[6689]
無神論では音楽はやれないか
投稿日時:2003年11月15日 09:09
投稿者:Geiger1951(ID:UBdABxA)
もうスレを分けたほうがいいですね。
無神論では音楽はやれないのですか。音楽は神だけを表現する?
本当に神の音楽って何なのか言えますか?
天音のパパさんはバッハのオルガンコラールと何年も向き合いましたか。
ロ短調ミサ曲のどういう部分に感動しますか。
ニケーア信条の7声フーガをどう思いますか。
ヨーロッパの歴史にそんなにお詳しいのですか。
仮にもクラシック音楽を本気でやっている人間なら何で西欧の産物である機能和声、ポリフォニーの音楽をやるのか考えたことは何十回もあるはずですよ。
「カトリック教徒でなければブルックナーが解釈できない」
と南ドイツの老人が日本のマニアに言ったそうです。
あのー、クナッパーツブッシュってカルヴァン教徒だったんすけどー。
朝比奈さんって何教徒か知りませんよ。
ロシア人はギリシャ正教でバッハはプロテスタントだからロシアのバッハは駄目なの。
オイストラフは共産党員だから神の存在信じないでしょう。じゃあ天音のパパさんはオイストラフの精神性は認めないんですね。
こういう話題は軽軽に口にすると飛んだことになるんだけれど。
でも、面白いからたっぷり話しましょう。
無神論では音楽はやれないのですか。音楽は神だけを表現する?
本当に神の音楽って何なのか言えますか?
天音のパパさんはバッハのオルガンコラールと何年も向き合いましたか。
ロ短調ミサ曲のどういう部分に感動しますか。
ニケーア信条の7声フーガをどう思いますか。
ヨーロッパの歴史にそんなにお詳しいのですか。
仮にもクラシック音楽を本気でやっている人間なら何で西欧の産物である機能和声、ポリフォニーの音楽をやるのか考えたことは何十回もあるはずですよ。
「カトリック教徒でなければブルックナーが解釈できない」
と南ドイツの老人が日本のマニアに言ったそうです。
あのー、クナッパーツブッシュってカルヴァン教徒だったんすけどー。
朝比奈さんって何教徒か知りませんよ。
ロシア人はギリシャ正教でバッハはプロテスタントだからロシアのバッハは駄目なの。
オイストラフは共産党員だから神の存在信じないでしょう。じゃあ天音のパパさんはオイストラフの精神性は認めないんですね。
こういう話題は軽軽に口にすると飛んだことになるんだけれど。
でも、面白いからたっぷり話しましょう。
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2 / 3 ページ [ 22コメント ]
【ご参考】
[6734]
ほっとしたー
投稿日時:2003年11月16日 10:42
投稿者:Geiger1951(ID:UBdABxA)
怒ってると思ってた。一安心しました。
合掌されちゃ困る。
ナンマンダブ?おれまだ仏じゃないよ(爆)。
正直私は祖父母のいいつけで、プロテスタント教会へ行って牧師さんの説教も聞かされたが、信じることはできなかったっすねー。
じゃ日本信仰かというと、副産物で、おみくじも引かずお賽銭も上げてないバチあたりで。さらに仏教はまるで疎いんです。
母方の先祖が旗本だったらしくて孔子孟子の方が血になじみます。君子に三楽ありとか。逝くものはかくの如きとか。
********
人間はみな同じように小さく卑しくて罪深い。神は無限に偉大。これが厳しいですよね。
カトリックに関しては、神父様の話うかがってないので不確かですが、母性の象徴たる聖母さまがとりなしてくださるといってもやはり一神教の厳しさは変わらないでしょう。カトリックの小説(モーリヤックとか)読むと、悪魔が目に見えるような気分がしますよね。
「秘密」さんのいうケルンの大聖堂、垂直に神を目指す飽くなき意思は誰もが救いに与かりたいという強い欲求でしょうね。
######
ってなわけで解らないことだらけですけれど、ひとつ解ったことはヨーロッパの音楽(文化全般がそうかも)は複雑な要素から出来ているってことです。
ケルト(純正三度の響きはケルトの好みだといいます)、ラテン、ゲルマン(グレゴリオ聖歌は実はアルプスより北で愛好されたとか)、そしてスラブやバルカンの音楽。
ジプシーもあるじゃないか、と考えるのですが、よく調べるとジプシーは住み着いた国の土着の音楽を演奏したらしいので簡単には言えません。
むしろアラブやトルコが西欧音楽に及ぼした影響が大きいでしょうね。
つまりヨーロッパ音楽(文化も)は多種文化のいいとこ取りで、それを自分たちに合わせてリファインするしたたかな強さがあると思うのです。
それを史上初めて数学的な技術(和声や対位法)というものに仕立てたのは偉いと思います。たいしたモンです。
########
日本の教養主義って話題がありました(俺も言ったっけ)。つまり文明開化以後、お稽古の対象、ハイブローな教養の対象として音楽があったのは事実でしょうが、神を希求する飽くなき意思や、西欧音楽の重層性にまでは考えが及ばなかった(無理もないが)面はありますね。
では、「今後はそういう面もやっていくべき」なのか、「そんなシチ面倒くさいことは割愛して、日本流にアレンジした西洋音楽もどきを恬として実践する」と割り切るか。
ってな悠長なことを言ううちに本家のヨーロッパが崩れてしまう可能性だってありますが、留学した人たちの話を聞くとヨーロッパの音楽はそんなにヤワでも無さそうです。
####
あっと、セブシックさらわないと。
合掌されちゃ困る。
ナンマンダブ?おれまだ仏じゃないよ(爆)。
正直私は祖父母のいいつけで、プロテスタント教会へ行って牧師さんの説教も聞かされたが、信じることはできなかったっすねー。
じゃ日本信仰かというと、副産物で、おみくじも引かずお賽銭も上げてないバチあたりで。さらに仏教はまるで疎いんです。
母方の先祖が旗本だったらしくて孔子孟子の方が血になじみます。君子に三楽ありとか。逝くものはかくの如きとか。
********
人間はみな同じように小さく卑しくて罪深い。神は無限に偉大。これが厳しいですよね。
カトリックに関しては、神父様の話うかがってないので不確かですが、母性の象徴たる聖母さまがとりなしてくださるといってもやはり一神教の厳しさは変わらないでしょう。カトリックの小説(モーリヤックとか)読むと、悪魔が目に見えるような気分がしますよね。
「秘密」さんのいうケルンの大聖堂、垂直に神を目指す飽くなき意思は誰もが救いに与かりたいという強い欲求でしょうね。
######
ってなわけで解らないことだらけですけれど、ひとつ解ったことはヨーロッパの音楽(文化全般がそうかも)は複雑な要素から出来ているってことです。
ケルト(純正三度の響きはケルトの好みだといいます)、ラテン、ゲルマン(グレゴリオ聖歌は実はアルプスより北で愛好されたとか)、そしてスラブやバルカンの音楽。
ジプシーもあるじゃないか、と考えるのですが、よく調べるとジプシーは住み着いた国の土着の音楽を演奏したらしいので簡単には言えません。
むしろアラブやトルコが西欧音楽に及ぼした影響が大きいでしょうね。
つまりヨーロッパ音楽(文化も)は多種文化のいいとこ取りで、それを自分たちに合わせてリファインするしたたかな強さがあると思うのです。
それを史上初めて数学的な技術(和声や対位法)というものに仕立てたのは偉いと思います。たいしたモンです。
########
日本の教養主義って話題がありました(俺も言ったっけ)。つまり文明開化以後、お稽古の対象、ハイブローな教養の対象として音楽があったのは事実でしょうが、神を希求する飽くなき意思や、西欧音楽の重層性にまでは考えが及ばなかった(無理もないが)面はありますね。
では、「今後はそういう面もやっていくべき」なのか、「そんなシチ面倒くさいことは割愛して、日本流にアレンジした西洋音楽もどきを恬として実践する」と割り切るか。
ってな悠長なことを言ううちに本家のヨーロッパが崩れてしまう可能性だってありますが、留学した人たちの話を聞くとヨーロッパの音楽はそんなにヤワでも無さそうです。
####
あっと、セブシックさらわないと。
[6789]
Re: 無神論では音楽はやれないか
投稿日時:2003年11月16日 23:33
投稿者:kurokuma(ID:IZUYB0A)
「芸能と芸術の違い」のスレに出すべきかどうか悩んだのですが,
あちらはあくまでも,「芸能」と「芸術」という言葉の定義に関する話だと思いまして,こちらに投稿します.
このスレって閉じるべきなの「かなー..
話の流れとしては,無神論者でも音楽はやれるということですね.
でも,そもそも何でこんな話題が出てきたのかというと,
我々は何の為に音楽をやるのかというのが根底にあるような気がします.(飛びすぎでしょうか?)
紋切り型に言ってしまえば,西洋人は神を感じるためにクラシック音楽を作った,
だから,神を信じないものに西洋音楽ができるのか,,,
と単純に言ってしまうこともできる,
しかしそれはGeiger1951さんも,天音のパパさんも認めているように違う.
西洋人にとって神を感じる音楽とは,(あえて,文脈を無視して引用させていただきます)
>エーテルのような理想の美音によって法悦と苦悩と生と死をすべて表現
するようなものであり,
>史上初めて数学的な技術(和声や対位法)というものに仕立てたのは偉いと思います。
このような理論的な美しさの中にさえ神を見ていたわけです.
だけれど,法悦と苦悩,生と死は人類共通の議題でもあるわけですし,
理論的に体系化されると思想的背景とは切り離して伝えることができる.
(理論に美を感じるかはキリスト教である必要は必ずしもない訳ですし..)
だから,無神論者にも音楽はできるわけですね.
では,キリスト教徒以外,(特に日本人は)何の為に音楽をやるのか,,
>神を希求する飽くなき意思や、西欧音楽の重層性にまでは考えが及ばなかった(無理もないが)面はありますね。
>では、「今後はそういう面もやっていくべき」なのか、「そんなシチ面倒くさいことは割愛して、日本流にアレンジした西洋音楽もどきを恬として実践する」と割り切るか。
Greiger1951さんの考察は深そうだし,思い描いているものが違うような気もするのですが,,あえて言えば
私は日本人は日本流で構わないと思います.ただ,日本流といっても
教養主義的という意味ではありません.
日本人としての精神性をキリスト教的精神に塗り替える必要はないという意味においてです.
さて,ここでやっと芸能と芸術の話に少し関連するのですが,私の説明の都合上,芸術に相対するものとして芸能,を定義させてもらいます.
定義の不適切さは否めませんが,,平にご容赦を
精神性の話が出ましたが,僕は精神性こそ,芸術と芸能を分ける鍵になるのではないかと思います.
演歌にしろ何にせよ,その技術を習得した上で自分の精神世界を打ち立てる..
そこまで行かなくとも,伝える側に何かその人の存在が伝われば,両者にとってそれは芸術だったといえるのではないでしょうか?
要は,その人がどれぐらい自分の芸心に注意を払っているか,それが観客に伝わったかだと思います.
だから,演奏者によってはクラシック音楽でも僕にとって芸術ではなくなることもあります.
ニュアンスとしては,「芸術と芸能の違い」スレ[6765]
のかもめさんと近いと思います..
今の日本のクラシック教育が教養主義的ということは,精神世界を表す手段であるという観点が抜けていることだと僕は認識しています.
話がそれますが,日本における精神教育は急速な近代化や,戦後政策等々で,非常にあやふやなものになっていますね..
ハー,なんか頭使うと,疲れました.
あ,最後に偉そうに書いたあげくの逃げ口上ですが,
私,音楽家ではないのでお手柔らかに..
あちらはあくまでも,「芸能」と「芸術」という言葉の定義に関する話だと思いまして,こちらに投稿します.
このスレって閉じるべきなの「かなー..
話の流れとしては,無神論者でも音楽はやれるということですね.
でも,そもそも何でこんな話題が出てきたのかというと,
我々は何の為に音楽をやるのかというのが根底にあるような気がします.(飛びすぎでしょうか?)
紋切り型に言ってしまえば,西洋人は神を感じるためにクラシック音楽を作った,
だから,神を信じないものに西洋音楽ができるのか,,,
と単純に言ってしまうこともできる,
しかしそれはGeiger1951さんも,天音のパパさんも認めているように違う.
西洋人にとって神を感じる音楽とは,(あえて,文脈を無視して引用させていただきます)
>エーテルのような理想の美音によって法悦と苦悩と生と死をすべて表現
するようなものであり,
>史上初めて数学的な技術(和声や対位法)というものに仕立てたのは偉いと思います。
このような理論的な美しさの中にさえ神を見ていたわけです.
だけれど,法悦と苦悩,生と死は人類共通の議題でもあるわけですし,
理論的に体系化されると思想的背景とは切り離して伝えることができる.
(理論に美を感じるかはキリスト教である必要は必ずしもない訳ですし..)
だから,無神論者にも音楽はできるわけですね.
では,キリスト教徒以外,(特に日本人は)何の為に音楽をやるのか,,
>神を希求する飽くなき意思や、西欧音楽の重層性にまでは考えが及ばなかった(無理もないが)面はありますね。
>では、「今後はそういう面もやっていくべき」なのか、「そんなシチ面倒くさいことは割愛して、日本流にアレンジした西洋音楽もどきを恬として実践する」と割り切るか。
Greiger1951さんの考察は深そうだし,思い描いているものが違うような気もするのですが,,あえて言えば
私は日本人は日本流で構わないと思います.ただ,日本流といっても
教養主義的という意味ではありません.
日本人としての精神性をキリスト教的精神に塗り替える必要はないという意味においてです.
さて,ここでやっと芸能と芸術の話に少し関連するのですが,私の説明の都合上,芸術に相対するものとして芸能,を定義させてもらいます.
定義の不適切さは否めませんが,,平にご容赦を
精神性の話が出ましたが,僕は精神性こそ,芸術と芸能を分ける鍵になるのではないかと思います.
演歌にしろ何にせよ,その技術を習得した上で自分の精神世界を打ち立てる..
そこまで行かなくとも,伝える側に何かその人の存在が伝われば,両者にとってそれは芸術だったといえるのではないでしょうか?
要は,その人がどれぐらい自分の芸心に注意を払っているか,それが観客に伝わったかだと思います.
だから,演奏者によってはクラシック音楽でも僕にとって芸術ではなくなることもあります.
ニュアンスとしては,「芸術と芸能の違い」スレ[6765]
[6765]
Re: 芸術と芸能の違いについて
投稿日時:2003年11月16日 21:09
投稿者:かもめ(ID:NBaYGGA)
>演歌は芸術か?多分違う。
>モームスは芸術か?絶対違う。
それが芸術か否かは、その人の立場によって違うので、一般的な定義付けはできないのではないでしょうか?
演歌を芸術だと思う人には芸術であり、モームスを芸術だと思う人には芸術なのだと思います。(以前、他の掲示板で、「モームス」て何?と訊いて笑われたかもめ。。。)
最近の、男か女か分からない、ビジュアル系といわれるロックバンドなどは、僕はゲイ術だと思っていますし。
いや、その前に、“演歌”の定義付けすら難しいのでは??
吉良幾三氏の曲を、みなさん演歌だとおっしゃいますが、僕はフォークソングの類に聴こえます。(歌詞は演歌調ですが・・)
また、五木ひろし氏が歌った「千曲川」・・・これは演歌とは言えないと思います。むしろワルツに近いのでは??
でもそれを演歌だという人もいます。
一方、戦争すら芸術だっていう人もいます。
諸葛孔明の戦いぶりは芸術的だとか、上杉謙信は戦争を芸術の域に高めたなどなど。。。
兵法のことを、英語では The art of warと言いますしね。
結局、人工的なもの、人為的なもの、すべてが芸術になり得るのだと思います。
>モームスは芸術か?絶対違う。
それが芸術か否かは、その人の立場によって違うので、一般的な定義付けはできないのではないでしょうか?
演歌を芸術だと思う人には芸術であり、モームスを芸術だと思う人には芸術なのだと思います。(以前、他の掲示板で、「モームス」て何?と訊いて笑われたかもめ。。。)
最近の、男か女か分からない、ビジュアル系といわれるロックバンドなどは、僕はゲイ術だと思っていますし。
いや、その前に、“演歌”の定義付けすら難しいのでは??
吉良幾三氏の曲を、みなさん演歌だとおっしゃいますが、僕はフォークソングの類に聴こえます。(歌詞は演歌調ですが・・)
また、五木ひろし氏が歌った「千曲川」・・・これは演歌とは言えないと思います。むしろワルツに近いのでは??
でもそれを演歌だという人もいます。
一方、戦争すら芸術だっていう人もいます。
諸葛孔明の戦いぶりは芸術的だとか、上杉謙信は戦争を芸術の域に高めたなどなど。。。
兵法のことを、英語では The art of warと言いますしね。
結局、人工的なもの、人為的なもの、すべてが芸術になり得るのだと思います。
今の日本のクラシック教育が教養主義的ということは,精神世界を表す手段であるという観点が抜けていることだと僕は認識しています.
話がそれますが,日本における精神教育は急速な近代化や,戦後政策等々で,非常にあやふやなものになっていますね..
ハー,なんか頭使うと,疲れました.
あ,最後に偉そうに書いたあげくの逃げ口上ですが,
私,音楽家ではないのでお手柔らかに..
[6791]
Re: 無神論では音楽はやれないか
投稿日時:2003年11月16日 23:47
投稿者:天音のパパ(ID:mJVzU4A)
今晩の最後はここにしとこおうっっと(笑)
閉じてほしくないしぃこのスレ、、、、、
うんうん下記2件を読みながら、ほんとに私は文章能力がないなぁーと痛感。しゃべりはうまいと昔からよく言われたが書くとなるとほんと駄目なんだよなぁ。
>我々は何の為に音楽をやるのかというのが根底にあるような気がします.(飛びすぎでしょうか?)
紋切り型に言ってしまえば,西洋人は神を感じるためにクラシック音楽を作った,
だから,神を信じないものに西洋音楽ができるのか,,,
と単純に言ってしまうこともできる,
>(理論に美を感じるかはキリスト教である必要は必ずしもない訳ですし..)
>では,キリスト教徒以外,(特に日本人は)何の為に音楽をやるのか,,
こんなふうにハッキリ最初からカキコすればよかったんだ。反省、、、、
閉じてほしくないしぃこのスレ、、、、、
うんうん下記2件を読みながら、ほんとに私は文章能力がないなぁーと痛感。しゃべりはうまいと昔からよく言われたが書くとなるとほんと駄目なんだよなぁ。
>我々は何の為に音楽をやるのかというのが根底にあるような気がします.(飛びすぎでしょうか?)
紋切り型に言ってしまえば,西洋人は神を感じるためにクラシック音楽を作った,
だから,神を信じないものに西洋音楽ができるのか,,,
と単純に言ってしまうこともできる,
>(理論に美を感じるかはキリスト教である必要は必ずしもない訳ですし..)
>では,キリスト教徒以外,(特に日本人は)何の為に音楽をやるのか,,
こんなふうにハッキリ最初からカキコすればよかったんだ。反省、、、、
[6796]
Re: 無神論では音楽はやれないか
投稿日時:2003年11月17日 00:50
投稿者:Geiger1951(ID:UBdABxA)
ねむい、今日一日楽器弾きまくりで頭と目が。
でも一応「責任者」ってかー。ハハハ。
明日にしてもいいけど、なにしろ明日は夜まで読めない。
kurokumaさん、するどいですね。先回りされてる。
> 要は,その人がどれぐらい自分の芸心に注意を払っているか,
> それが観客に伝わったかだと思います.
「芸能か芸術家」以前に、実は西洋の名演奏家だって、これしか考えてないと私は相当の確信を持っています。
ミルシテインさんは練習の虫でしたしオイストラフだってうんと練習したし、ハイフェッツの自己規律は凄かったに違いない。ピアノのルービンシュタインだって50歳越えて猛練習した。
そのとき「聖なるもの」「神に近いもの」「宗教性」なんてほとんど考えていないに違いない。
「いい音で」「演奏効果があるように」「みんなを楽しませるように」というようなズバリ実際的、実践的な観点に捕らわれていたろう。
それどころか「あすステージで恥かかないにはどうするか」「あがらないにはどうするか」ってことは深刻だったろう。
だから彼らも人の子、俺らと変わんない、ただ才能がうんとあって体力があって小さい頃から一意専心鍛えぬいたプロだってこと。
ただし、西洋の往年の大家たちは基本的な共通認識というか、たとえば舞曲リズムの常識、宮廷音楽の雰囲気、宗教音楽の常識、オペラの歌い方や演出なんてことは全部ひととおり身についていた。理屈じゃなく肌で知っている人間たちの中で育った。
キリスト教やユダヤ教のことだって本で勉強するんじゃなく子供のときから身の回りにあった。
江戸の町人たちが歌舞伎や浄瑠璃って何であるか、誰でも知っていたのと同じですよ。外国人なら本で勉強するしか(今の我々もやや危ないか)ない訳ですけど。
****
異国の演奏家(つまり日本など)が西洋音楽やるのは「実験だ」って小澤征爾さんが言ったのはちょっと前ですが、若い演奏家はその点ちがっているのだろうか。
西洋音楽をやることはいまだに「異文化理解」であるのか、それともすでに「自分たちの音楽」になっているのか。若くない私にはもう解りません。
でも一応「責任者」ってかー。ハハハ。
明日にしてもいいけど、なにしろ明日は夜まで読めない。
kurokumaさん、するどいですね。先回りされてる。
> 要は,その人がどれぐらい自分の芸心に注意を払っているか,
> それが観客に伝わったかだと思います.
「芸能か芸術家」以前に、実は西洋の名演奏家だって、これしか考えてないと私は相当の確信を持っています。
ミルシテインさんは練習の虫でしたしオイストラフだってうんと練習したし、ハイフェッツの自己規律は凄かったに違いない。ピアノのルービンシュタインだって50歳越えて猛練習した。
そのとき「聖なるもの」「神に近いもの」「宗教性」なんてほとんど考えていないに違いない。
「いい音で」「演奏効果があるように」「みんなを楽しませるように」というようなズバリ実際的、実践的な観点に捕らわれていたろう。
それどころか「あすステージで恥かかないにはどうするか」「あがらないにはどうするか」ってことは深刻だったろう。
だから彼らも人の子、俺らと変わんない、ただ才能がうんとあって体力があって小さい頃から一意専心鍛えぬいたプロだってこと。
ただし、西洋の往年の大家たちは基本的な共通認識というか、たとえば舞曲リズムの常識、宮廷音楽の雰囲気、宗教音楽の常識、オペラの歌い方や演出なんてことは全部ひととおり身についていた。理屈じゃなく肌で知っている人間たちの中で育った。
キリスト教やユダヤ教のことだって本で勉強するんじゃなく子供のときから身の回りにあった。
江戸の町人たちが歌舞伎や浄瑠璃って何であるか、誰でも知っていたのと同じですよ。外国人なら本で勉強するしか(今の我々もやや危ないか)ない訳ですけど。
****
異国の演奏家(つまり日本など)が西洋音楽やるのは「実験だ」って小澤征爾さんが言ったのはちょっと前ですが、若い演奏家はその点ちがっているのだろうか。
西洋音楽をやることはいまだに「異文化理解」であるのか、それともすでに「自分たちの音楽」になっているのか。若くない私にはもう解りません。
[6828]
Re: 無神論では音楽はやれないか
投稿日時:2003年11月17日 15:24
投稿者:pochi(ID:FWBIIwE)
「西洋の芸術や学問は、神の束縛から脱却しようとし、神の下へ帰って行くものだ」と言った友人もいます。私には解らない。
[6839]
Re: 無神論では音楽はやれないか
投稿日時:2003年11月17日 18:10
投稿者:つけたし(ID:NSOCAWU)
>「芸能か芸術家」以前に、実は西洋の名演奏家だって、これしか考えてないと私は相当の確信を持っています。
ミルシテインさんは練習の虫でしたしオイストラフだってうんと練習したし、ハイフェッツの自己規律は凄かったに
違いない。ピアノのルービンシュタインだって50歳越えて猛練習した。そのとき「聖なるもの」「神に近いもの」
「宗教性」なんてほとんど考えていないに違いない。
そんな事は考えていないでしょう。ただ、いい演奏が出来たりしたときは神に感謝した方はいるんじゃないですかね。
ミルシテインさんは練習の虫でしたしオイストラフだってうんと練習したし、ハイフェッツの自己規律は凄かったに
違いない。ピアノのルービンシュタインだって50歳越えて猛練習した。そのとき「聖なるもの」「神に近いもの」
「宗教性」なんてほとんど考えていないに違いない。
そんな事は考えていないでしょう。ただ、いい演奏が出来たりしたときは神に感謝した方はいるんじゃないですかね。
[6843]
Re: 無神論では音楽はやれないか
投稿日時:2003年11月17日 20:12
投稿者:Geiger1951(ID:UBdABxA)
あっはっは
「つけたし」さん、大賛成です。下手糞で罰当たりの私でも演奏巧くいくと何者かに感謝の気持ちは持ちます(神様なんだろうか?)。
「つけたし」さん、大賛成です。下手糞で罰当たりの私でも演奏巧くいくと何者かに感謝の気持ちは持ちます(神様なんだろうか?)。
[6845]
Re: 無神論では音楽はやれないか
投稿日時:2003年11月17日 20:15
投稿者:toru(ID:OEmQWII)
BACHを聴いて
晴れ上がった夜空にちりばめられた
星の美しさを連想することがあります。
星をどんな風につないでも、自分なりの「星座」は作れる。
でも夜空はどんな解釈も超絶している。
優れた音楽には、我々が大自然を前に心を動かすような
普遍性、絶対性があるように思います。
それを、神と呼びたい人は呼べ。
晴れ上がった夜空にちりばめられた
星の美しさを連想することがあります。
星をどんな風につないでも、自分なりの「星座」は作れる。
でも夜空はどんな解釈も超絶している。
優れた音楽には、我々が大自然を前に心を動かすような
普遍性、絶対性があるように思います。
それを、神と呼びたい人は呼べ。
[6850]
いとも美しき暁の星
投稿日時:2003年11月17日 21:02
投稿者:Geiger1951(ID:UBdABxA)
toruさん<===
バッハのカンタータ1番は
「いとも美しき暁の星」っていうんですよ。明けの明星ですよね。
それがキリストの象徴でもあるんですよ。
冒頭のヴァイオリン・オブリガート聴いて涙流しました。
ヴァイオリンが好きになったひとつのきっかけです。
バッハのカンタータ1番は
「いとも美しき暁の星」っていうんですよ。明けの明星ですよね。
それがキリストの象徴でもあるんですよ。
冒頭のヴァイオリン・オブリガート聴いて涙流しました。
ヴァイオリンが好きになったひとつのきっかけです。
[6861]
Re: 無神論では音楽はやれないか
投稿日時:2003年11月17日 22:45
投稿者:pochi(ID:FWBIIwE)
[6845]
toruさん、あなたは詩人ですね。あなたこそ神に近い存在かも知れない。
[6845]
Re: 無神論では音楽はやれないか
投稿日時:2003年11月17日 20:15
投稿者:toru(ID:OEmQWII)
BACHを聴いて
晴れ上がった夜空にちりばめられた
星の美しさを連想することがあります。
星をどんな風につないでも、自分なりの「星座」は作れる。
でも夜空はどんな解釈も超絶している。
優れた音楽には、我々が大自然を前に心を動かすような
普遍性、絶対性があるように思います。
それを、神と呼びたい人は呼べ。
晴れ上がった夜空にちりばめられた
星の美しさを連想することがあります。
星をどんな風につないでも、自分なりの「星座」は作れる。
でも夜空はどんな解釈も超絶している。
優れた音楽には、我々が大自然を前に心を動かすような
普遍性、絶対性があるように思います。
それを、神と呼びたい人は呼べ。
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