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音楽評論家の必要性 | ヴァイオリン掲示板

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雑談・その他 43 Comments
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音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年06月19日 19:15
投稿者:silv(ID:FBNIcUQ)
音楽批評について、今までの経験から不必要だと思っています。したがって興味をもって読んだことはりません。皆さんはどのようにお考えですか。
あえて問題を提起したいと思います。
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Re: 音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年06月26日 23:21
投稿者:父娘Vn(ID:FZZZkWA)
音楽の価値を、いつも探求し続ける人は、ある意味皆音楽家であると思います。演奏者も、そうでない人もいて、良いと思います。評論家と呼ばれる人が生きづらい時代になったことは間違いなく、誰もがアマゾンのレビューを書ける時代は良い時代かもしれませんが、レビューはやらせの温床かもしれないところがおそろしくもあり。どこかのレストランの広告媒体のように。結局のところ、自分の耳で聞いて、自分の耳で良いかどうかを、探求するしかありません。人の意見を聞くなという必要はないでしょう。つまりは、聴衆も「自ら探求する」人であってほしい、と思う訳です。
演奏する人でも「自ら探求する」人ではない人がいたりすると、それはとても悲しいですが。
リパッティ、お気に召しますように。。。
[44713]

Re: 音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年07月13日 09:41
投稿者:silv(ID:MXI4YpA)
皆様のご意見ありがとうございました。冷めた方が多くてほっとしました。
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Re: 音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年07月18日 15:37
投稿者:ソンナノ(ID:OYAGkYA)
 芸術とは、人間の遊びのなかで最も深く楽しむことができるもの、と考えています。その意味で、録音した音楽も生演奏も十分楽しめますので、芸術であると思います。制作する側も優れたCDを生むためにめざす過程は楽しいことと思います。私は普通はCDなどを聴いてすばらしい演奏だと思った方の演奏会に行きます。たいていは生演奏でもすばらしいか、さらに深い感動を得ることが多いです。
 生演奏をするという行為とCDを作るという行為は相当に違うものではありますが、ろくでもないCDしか作れないひとの生演奏を聴きに行くことはあまりありません。で、現代の演奏家はちゃんとした録音した作品(CDなど)を作れないなら一流の芸術家とは言えない。演奏を録音したりするのは神への冒涜だなどと言っている演奏家はカルトか、録音すると露わになる自分の生演奏の欠点に十分気づいている方なのでしょう。

 専門の音楽評論家というのはある意味、演奏家(など)をめざして挫折した、社会の居場所をなんとか求めようという人間たちですが、社会的に音楽界への影響力が大きいので、まま困った存在になります。しかし、音楽会のカタログや音楽雑誌を賑わすのに必要でしょう。中途半端な演奏家をこきおろして、演奏活動を止めさせるという役割も担っています。また、評論を読んだら、ヘエ~とトリビアの泉程度の参考にはなることはあります。昔は、レコード百選なんていう記事を読んで、啓蒙されたものです。
 吉○秀○・・・音楽を言葉で表現できると思い上がっている、自分は解っているぞといった態度の、気取り屋の、ブルジョアの意識の高い嫌いな男でした。うらみはありません。こういう人も必要でしたし、大○正○、や藁○雅○よりましかも。合掌。

 
 
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Re: 音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年07月18日 18:53
投稿者:江戸川凡人(ID:QghYc3M)
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Re: 音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年07月18日 15:37
投稿者:ソンナノ(ID:OYAGkYA)
 芸術とは、人間の遊びのなかで最も深く楽しむことができるもの、と考えています。その意味で、録音した音楽も生演奏も十分楽しめますので、芸術であると思います。制作する側も優れたCDを生むためにめざす過程は楽しいことと思います。私は普通はCDなどを聴いてすばらしい演奏だと思った方の演奏会に行きます。たいていは生演奏でもすばらしいか、さらに深い感動を得ることが多いです。
 生演奏をするという行為とCDを作るという行為は相当に違うものではありますが、ろくでもないCDしか作れないひとの生演奏を聴きに行くことはあまりありません。で、現代の演奏家はちゃんとした録音した作品(CDなど)を作れないなら一流の芸術家とは言えない。演奏を録音したりするのは神への冒涜だなどと言っている演奏家はカルトか、録音すると露わになる自分の生演奏の欠点に十分気づいている方なのでしょう。

 専門の音楽評論家というのはある意味、演奏家(など)をめざして挫折した、社会の居場所をなんとか求めようという人間たちですが、社会的に音楽界への影響力が大きいので、まま困った存在になります。しかし、音楽会のカタログや音楽雑誌を賑わすのに必要でしょう。中途半端な演奏家をこきおろして、演奏活動を止めさせるという役割も担っています。また、評論を読んだら、ヘエ~とトリビアの泉程度の参考にはなることはあります。昔は、レコード百選なんていう記事を読んで、啓蒙されたものです。
 吉○秀○・・・音楽を言葉で表現できると思い上がっている、自分は解っているぞといった態度の、気取り屋の、ブルジョアの意識の高い嫌いな男でした。うらみはありません。こういう人も必要でしたし、大○正○、や藁○雅○よりましかも。合掌。

 
 
ソンナノ氏
>>演奏家(など)を…、社会的に音楽界への影響力が大きいので、まま困った存在…音楽会のカタログや音楽雑誌を賑わすのに必要でしょう。中途半端な演奏家をこきおろして、演奏活動を止めさせるという役割も担っています。

ご発言の前段には心から賛成します。中段(カタログ云々)は必要悪としてまぁ許容。
ただし後段の「中途半端な演奏家をこき下ろ」す権利は『演奏家(など)をめざして挫折』した評論家種族にはある筈が無いことだけは確認して置きたいです。優れた才能を持つ若手の努力を鼻先であざ笑う「辛口」批評は実在しますが言語道断ですね。

演奏の批評に限定すれば、その楽器への深い技術的理解と、深い幅広い音楽的見識があって成立する。つまり演奏力が前提ですが、演奏できても批評を言葉で表せない人が多い。演奏ができて他人の演奏を言葉で把握できたら真の名教師になれますね。ハインリヒ・ノイハウスなどに批評させたら凄いと思いますよ。
[44728]

Re: 音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年07月18日 22:20
投稿者:QB(ID:KGmERGQ)
父娘Vn氏、例の演奏、よかったです。
まず、付随するエピソードを一切頭に入れずに聴いてみたら「巧い」と思いました。
次に、もし自分がその演奏会に居合わせていたら、当然知っていたであろう事をインプットしてから聴いてみたら「   」言葉になりませんでした。
ありがとうございます。
[44730]

Re: 音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年07月18日 22:36
投稿者:父娘Vn(ID:IzJTQXY)
QBさん、
すごいでしょう。
[44798]

Re: 音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年07月24日 11:01
投稿者:ソンナノ(ID:OYAGkYA)
江戸川凡人様
おっしゃるとおりです。

若い人たちへの批評家の暴言を聞くと、ひとの欠点しか耳に入ってこない、貶して鬱憤を晴らす情けないやつだと思います。演奏家を育てようという気はないのかとも。若い人だけじゃなく、マレイ・ペライアの日本での演奏に対し、この驚くほど多彩な音色と深い歌を持ち、完璧なテクニックを持つピアニストに対し、聴かせよう聴かせようとばかりし過ぎだなどと馬鹿げた批判をした評論家がいました。嫉妬に充ち満ちている哀れな男。もう日本に来てくれなくなるのではと心配します。

付け加えますが、一流演奏家、のCDと生ではどちらも楽しめますが、生のほうがやはり、伝わってくるものが格段に多い。 学生オケの演奏は生はそれなりに楽しめますが、録音したものは30秒と聴けません。学生オケの演奏でも生は芸術なのでしょう。作曲家の偉大さなのかもしれませんが。

父娘Vn様  リパッティの録音はさっそく注文しました。ご紹介ありがとうございます。
[44808]

Re: 音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年07月24日 23:01
投稿者:父娘Vn(ID:KJSGcgg)
繰り返しますが、
レコードは、家族の記念写真のようなもの。記念写真は記念写真に過ぎないので、家族そのものではない。レコードは音楽そのものではない。
と、子どものときから教えられて育っていますので、録音されたものが藝術であるとは基本的には思いません。
音に傷があるからとその部分だけ上塗りしたようなものに、音楽家の魂がこもるはずがなく。ライブ録音だっていくらでもあとから修正できる時代です。

が、ごく稀に涙してしまうほどのものがあると言うことが奇跡だと思うのです。
リパッティ、お気に召しますように。

もうひとつ、無責任一発オススメ。ヨハンナ・マルツィのフランクソナタ。これは絶品。
[44825]

Re: 音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年07月26日 01:42
投稿者:ご参考(ID:F5RIWSQ)
元のタイトルから離れてしまいますが、演奏家が自分のレパートリーを記録に残しておきたいという動機付けもあると推測します。
それについてはみなさんどのようにお考えでしょうか。
[44833]

Re: 音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年07月26日 15:02
投稿者:江戸川凡人(ID:QghYc3M)
[44808]
[44808]

Re: 音楽評論家の必要性

投稿日時:2012年07月24日 23:01
投稿者:父娘Vn(ID:KJSGcgg)
繰り返しますが、
レコードは、家族の記念写真のようなもの。記念写真は記念写真に過ぎないので、家族そのものではない。レコードは音楽そのものではない。
と、子どものときから教えられて育っていますので、録音されたものが藝術であるとは基本的には思いません。
音に傷があるからとその部分だけ上塗りしたようなものに、音楽家の魂がこもるはずがなく。ライブ録音だっていくらでもあとから修正できる時代です。

が、ごく稀に涙してしまうほどのものがあると言うことが奇跡だと思うのです。
リパッティ、お気に召しますように。

もうひとつ、無責任一発オススメ。ヨハンナ・マルツィのフランクソナタ。これは絶品。
父娘Vnさま
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>> レコードは音楽そのものではない。と、
>>子どものときから教えられて育っていますので、
>> 録音されたものが藝術であるとは基本的には思いません。
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演奏家の価値観だと思います。
毎回即興的に違う演奏をするタイプの演奏家の立場からすれば「俺の演奏は生じゃなきゃぜったいわかんないよ」となるのは理の当然。

帝王カラヤンは自分のCDを聴いて練習したそうですから、録音が自分の芸術を伝えると考える、という意味になりますね。私はカラヤンファンでは必ずしもありませんが、彼の録音がある種の立派な芸術であるということを否定はできないと思います。

演奏を始めた瞬間に「あ、このテンポ好きじゃない、やりなおしたい」と思ってもできないから、録音の方が自分の芸術を伝えている、と考える大演奏家も私の知っている範囲で数人は居たはずです。

知り合いの邦人プロ演奏家のかたは『生の音楽を聴いてください』と、みなさんおっしゃるのです。演奏家と同じ空間を共有することの価値は無論偉大ですよ。みなが背を向けたらクラシック業界は死んでしまう。
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