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スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。 | ヴァイオリン掲示板

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楽器・付属品 117 Comments
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スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2018年09月05日 01:52
投稿者:松毬(ID:MImSJXU)

 スズキのNo.1000番台の高級楽器の実力はどうなのでしょうか??? 皆様のコメントをお願いいたします。

 スズキの No.1200 や No.1500 等、手作りの楽器があるようですが、、、ヤマハのブラビオール、文京のピグマリウス、その他の日本、イタリア、ドイツ等の製作者の新作と、性能やお値段もざっくりと同じくらいで団子状態にあるように思えます。

 スズキは政吉の自身作のバイオリンは、良い評価を得ている伝説があり、政吉から歴代の社長および職人が受け継がれて、No.1000番台に繋がっているようです。

 私はスズキを経験してないのですが、もし良いなら30~100万円のスズキのほうが、実用的には200万円のイタリア新作よりも良いのでは???と感じます。
投資にもならない200万の新作買わなくても、、と思います。

 どうぞ皆様の沢山の意見を頂きたいと思います。
 
 宜しくお願いいたします。
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【ご参考】
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Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年05月06日 11:18
投稿者:pochi(ID:JBZkEhU)
松毬氏、

URLはこれだけで貼れます。
https://www.instagram.com/p/CVp4aAZjH8g

毛湯?
https://youtu.be/AXs79t1cfNc
は具合が悪いのでは?
[55056]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年05月06日 16:56
投稿者:通りすがり(ID:QZIUOVE)
すみません、画像だけでものを申し上げるには私に知見がいささか足りません。
[55057]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年05月07日 06:28
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
私自身、鈴木政吉第一号作品も、
    ヘリテージNo.1500も、初めて(音源)聴きました。→ [55054]
[55054]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年05月06日 09:52
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
以前の板に「[38474] 鈴木政吉氏製作のバイオリンについて」がありました。

 政吉自作の高級イタリア楽器シリーズの音について尋ねられいました。
これズバリではありませんが、政吉自作の第一号の音源を発見しました。
ちょっと聴いて見てください

政吉第1号作品   小野田社長??
https://www.instagram.com/p/CTmMSvmnV6w/?igsh=MTUybmhleDRreXRjMQ==

参考、21世紀の楽器
ヘリテージNo.1500 戸島翔太郎
https://www.instagram.com/p/CMrpKSNAva-/?igsh=MWNoejRiNTdzMHdnYg==

ヘリテージNo.1500 まおちゃん
https://www.instagram.com/p/CVp4aAZjH8g/?igsh=MW5sNmM3bTV6bG96aA==


140年ほどの進化は、素晴らしいですね。政吉第一号作品は、松永定次郎の楽器を写したものですが、深川の琴三味線製造業、松永は、ロシア正教会が日本に持ち込んだバイオリンを写したものです。
松永は、国産第一号とされ、恐らく、日本で初めてバイオリンを披露したのはは、ロシア正教会のようです。松永第一号作品は、輸入用の外装木箱を用いており、また、売れなかったことから、政吉第一号と似た様な感じだったでしょうかね??

松永からは、150年ほどの進化で、戸島翔太郎さんが弾くヘリテージNo.1500は良かったですね。まおちゃんが弾いても鳴ることアピールしてるんじゃぁないかな。

pochi氏 インスタアドレスの扱い、ありがとうございました。
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Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年05月07日 12:12
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
注意

甘利鉄吉が横浜で得た楽器は松永定次郎作ではなく、神田重助作であるとの異論があります。この事から、政吉の楽器の大元は、ロシア正教会楽士デミチリ―の楽器説と音楽取調掛のメーソンがアメリカから持ち込んだ楽器説とあります。なお、雅楽器製作者である神田が写した楽器は、メーソンを考えると自然です。

※前投稿[55057]
[55057]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年05月07日 06:28
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
私自身、鈴木政吉第一号作品も、
    ヘリテージNo.1500も、初めて(音源)聴きました。→ [55054]

140年ほどの進化は、素晴らしいですね。政吉第一号作品は、松永定次郎の楽器を写したものですが、深川の琴三味線製造業、松永は、ロシア正教会が日本に持ち込んだバイオリンを写したものです。
松永は、国産第一号とされ、恐らく、日本で初めてバイオリンを披露したのはは、ロシア正教会のようです。松永第一号作品は、輸入用の外装木箱を用いており、また、売れなかったことから、政吉第一号と似た様な感じだったでしょうかね??

松永からは、150年ほどの進化で、戸島翔太郎さんが弾くヘリテージNo.1500は良かったですね。まおちゃんが弾いても鳴ることアピールしてるんじゃぁないかな。

pochi氏 インスタアドレスの扱い、ありがとうございました。
では、「政吉第一号作品は、松永定次郎の楽器を写した」と単純にWikeの記述にしたがうものの、Wikeの情報元は、井上さつきであり話は先述へと回帰します。
[55059]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年05月09日 05:01
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
ロシア正教が、バイオリンをいつ日本に持ち込んだか?また、いつ日本で披露したか?は定かではないものの、ニコライが本格的に布教開始した1871(明 4)年頃には、すでに楽士らが北海道函館に来日していたのではないかな?日本で初めてバイオリンを聴いたのは日本人信者はではないでしょうかね?。
函館からロシア領事館の東京移転(1872(明 5))により、楽士らも領事館付司祭のニコライに伴い、布教拠点の神田駿河台に移っていたのでしょう。そこに松永定次郎が現れた。

日露修好通商条約(1858(安 5))により、翌年、箱館(函館)にロシア領事館が置かれ、領事や宣教師が着任した。外国人居留地では聖堂を建設し、領事館員やロシア船員など外国人への礼拝や宗教行事が行われていた。1868(明.元)年に、3人の日本人を洗礼したニコライは、ロシア本国へ日本での本格的な宣教開始の承認を取り、1871(明 4)年、各地に伝教者を派遣し東北地方や東京にまで布教を広げています。


1880(明13)年3月、ボストンから音楽教育家ルーサー・ホワイティング・メーソンが楽器等を携え来日した。先駆けて宮内省雅楽所の伶人、上、奥、辻、芝、多 などがメーソンの門人となった際、琴三味線製作者の松永定次郎がバイオリンのことを聴きつけたようだが、松永がバイオリンを探して発見したのはニコライ会堂でした。
因みに、この年、松永定次郎がバイオリンを完成した日、8月28日はバイオリンの日です。
[55060]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年05月10日 10:44
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
松永は、初めてバイオリンを弾いた日本人にもなりますが、
真面に弾いたのは、先の宮内省雅楽所の伶人のようで、彼らは1880(明13)年10月音楽取調掛開学の第一期伝習生にもなる。直ぐに教え方になったようです。幸田延も教わったか

井上さつきを読むと、
鈴木政吉は、第一号作品(1888(明21))を製作した時にはかなり後発で、東京では、松永の他、四竃訥治らは、すでに舶来品を見て製作し、また、メーソンから木材の使い方などの教示も受けたようで、続く神田重助、頼母木源七も同様と思われ、すでにバイオリンを展示会に出品するほど。
四竃は、兄,訥治(号:訥堂)、弟,仁邇(号:静堂)で、いずれも初期の伝習生、神田は伊沢校長に誘われ、頼母木は同業者を追いかけた

1890(明33)年の第三回内国勧業博覧会では、逆転して政吉が最高位、かなり真面な楽器になった。それでも音は西洋の中等品以下のようですが。。。
明治三十三年、政吉作
https://oshiete.chunichi.co.jp/pro/372/column/1272/index.img/column2_l.jpg

この楽器も小野田社長??さん、弾いて上げてくれないかなぁ。音の感じ分るのになぁ。
[55063]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年05月12日 22:30
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
訂正
 正:1890(明33)年 (←誤:1890(明23)年)
 正:明治二十三年 (←誤:明治三十三年)

因みに、メーソンの携えた楽器、また、共益商社(現.ヤマハ銀座店)も1889(明22)年にはバイオリン輸入をしたが、これらはオーケストラ楽器か良くてもコンサート楽器と見られる。第三回内国勧業博覧会の審査員は、かつて音楽取調掛に勤務した上原六四郎東京工業学校(現.東工大(新.東京科学大))教授、音楽取調掛第一期生の鳥居枕と先の伶人、辻則承であり、先の中等バイオリンに触れていて、展示品を、使えば西洋の中等品より劣ると総評している。
政吉の楽器は、中等品並みとなるにはもう少し、三年ほどかかる。
[55064]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年05月12日 22:37
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
再訂正:

 正:1890(明23)年 (←誤:1890(明33)年) です。

 前回訂正できておらず、大変済みません。
[55080]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年05月17日 12:07
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
政吉の楽器が、中等品と分るのは、
1893(明26)年:シカゴ・北米コロンブス大博覧会(銅賞)の賞状に「優れた音質」とあり、同年、ウィーン音楽院に学んだバイオリニスト、ルドルフ・ディットリヒは、政吉の楽器と音質の進歩を認めた上で、学校やオーケストラでの使用に適切であると認めている。

 1895(明26)年:第4回内国勧業博覧会(進歩三等賞)
 1900(明26)年:第5回パリ万国博覧会(褒状)
 1903(明26)年:第5回内国勧業博覧会(進歩三等賞)

 この頃の楽器の音源→ https://youtu.be/-tRs8QwSJ-w

 また、政吉は楽器にメダルラベルを貼りだしたと見られる。
    (ラベルのメダルを調べるといつ頃の作か概ね分る)

等などののち「レス[40588]
[40588]

Re: 鈴木政吉氏製作のバイオリンについて

投稿日時:2009年07月16日 21:44
投稿者:catgut(ID:F0ZHBnE)
鈴木バイオリンのサイトの情報ではNo.3は1907年-1927年までの間に7円から12円で販売されたものですね。

ttp://www.suzukiviolin.co.jp/data.xls (Excel形式)

国会図書館の近代デジタルライブラリーに当時の鈴木バイオリンについて興味深い資料が登録されています。

ttp://kindai.ndl.go.jp/
から「主要工業概覧」で検索すると、大正10年の資料がヒットしますが、このうち「第4部 雑工業」に当時の日本の楽器産業の概況が掲載されています。この記述(農商務省工務局作成)によると、当時はドイツ製量産ヴァイオリンより米国市場では鈴木製のほうが高めだったようです。

「米国市場にて邦品(鈴木バイオリン)は独逸品よりも高価を称へ居るがごとき状態なり」
Re: 鈴木政吉氏製作のバイオリンについて」にある1907(明40)年から記載のスズキのラインナップ・スヒストリー(ttp://www.suzukiviolin.co.jp/data.xls)に続きます。
[55081]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年05月19日 12:18
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
政吉は、深川や浅草の和楽器職人の連合団に比べ、工房化して急激な進化と成長を続ける。

1893年~1903年ごろの楽器は非常に美しく、深い杢にニスはゴールドイエロー、ゴールドオレンジに輝いて、今日現在の楽器と見間違えるものでマスターピースの美しさを持っている(ミドルグレード([55080]
[55080]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年05月17日 12:07
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
政吉の楽器が、中等品と分るのは、
1893(明26)年:シカゴ・北米コロンブス大博覧会(銅賞)の賞状に「優れた音質」とあり、同年、ウィーン音楽院に学んだバイオリニスト、ルドルフ・ディットリヒは、政吉の楽器と音質の進歩を認めた上で、学校やオーケストラでの使用に適切であると認めている。

 1895(明26)年:第4回内国勧業博覧会(進歩三等賞)
 1900(明26)年:第5回パリ万国博覧会(褒状)
 1903(明26)年:第5回内国勧業博覧会(進歩三等賞)

 この頃の楽器の音源→ https://youtu.be/-tRs8QwSJ-w

 また、政吉は楽器にメダルラベルを貼りだしたと見られる。
    (ラベルのメダルを調べるといつ頃の作か概ね分る)

等などののち「レス[40588] Re: 鈴木政吉氏製作のバイオリンについて」にある1907(明40)年から記載のスズキのラインナップ・スヒストリー(ttp://www.suzukiviolin.co.jp/data.xls)に続きます。
音源楽器)が一端を示す)。音質も、ディットリヒの評定はあるものの経年は120年を越えており、詳細にラインナップ系列に合わせて、改めてフィールド・スタディすべきである。

政吉は、ドイツのミッテンバルド、クリンゲンタール、マルクノイキルヘン、グラスリッツ、シェーンバッハに引けを取らなくなった。井上さつきが伝える第5回パリ万国博覧会のエピソードに、審査員が「モデルとすべきではないドイツ製品をモデルにした製品を出展している。」「政吉のラベルを欧州製品に貼った偽物と思った。」など、政吉の量産楽器は、元々目指したドイツ製品と同等であることが物語られる。しかし、コンペの着目から外れ、この時のレアンドロ・ビジャッキ(ミラノ)やコラン・メザン(パリ)、弓ではA.ラミー(パリ)、E.サルトリー(パリ)らは、16~25点の加点でグランプリや金賞を得たが、対照的に政吉は4点ほどで褒状に終わった。これは参加賞で、メダルも付かなかったでしょう。

1903年ごろ以降は、徐々に作風が変化していく。→ https://youtu.be/M_-UXa0fN4U

なお、フルモデルチェンジは、1927(昭 2)年のことである。
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