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音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年03月28日 16:04
投稿者:pochi(ID:OVMFIBc)
ttp://www.fstrings.com/board/index.asp?id=39390
関連です。
音程感覚に母語の影響は、有る様な無い様な、感じです。こんなのの「分析」にはtartiniは有効な道具の一つになるでしょう。
関連です。
音程感覚に母語の影響は、有る様な無い様な、感じです。こんなのの「分析」にはtartiniは有効な道具の一つになるでしょう。
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Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年03月29日 10:39
投稿者:古楽器…(ID:InKRcgc)
ルーマニアの国民的英雄である作曲家兼ヴァイオリニストのエネスクは4分音のソナタを作曲しました。ルーマニア人は4分音でしゃべりますか?
私は違うと思うが反論があるならtartiniでデータを(爆笑)…。
ロマ音楽の音程が特別なのは、ロマの言語から来ますか?
彼等が北部インドから出発して中欧に出現する以前、中近東の楽器の音律に触れたからだ、という説があります。じっさい、ある種のアラブの撥弦楽器のフレットはオクターブを不思議な分け方で分割しています。現物を拝見したので確かです。
単純に「母語のイントネーションが楽器のイントネーション認識を左右する」のは、他の変数の作用を除去してはじめて立証出来る。
『影響があったはずだ』とおっしゃるが、『誤差の範囲内の影響』かも知れません。何度申し上げたらお解りになるのでしょう。『自明だ』とか『でない筈がない』では人を説得できません。
→39670
よく色々なソースを瞬時に持ってきますね。
件のURLからは以下も引用可能です。
--------
大津由紀雄氏(慶應義塾大学教授:言語文化研究所)
『日本語の場合は,ご承知のように高低でアクセントで刻みますが,英語の場合などは強弱,ストレスで刻みます。音楽を身につける時に違いが出てきますか。』
繁下氏
『韻というか,言葉に内在しているリズムやイントネーションのニュアンスを学習することの難しさがあります。日本の子供にとっては当たり前のメロディーラインがあるし,アメリカの子供にとっては当たり前の拍節があります。それが音楽の基本的な違いになります。幼児期にバイリンガル,バイミュージカルになると,かなり複雑になると思います。』
----
欧米人の赤ん坊は拍節で言語を感じており、日本人の赤ん坊はメロディーラインで言語を感じているのだとすれば、イントネーション云々の論議よりも『日本人は本当の拍節感を持ち得ない』という議論になります。我々が日常感じている、日本人演奏家の弱点の由来はここかも知れません。日本人でも幼少から繰り返し西洋音楽を聴いていれば拍節感が身につく、と私などは思っていますが、統計的に日本人プロ音楽家多数のデータを取るなら、やばいのかも知れません。長長短のリズム(ダクチュロス)とか、複付点リズムなんて、メトロノミックには合っていてもなんか変だと指摘される。
くどいですが、イントネーションの問題じゃありませんぜ。
私は違うと思うが反論があるならtartiniでデータを(爆笑)…。
ロマ音楽の音程が特別なのは、ロマの言語から来ますか?
彼等が北部インドから出発して中欧に出現する以前、中近東の楽器の音律に触れたからだ、という説があります。じっさい、ある種のアラブの撥弦楽器のフレットはオクターブを不思議な分け方で分割しています。現物を拝見したので確かです。
単純に「母語のイントネーションが楽器のイントネーション認識を左右する」のは、他の変数の作用を除去してはじめて立証出来る。
『影響があったはずだ』とおっしゃるが、『誤差の範囲内の影響』かも知れません。何度申し上げたらお解りになるのでしょう。『自明だ』とか『でない筈がない』では人を説得できません。
→39670
よく色々なソースを瞬時に持ってきますね。
件のURLからは以下も引用可能です。
--------
大津由紀雄氏(慶應義塾大学教授:言語文化研究所)
『日本語の場合は,ご承知のように高低でアクセントで刻みますが,英語の場合などは強弱,ストレスで刻みます。音楽を身につける時に違いが出てきますか。』
繁下氏
『韻というか,言葉に内在しているリズムやイントネーションのニュアンスを学習することの難しさがあります。日本の子供にとっては当たり前のメロディーラインがあるし,アメリカの子供にとっては当たり前の拍節があります。それが音楽の基本的な違いになります。幼児期にバイリンガル,バイミュージカルになると,かなり複雑になると思います。』
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欧米人の赤ん坊は拍節で言語を感じており、日本人の赤ん坊はメロディーラインで言語を感じているのだとすれば、イントネーション云々の論議よりも『日本人は本当の拍節感を持ち得ない』という議論になります。我々が日常感じている、日本人演奏家の弱点の由来はここかも知れません。日本人でも幼少から繰り返し西洋音楽を聴いていれば拍節感が身につく、と私などは思っていますが、統計的に日本人プロ音楽家多数のデータを取るなら、やばいのかも知れません。長長短のリズム(ダクチュロス)とか、複付点リズムなんて、メトロノミックには合っていてもなんか変だと指摘される。
くどいですが、イントネーションの問題じゃありませんぜ。
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Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年03月29日 11:11
投稿者:catgut(ID:FGBFJpM)
兵庫教育大学 実技教育研究指導センター 音楽科教育分野の教授をされていた鈴木寛氏は以下のように書かれています。
ttp://www.art.hyogo-u.ac.jp/hrsuzuki/DOC/SML2.html
このDiana Deutchの実験による傾向は英語を母国語とする民族とスペイン語を母国語とする民族では異なることも報告されている。使用言語との因果関係はまだ明らかにされていないが、イントネーションに依存する度合いによって民族の音高認識のメタ認知スキーマが異なることによるらしい。単音で聞けばこのパラドックスは起こらないが、二つの音の間(音程)を認知する場合のみにこのパラドックスが存在するということは基本的に我々は基準となるピッチを持っていることになる。そしてその守備範囲は使用言語や音階テーブルの状況と関係があるということになる。
ttp://www.art.hyogo-u.ac.jp/hrsuzuki/DOC/SML2.html
このDiana Deutchの実験による傾向は英語を母国語とする民族とスペイン語を母国語とする民族では異なることも報告されている。使用言語との因果関係はまだ明らかにされていないが、イントネーションに依存する度合いによって民族の音高認識のメタ認知スキーマが異なることによるらしい。単音で聞けばこのパラドックスは起こらないが、二つの音の間(音程)を認知する場合のみにこのパラドックスが存在するということは基本的に我々は基準となるピッチを持っていることになる。そしてその守備範囲は使用言語や音階テーブルの状況と関係があるということになる。
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Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年03月29日 11:26
投稿者:catgut(ID:FGBFJpM)
今回の話は「人間が美しいと感じる音程は意外と個人差があるかもしれない」という話から出発しています。
もしそうならばいかに素晴らしい音程感覚のある人でも自分が「美しい」と思う音程は主観的に決まるのですから、(好きな色とか美女・美男と感じるかどうかと同じです)自分の音程感覚が何に影響されているか自分で意識することは普通はできないでしょう。
だからこそこの調査には客観的な手段が必要です。「個人差がある」のが事実かどうかを含めて調査する必要があると思いますが、それにも客観的な手段が必要です。
あくまで個人的な印象ですが、ラジオもレコードも普及していなかった20世紀初頭までに教育を受け、20世紀前半に活躍したソリストには音程自体に現在より多少差異があるような気がします。これが20世紀前半のヴァイオリニストが現在より個性的に感じる一因(もちろん音程以外の違いのほうが大きいですが)かもしれません。現代ではヴァイオリンの世界でも「標準語化」が進んでいるのかもしれません。
もしそうならばいかに素晴らしい音程感覚のある人でも自分が「美しい」と思う音程は主観的に決まるのですから、(好きな色とか美女・美男と感じるかどうかと同じです)自分の音程感覚が何に影響されているか自分で意識することは普通はできないでしょう。
だからこそこの調査には客観的な手段が必要です。「個人差がある」のが事実かどうかを含めて調査する必要があると思いますが、それにも客観的な手段が必要です。
あくまで個人的な印象ですが、ラジオもレコードも普及していなかった20世紀初頭までに教育を受け、20世紀前半に活躍したソリストには音程自体に現在より多少差異があるような気がします。これが20世紀前半のヴァイオリニストが現在より個性的に感じる一因(もちろん音程以外の違いのほうが大きいですが)かもしれません。現代ではヴァイオリンの世界でも「標準語化」が進んでいるのかもしれません。
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Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年03月29日 11:30
投稿者:古…(ID:InKRcgc)
兵庫教育大学1996年3月 おしい、ちょい古すぎる。
これの追実験データ、13年間ひとつも無いのですか。
追実験が誰の手でもされないことが信憑性に疑問を投げかける。
ある方向性を少なくとも2人の研究者が追求すれば…。
それにしても、やりとりに意味がなくなってきた。
明日のステリハ!ステリハ!(汗)。
これの追実験データ、13年間ひとつも無いのですか。
追実験が誰の手でもされないことが信憑性に疑問を投げかける。
ある方向性を少なくとも2人の研究者が追求すれば…。
それにしても、やりとりに意味がなくなってきた。
明日のステリハ!ステリハ!(汗)。
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Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年03月29日 11:58
投稿者:古…(ID:InKRcgc)
そうですね。建設的な研究は大賛成ですよ…
⇒39673
忙しいので手短に。
非常に優れた和声感覚と様式を備えた一流の演奏家でも、精神状態、会場の音響、共演者、お客との精神交流によって、かなり異なる音程をとります。同じ作品を繰り返し演奏したものが音源として残されている大演奏家を調べると、明らかにそのことが判明します。
もし調査をされるなら、「同一人物の音程のぶれ」も調べる価値ありです。
母語との関係なんかより遥かに有意なデータが得られるでしょう。
⇒39673
忙しいので手短に。
非常に優れた和声感覚と様式を備えた一流の演奏家でも、精神状態、会場の音響、共演者、お客との精神交流によって、かなり異なる音程をとります。同じ作品を繰り返し演奏したものが音源として残されている大演奏家を調べると、明らかにそのことが判明します。
もし調査をされるなら、「同一人物の音程のぶれ」も調べる価値ありです。
母語との関係なんかより遥かに有意なデータが得られるでしょう。
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Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年03月29日 23:32
投稿者:AP(ID:EXMpJZE)
> だからこそこの調査には客観的な手段が必要です。「個人差がある」のが事実かどうかを含めて調査する必要があると思いますが、それにも客観的な手段が必要です。
そこを 「言語のイントネーションによる」 と決め付けていますね。これのどこが客観的なんでしょうか? 100%catgutさんの主観、思い込みでしかないわけですが。
しかし、またやりましたね。関係の無い論文の持ち出し。鈴木寛氏の論文で述べられているDiana Deutchの音高認識のメカニズムは、C3とC4など "1オクターブのピッチ高度の違い" (それもパラドックスを引き起こす特殊な実験での音高認識) において、異なる母国語の民族間で差があると書いているだけです。このスレッドでの論題であるような音程感覚についての記載はありません。リンクしても大半の人が読まないであろうということを利用して、自分の説を裏付けるかのような論文が存在するように見せかけることは止めていただきたいものです。
> 私たちは言語をまさにメロディーとして捉えています。音素が違っても,イントネーションが同じだと,同じように聞こえる。最初の言語は,まさに私たちが音楽的な要素と言っているものだろうと思います。各国の民族音楽でも,言語のイントネーションの拡大した旋律になるので,音程を識別する時は言語のイントネーションのほうが幅が狭いです。普通の言語は音程幅の中に入ってしまっていて,微妙な音程の識別を言語の中でしていることになります。
この引用のどこがcatgutさんの説に適合するのかまったく理解できません。むしろcatgutさんの説を否定していると思います。
> 各国の民族音楽でも,言語のイントネーションの拡大した旋律になる
言語の抑揚より拡大される理由は、音階の1音の幅が言語の抑揚の最小単位より大きいからです。すなわち、言語の抑揚を音楽にするにあたっては、(民族音楽の音階であれ西洋の十二音であれ)既存の音階の規定を受けるわけです。そうして音階によって規定された旋律に、またさらに(二重に)言語の抑揚が影響をあたえるでしょうか?
例: "アーメン" に2度下降の旋律をあてはめた。 加えて2度下降した音は低く取るべきか?
そんなことは無いと思います。すでに2度下降において、"アーメン"の持つ抑揚は表現されているわけです。これ以上追加で下降させる必要はありません。
結論: 言語は歌において旋律に影響をあたえるが、音律には影響をあたえない。
そこを 「言語のイントネーションによる」 と決め付けていますね。これのどこが客観的なんでしょうか? 100%catgutさんの主観、思い込みでしかないわけですが。
しかし、またやりましたね。関係の無い論文の持ち出し。鈴木寛氏の論文で述べられているDiana Deutchの音高認識のメカニズムは、C3とC4など "1オクターブのピッチ高度の違い" (それもパラドックスを引き起こす特殊な実験での音高認識) において、異なる母国語の民族間で差があると書いているだけです。このスレッドでの論題であるような音程感覚についての記載はありません。リンクしても大半の人が読まないであろうということを利用して、自分の説を裏付けるかのような論文が存在するように見せかけることは止めていただきたいものです。
> 私たちは言語をまさにメロディーとして捉えています。音素が違っても,イントネーションが同じだと,同じように聞こえる。最初の言語は,まさに私たちが音楽的な要素と言っているものだろうと思います。各国の民族音楽でも,言語のイントネーションの拡大した旋律になるので,音程を識別する時は言語のイントネーションのほうが幅が狭いです。普通の言語は音程幅の中に入ってしまっていて,微妙な音程の識別を言語の中でしていることになります。
この引用のどこがcatgutさんの説に適合するのかまったく理解できません。むしろcatgutさんの説を否定していると思います。
> 各国の民族音楽でも,言語のイントネーションの拡大した旋律になる
言語の抑揚より拡大される理由は、音階の1音の幅が言語の抑揚の最小単位より大きいからです。すなわち、言語の抑揚を音楽にするにあたっては、(民族音楽の音階であれ西洋の十二音であれ)既存の音階の規定を受けるわけです。そうして音階によって規定された旋律に、またさらに(二重に)言語の抑揚が影響をあたえるでしょうか?
例: "アーメン" に2度下降の旋律をあてはめた。 加えて2度下降した音は低く取るべきか?
そんなことは無いと思います。すでに2度下降において、"アーメン"の持つ抑揚は表現されているわけです。これ以上追加で下降させる必要はありません。
結論: 言語は歌において旋律に影響をあたえるが、音律には影響をあたえない。
[39681]
Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年03月30日 00:29
投稿者:catgut(ID:FGBFJpM)
いくつか参考になる話が掲載されているサイトを紹介します。
まず、音楽の起源についてはいくつか説ありますが、言語が起源であるとする「言語起源説」はルソーらが唱えたもので、有力説です。以下で諸説が解説されています。
著者の井戸和秀氏は音楽教育学の専門家で、岡山大学教授・兵庫教育大学教授を歴任された方です。
ttp://eprints.lib.okayama-u.ac.jp/9990/1/101_0187_0196.pdf
ルソーやスペンサーは、言語の抑揚に歌の起源を求めようとした。(略)言語と歌のリズムや音程について調べれば、その密接な関係は容易に分かる。そのことは子どもの音楽行動の観察からも明らかである。
ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/dentoh37.htm
名歌手ディーリッヒ・フィッシャー=ディースカウは歌唱における朗読の必要性を重視する人ですが、イタリア人歌手の歌うモーツアルトは自分たちドイツ人から見ると正しく歌えていないと言っています。(中略)F=ディースカウは「ロッシーニのオペラのレチタティーヴォはしばしば音楽の流れを重視しすぎてイタリア語のイントネーションから離れているように思われる」ということも言っています
ttp://www.pippo-jp.com/tower/y03/harada_0820.html
レッスンでは、ロシア音楽のイントネーションについて教えをうけました。音楽はその国の言葉と深く結びついており、国々の音楽は、言葉のように、抑揚、アクセント、スピードなどが少しずつ異なっていると。
まず、音楽の起源についてはいくつか説ありますが、言語が起源であるとする「言語起源説」はルソーらが唱えたもので、有力説です。以下で諸説が解説されています。
著者の井戸和秀氏は音楽教育学の専門家で、岡山大学教授・兵庫教育大学教授を歴任された方です。
ttp://eprints.lib.okayama-u.ac.jp/9990/1/101_0187_0196.pdf
ルソーやスペンサーは、言語の抑揚に歌の起源を求めようとした。(略)言語と歌のリズムや音程について調べれば、その密接な関係は容易に分かる。そのことは子どもの音楽行動の観察からも明らかである。
ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/dentoh37.htm
名歌手ディーリッヒ・フィッシャー=ディースカウは歌唱における朗読の必要性を重視する人ですが、イタリア人歌手の歌うモーツアルトは自分たちドイツ人から見ると正しく歌えていないと言っています。(中略)F=ディースカウは「ロッシーニのオペラのレチタティーヴォはしばしば音楽の流れを重視しすぎてイタリア語のイントネーションから離れているように思われる」ということも言っています
ttp://www.pippo-jp.com/tower/y03/harada_0820.html
レッスンでは、ロシア音楽のイントネーションについて教えをうけました。音楽はその国の言葉と深く結びついており、国々の音楽は、言葉のように、抑揚、アクセント、スピードなどが少しずつ異なっていると。
[39682]
Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年03月30日 00:52
投稿者:catgut(ID:FGBFJpM)
APさま、以下のような考え方があるようですがどう思われますか?
ttp://www2.dokidoki.ne.jp/keikus/Ky-123.html
団伊玖磨先生と小泉文夫先生の対談集、「日本音楽の再発見」(1976)をインターネットで見つけて取り寄せました。お二人の先生は既に30年も前に、私の疑問に答えて下さっていました。西欧音階で日本語の歌を歌うこと事体が間違っているとはっきりと言明されていたのです。
ttp://www2.dokidoki.ne.jp/keikus/Ky-123.html
団伊玖磨先生と小泉文夫先生の対談集、「日本音楽の再発見」(1976)をインターネットで見つけて取り寄せました。お二人の先生は既に30年も前に、私の疑問に答えて下さっていました。西欧音階で日本語の歌を歌うこと事体が間違っているとはっきりと言明されていたのです。
[39683]
Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年03月30日 00:57
投稿者:AP(ID:EXMpJZE)
また全然見当違いのことを書いていますね。
それらの論文のどこが、言語から来る音程感覚を立証しているのですか? 全然当てはまっていないようにしか思えませんが。リンク先でディースカウは音程について何もコメントしていないじゃないですか。"必要以上に歌いすぎる" と書いてあるとcatgutさんは脳内翻訳して "音程感が違う" と読むのでしょうが、普通そのようには読みかえないはずです。
何度も書きますが、いい加減そのような似非科学商品宣伝的な手法は止めていただきたいものですね。
音楽の起源が言語であるというのは有力ですし、抑揚から音程、音階が生まれた可能性は確かに高いです。それに関しては一般常識的に私もそう思っていることです。誰も否定はしないでしょう。しかし音律、音階が規定されて以後、作曲家が歌を作曲する場合、抑揚は旋律へと転化するのであって、音律を変化させるものではありません。言語の抑揚は作曲時に反映されるもので、演奏時にそれをさらに誇張させる必要は無いはずです。ですので言語が音律に影響を与えるというのはcatgutさんの妄想です。
それより師弟関係や奏者の専門分野の方がはるかに音律に影響をあたえるともいます。以前の論文の被験者AとCでは両方とも日本人であるにも関わらず随分音程の取り方が違いました。
それからロッシーニはイタリア人ですよ。イタリア人であるロッシーニがそのようにレチタティーボをイタリア言の持つリズムから逸脱させたのは、レチタティーボを純粋に音楽的に高めたくて、言語の制約から自由になろうとしだしたせいかもしれません。その後発展した器楽というジャンルにおいて、言語は参考にすべき点ではあるものの、常にとらわれている必要があるわけではない一因子であると個人的には思います。声楽で不可能な表現ができることが器楽の強みでもあるのですから。作曲家にもよりますが。
それらの論文のどこが、言語から来る音程感覚を立証しているのですか? 全然当てはまっていないようにしか思えませんが。リンク先でディースカウは音程について何もコメントしていないじゃないですか。"必要以上に歌いすぎる" と書いてあるとcatgutさんは脳内翻訳して "音程感が違う" と読むのでしょうが、普通そのようには読みかえないはずです。
何度も書きますが、いい加減そのような似非科学商品宣伝的な手法は止めていただきたいものですね。
音楽の起源が言語であるというのは有力ですし、抑揚から音程、音階が生まれた可能性は確かに高いです。それに関しては一般常識的に私もそう思っていることです。誰も否定はしないでしょう。しかし音律、音階が規定されて以後、作曲家が歌を作曲する場合、抑揚は旋律へと転化するのであって、音律を変化させるものではありません。言語の抑揚は作曲時に反映されるもので、演奏時にそれをさらに誇張させる必要は無いはずです。ですので言語が音律に影響を与えるというのはcatgutさんの妄想です。
それより師弟関係や奏者の専門分野の方がはるかに音律に影響をあたえるともいます。以前の論文の被験者AとCでは両方とも日本人であるにも関わらず随分音程の取り方が違いました。
それからロッシーニはイタリア人ですよ。イタリア人であるロッシーニがそのようにレチタティーボをイタリア言の持つリズムから逸脱させたのは、レチタティーボを純粋に音楽的に高めたくて、言語の制約から自由になろうとしだしたせいかもしれません。その後発展した器楽というジャンルにおいて、言語は参考にすべき点ではあるものの、常にとらわれている必要があるわけではない一因子であると個人的には思います。声楽で不可能な表現ができることが器楽の強みでもあるのですから。作曲家にもよりますが。
[39685]
Re: 音程感覚には母語の影響が出るのか?
投稿日時:2009年03月30日 01:16
投稿者:AP(ID:EXMpJZE)
> 西欧音階で日本語の歌を歌うこと事体が間違っている
日本には固有の音階があるようですから、その方が日本語に合うのは当たり前です。しかし、作曲家が西洋の音階を選択して作曲して日本語の歌詞をつけたなら、その音程で素直に歌うべきで、変に日本の音階を意識する必要は無いでしょう。その必要があるのであれば作曲家が楽譜上で指示を出しているはずです。調弦を変えるように指示を出すほか、微分音などいくらでも技法があるのですから。
それからcatgutさんは「日本音楽の再発見」(1976)これを読まれたのですか? 内容も知らず、「権威者がこれを読んで、こうこう言っているからこれが正しいんだ」と主張するのは、はっきり言って自分で何も考えられない人間のやることです。まずこの本を読んで、内容を提示してください。そうしたらきっちり反論してあげますから。
というか、
> 西欧音階で日本語の歌を歌うこと事体が間違っている
これは逆説的にcatgutさんの言っていることに対する反論になりえますよ。気付いてらっしゃらないのですか? catgutさんの説が正しく、日本人は日本の言語から影響を受けた音律で演奏しているのであれば、西洋音階で日本語の歌を演奏しても問題無いはずです。 ところがそうではないから、団伊玖磨&小泉文夫はこのような発言をしたのでしょう。ということは日本人は西洋の曲をひくにあたって日本語の影響を、少なくとも音律に関しては受けていないと言うことになります。
さてcatgutさんは団伊玖磨&小泉文夫と自分のどちらが正しいと思われますか?
日本には固有の音階があるようですから、その方が日本語に合うのは当たり前です。しかし、作曲家が西洋の音階を選択して作曲して日本語の歌詞をつけたなら、その音程で素直に歌うべきで、変に日本の音階を意識する必要は無いでしょう。その必要があるのであれば作曲家が楽譜上で指示を出しているはずです。調弦を変えるように指示を出すほか、微分音などいくらでも技法があるのですから。
それからcatgutさんは「日本音楽の再発見」(1976)これを読まれたのですか? 内容も知らず、「権威者がこれを読んで、こうこう言っているからこれが正しいんだ」と主張するのは、はっきり言って自分で何も考えられない人間のやることです。まずこの本を読んで、内容を提示してください。そうしたらきっちり反論してあげますから。
というか、
> 西欧音階で日本語の歌を歌うこと事体が間違っている
これは逆説的にcatgutさんの言っていることに対する反論になりえますよ。気付いてらっしゃらないのですか? catgutさんの説が正しく、日本人は日本の言語から影響を受けた音律で演奏しているのであれば、西洋音階で日本語の歌を演奏しても問題無いはずです。 ところがそうではないから、団伊玖磨&小泉文夫はこのような発言をしたのでしょう。ということは日本人は西洋の曲をひくにあたって日本語の影響を、少なくとも音律に関しては受けていないと言うことになります。
さてcatgutさんは団伊玖磨&小泉文夫と自分のどちらが正しいと思われますか?
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