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ノリントン先生は正しいのか | ヴァイオリン掲示板

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雑談・その他 26 Comments
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ノリントン先生は正しいのか

投稿日時:2009年04月05日 23:12
投稿者:室内楽奏者(ID:MhiIkpc)
証拠に基づく建設的な議論をやりたいものです。
別スレでは
☆必要条件に過ぎないものを十分条件と言いくるめようとする
☆特殊例を一般的と主張する
☆Aの結果がBであるものを、あたかもBがAの原因だと強弁する
というような方もいます。

証拠に基づくとは、ソースが明らかで、誰でも追実験できる意です。
----
ttp://www.kanzaki.com/norrington/roger-interview2004.htmlが
マエストロ・ノリントンの主張を正当に反映しているのか断言はできません。しかしそんなに外れないとすると、ノリントン先生は
「1930年代まではヴィブラートが使われていなかった」
と主張していることになります。
(判断に間違いがあれば指摘をお願いします)
とすると、証拠に基づき、ノリントン先生に反駁できます。
---------
{証拠1}アルバート・サモンズによるエルガーのヴァイオリン協奏曲
(1929年3月18日と4月10日録音:ニュー・クイーンズホール・オーケストラ 指揮ヘンリー・ウッド)
はソロイストは常時ヴィブラートですし、オケも普通に掛けています。Naxos 8.110951


{証拠2}ワーナーヴィジョン・ジャパン発売のDVD
"The Art of Conducting" 『第1巻 』
フェリックス・ワインガルトナー指揮 パリ交響楽団による1932年の記録映画。
ウェーバー「魔段の射手」序曲の演奏において、ヴァイオリンとチェロの大部分の奏者は現代のオケとさほど変わらぬヴィブラートを掛けている。
公平のため付言すれば一部の奏者のヴィブラートは指のヴィブラートであって現代的はものとは異なる。年配の奏者の一部にとくにそれが認められる。
{証拠3}同上DVD フリッツ・ブッシュ指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団による1932年の記録映画。
ワーグナー「タンホイザー」序曲 やはりヴァイオリンとチェロで常時ヴィブラートが明らか。
{証拠4}ワーナーヴィジョン・ジャパン発売のDVD
"The Art of Conducting" 『第2巻 』
ウィレム・メンゲルベルク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボー管弦楽団の記録映画。
ビセー「アルルの女」第1組曲よりアダージェット、ウェーバー「オペロン」序曲。ヴァイオリンとチェロのパートは常時ヴィブラートを行っている。

{証拠5}私は手元にCDを持ちませんが、作曲者エルガー自身の指揮、ベアトリス・ハリソン(作曲者ひいきのチェリスト)によるエルガーのチョロ協奏曲演奏は、少なくとも独奏者は常時ヴィブラートだそうです。実際に聴かれた方のレポをお願いします。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Beatrice_Harrison#Recordings
Elgar: Cello concerto (New Symphony Orchestra cond. by Edward Elgar) HMV D1507-9 (3 records).
------
これらよりして、ノリントン先生が主張する学説は疑わしい。
私自身がエルガーやブロッホ、バルトークを演奏するときは常時ヴィブラートを必ず掛けます。常時ヴィブラートこそが作曲者の意図に沿うと考えないわけに行かないからです。

ノリントン先生がエルガーのチェロ協奏曲において石坂団十郎さんに"Senza Vibrato"で弾いてくれないかと依頼したのは、理論的根拠を持たない。故にノリントン先生の個人的趣味に基づくと、私は判断します。
みなさまの反論をお願いします。
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【ご参考】
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Re: ノリントン先生は正しいのか

投稿日時:2009年04月08日 00:39
投稿者:父娘Vn(ID:IHgJdGU)
前々から少々疑問に思っていたことがあります。
録音や活動写真で遡ることができる範囲には限界がありますよね(当然ですが)。では、それ以前の話としては、たとえば、(あくまでも「たとえば」ですよ。)

1830年代には、ヴィブラートは現代のように用いられていなかった。

というような命題って、論証可能でしょうか。逆に、

1830年代には、ヴィブラートは現代のように用いられていた。

という命題ですが、こちらは、論証可能でしょうか。

どちらも、厳密に言えば立証困難であるように思うのです。

文献学的には、ヴィブラートを用いるなと書き残している偉い人がいるということは、逆にヴィブラートをかけたがる人が多く居た事の証左である、と言えるのかもしれませんよね(もちろんこれも断定は困難ですが)。

ポルタメントに対する好みが時代によって行ったり来たりしたことと、何だか似ているようにも感じますが(全くの印象論です)。バッハやベートーベンを現代のピアノで弾いてはいけないと言うのとも似ているように思います(これは似てない?)。

習慣的なヴィブラートを廃することで、音の微妙な陰影を追及することが新鮮な美しさを産んだと言うことは、一聴衆として決して悪いことではない(なかった)とは思うのです(印象論です)が、これって正しいか誤っているかと言う論法より、好きか嫌いか美しいと思うかどうかと言う話の方がふさわしいように思うのです(印象論です)。

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ノリントン先生は正しいのか

投稿日時:2009年04月05日 23:12
投稿者:室内楽奏者(ID:MhiIkpc)
証拠に基づく建設的な議論をやりたいものです。
別スレでは
☆必要条件に過ぎないものを十分条件と言いくるめようとする
☆特殊例を一般的と主張する
☆Aの結果がBであるものを、あたかもBがAの原因だと強弁する
というような方もいます。

証拠に基づくとは、ソースが明らかで、誰でも追実験できる意です。
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ttp://www.kanzaki.com/norrington/roger-interview2004.htmlが
マエストロ・ノリントンの主張を正当に反映しているのか断言はできません。しかしそんなに外れないとすると、ノリントン先生は
「1930年代まではヴィブラートが使われていなかった」
と主張していることになります。
(判断に間違いがあれば指摘をお願いします)
とすると、証拠に基づき、ノリントン先生に反駁できます。
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{証拠1}アルバート・サモンズによるエルガーのヴァイオリン協奏曲
(1929年3月18日と4月10日録音:ニュー・クイーンズホール・オーケストラ 指揮ヘンリー・ウッド)
はソロイストは常時ヴィブラートですし、オケも普通に掛けています。Naxos 8.110951


{証拠2}ワーナーヴィジョン・ジャパン発売のDVD
"The Art of Conducting" 『第1巻 』
フェリックス・ワインガルトナー指揮 パリ交響楽団による1932年の記録映画。
ウェーバー「魔段の射手」序曲の演奏において、ヴァイオリンとチェロの大部分の奏者は現代のオケとさほど変わらぬヴィブラートを掛けている。
公平のため付言すれば一部の奏者のヴィブラートは指のヴィブラートであって現代的はものとは異なる。年配の奏者の一部にとくにそれが認められる。
{証拠3}同上DVD フリッツ・ブッシュ指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団による1932年の記録映画。
ワーグナー「タンホイザー」序曲 やはりヴァイオリンとチェロで常時ヴィブラートが明らか。
{証拠4}ワーナーヴィジョン・ジャパン発売のDVD
"The Art of Conducting" 『第2巻 』
ウィレム・メンゲルベルク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボー管弦楽団の記録映画。
ビセー「アルルの女」第1組曲よりアダージェット、ウェーバー「オペロン」序曲。ヴァイオリンとチェロのパートは常時ヴィブラートを行っている。

{証拠5}私は手元にCDを持ちませんが、作曲者エルガー自身の指揮、ベアトリス・ハリソン(作曲者ひいきのチェリスト)によるエルガーのチョロ協奏曲演奏は、少なくとも独奏者は常時ヴィブラートだそうです。実際に聴かれた方のレポをお願いします。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Beatrice_Harrison#Recordings
Elgar: Cello concerto (New Symphony Orchestra cond. by Edward Elgar) HMV D1507-9 (3 records).
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これらよりして、ノリントン先生が主張する学説は疑わしい。
私自身がエルガーやブロッホ、バルトークを演奏するときは常時ヴィブラートを必ず掛けます。常時ヴィブラートこそが作曲者の意図に沿うと考えないわけに行かないからです。

ノリントン先生がエルガーのチェロ協奏曲において石坂団十郎さんに"Senza Vibrato"で弾いてくれないかと依頼したのは、理論的根拠を持たない。故にノリントン先生の個人的趣味に基づくと、私は判断します。
みなさまの反論をお願いします。
さま。こういうことは、このスレでは、申し上げてはならないのでしょうか。
[39802]

Re: ノリントン先生は正しいのか

投稿日時:2009年04月08日 01:40
投稿者:pochi(ID:OVMFIBc)
ttp://www.youtube.com/watch?v=s1vVlMp2YTA&hl=ja
ヴィブラートは控えめに聞こえます。

ttp://www.youtube.com/watch?v=9vDJMChiils
結構掛けています。ちょっと少なめくらいか。

どちらも1910年以前ですね。
[39807]

Re: ノリントン先生は正しいのか

投稿日時:2009年04月08日 07:44
投稿者:catgut(ID:FGBFJpM)
pochiさま、
最初のアウアーは1920年録音と思われます。
2番目のジンバリストのフィルムは1926年撮影です。
[39809]

Re: ノリントン先生は正しいのか

投稿日時:2009年04月08日 20:20
投稿者:室内楽奏者(ID:MhiIkpc)
[39800 父娘Vnさま。
立証は不可能だと思います。
たとえば音律に関して言うなら、18世紀の特定演奏家がどんな音律で弾いたか、「立証」はできません。モーツァルトがどんな音律か?「憶測」はいくらも可能ですが、所詮憶測に過ぎません。録音が無いからです。ところが憶測を理論的根拠に言い募る人(音楽学者さえも)がいるのは不幸なことだと思います。
SP録音以前の演奏家のヴィブラートは「証拠に基づく議論」の対象にはなりえないと思います。文献は所詮文献です。
以下に私が書くことは「ひとつの憶測」です。

OPUS蔵でヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)とカール・フレッシュ(1873-1944)が吹き込んだバッハの二重協奏曲が入手できます。1937年の録音です。名高い両人の比較が可能な、ありがたい音源です。両人のヴィブラートは非常に異なります。19歳の年齢差の然らしむる所でしょう。
シゲティより16歳若いのがダヴィド・オイストラフです。この二人も大変違う演奏様式です。約20歳という年齢差は演奏様式の上でかなり意味を持つ、というのが私の予測ないし仮説です。
1931年のドイツの正統派オケの動画からして、ヴァイオリンとチェロの奏者の大部分にcontinuous viburatoが事実認められる。しかし1910年代には違うだろうと予測されます。この予測の根拠は上記動画の年配演奏者のヴィブラートが異なる(指のヴィブラートであると考えられる)ことと、管楽器のヴィブラートが今日と異なる(特にフルート)こと。またコントラバスがヴィブラートを行っていない可能性が高い。ヴァイオリンとチェロがピッツィカートではヴィブラートしないように見受けられることから、1910年ころにはドイツのメジャーオケで弦楽器奏者のcontinuous viburato比率は低かろうと考えるのが妥当でしょう。1890年、ブルックナー作品の初演時代の演奏様式は、もはや想像の上に想像を重ねる世界です。

でも案外、ヴィブラートは行われていたんじゃないでしょうかね。
----------------
話は変わります。私はノリントン氏の音楽は嫌いですが、彼が優れた音楽家かも知れないということは否定しません。

彼が紳士らしく立ち上がり、潔く次のように発言したらよかったと思います。

ノリントン氏「紳士・淑女のみなさん、みなさんがクライスラーやイザイを愛しておられるのは十分承知です。しかしみなさんと違って私は彼らが嫌いです。Continuousu Viburatoを聴くと私は不愉快になります。私が指揮するときは、オーケストラには私の心地よいと感じるピュア・トーンで演奏してもらいます。みなさんはそれを承知の上でお出かけください」

それこそが彼氏のとるべきフェアな態度だったろうにと思う。
実際に彼がクライスラーを引用した発言はアンフェアで偽善的だと思います。ヴィブラートに親しんでいる紳士淑女の反発を買わないための狡猾な政治的振る舞いに過ぎないでしょう。
エルガーのヴァイオリン協奏曲はクライスラー初演です。
[39842]

Re: ノリントン先生は正しいのか

投稿日時:2009年04月11日 14:50
投稿者:室内楽奏者(ID:MhiIkpc)
推測・憶測じゃなく、純然たる音源で調べます…
ソロイストのヴィブラートで言うなら
ttp://www.hmv.co.jp/product/detail/1084298
イェネ・フバイ(1858生まれ)はゆっくりとですがはっきりヴィブラートしますね。むしろ弟子の女流イェリ・ダラニー(バルトークのヴァイオリンソナタ1.2番の初演者)も無論掛けますが先生より控えめに聴こえます。
こういう音源はありがたいですね。
[39855]

Re: ノリントン先生は正しいのか

投稿日時:2009年04月12日 22:37
投稿者:catgut(ID:aRYRKTA)
なぜ1920年頃を節目としてオーケストラで連続的なヴィブラートが使われるようになったかについては以下のような説があります。

・第一次大戦の影響説
第一次大戦で価値観が大きく変わり演奏習慣を変えようとする大きな動きが起きた。

・クライスラーの影響説
クライスラーのヴィブラートが魅力的だったので多数のヴァイオリニストが真似た。

・スチールE線の影響説
第一次大戦の影響で良質なガットE線が入手できず音色の違いを誤魔化すためにヴィブラートを絶えずかけた。(そもそもガットE線は指が当たる部分で切れやすい)。

・ジャスの影響説
主に管楽器でジャズのヴィブラートを真似てクラシック音楽でも使われるようになった。フルートなどはヴィブラートを使うようになったがクラリネットだけはクラシックではヴィブラートはほとんど使っていない。

・ソリスト志望者増加の影響説
レコードの普及で社会的に大成功するソリストが出て、ソリスト志望者が増えた。ソリスト教育を受けた人がオーケストラ奏者に回ったのでオーケストラでもヴィブラートを使うようになった(オペラ歌手が合唱に回るようなものか)。
[39866]

Re: ノリントン先生は正しいのか

投稿日時:2009年04月13日 20:37
投稿者:室内楽奏者(ID:MhiIkpc)
色々な説があるのですね。
興味しんしんです…
お手数で恐縮ですが、各説のソースをご教示願えませんか。
そうしてこそ価値があると思いますが…
[39870]

Re: ノリントン先生は正しいのか

投稿日時:2009年04月13日 21:41
投稿者:catgut(ID:aRYRKTA)
・第一次大戦の影響説
→これはソース不要ですね。演奏の傾向が大戦の前後で大きく変わりました(新即物主義の台頭)。

・クライスラーの影響説
→これもソース不要ですね。

・スチールE線の影響説

ttp://seeds.whitesnow.jp/blog/archives/2005/02/post_79.html
20世紀初頭の教則本では、ガット弦の場合とスチール弦の場合の2通りの運指法が記載されている。スチール弦の運指では、金属の耳障りな音の発生を押さえるために、開放弦の回避や圧倒的なヴィブラートが求められている。

・ジャスの影響説
→知ってるようで知らない管楽器おもしろ雑学事典 佐伯茂樹著 ヤマハミュージックメディア 

・ソリスト志望者増加の影響説
→どなたの説か失念しましたが以前見かけたものです。
[39872]

新即物主義と来ましたか

投稿日時:2009年04月13日 22:37
投稿者:室内楽奏者(ID:MhiIkpc)
新即物主義は最初美術で台頭し、やがて作曲に及び、最後に演奏に浸透しましたね。
「第1次大戦直後」の新即物主義の高名な大ヴァイオリニストの例を挙げて、その人のヴィブラート様式が新即物主義とどう関係するのか解明しないと…
[39876]

Re: ノリントン先生は正しいのか

投稿日時:2009年04月14日 13:22
投稿者:室内楽奏者(ID:FUUXInk)
catgut氏が本スレではもはや応答しないので、まとめます。
別スレのcatgut氏
>>>>ヴァイオリン演奏のポリシーについて以下の傾向があると思います。
>>>20世紀前半(ロマン主義的)
>>>・ヴァイオリン演奏の本質は歌の真似である。
-----
これを以て
39870 catgut氏
>>>>>・第一次大戦の影響説
>>→これはソース不要ですね。演奏の傾向が大戦の前後で大きく変わりました(新即物主義の台頭)。
----
は「ロマン主義の台頭」と読み替えりゃいいんですかぁ?
となると、第一次大戦の影響うんぬんも怪しいですね。ロマン主義は作曲においては19世紀中葉以降のもの、絵画においてはメッテルニヒ体制からのものですから…。
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