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雑談・その他 59 Comments
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音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月04日 02:23
投稿者:pochi(ID:OXWSiAA)
素朴な疑問です。

やっぱり「音学」は、ヴァイオリン演奏に必要不可欠なんでしょうか?
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3 / 6 ページ [ 59コメント ]
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Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月18日 04:10
投稿者:kirin(ID:JnA2WZQ)
素人が生意気を言わせて頂きます。ですが、私の経験から感じたことです。

全ての芸術は、人間の進化とともに進化します。
学問は、対象を意識的に捉える作業とも言えるでしょう。天性で演奏することは過去の遺産で行う作業であり、限界があります。どんな天才も音と意識的に取り組むことが大切であり、可能と思います。いくら取り組んでも音楽の世界は限りがないです。それは音楽の本質が感覚を越えたところにあるからだと思います。

別スレッドで名曲は名演奏によっても作られていくものである、と私は書きました。たとえば、バッハのシャコンヌは時代とともにその本質もより豊かになってきたのであり、これからもますますそうなることと思います。
[9072]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月18日 06:07
投稿者:pochi(ID:JVIgaAk)
秘密さん、また出て来て下さい。

[9071]
[9071]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月18日 04:10
投稿者:kirin(ID:JnA2WZQ)
素人が生意気を言わせて頂きます。ですが、私の経験から感じたことです。

全ての芸術は、人間の進化とともに進化します。
学問は、対象を意識的に捉える作業とも言えるでしょう。天性で演奏することは過去の遺産で行う作業であり、限界があります。どんな天才も音と意識的に取り組むことが大切であり、可能と思います。いくら取り組んでも音楽の世界は限りがないです。それは音楽の本質が感覚を越えたところにあるからだと思います。

別スレッドで名曲は名演奏によっても作られていくものである、と私は書きました。たとえば、バッハのシャコンヌは時代とともにその本質もより豊かになってきたのであり、これからもますますそうなることと思います。
kirinさん、
猊下(Geiger1951先生)は、「音楽に真面目に取組むのなら、学問として音楽に取組まなければ、音楽は進化しない。進化させるには、学問しなければならない」という御意見だと、私の拙い日本語で解釈しました。

私は、西洋古典音楽を西洋貴族制が生んだ文化の残滓ではないか?即ち終わっているのではないか?という疑問を持っているのです。学問する価値がない、若しくは学問され尽くしているのではないかと考えているのです。

「ティボーは音痴ですか」や他のスレッドで散々議論しました。現代的感覚と、西洋貴族的感覚は、違うのです。私は、師から、西洋貴族的音楽の薫陶を受けました。日本のクラシック音楽とは異質の物です。

素朴な疑問はそんな私自身への問いでもあるのです。
[9081]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月18日 10:34
投稿者:Geiger1951(ID:NCd1OQI)
9072 pochiさん書き込み
>>西洋古典音楽を西洋貴族制が生んだ文化の残滓ではないか?
>>即ち終わっているのではないか?という疑問を持っているのです
+++
基本的にはお説のとおりです。

ただし、そればかり言うと「唯物史観」と紙一重なんですね、これが。

名作絵画の、歴史的・社会的背景を知らなくとも今の我々に解し得ないでしょうか。
むろん描かれた題材について予備知識があったほうが味わいは深まる、というのも確かでしょう。
+++
クラシックの演奏家は画家と立場が違う。現代画家は自分の作品を描くのに他人の作品の助けは要らない。
演奏家が自分の作品を弾いていた19世紀と違い、今の演奏家は古い他人の作品を再現する。したがって画家と美術史家と博物館の学芸員と鑑賞者の立場を兼備しなくてはいかんから難しいです。
それでいて「作品がその場で即興されたかのような瑞瑞しさ」とか言われたら死にそうですね。
グルダのベートーヴェン後期ソナタなんて、すごく即興性がありましたが、どうしてそうなるのでしょうね。
[9083]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月18日 14:19
投稿者:pochi(ID:JVIgaAk)
[9081]
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Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月18日 10:34
投稿者:Geiger1951(ID:NCd1OQI)
9072 pochiさん書き込み
>>西洋古典音楽を西洋貴族制が生んだ文化の残滓ではないか?
>>即ち終わっているのではないか?という疑問を持っているのです
+++
基本的にはお説のとおりです。

ただし、そればかり言うと「唯物史観」と紙一重なんですね、これが。

名作絵画の、歴史的・社会的背景を知らなくとも今の我々に解し得ないでしょうか。
むろん描かれた題材について予備知識があったほうが味わいは深まる、というのも確かでしょう。
+++
クラシックの演奏家は画家と立場が違う。現代画家は自分の作品を描くのに他人の作品の助けは要らない。
演奏家が自分の作品を弾いていた19世紀と違い、今の演奏家は古い他人の作品を再現する。したがって画家と美術史家と博物館の学芸員と鑑賞者の立場を兼備しなくてはいかんから難しいです。
それでいて「作品がその場で即興されたかのような瑞瑞しさ」とか言われたら死にそうですね。
グルダのベートーヴェン後期ソナタなんて、すごく即興性がありましたが、どうしてそうなるのでしょうね。
猊下投稿は、私の「音学」レベルに合わせて、手加減して書き込んでいらっしゃる様に思います。もう少しレベルを落として頂かないと付いて行けないので、私のレベルを書き込みますね。

>グルダのベートーヴェン後期ソナタなんて、すごく即興性がありましたが、どうしてそうなるのでしょうね。
****これには具の音も出ません。
日本語では、「熟成」「醸す」「醍醐味」「真骨頂」なんて表現するのかも知れませんが、私は評論は得意ではないので、止めておきます。

以前にも書きましたが、演奏者の立場として、音楽は、観客と場所と作曲者と自分で創るのだと思います。一つでも欠けると、成り立たない様に思います。ここに神様が入るかどうか、が私には疑問です。だから、観客に感謝し、曲に感謝し、その場所に感謝して、奏くのが必要なのだと思います。曲に感謝する行為として、音学をしなければならないのでしょうか?楽譜を読込む事でその代りにならないのでしょうか?誤植もありますしね。私は先生に云われた通りに弾きますから、IMCとは少し違った演奏になります。理由は考えた事もありません。

ふと気になった事ですが、ベートーヴェン5番運命の4楽章の最後のトランペットのユニゾンを、装飾音符(エコー)的に1/16ずらすのは、しても良い事なのでしょうか?私は、理由は解りませんが、絶対にしてはならないと思います。

アウシュヴィッツのユダヤ人音楽屋は、「音楽」は出来なかったと思います。観客と場所が成立していませんでしたから。

演奏にケチを付ける為に聴いている吉田秀和がいる所では、弾きたくありません。減点法のコンクールなんて、もっての他です。

私の受けたオーディションは、怖いところもあったけれど、意外と温かいものでしたよ。セミプロオケのオーディションで半音間違えたら、「間違ってるよ」「間違ってた。ご免なさい。もう一度弾くよ。」「そのアーティキュレーション違うんじゃない?」「やっぱりこっちなの?」なんて云いながら、衝立の後で弾きます。これで合格して仕舞うのです。但、食べては行けません。

ゴチャゴチャ書きましたが、雰囲気が日本とは違いますよね。「音学」って本当に必要なんでしょうか?

天音のパパさん風に書いてみました。
[9084]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月18日 14:52
投稿者:pochi(ID:JVIgaAk)
[9031]
[9031]

練木繁夫さん

投稿日時:2004年01月17日 11:26
投稿者:Geiger1951(ID:Fxk4BJE)
練木繁夫さんはシュタルケルとの共演、その他室内楽で活躍しています。
「A(アー)を下さい」:春秋社2003年10月30日初版
は演奏家が出した貴重な「音学」の著作です。
大いに苦労した作品のようです。
+++++
「楽器を実際に演奏する」立場の人の発言に私は説得力を感じる。
内田光子さんは本を出されませんが、ドイツの音楽番組に出演して明快な所説を展開し、天馬空を行くようです(CSで日本でも放映した)。
音楽之友のインタビューも痛快。

中村紘子さんは文章力が優れている。

古くはジェラルド・ムーアの"Am I too loud?"
(邦訳:「お耳障りですか」)が読み物としても抜群で情報量も豊かです。
カール・フレッシュの「覚書」は英訳も絶版らしく、入手できないのが残念。
+++
練木さんはピアニスト対象なのか弦楽器奏者までも対象なのか?
ややターゲット不明の感があります。ただし、
「ドライ・レガート」「モルト・レガート」「ペダルの深さのコントロール」
についてかなり詳しく書かれていて、門外漢ながら大いに参考になりました。専門家には「あたりまえ」なんでしょうが。
フォーレが「テンポを変えずにニュアンスを出す。楽譜に忠実。ペダルは少なめ。バスを善く聴く」というタイプだったなど、過去の大家の逸話も面白いです。
ただ忙しい演奏活動の側ですから「音楽史」「音律」についての記述はやや密度が薄く熱の入り方も不足です。
全体としてのこの著作がムーアなどに比べてどうか、は微妙です。
ピアノと室内楽中心の記述で、ムーアのような「エッセー」ではありませんしね。
付録にCDを添えているのは正々堂々の態度と思います。
猊下投稿
>中村紘子さんは文章力が優れている。
*****優れたゴースト・ライターがいるのではないのですか?もしかして、猊下ですか?
[9086]

書き忘れていた。

投稿日時:2004年01月18日 15:16
投稿者:pochi(ID:JVIgaAk)
私は、露西亜文学や左翼文献の強い影響を受けています。
従って、残念乍、唯物論者です。

「バクーニン」や「クロポトキン」辺りが好きです。
「ヘーゲル」「マルクス」「レーニン」「毛沢東」等、一連の物を読んでいます。「チャップリン」の「犬の生活」が大好きです。

念の為、私の専門は、社会科学ではありません。
社会科学は「思想・議論」のヤクザだと感じます。

自分の投稿スタイルが議論のヤクザ的だと云う事は、当然理解しています。その事を批判されても、甘んじて受けます。品性下劣で痴性的ですから。
[9091]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月18日 18:56
投稿者:Geiger1951(ID:NCd1OQI)
[9084]
[9084]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月18日 14:52
投稿者:pochi(ID:JVIgaAk)
[9031] 猊下投稿
>中村紘子さんは文章力が優れている。
*****優れたゴースト・ライターがいるのではないのですか?もしかして、猊下ですか?
pochiさん [04/01/18 14:52:28]
>>>>中村紘子さんは文章力が優れている。
>>ゴースト・ライターがいるのではないのですか?もしかして、猊下ですか?
130歳までは生きる予定がありません(爆)。
薫さんのアドバイスはあったとしても、文章は彼女自身でしょう。
昨夜NHKで浜松国際コンクールを中村さんが見事に差配しているのを拝見。
話術から頭脳の冴えが伝わります。
あれだけ頭がよければ、少しのコーチですぐにいい文章をものするでしょう。
[9092]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月18日 19:00
投稿者:Geiger1951(ID:NCd1OQI)
[9083]
[9083]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月18日 14:19
投稿者:pochi(ID:JVIgaAk)
[9081]猊下投稿は、私の「音学」レベルに合わせて、手加減して書き込んでいらっしゃる様に思います。もう少しレベルを落として頂かないと付いて行けないので、私のレベルを書き込みますね。

>グルダのベートーヴェン後期ソナタなんて、すごく即興性がありましたが、どうしてそうなるのでしょうね。
****これには具の音も出ません。
日本語では、「熟成」「醸す」「醍醐味」「真骨頂」なんて表現するのかも知れませんが、私は評論は得意ではないので、止めておきます。

以前にも書きましたが、演奏者の立場として、音楽は、観客と場所と作曲者と自分で創るのだと思います。一つでも欠けると、成り立たない様に思います。ここに神様が入るかどうか、が私には疑問です。だから、観客に感謝し、曲に感謝し、その場所に感謝して、奏くのが必要なのだと思います。曲に感謝する行為として、音学をしなければならないのでしょうか?楽譜を読込む事でその代りにならないのでしょうか?誤植もありますしね。私は先生に云われた通りに弾きますから、IMCとは少し違った演奏になります。理由は考えた事もありません。

ふと気になった事ですが、ベートーヴェン5番運命の4楽章の最後のトランペットのユニゾンを、装飾音符(エコー)的に1/16ずらすのは、しても良い事なのでしょうか?私は、理由は解りませんが、絶対にしてはならないと思います。

アウシュヴィッツのユダヤ人音楽屋は、「音楽」は出来なかったと思います。観客と場所が成立していませんでしたから。

演奏にケチを付ける為に聴いている吉田秀和がいる所では、弾きたくありません。減点法のコンクールなんて、もっての他です。

私の受けたオーディションは、怖いところもあったけれど、意外と温かいものでしたよ。セミプロオケのオーディションで半音間違えたら、「間違ってるよ」「間違ってた。ご免なさい。もう一度弾くよ。」「そのアーティキュレーション違うんじゃない?」「やっぱりこっちなの?」なんて云いながら、衝立の後で弾きます。これで合格して仕舞うのです。但、食べては行けません。

ゴチャゴチャ書きましたが、雰囲気が日本とは違いますよね。「音学」って本当に必要なんでしょうか?

天音のパパさん風に書いてみました。
pochiさん [04/01/18 14:19:41]
>>私は先生に云われた通りに弾きます

善い先生に恵まれたpochiさんは幸福です。
「善い先生に出会えないが、それでも音楽をしたい」
という平凡な多くの生徒はどうすべきか。
「考えて弾く」その為には練木さんのように「音学」も必要でしょう。
練木さんはシェボックヤシュタルケルと出会えましたが、その後懸命に考え続けた結果今日の彼があるのでしょう。
+++++
ヴァイオリンは職人的要素が強い。それは事実です。
事が大工の修行なら「だまって棟梁の技を盗む」でいいんでしょう。
ミルシテインの回顧録からは正しくそういう彼の修行形態が伺える。
彼は色んな人から盗んで上達したと思います。

「盗む」のには非凡な才能が必要です。

「盗めない」平凡な生徒はどうしたらよいのか。
そういう人にはフレッシュのような教師が必要です。
フレッシュは史上最大の教師かも知れませんが、「音学」者タイプに見えます。
=====
=====
>>演奏にケチを付ける為に聴いている吉田秀和が
固有名詞でなく、多くの日本の演奏評論、ということで受け止めます。
小生も日本の演奏批評には憤りを感じることがあります。
ようするに
「音楽の知識があれば音楽行為そのものの本質を批評できる」
というのはトンデモナイ思い違いだ、という点は全く同感します。
批評家は宦官だ、と喝破したのは誰でしたっけ?手元に資料がないが、いい言葉です。
[9095]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月18日 20:15
投稿者:Geiger1951(ID:NCd1OQI)
[9086]
[9086]

書き忘れていた。

投稿日時:2004年01月18日 15:16
投稿者:pochi(ID:JVIgaAk)
私は、露西亜文学や左翼文献の強い影響を受けています。
従って、残念乍、唯物論者です。

「バクーニン」や「クロポトキン」辺りが好きです。
「ヘーゲル」「マルクス」「レーニン」「毛沢東」等、一連の物を読んでいます。「チャップリン」の「犬の生活」が大好きです。

念の為、私の専門は、社会科学ではありません。
社会科学は「思想・議論」のヤクザだと感じます。

自分の投稿スタイルが議論のヤクザ的だと云う事は、当然理解しています。その事を批判されても、甘んじて受けます。品性下劣で痴性的ですから。
書き忘れていた pochiさん [04/01/18 15:16:03]

>> 露西亜文学や左翼文献の強い影響を受けています。
>> 従って、残念乍、唯物論者です。
トルストイ、ドストエフスキー程度しか読みません。申し訳ない……
日本でロシア文学が人気を博した理由に私は仮説を持っています。
ロシアは日本とある意味、似ているんじゃありませんか。
++++
ロシアに西洋音楽(シューベルトを好みますね彼らは)やらクラシックバレー(仏蘭西ではフレンチカンカンになっちまった)が深く定着したのは、一にかかって
【一握りの上流貴族の絢爛豪華な西欧趣味】の産物でしょう。
上からの気長な西欧化が300年かけて人々に浸透した。
そういえば、ロシアにはイタリアや仏蘭西やらの芸人の末裔が活躍しています。アレクセイ・ブルーニはイタリアから帰化した音楽家の家です。

日本をして仮に大東亜戦争の愚を犯さ令めず、華族制度をして猶数世代の余命を得令めしならば、今日クラシック音楽はさらに深く日本に根を下ろすを得たでありましょう。

唯物論ですか。これ正確な定義は難しいですね。
ちょっとズレますが…
唯物論ならぬ「無神論」ってのは「神がいる」社会では強烈なエネルギーを必要としますね。母方の祖父が狂信的なProtestantで、母は反発して棄教しました。老いて気弱な祖父しか見ない私は母の蛮勇は完全には納得できませんが。
[9104]

Re: 音我苦・音学・音楽

投稿日時:2004年01月19日 00:13
投稿者:pochi(ID:FHgXEwI)
少しレベルが落ちた。楽になった。有難うございます。

件の宦官は、「ブレンダン・ビーアン」アイルランドの劇作家ですね。私は、「舌先しか使えない」と痴性で理解していました。

>日本でロシア文学が人気を博した理由に私は仮説、、、
****これは、常識だと思います。

>【一握りの上流貴族の絢爛豪華な西欧趣味】
*****露西亜の上流階級の教養はフランス語とラテン語にありました。文化後進国の先進国かぶれです。

>日本をして仮に大東亜戦争の愚を犯さ令めず、華族制度をして猶数世>代の余命を得令めしならば、今日クラシック音楽はさらに深く日本に>根を下ろすを得たでありましょう。
****この仮説には疑問があります。議論を出来る程の知識がありません。鹿鳴館の延長が根付くのでしょうか?

マルクスはヘーゲル批判の中で「史的唯物論」を提起しました。「経哲草稿」は、今でも様々なインスピレーションを与えてくれる良書だと思います。レーニンの芸術論は、芸術家ではない俗人が芸術について書いた悪書です。お笑いなので、暇を見て読んで下さい。

「まなぶ」という言葉は「まねる」という言葉から来ているらしいです。鈴木では、あの下手くそなレコードを聴いて、そっくり真似て物凄い進度で進みました。母が歌手だったので、これではいけないと気付いて先生を変えたり、違うレコードを買ってきたりと、腐心したみたいです。

西洋の学問は、アリストテレス(ギリシャ)とキリスト教(ローマ)の呪縛から、精神(人間)を解放する事を目的としていた。ルネッサンスとは、そんな時代だったと、史的唯物論では解釈するようです。私の専門は歴史ではありません。

欧羅巴で流された血がクラシック音楽には染込んでいるのです。其れを直接体験した師に学べた事は幸せでした。

エピソードを一つ。アマチュアオケで師がコンサートマスターでコンマスの足を弾いた事があります。師は、1章節ずれて堂々と弾きました。私は、仕方なく師に合わせて弾きました。後で、皆に叱られた事は云うまでもありません。私の責任になりました。私は、米国では「パシフィック・アイランダー」と分類されるらしいです。責任を取らせるのに適当な存在だったのでしょう。

大阪のセンチュリーオケの宣伝放送を録画で観ました。在日韓国人みたいな名前の金髪に染めた若い指揮者が、渡辺徹と女の子を舞台に招き入れてのオケの宣伝です。真面目に観た訳ではありませんが、ワインを飲みながら何と無く聴いていると、一々癇に触るのです。最後にベートーヴェン5番運命の4楽章の最後のトランペットのユニゾンを、装飾音符(エコー)的に1/16ずらして失敗したのか、単に合わなかったのか、何れにしても、私なら、番組のディレクターを馘にします。番組の構成は、良く出来ていましたが、音楽の内容はボロボロでした。日本の音楽のレベルが良く解る物を教えてくれと云ったら、友人が見せてくれたのです。東京ではそんな事は有り得ないんだそうですが、タイプライターが遅れた東京レディースオケの録音もあります。あれを子供に聴かせたら、音楽性を潰しますね。

「君が代」は何回か弾きましたが、6/8で弾けば、「蛸踊り」にもなります。「奥様は騎乗位がお嫌い」ではなく、「正常位が最高」でもなく、「清浄機よ永遠なれ」は3拍子ですね。国家の為に演奏するのは、精神的に苦痛です。

教会には大変御世話になりました。半分職場の様なものでした。エピスコパル・トリニティーが、お金になります。練習場としても最適ですよね。バプティスト教会に行ったら、天道よしみみたいなコブシバリバリ海苔海苔のお姐さんが歌ってました。凄い!あの真似は出来ません。お金にもなりません。音楽は神様に捧げるものでした。
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