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「間」について | ヴァイオリン掲示板

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雑談・その他 14 Comments
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「間」について

投稿日時:2004年02月13日 21:05
投稿者:ぷーた(ID:FTQhABQ)
言うまでもありませんが、本来音楽の最も大事な要素は「間」だと思うんです。僕の中で最近そういう考えがより強くなってきてます。演奏家の音楽性や力量は大概ここでわかります。人間が「間」から感じ取ってるものはなんなのでしょう?「間」の取り方で音楽の印象があんなにも変わってしまうのはどうしてでしょう?皆さんの意見をお聴きしたいと思います。

マイケル・レビンが超天才なのは、何よりその「間」の取り方が非凡だったことに依ると考えます。無論僕は彼の大ファンです。
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【ご参考】
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Re: 「間」について

投稿日時:2004年02月13日 21:36
投稿者:pochi(ID:QldGBIA)
ぷーた氏が、大人びた演奏をする理由を垣間見ました。平伏。
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Re: 「間」について

投稿日時:2004年02月13日 23:12
投稿者:Geiger1951(ID:NCd1OQI)
大阪大学の
中村敏枝教授
《専門分野》:音響心理学・音楽心理学
はなんとそのものずばり「間」が研究テーマの一つですよ。
http://kansei.hus.osaka-u.ac.jp/nakamura/index.html
[9936]

Re: 「間」について

投稿日時:2004年02月13日 23:28
投稿者:天音のパパ(ID:JBAhQGg)
音色うんうんではなく
>マイケル・レビンが超天才なのは、何よりその「間」の取り方が非凡だったことに依ると考えます。
と同じ理由で、レビンが好きです。

子供には、”間””空気感”などといいながら、
音のないところの音を捉えるよううるさく言ってます。
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Re: 「間」について

投稿日時:2004年02月13日 23:44
投稿者:Geiger1951(ID:NCd1OQI)
少し極端な言い方かも知れませんが、ピアニストは音の出る瞬間が命でしょう。ですから名人クラスのピアニストは「間の取り方」で勝負しているんだと思います(その人になってみないと解りませんがそう思います)。

知っている範囲で感心したのは仏蘭西の往年の女流:ジェルメーヌ・ティッサン=ヴァランタンのフォーレの五重奏曲作品115
あと、80年代末か90年頃来日したミシェル・ダルベルトがカントロフ+アラン・ムニエ+ジェラール・コセとやったこれもフォーレの四重奏作品15
どちらもなんたる間の取り方であったことか。
pochiさん流に申すなら「ぱくる」に如くはありません。
[9948]

Re: 「間」について

投稿日時:2004年02月14日 00:50
投稿者:yam(ID:YUJwSVA)
「間」について。例えばチゴイネルワイゼンのような曲(誰もが弾いている曲ですが、きちんと弾けている人が殆どいない)をいかに音楽的に面白く聴かせるように弾くか、という点において、間の取り方の上手い下手が特に問われるように思います。

ヴァイオリンでなくピアノですが、私にとってコルトーのショパンの間の取り方は大変参考になります。
[9951]

Re: 「間」について

投稿日時:2004年02月14日 02:14
投稿者:pochi(ID:QldGBIA)
西洋伝統音楽の上で「間」を、無理矢理訳するとしたら、"Direction"「方向性」だと思います。

NHKラジオのアナウンサーの、無言の「間」は、西洋のラジオには、私の知る限り存在しません。

ぷーた氏の演奏には、この「方向性」を感じたのですが、「これ以上はダメだ。やっぱり止めて置こう」という自制心が演奏に表れているのです。だから、私には、大人びた演奏に聞えるのです。もっと、感じたまま自由に奏いて欲しい。

囲碁・将棋を嗜む方も多いと思います。「石が伸びる」「駒が伸びる」なんていう言い方が有りますが、昔のアマチュアの棋士達は、物理的に伸びていました。囲碁なら、目から外れる位、将棋なら、桝一杯に延ばして差す、下品な打ち方です。

私の習った西洋伝統音楽は、リズムの範囲内(リズム・音程を少し崩してでも)で最大限に(音程・リズム)の幅を活用せよとの事だったのです。現代の奏者とは、かなり違います。然し、崩し方に有る一定の法則が有り、この法則を守らないと、「カンツォーネの演歌」・「演歌のツィガーヌ」になってしまいます。それはそれで良いのではないか?と思っている今日この頃です。

この「方向性」が、何度も書き込んでいる「西洋音楽の諸法則」の一部であり、"Essence"「急所・灸所?勘所」だと思います。
[9952]

Re: 「間」について

投稿日時:2004年02月14日 02:19
投稿者:天音のパパ(ID:JBAhQGg)
そういえば、パールマンにも独特の間を感じます。
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Re: 「間」について

投稿日時:2004年02月14日 02:34
投稿者:pochi(ID:QldGBIA)
「ダン・タイソン」のピアノは、西洋の伝統的手法とは少し違う独特の「間」があります。これが堪らないのです。

「ジャネット・ヌヴー」も録音で聴く限り、独特です。
現代で最後の生き残りは「イヴリー・ギトリス」かも知れません。少し現代的ですが、「マイケル・レビン」にもあります。

一般的に此れが出来る人を「ヴィルトーゾ」と呼ぶらしいです。「ヴィルトーゾ奏法」なんて云う言い方も有るみたいですね。
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Re: 「間」について

投稿日時:2004年02月14日 03:01
投稿者:天音のパパ(ID:JBAhQGg)
日本の伝統文化的な物は、”間”が重要視される事柄が多いように思います。歌舞伎、茶道、武道etc
pochiさんいうところのNHKのアナウンスしかり、、、、

で、西洋の文化の中で、西洋音楽以外に”間”があるものを教えていただきたいのですが、何かありますか?

私は、この”間”コントロールする能力、技術は、日本人は欧米人に比べたけてる気がするのです。
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