手がかりになると思うんですけど。
これは、"This creates much better intonation when playing with the violins or with a piano. "、つまり、五度を狭くすることによりVnやピアノとのより良いイントネーションが作られる、と言っているわけですから、明らかに「純正五度から平均律五度にする」という意味だと思います。Vnが出てくるのは、VnのE線との協和性を高めるためと理解しています。というか、カルテットの講習会ではそのように説明があると思います。
>これはガルネリカルテットのいう"fifth"(五度)がピタゴラス五度なのか平均律五度なのか判れば手がかりになると思うんですけど。
これは、"This creates much better intonation when playing with the violins or with a piano. "、つまり、五度を狭くすることによりVnやピアノとのより良いイントネーションが作られる、と言っているわけですから、明らかに「純正五度から平均律五度にする」という意味だと思います。Vnが出てくるのは、VnのE線との協和性を高めるためと理解しています。というか、カルテットの講習会ではそのように説明があると思います。
[35511]
Re: 弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月15日 22:27
投稿者:スガラボット(ID:lCJGcxA)
<アマチュアチェロ弾き>さん、
貴方が引用された英文は僕も読んでます。アマチュアチェロ弾きサンは『つまり、五度を狭くすることによりVnやピアノとのより良いイントネーションが作られる、と言っているわけですから、明らかに「純正五度から平均律五度にする」という意味だと思います。』と言われますが、平均律のイントネーションが良くないと思うから、もう少し具体的に言うとVa/Vcの低弦を純正五度は勿論、平均律で調弦しても、VnのE線とうまく協和しないから、僕がこうして延々と議論を続けていることを未だにご理解いただいてないようですね。
アマチュアチェロ弾きさんが平均律による調弦がカルテットに良いと思っておられることは分かりましたが、それに疑問を感じて提議している僕の議論を、貴方は「明らかに」という言葉だけで切り捨てようとされているのですか?
貴方が引用された英文は僕も読んでます。アマチュアチェロ弾きサンは『つまり、五度を狭くすることによりVnやピアノとのより良いイントネーションが作られる、と言っているわけですから、明らかに「純正五度から平均律五度にする」という意味だと思います。』と言われますが、平均律のイントネーションが良くないと思うから、もう少し具体的に言うとVa/Vcの低弦を純正五度は勿論、平均律で調弦しても、VnのE線とうまく協和しないから、僕がこうして延々と議論を続けていることを未だにご理解いただいてないようですね。
アマチュアチェロ弾きさんが平均律による調弦がカルテットに良いと思っておられることは分かりましたが、それに疑問を感じて提議している僕の議論を、貴方は「明らかに」という言葉だけで切り捨てようとされているのですか?
[35512]
Re: 弦楽器のイントネーションとアンサンブル
投稿日時:2007年11月16日 00:03
投稿者:アマチュアチェロ弾き(ID:MFdyYyU)
スガラボットさん
何故そのように感情的になられるのか、不思議でなりません。
前にも書いたような気がしますが、スガラボットさんの「髪の毛三本」を否定しているわけでは有りません。そのようになさりたければなさればそれで結構なことです。私はそれがだめだとは一言も言っていません。しかしその理由付けに違和感を感じたのでお話をさせていただいているだけです。別スレによるとスガラボットさんは電子音響エンジニアとのこと。それを踏まえてこちらも少々理屈っぽく書いているかもしれませんが勿論悪意は全く有りません。
もう少し冷静に私の文章を読んでください。
あなたが『"fifth"(五度)がピタゴラス五度なのか平均律五度なのか判れば』と書いておられるので、その英文から『明らかに「純正五度から平均律五度にする」という意味だと思います。』と書いているだけですよ。『狭くした結果、ピアノと合うようになる』ということは、『最初は純正五度であって狭くしたら平均律五度になる』と解釈するのが当然だと思いますが。他にどのような解釈が成り立つのでしょう。逃げないで是非教えてください。
繰り返しますが、あなたの狭い五度を否定しているわけではありませんよ。しかしそこにいたる考え方に疑問を感じるだけです。他の方もここをご覧になっておられるでしょう。電子音響エンジニアのご発言ということで、それなりに信じてしまわれる方もおられると思いますよ。もし私の指摘がおかしければ、感情的にならずに冷静に反論されればそれでよろしいのではないでしょうか。
とりあえず『明らかに「純正五度から平均律五度にする」という意味だと思います。』のどこがどのようにおかしいのか、皆さんにも分かるように冷静にご説明願えませんでしょうか。
何故そのように感情的になられるのか、不思議でなりません。
前にも書いたような気がしますが、スガラボットさんの「髪の毛三本」を否定しているわけでは有りません。そのようになさりたければなさればそれで結構なことです。私はそれがだめだとは一言も言っていません。しかしその理由付けに違和感を感じたのでお話をさせていただいているだけです。別スレによるとスガラボットさんは電子音響エンジニアとのこと。それを踏まえてこちらも少々理屈っぽく書いているかもしれませんが勿論悪意は全く有りません。
もう少し冷静に私の文章を読んでください。
あなたが『"fifth"(五度)がピタゴラス五度なのか平均律五度なのか判れば』と書いておられるので、その英文から『明らかに「純正五度から平均律五度にする」という意味だと思います。』と書いているだけですよ。『狭くした結果、ピアノと合うようになる』ということは、『最初は純正五度であって狭くしたら平均律五度になる』と解釈するのが当然だと思いますが。他にどのような解釈が成り立つのでしょう。逃げないで是非教えてください。
繰り返しますが、あなたの狭い五度を否定しているわけではありませんよ。しかしそこにいたる考え方に疑問を感じるだけです。他の方もここをご覧になっておられるでしょう。電子音響エンジニアのご発言ということで、それなりに信じてしまわれる方もおられると思いますよ。もし私の指摘がおかしければ、感情的にならずに冷静に反論されればそれでよろしいのではないでしょうか。
とりあえず『明らかに「純正五度から平均律五度にする」という意味だと思います。』のどこがどのようにおかしいのか、皆さんにも分かるように冷静にご説明願えませんでしょうか。
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