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レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2 | ヴァイオリン掲示板

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レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2

投稿日時:2013年12月20日 05:20
投稿者:pochi(ID:JpZ3giU)
意見を募っているのに、悪態を吐くヤカラが現れ、スレが荒れたので、同趣旨で新規に立てます。まとめたので長くなりますが、宜しければ御笑読下さい。

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ヴァイオリンのレッスンの本質は、1対多の集団教育(寺子屋)ではなく、1対1のエリート教育(職業演奏家養成)です。職業演奏家を目指した人だけが、人前で弾いて、チョットは聴ける程度になる可能性があります。そうでない人は汚いだけになってしまうのが、ヴァイオリンです。理由は、ヴァイオリンが職業演奏家向きの楽器であって、貴族の遊び向きの楽器では無いからです。貴族向けにはフレットの有る導入が易しいガンバがありました。

そんなヴァイオリンレッスンの厳しさによって、上手くなる人も出てくるし、逆に、多くの子供が辛くてやめてしまいます。幼少期からヴァイオリンを習っていたら、肌身で知っているはずなんですけどね。
http://fstrings.com/board/index.asp?id=47923#48056

ところが、レッスンの本質が解っていないのであろう投稿があります。
http://fstrings.com/board/index.asp?id=47923#48077
学校教育は、貧乏な人でも教育が受けられるようにするのが元来の目的でしょう。子の教育は、本来、親がこれを行い、親では教育できない部分を、教師を雇って教育します。元々は、次善の策でしか無いのです。

学校教育に対する考え方で、巷間よく言われているのは、落語や講談の要素を授業に取り入れて(生徒を観衆だと見立てて)、生徒が興味が持てるように授業するテクニックを磨くべきだ、という主張でしょう。予備校だとモニターを入れて、取り入れているところもありました。

しかし、他人が作ったカリキュラムの教育が理想であるはずがありません。人間教育は、犬(動物)の調教とは違って、教える側と教わる側が、お互いに生身の人間ですから、手法を強制しても、上手く行く筈がないのです。反面教師という言葉も有るくらいで、悪い教師の下でも生徒とのコンビネーションによっては、良い生徒が育つ事がありますし、逆もあります。教育学の基本中の基本ですよね。

ところが、ヴァイオイリンの場合、先生を見本とする真似が基本ですから、反面教師として上手くなる、ということはあり得ません。

1対1で、個々の生徒に対してカスタマイズされたカリキュラムで教えるヴァイオリンのレッスンに於いて、ヴァイオリン教師が、学校の先生を見習うべきところは、無い、と私は思います。音大でも、レッスンは基本的に1対1です。学校教育(1対多)は、ヴァイオリンを教える(教わる)事とは異質だと思います。

もう少し踏み込んでご説明しましょう。

学校教育の内容は、それが、受験であったり、読み書き算盤であったり、色々ですが、詰まる所、「何かに役立つ事」です。ところが、ヴァイオリンは、なんにも役には立ちません。それ自体が目的の「芸」なのです。無目的なモノに理由を付ける時、西洋では「神」が出てきます。音楽は神に捧げるもの、何てことになります。順序が逆かも知れません。

ヴァイオリン演奏は「芸」であっても、伝統芸の一種ですから、先生は、(クラシック)音楽の芸を引き継ぐ、という考え方の元に教えます。

私が「教条」とまで言い放った、音程とリズムは、西洋音楽の基本中の基本です。ヴァイオリンの場合、これを修得するのが結構困難なんですよね。でも、ヴァイオリンを弾く限りは、習得しなければならないし、少なくとも、習得を目指さなければならない。何故なら、伝統芸だからです。その過程でのDiscipline(鍛錬)の有無が、作曲家や楽曲に対する畏敬の念の有無とも言い換えられます。

ヴァイオリンを弾いている人の高祖師くらいまで遡ると、誰でも巨匠にブチ当たります。そんな先人に顔向けが出来るように教えるのが、伝統芸で有るはずです。また、これを教わる必要があります。だから、練習室に作曲家や過去の演奏家の写真が貼っているんです。

そして、才能に恵まれた弟子だけが、その伝統を受け継ぐことが出来、次の世代に引き継いでいくのだと、私は認識しています。職業演奏家向けの楽器なので、なかなか伝統を受け継ぐというレベルにまで到達することは適わないのが、ヴァイオリンの難しいところ、もっと言えば、「芸」はどれも同じでしょう。

だから、一流演奏家は、余業としてではなく、教えなければならないのです。ハイフェッツは教える事を嫌がったのですが、この様に説得され、漸く4人だけ弟子を取ることになりました。有名な話ですよね。

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音楽教育に依る「人格形成」・「情操」なんて言われていますが、
http://fstrings.com/board/index.asp?id=46419#47890
こちらにあります。しかし、あくまでも副次的なもので、人格形成や情操のために「芸」を仕込むのは、芸の獲得の為には間違った考え方です。必死になって芸を突き詰めようとすると、それなりの人格形成や情操にはなる事も多いのですが、目的と手段を混同すると、芸が芸で無くなってしまいます。即ち、聴衆に感動を与える演奏は出来なくなります。スズキ・メソードの欺瞞はこんなところにも有ると思います。

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Discipline(鍛錬)が無いヴァイオリンは、楽曲・作曲家への冒涜であり、「人格形成」・「情操」に資することは無く、耳と脳が腐るだけです。
http://fstrings.com/board/index.asp?id=47902#47902

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文科省の考え方の基本は、
ドーセガッコのセンセはバカだから、ナーンニモワカンネーだろうし、オレタチが立派な帝國軍人養成の為のカリキュラムを作ってやるから、それを現場で上手く適用する手法をそれぞれ考えろ!そのくらいはできるだろ、このアホきょ~し!
という事なのです。富国強兵ですね。

1980年代迄、大蔵省の内部文書では、治世を「牧民」と呼び習わしていました。日本では明治以降、知識階級である官が無知蒙昧の民を啓蒙指導する、という考え方に貫かれています。「牧」は、「餌をやって放し飼い」という意味だったと思います。牧畜と同じですね。官僚(国家公務員上級職)の考え方のエッセンスを捉えたものです。

「1対多」「1対1」という形態の違いの他、何らかの意図(富国強兵等)を以って教える学校教育と、それ自体が目的のヴァイオリン教授は異質です。

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さて、

レッスンで教えるヴァイオリン教師も学校教育の教育法や教師を見習ったほうがよいのでしょうか?見習えるとすれば、どんなところが見習える可能性があるのでしょうか?

諸姉諸兄の御意見を賜りたい。
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【ご参考】
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Re: レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2

投稿日時:2013年12月21日 14:16
投稿者:pochi(ID:JpZ3giU)
浪花恋しぐれ
http://www.youtube.com/watch?v=kNjaxspW-Es
(セリフ)「そりゃわいはアホや 酒もあおるし 女も泣かす
せやかせ それもこれも みんな芸のためや
今にみてみい! わいは日本一になったるんや
日本一やで わかってるやろ お浜
なんやそのしんき臭い顔は
酒や! 酒や! 酒買うてこい!」

私の友人(ヴァイオリニスト)に依ると、この歌詞の人はイマイチなのだそうです。女を泣かすのは、補理だけにした方がよいらしく、健康管理が悪いなんてこともありますが、比較級として「日本一になったるんや」は、「世界一になったるんや」であっても、「芸」の本質ではないのだそうです。コンペで優勝するのが音楽の目的であってはならないでしょう。

西洋「神」の概念が無い日本人には、どうしても「浪花恋しぐれ」になってしまうんでしょうね。そこに、音楽性があるかどうか、と、師に問うてみました。
http://fstrings.com/board/index.asp?id=45174#45759
対象となっている人は、
http://fstrings.com/board/index.asp?id=46512#46874
音楽の根本が解っていませんから、厳しいでしょう。

耳で聴いても解らず、チューナーで音を確認しなければならない人は、音楽の神に嫌悪されています。
Re: チューナーを使って練習している絶対音感保持者
http://fstrings.com/board/index.asp?id=47468#47470
柏木氏=よし氏
<FONT color="#385B3B">●</FONT>
[13/11/27 3:27:14]
ときどきチューナーを使って確認しています。お恥ずかしい。でも今は調律師もチューナーに頼る時代です。人間そのときの体調によっても感じかたが変わります。人間よりはあてになるかなと思っています。
http://fstrings.com/board/index.asp?id=47902
それを正当化しようとするのは、
http://fstrings.com/board/index.asp?id=47630#47635
社会人としてはトレーニングを受けていない、お行儀の悪いお猿さんだけでしょう。

こんなことが解るようにするのが、ヴァイオリンの個人レッスンであって、学校教育とは、全く異質だと、私は思います。
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Re: レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2

投稿日時:2013年12月21日 14:27
投稿者:米米(ID:I0QBUmQ)
僭越ながら、私一個人の経験に基づいての意見です。

まず、レッスンで教える教師が見習うべき点ですが、私は見つけられませんでした。もちろん、学校の先生を見下している訳ではありません。

また「音楽は人なり」との表現ですが、使いようによっては、大変危険だと思います。

私の場合、演奏会へ行き、優れた演奏に触れた時、「ああ、こんなに難しい個所を、苦労の欠片も見せずに、美しく魅了させるなんて、どんなに努力をしてきたのだろう。どれだけの犠牲を払ってきたのだろう」と、その人の音楽と音楽に対する姿勢に畏敬の念を抱きます。このような場合に使います。

一方で、例えばアマチュアオーケストラで、万年進歩しないボス猿的人物が、自分を優位に立たせる為に「音楽は人なり」という内容の主張をして、自分のやり方に疑問を持つ人物や主張を排除するのを見たことがあります。
*念の為、アマチュアオーケストラは例えであって、他の音楽団体の名前を入れる事も可能です。


という訳で、初めから音楽と人間性を結び付ける考え方を私は忌み嫌っております
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Re: レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2

投稿日時:2013年12月21日 15:13
投稿者:pochi(ID:JpZ3giU)
米米氏、

「音楽は人なり」
には、悲しい含意があると思います。

「どうせ、聴いてもらって喜んで貰えるワケではないのだから」
これです。辻褄が合います。

神に嫌悪されている者達のイイワケですね。
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Re: レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2

投稿日時:2013年12月21日 16:26
投稿者:アノニマス(ID:VHIwKJA)
先ず、私は全国に教師(公立学校の音楽教師に限定したとしても)どのくらいの人口があるのか把握しておりません。
また、文科省の指導要項に立脚した授業においてどの程度教師個人の能力や個性、熱意が反映されるのかも知りません。
ただ、職業カテゴリーとして十把一絡げにしてしまうと必ず例外的な事象が見つかるような気もしています。
カテゴライズして大雑把に白黒つけたがるのは、もしかしたら日本人の悪い癖かもしれません。
pochi氏謂うところの、一対一、一対多という観点は仰る通りで当然のことだと考えますが。
逆に個人レッスンのみを行っていても、学校教師をお手本にしなければならないようなヴァイオリン講師も存在するかもしれませんし、しないかもしれません。
確率としては不完全でも、傾向としては皆さんの指摘通りかもしれませんね。
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Re: レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2

投稿日時:2013年12月22日 22:33
投稿者:米米(ID:GDI4BzA)
pochi様

すみません、読解力がなくて、

読んだ当初、どういう意味かわからなくて、考えた結果、下記の解釈となりました。

『「どうせ、聴いてもらって喜んで貰えるワケではないのだから」、「音楽は人なり」という言い訳をする。』
という意味でよいのでしょうか?

なんて寂しい!落涙しそうになりました。

現実では、こういう方を見かけても、見なかった事にして通り過ぎますが、初心者を教えてほしくないです。
初心者の方は、師事した先生がすべてである事が多く、大きな影響を与えると思うのです。

そのため今回、怒りを抑える事が出来ず、出過ぎた真似をしております。
[48383]

Re: レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2

投稿日時:2013年12月27日 05:45
投稿者:pochi(ID:JpZ3giU)
ヴァイオリンの先生を学校の教師と比定するのは、柏木クン=よし氏がヴァイオリンを習ったことがないからです。感性的に違うものだと解っているはずなのです。

///////////////////

米米氏、

その通りです。学(楽)習者が「人間性」を持ちだしたら、終わりです。老大家なら、人間性を持ち出すのもアリでしょう。

「良いヤツじゃないと、仕事なくなるよ」
こんな含意もあるかもしれません。そんな説教を学(楽)習者にしてもお門違いでしょう。「楽」という字は演奏する、パフォーマンスという意味があります。本来、楽しむという意味ではありません。
http://fstrings.com/board/index.asp?id=47746#48237

もう少し踏み込みましょう。
「音楽家は、音楽で人間性を評価される」
「聴衆は、人間性を音楽家に求めている」
「聴衆は、音楽家から人間性を感じている」
こんな風に読み替えると、説得力は有ります。

普通に考えて、悪役商会の俳優が、悪人であると決っている筈がないのです。子連れ狼の大五郎は殺人で刑務所に居ます。彼の演技とは関係ありません。

同じく、「音楽性」も非常に危険です。「音楽性」なるものがどんなものなのか、私にはよく解らないのですが、自分が音楽をどのように感じているのか、ということでしょうか?その基礎の基礎、前提が、音程とリズムが正確にイメージ出来る事です。また、ヴァイオリンは音程と音色・強弱が不可分なので、一体となった「音楽」をイメージ出来る事が、音楽性の前提になると思います。

ヴァイオリンを弾いて、10年程では解らないでしょう。そんな言葉は小さい頃から聞いたことがありませんでした。大学では、あまり音楽的素養の無い人が使う言葉でした。

多くの人が、「音楽性」は「音楽を崩す」という意味に使っているのではないかと、私は思います。しかし、
http://www.youtube.com/watch?v=0NIACtG0WiU
音程とリズムが比較的正確なら、歌の棒読みでも音楽である、とするのは無理があります。私なら最初はスタッカートで歌い(弾き)ます。歌詞はよく解りません。
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Re: レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2

投稿日時:2013年12月27日 08:16
投稿者:柏木(ID:MyaYAwY)
仕事の意味で言っています。アウトも社会的に誹謗中傷するスレを作るのはアウトと言っているだけです。
音楽をする以前の問題です。
[48385]

Re: レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2

投稿日時:2013年12月27日 08:55
投稿者:匿名希望w(ID:eHcYOSA)
自覚のない猿がまだ暴れているんですね。
[48386]

Re: レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2

投稿日時:2013年12月27日 09:28
投稿者:たく(ID:MHeUhXE)
「誹謗中傷」でなく、「間違っている」からでは?
[48387]

Re: レッスンで教える教師も見習ってもいいのでは?2

投稿日時:2013年12月27日 09:38
投稿者:柏木(ID:MyaYAwY)
誹謗中傷に間違ってるもないです。どんなことがあってもやってはいけないことに理由なんてありません。動機があるのは当たり前です。
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