[39654]
音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年03月28日 16:04
投稿者:pochi(ID:OVMFIBc)
ttp://www.fstrings.com/board/index.asp?id=39390
関連です。
音程感覚に母語の影響は、有る様な無い様な、感じです。こんなのの「分析」にはtartiniは有効な道具の一つになるでしょう。
関連です。
音程感覚に母語の影響は、有る様な無い様な、感じです。こんなのの「分析」にはtartiniは有効な道具の一つになるでしょう。
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Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年04月01日 22:26
投稿者:父娘Vn(ID:QJlUcZU)
もう一つ。
きみたちがうたうおとには、どのおとにも、そのうしろにはかならずはーもにーがあるんだよ、それをいつもかんじてうたいなさい、と、娘の最初のピアノの先生はいつも言っていました。あの日々が懐かしいです。
きみたちがうたうおとには、どのおとにも、そのうしろにはかならずはーもにーがあるんだよ、それをいつもかんじてうたいなさい、と、娘の最初のピアノの先生はいつも言っていました。あの日々が懐かしいです。
[39739]
Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年04月01日 23:02
投稿者:古楽器…(ID:MhiIkpc)
なんだかチャットになって来ましたが…
私の母はピアニストで、初歩からいつも伴奏を付けてくれ、全部記憶しました。ある先生のレッスンで休符の数小節のとき私は心に母の伴奏を思い浮かべていたら「何をしている、次を弾け!」。
不幸なレッスンでした…。そんな先生もいました。当時の水準はそんなもんです。今の若い人にはあり得ないでしょうが…。
やばいなこの話。そろそろこの掲示板から撤退する時期かも知れません。
私の母はピアニストで、初歩からいつも伴奏を付けてくれ、全部記憶しました。ある先生のレッスンで休符の数小節のとき私は心に母の伴奏を思い浮かべていたら「何をしている、次を弾け!」。
不幸なレッスンでした…。そんな先生もいました。当時の水準はそんなもんです。今の若い人にはあり得ないでしょうが…。
やばいなこの話。そろそろこの掲示板から撤退する時期かも知れません。
[39741]
Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年04月01日 23:45
投稿者:海ほたる(ID:MFdyYyU)
[39732]
折角書かれたのに水をさすようで申し訳ないけど・・・
>『旋律の背後に和声がある』と知っていれば、人間は自然にピュタゴラス音程で歌いたくなるのだ、と私は薄々予測しています
『旋律の背後に和声がある』ことと、『人間は自然にピュタゴラス音程で歌いたくなる』ことには何の関係もありません。背後の和声に従うなら、ピュタゴラスではなく、純正律になります。この辺の話はjack氏がどこかでいろいろ書いておられたような。但し私はその説に全面的に賛同するものではありません。AP氏の説がシックリきます。探すのが面倒なので、No.は省略。
ところで古楽器さんは、古楽アンサンブルにおいても「シとミは高く、訴えるような音程」で演奏されるのでしょうか?
[39732]
Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年04月01日 21:57
投稿者:古楽器…(ID:MhiIkpc)
39730 父娘Vn氏
ソルフェージュの先生のことは全く判りませんが、あの女子高校生はピアノも素敵な和声感覚でロマンティックに弾いていました。あの時代はまだ音律論議なども起こらず、ヴァイオリンのレッスンで私などは「シとミは高く、訴えるような音程」と教わったものです。ピュタゴラスという名称は後で知ったものです。理屈を知らずとも『旋律の背後に和声がある』と知っていれば、人間は自然にピュタゴラス音程で歌いたくなるのだ、と私は薄々予測しています。証拠はありませんが、あのお嬢さんが一例かも知れませんよ。
ソルフェージュの先生のことは全く判りませんが、あの女子高校生はピアノも素敵な和声感覚でロマンティックに弾いていました。あの時代はまだ音律論議なども起こらず、ヴァイオリンのレッスンで私などは「シとミは高く、訴えるような音程」と教わったものです。ピュタゴラスという名称は後で知ったものです。理屈を知らずとも『旋律の背後に和声がある』と知っていれば、人間は自然にピュタゴラス音程で歌いたくなるのだ、と私は薄々予測しています。証拠はありませんが、あのお嬢さんが一例かも知れませんよ。
折角書かれたのに水をさすようで申し訳ないけど・・・
>『旋律の背後に和声がある』と知っていれば、人間は自然にピュタゴラス音程で歌いたくなるのだ、と私は薄々予測しています
『旋律の背後に和声がある』ことと、『人間は自然にピュタゴラス音程で歌いたくなる』ことには何の関係もありません。背後の和声に従うなら、ピュタゴラスではなく、純正律になります。この辺の話はjack氏がどこかでいろいろ書いておられたような。但し私はその説に全面的に賛同するものではありません。AP氏の説がシックリきます。探すのが面倒なので、No.は省略。
ところで古楽器さんは、古楽アンサンブルにおいても「シとミは高く、訴えるような音程」で演奏されるのでしょうか?
[39743]
Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年04月02日 05:42
投稿者:父娘Vn(ID:QJlUcZU)
>やばいな
うんうん。やばいですよ。
私もやばくなってきました。撤退も余儀なしでしょうか??
APさんの御説はまあ常識的なラインだと思います。これと古楽器もさんの書かれていることは内容的に対立するものではないように思いますが。
>背後の和声に従うなら、ピュタゴラスではなく、純正律になります。
この御説と[39691]
を比べますと、[39691]
の方が演奏の現場の感覚に近いように思います。
うんうん。やばいですよ。
私もやばくなってきました。撤退も余儀なしでしょうか??
APさんの御説はまあ常識的なラインだと思います。これと古楽器もさんの書かれていることは内容的に対立するものではないように思いますが。
>背後の和声に従うなら、ピュタゴラスではなく、純正律になります。
この御説と[39691]
[39691]
Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年03月30日 08:57
投稿者:AP(ID:EXMpJZE)
Jazzのことは知りません。ジャンル違いですから関係ないでしょう。
> 西洋近代では和声が美しく響くような音律が研究されてきましたが、それは主に鍵盤楽器の調律に関するものであり、弦楽器では和声を重視しつつも各奏者はより「主観的に正しい」音程を取って来たのではないでしょうか。
はて、「主観的に正しい」音程を批判して、ソフトで測定して客観的にみるべきだといっていたのはcatgutさんではないですか。今度は "人のせい" にする作戦ですか? 私は以前から音感を養う訓練をして音程感覚を身に付け、その後理論で補強し、最終的には奏者が美しいと思う音律を追求するべきだと書いてきたのですが、それに対して反論してきたのはcatgutさんの方ですよ。
音律は別に鍵盤楽器の調律に関するものと限定されているものではありません。旋律用にピタゴラス、和声用に純正律があり、それらは数学的にも根拠があるものです。それらを念頭に置きつつ、曲の中で場面場面において奏者が美しい音程を追求してきたわけです。なぜなら開放弦や鍵盤楽器を含む他の種類の楽器とのアンサンブルのため、または曲の旋律成分と和声成分の組み合わせなどが原因で、どちらかの音律で1曲をひきとおすことが必ずしも美しい音程には結びつかないからです。2、3の音律の間で妥協をしなければならないことは、他のスレッドでも書きました。しかしそこに母国語が影響していると言う話は聞いたこともありませんし、音程を追求する上で、考えなければならない要素に言葉が入ってくる理由が見当たりません。音律には全て数学的な裏付けがあります。ところが言語の抑揚はそうではありません。そんな異質な要素は入り込まないでしょう。
例えばピタゴラス音律を逸脱、誇張してより官能的な表現をするように音程を取ったり、あるいは地味に聞こえるようにしたり、ということもありますが、これらは純粋に音程感覚の表情として行うテクニックであるので、別に特定の言語と関わりがあるものではありません。緊張感を出す音程などもうなりの増加などで数学的にも説明がつくものです。
そもそも、母国語が関係していると言い出したのはそちらですから、影響している証明をするのはcatgutさんがするのが筋でしょう。今までに出された論文などは、残念ながら関係ないものばかりで証拠にはなりえませんので、きちんとした論拠をご提示いただければと思います。
> 西洋近代では和声が美しく響くような音律が研究されてきましたが、それは主に鍵盤楽器の調律に関するものであり、弦楽器では和声を重視しつつも各奏者はより「主観的に正しい」音程を取って来たのではないでしょうか。
はて、「主観的に正しい」音程を批判して、ソフトで測定して客観的にみるべきだといっていたのはcatgutさんではないですか。今度は "人のせい" にする作戦ですか? 私は以前から音感を養う訓練をして音程感覚を身に付け、その後理論で補強し、最終的には奏者が美しいと思う音律を追求するべきだと書いてきたのですが、それに対して反論してきたのはcatgutさんの方ですよ。
音律は別に鍵盤楽器の調律に関するものと限定されているものではありません。旋律用にピタゴラス、和声用に純正律があり、それらは数学的にも根拠があるものです。それらを念頭に置きつつ、曲の中で場面場面において奏者が美しい音程を追求してきたわけです。なぜなら開放弦や鍵盤楽器を含む他の種類の楽器とのアンサンブルのため、または曲の旋律成分と和声成分の組み合わせなどが原因で、どちらかの音律で1曲をひきとおすことが必ずしも美しい音程には結びつかないからです。2、3の音律の間で妥協をしなければならないことは、他のスレッドでも書きました。しかしそこに母国語が影響していると言う話は聞いたこともありませんし、音程を追求する上で、考えなければならない要素に言葉が入ってくる理由が見当たりません。音律には全て数学的な裏付けがあります。ところが言語の抑揚はそうではありません。そんな異質な要素は入り込まないでしょう。
例えばピタゴラス音律を逸脱、誇張してより官能的な表現をするように音程を取ったり、あるいは地味に聞こえるようにしたり、ということもありますが、これらは純粋に音程感覚の表情として行うテクニックであるので、別に特定の言語と関わりがあるものではありません。緊張感を出す音程などもうなりの増加などで数学的にも説明がつくものです。
そもそも、母国語が関係していると言い出したのはそちらですから、影響している証明をするのはcatgutさんがするのが筋でしょう。今までに出された論文などは、残念ながら関係ないものばかりで証拠にはなりえませんので、きちんとした論拠をご提示いただければと思います。
[39691]
Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年03月30日 08:57
投稿者:AP(ID:EXMpJZE)
Jazzのことは知りません。ジャンル違いですから関係ないでしょう。
> 西洋近代では和声が美しく響くような音律が研究されてきましたが、それは主に鍵盤楽器の調律に関するものであり、弦楽器では和声を重視しつつも各奏者はより「主観的に正しい」音程を取って来たのではないでしょうか。
はて、「主観的に正しい」音程を批判して、ソフトで測定して客観的にみるべきだといっていたのはcatgutさんではないですか。今度は "人のせい" にする作戦ですか? 私は以前から音感を養う訓練をして音程感覚を身に付け、その後理論で補強し、最終的には奏者が美しいと思う音律を追求するべきだと書いてきたのですが、それに対して反論してきたのはcatgutさんの方ですよ。
音律は別に鍵盤楽器の調律に関するものと限定されているものではありません。旋律用にピタゴラス、和声用に純正律があり、それらは数学的にも根拠があるものです。それらを念頭に置きつつ、曲の中で場面場面において奏者が美しい音程を追求してきたわけです。なぜなら開放弦や鍵盤楽器を含む他の種類の楽器とのアンサンブルのため、または曲の旋律成分と和声成分の組み合わせなどが原因で、どちらかの音律で1曲をひきとおすことが必ずしも美しい音程には結びつかないからです。2、3の音律の間で妥協をしなければならないことは、他のスレッドでも書きました。しかしそこに母国語が影響していると言う話は聞いたこともありませんし、音程を追求する上で、考えなければならない要素に言葉が入ってくる理由が見当たりません。音律には全て数学的な裏付けがあります。ところが言語の抑揚はそうではありません。そんな異質な要素は入り込まないでしょう。
例えばピタゴラス音律を逸脱、誇張してより官能的な表現をするように音程を取ったり、あるいは地味に聞こえるようにしたり、ということもありますが、これらは純粋に音程感覚の表情として行うテクニックであるので、別に特定の言語と関わりがあるものではありません。緊張感を出す音程などもうなりの増加などで数学的にも説明がつくものです。
そもそも、母国語が関係していると言い出したのはそちらですから、影響している証明をするのはcatgutさんがするのが筋でしょう。今までに出された論文などは、残念ながら関係ないものばかりで証拠にはなりえませんので、きちんとした論拠をご提示いただければと思います。
> 西洋近代では和声が美しく響くような音律が研究されてきましたが、それは主に鍵盤楽器の調律に関するものであり、弦楽器では和声を重視しつつも各奏者はより「主観的に正しい」音程を取って来たのではないでしょうか。
はて、「主観的に正しい」音程を批判して、ソフトで測定して客観的にみるべきだといっていたのはcatgutさんではないですか。今度は "人のせい" にする作戦ですか? 私は以前から音感を養う訓練をして音程感覚を身に付け、その後理論で補強し、最終的には奏者が美しいと思う音律を追求するべきだと書いてきたのですが、それに対して反論してきたのはcatgutさんの方ですよ。
音律は別に鍵盤楽器の調律に関するものと限定されているものではありません。旋律用にピタゴラス、和声用に純正律があり、それらは数学的にも根拠があるものです。それらを念頭に置きつつ、曲の中で場面場面において奏者が美しい音程を追求してきたわけです。なぜなら開放弦や鍵盤楽器を含む他の種類の楽器とのアンサンブルのため、または曲の旋律成分と和声成分の組み合わせなどが原因で、どちらかの音律で1曲をひきとおすことが必ずしも美しい音程には結びつかないからです。2、3の音律の間で妥協をしなければならないことは、他のスレッドでも書きました。しかしそこに母国語が影響していると言う話は聞いたこともありませんし、音程を追求する上で、考えなければならない要素に言葉が入ってくる理由が見当たりません。音律には全て数学的な裏付けがあります。ところが言語の抑揚はそうではありません。そんな異質な要素は入り込まないでしょう。
例えばピタゴラス音律を逸脱、誇張してより官能的な表現をするように音程を取ったり、あるいは地味に聞こえるようにしたり、ということもありますが、これらは純粋に音程感覚の表情として行うテクニックであるので、別に特定の言語と関わりがあるものではありません。緊張感を出す音程などもうなりの増加などで数学的にも説明がつくものです。
そもそも、母国語が関係していると言い出したのはそちらですから、影響している証明をするのはcatgutさんがするのが筋でしょう。今までに出された論文などは、残念ながら関係ないものばかりで証拠にはなりえませんので、きちんとした論拠をご提示いただければと思います。
[39744]
Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年04月02日 07:33
投稿者:jack(ID:OFY3FHg)
>理屈を知らずとも『旋律の背後に和声がある』と知っていれば、人間は自然にピュタゴラス音程で歌いたくなるのだ、と私は薄々予測しています。
---
背後の和声に拘わらず旋律はピュタゴラスで歌いたいです。ヘマン「弦楽器のイントネーション」の56ページでは、横の旋律はピュタゴラスで歌い、縦の和声は純正律で付けることを示唆していますね。
---
背後の和声に拘わらず旋律はピュタゴラスで歌いたいです。ヘマン「弦楽器のイントネーション」の56ページでは、横の旋律はピュタゴラスで歌い、縦の和声は純正律で付けることを示唆していますね。
[39747]
Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年04月02日 13:47
投稿者:pochi(ID:OVMFIBc)
[39766]
スレッド林立で閉口します
投稿日時:2009年04月03日 21:09
投稿者:古楽器もやりますが(ID:MhiIkpc)
なんだか次々スレが立ち並んで訳がわからん。
前も言ったようにそろそろやばいのです。
母は存命だし、件の「早く次を弾け」の恩師(私は15人近い恩師が居ます)もあるいはご存命かと…
ちょっとだけ言わせてください。
『旋律の背後に和声があると』
と述べた覚えはまったく有りません。
『旋律の背後に和声があると知っていれば』です。
無伴奏の旋律でも背後に和声を想像する習慣がある人の意味です。まぁあんまりムキなってもしょうがないのでこれくらいにしておきます。
いろいろ言いたいことがあったのですが、ひとつだけ。
歌は大切とcatgutさんが述べたかも知れません。それでふと思い立ってエンリコ・カルーソーの第一次大戦以前の録音を聴きなおしました。
すると妻(ピアニストで声楽のコレペティ)が『この演奏好きじゃない、なんだか声を放り投げるような感じ。だいいち音痴っぽいし』。音楽性に対する受け止め方は時代によって変遷しますね。
--catgut氏---
>>>>>カルーソーが現に感動的な歌を歌っているのに、その歌の音程だけはヴァイオリンは参考にすべきでないなどということがあるのですかね。
----
は従って妻の賛同を決して得られません。まぁ妻は今のオペラ業界にはかなり明るいですが至って無教養な女ですので…
付言します。脱線ですので皆さん読み飛ばしてください。カルーソーの古い録音(1910年以前)は喇叭の前ですが、伴奏のヴァイオリンは既に常時ヴィブラートを掛けています。例の大先生の学説(戦前のオケはノン・ヴィブ)は偽りだと私は思います。それでは本当にお別れを申し上げます。
前も言ったようにそろそろやばいのです。
母は存命だし、件の「早く次を弾け」の恩師(私は15人近い恩師が居ます)もあるいはご存命かと…
ちょっとだけ言わせてください。
『旋律の背後に和声があると』
と述べた覚えはまったく有りません。
『旋律の背後に和声があると知っていれば』です。
無伴奏の旋律でも背後に和声を想像する習慣がある人の意味です。まぁあんまりムキなってもしょうがないのでこれくらいにしておきます。
いろいろ言いたいことがあったのですが、ひとつだけ。
歌は大切とcatgutさんが述べたかも知れません。それでふと思い立ってエンリコ・カルーソーの第一次大戦以前の録音を聴きなおしました。
すると妻(ピアニストで声楽のコレペティ)が『この演奏好きじゃない、なんだか声を放り投げるような感じ。だいいち音痴っぽいし』。音楽性に対する受け止め方は時代によって変遷しますね。
--catgut氏---
>>>>>カルーソーが現に感動的な歌を歌っているのに、その歌の音程だけはヴァイオリンは参考にすべきでないなどということがあるのですかね。
----
は従って妻の賛同を決して得られません。まぁ妻は今のオペラ業界にはかなり明るいですが至って無教養な女ですので…
付言します。脱線ですので皆さん読み飛ばしてください。カルーソーの古い録音(1910年以前)は喇叭の前ですが、伴奏のヴァイオリンは既に常時ヴィブラートを掛けています。例の大先生の学説(戦前のオケはノン・ヴィブ)は偽りだと私は思います。それでは本当にお別れを申し上げます。
[39771]
Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年04月04日 18:10
投稿者:catgut(ID:FGBFJpM)
根本的な話をすると旋律(歌)にとってピタゴラスが絶対的に美しいというわけではありませんね。
日本の伝統音楽の名手の音程を調査した研究がいくつかありますが、西洋の半音からは大きく外れている音があります。小泉文夫氏のテトラコルド説は、簡単に言えば日本の伝統的音楽はほぼ四度の間に1音が入る(西洋的な半音上にあるとは限らない)というものだそうです。
西洋音楽でさえも、ピタゴラスがピタゴラス音律を「発明」してから、理念としてはピタゴラス音律が望ましいとされつつも、実際の歌唱ではピタゴラス音律とは違っていたケースが少なからずあるようです。ガリレイが当時の実際の歌の音律かならずしもピタゴラス音律ではないと指摘している
のもその一例でしょう。
・旋律として魅力的な音程
・和音が濁らない音程
は当然ながら必ずしも一致せず、妥協しつつ演奏されている、ただし西洋音楽では和音の利用が非常に高度化したので、和音が濁らない音律がより重視されてきたということでしょう。
幼少の頃から西洋的な音階に親しんで、日本の民謡などは聞かない家庭で育てば(最近はほとんどそうでしょうが)西洋音階が唯一絶対に美しいと刷り込まれるのは無理もないことです。
日本の伝統音楽の名手の音程を調査した研究がいくつかありますが、西洋の半音からは大きく外れている音があります。小泉文夫氏のテトラコルド説は、簡単に言えば日本の伝統的音楽はほぼ四度の間に1音が入る(西洋的な半音上にあるとは限らない)というものだそうです。
西洋音楽でさえも、ピタゴラスがピタゴラス音律を「発明」してから、理念としてはピタゴラス音律が望ましいとされつつも、実際の歌唱ではピタゴラス音律とは違っていたケースが少なからずあるようです。ガリレイが当時の実際の歌の音律かならずしもピタゴラス音律ではないと指摘している
のもその一例でしょう。
・旋律として魅力的な音程
・和音が濁らない音程
は当然ながら必ずしも一致せず、妥協しつつ演奏されている、ただし西洋音楽では和音の利用が非常に高度化したので、和音が濁らない音律がより重視されてきたということでしょう。
幼少の頃から西洋的な音階に親しんで、日本の民謡などは聞かない家庭で育てば(最近はほとんどそうでしょうが)西洋音階が唯一絶対に美しいと刷り込まれるのは無理もないことです。
[39778]
Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年04月05日 08:56
投稿者:catgut(ID:FGBFJpM)
こんなものまであるのですねえ。
沖電気、BRICs市場向け32和音着信メロディ用音源LSIを開発
BRICs地域の伝統音楽を忠実に再生
ttp://www.sbbit.jp/news/913/
しかしながら、BRICs、特にインドでは民族楽器が多用されている上に独特な音律で音楽が再生されるなど、音楽文化は地域毎に異なっている。そのため、通常の着信メロディLSIが採用している標準仕様「GM音源」では、それらの音楽を忠実に再生することができなかった。沖電気ではこの点に着目し、世界で初めて各地域の音楽を再生するために必要な機能を追加した着信メロディLSIを開発したという。
沖電気、BRICs市場向け32和音着信メロディ用音源LSIを開発
BRICs地域の伝統音楽を忠実に再生
ttp://www.sbbit.jp/news/913/
しかしながら、BRICs、特にインドでは民族楽器が多用されている上に独特な音律で音楽が再生されるなど、音楽文化は地域毎に異なっている。そのため、通常の着信メロディLSIが採用している標準仕様「GM音源」では、それらの音楽を忠実に再生することができなかった。沖電気ではこの点に着目し、世界で初めて各地域の音楽を再生するために必要な機能を追加した着信メロディLSIを開発したという。
[39779]
Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年04月05日 10:36
投稿者:カルボナーレ(ID:ETYneJY)
>catgut氏
貴重な文献を紹介していただけることが多く、それを期待して、長いスレッドにもおつきあいさせていただいています。しかし最近どうもはずれが多いというか、[39778]
のように本題にはほどんど関係なく、かつ非常に浅いところの文献しか出てこず、だんだんと別の方のスレッドのようにブログ化(日記化)しているのが残念です。
輸出用モデルに対しては、廉価な電子キーボードであっても10年以上前から入っている、音色(現地の楽器の音色)と機能(プリセットされた、12音に対しそれぞれどれだけ平均律からずらすかの設定)を、携帯用音源にも搭載しました、という3年前の記事が、このスレッドの本題に関係する何か新しい発見なのでしょうか。
地域毎にその地域独自の楽器を使っていることも、主に欧州地域で標準化されていった西洋音楽とは、まったく異なる音楽理論/文化が地球上の別の地域では存在することも、既知のことであり、その上で今は西洋音楽について議論していると思っておりましたが、catgut氏は西洋音楽以外の音楽理論/文化があることをご存知なかったのでしょうか。
GMの音色は、コストと汎用性(*欧米日での多数派音楽における)を両立させるため、128音色+基本のリズム楽器音で規定されているので、地域独自の楽器(いわゆる民族楽器)の音はこの標準音源仕様の外の世界となります。これはどうしようもない制限で、似た音を使ってそれらしく聴かせるにも限界があります。
音律については、以前に書いた通り、GMで定義されているピッチベンドの値を音毎に個別に設定することにより、音楽作成側で表現することは可能ですので、記事の”GMではできなかった”というのは記者の認識誤りです。キーボード演奏者やオーサリングの観点では、主音と民族音律を入力するとすぐにそれらしく聴こえる機能は便利ですが、音楽製作/供給の商売ベースで考えると、大部分をしめる主要なターゲットが標準として採用している仕様でないと、その機能を楽曲データに組み込むことは危険で使えないということになります。(標準化の方向にもっていけなければ、非常にローカルなキャッチな機能で終わってしまいます。)
極論ですが、「風が吹けば、桶屋が儲かる」的な引用をたくさんするより、catgut氏には、一歩中身に踏み込んでご自分なりの理解をされた上で、深みのあるもの/価値あるものを掲載いただけることを期待します。
貴重な文献を紹介していただけることが多く、それを期待して、長いスレッドにもおつきあいさせていただいています。しかし最近どうもはずれが多いというか、[39778]
[39778]
Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年04月05日 08:56
投稿者:catgut(ID:FGBFJpM)
こんなものまであるのですねえ。
沖電気、BRICs市場向け32和音着信メロディ用音源LSIを開発
BRICs地域の伝統音楽を忠実に再生
ttp://www.sbbit.jp/news/913/
しかしながら、BRICs、特にインドでは民族楽器が多用されている上に独特な音律で音楽が再生されるなど、音楽文化は地域毎に異なっている。そのため、通常の着信メロディLSIが採用している標準仕様「GM音源」では、それらの音楽を忠実に再生することができなかった。沖電気ではこの点に着目し、世界で初めて各地域の音楽を再生するために必要な機能を追加した着信メロディLSIを開発したという。
沖電気、BRICs市場向け32和音着信メロディ用音源LSIを開発
BRICs地域の伝統音楽を忠実に再生
ttp://www.sbbit.jp/news/913/
しかしながら、BRICs、特にインドでは民族楽器が多用されている上に独特な音律で音楽が再生されるなど、音楽文化は地域毎に異なっている。そのため、通常の着信メロディLSIが採用している標準仕様「GM音源」では、それらの音楽を忠実に再生することができなかった。沖電気ではこの点に着目し、世界で初めて各地域の音楽を再生するために必要な機能を追加した着信メロディLSIを開発したという。
輸出用モデルに対しては、廉価な電子キーボードであっても10年以上前から入っている、音色(現地の楽器の音色)と機能(プリセットされた、12音に対しそれぞれどれだけ平均律からずらすかの設定)を、携帯用音源にも搭載しました、という3年前の記事が、このスレッドの本題に関係する何か新しい発見なのでしょうか。
地域毎にその地域独自の楽器を使っていることも、主に欧州地域で標準化されていった西洋音楽とは、まったく異なる音楽理論/文化が地球上の別の地域では存在することも、既知のことであり、その上で今は西洋音楽について議論していると思っておりましたが、catgut氏は西洋音楽以外の音楽理論/文化があることをご存知なかったのでしょうか。
GMの音色は、コストと汎用性(*欧米日での多数派音楽における)を両立させるため、128音色+基本のリズム楽器音で規定されているので、地域独自の楽器(いわゆる民族楽器)の音はこの標準音源仕様の外の世界となります。これはどうしようもない制限で、似た音を使ってそれらしく聴かせるにも限界があります。
音律については、以前に書いた通り、GMで定義されているピッチベンドの値を音毎に個別に設定することにより、音楽作成側で表現することは可能ですので、記事の”GMではできなかった”というのは記者の認識誤りです。キーボード演奏者やオーサリングの観点では、主音と民族音律を入力するとすぐにそれらしく聴こえる機能は便利ですが、音楽製作/供給の商売ベースで考えると、大部分をしめる主要なターゲットが標準として採用している仕様でないと、その機能を楽曲データに組み込むことは危険で使えないということになります。(標準化の方向にもっていけなければ、非常にローカルなキャッチな機能で終わってしまいます。)
極論ですが、「風が吹けば、桶屋が儲かる」的な引用をたくさんするより、catgut氏には、一歩中身に踏み込んでご自分なりの理解をされた上で、深みのあるもの/価値あるものを掲載いただけることを期待します。
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