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「間」について
投稿日時:2004年02月13日 21:05
投稿者:ぷーた(ID:FTQhABQ)
言うまでもありませんが、本来音楽の最も大事な要素は「間」だと思うんです。僕の中で最近そういう考えがより強くなってきてます。演奏家の音楽性や力量は大概ここでわかります。人間が「間」から感じ取ってるものはなんなのでしょう?「間」の取り方で音楽の印象があんなにも変わってしまうのはどうしてでしょう?皆さんの意見をお聴きしたいと思います。
マイケル・レビンが超天才なのは、何よりその「間」の取り方が非凡だったことに依ると考えます。無論僕は彼の大ファンです。
マイケル・レビンが超天才なのは、何よりその「間」の取り方が非凡だったことに依ると考えます。無論僕は彼の大ファンです。
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【ご参考】
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Re: 「間」について
投稿日時:2004年02月14日 07:05
投稿者:pochi(ID:QldGBIA)
全ての舞台芸人です。ストリップから、ブロードヱイ迄、特に、コメディーは参考になります。コメディーは、人種差別が激しく、東洋人1人では行き難いのが欠点です。
同じ舞台芸人かも知れませんが、教会の牧師・神父の説教です。人気のある教会で、純粋に音楽として聴くと、面白いと思います。「マーティー・ルーサー・キング」の "I have a dream" の演説は、最高だと思います。ブッシュは、ダメです。クリントンの方が優れていました。
同じ舞台芸人かも知れませんが、教会の牧師・神父の説教です。人気のある教会で、純粋に音楽として聴くと、面白いと思います。「マーティー・ルーサー・キング」の "I have a dream" の演説は、最高だと思います。ブッシュは、ダメです。クリントンの方が優れていました。
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Re: 「間」について
投稿日時:2004年02月16日 11:04
投稿者:Goya(ID:NWNhkIA)
私は、どうも、
「言葉よりも語る沈黙」や
「音符よりも休符」
にドキドキするタイプの人間のようです。
もちろん、言葉や音符があるからこそ、沈黙や休符に重みがあるの
ですけれど。。。
すこし話がずれるかもしれませんが、私がいつも、他の人に対して
羨望の気持ちをいだかされ、しかも、学んで習得できるものでは
ないなあ・・・としみじみ思うのは、
「独特の間のとりかた」
に、関連しているような気がします。
音楽の演奏しかり、話術&ユーモアのセンスしかり、
舞台芸能しかり、、、、
私は、絵画に関しても、(「間」とは、ちょっと違うかもしれませんが)
「背景の闇」とか、「視線のそのむこうにある何か」
とかに、惹かれたりします。
私は、ピアノに関しては、音を出す瞬間より、音の終わらせ方に
(休符の前とは限らず、すべての音符に対して)
ピアニストの個性を感じるほうかも、しれません。
ギター、琴、などの音が減衰して、消える瞬間とか、
笙やオーボエの演奏が終わった後、楽器の中に、なにかが
残っているような一瞬も好きですね。
(残念ながら、バイオリンでは出せない「なにか」のような気がします)
感動する書物にあうと、最後の背表紙を閉じる前の瞬間を
楽しんだりします。(タメイキとかつきながら~_~;)
どんどん、話がズレて、すみません。。 >ぷーたさま
私にとって、
曲が始まる前に、ドキドキさせられるのは、ベートーベン、
曲の合間の休符にドキドキさせられるのは、モーツアルト、
曲が終わったの静寂に、敬虔な気持ちにさせられるのはバッハ
の曲が多い気がします。
ひとりごとのような書き込みに、なってしまいました。。。
「言葉よりも語る沈黙」や
「音符よりも休符」
にドキドキするタイプの人間のようです。
もちろん、言葉や音符があるからこそ、沈黙や休符に重みがあるの
ですけれど。。。
すこし話がずれるかもしれませんが、私がいつも、他の人に対して
羨望の気持ちをいだかされ、しかも、学んで習得できるものでは
ないなあ・・・としみじみ思うのは、
「独特の間のとりかた」
に、関連しているような気がします。
音楽の演奏しかり、話術&ユーモアのセンスしかり、
舞台芸能しかり、、、、
私は、絵画に関しても、(「間」とは、ちょっと違うかもしれませんが)
「背景の闇」とか、「視線のそのむこうにある何か」
とかに、惹かれたりします。
私は、ピアノに関しては、音を出す瞬間より、音の終わらせ方に
(休符の前とは限らず、すべての音符に対して)
ピアニストの個性を感じるほうかも、しれません。
ギター、琴、などの音が減衰して、消える瞬間とか、
笙やオーボエの演奏が終わった後、楽器の中に、なにかが
残っているような一瞬も好きですね。
(残念ながら、バイオリンでは出せない「なにか」のような気がします)
感動する書物にあうと、最後の背表紙を閉じる前の瞬間を
楽しんだりします。(タメイキとかつきながら~_~;)
どんどん、話がズレて、すみません。。 >ぷーたさま
私にとって、
曲が始まる前に、ドキドキさせられるのは、ベートーベン、
曲の合間の休符にドキドキさせられるのは、モーツアルト、
曲が終わったの静寂に、敬虔な気持ちにさせられるのはバッハ
の曲が多い気がします。
ひとりごとのような書き込みに、なってしまいました。。。
[10076]
追加です
投稿日時:2004年02月16日 16:06
投稿者:Goya(ID:NUkmUVE)
コミュニュケーション(会話・身振り・視線、、、等)における
「独特の間」には、受け取る側に、
「恐れ・不安・喜び・悲しみ・笑い」などといった、
エモーショナルな感情を増幅させる効果があるような気がします。
(もちろん、間が長すぎると、減衰してしまいますが・・・)
音楽の「間」には、↑のような言葉では語り尽くせない、それ以上の
「何か」がありますよね。
先ほどは、休符や、音の始まり・終わりに関して書き込みして
しまいましたが、私にとっては、ポルタメントのかけ方や、
音ののばし方・切り方、ビブラートのかけ方・止め方なども
「間」という概念に入るということを書き忘れていたので、
追加させていただきました。
「独特の間」には、受け取る側に、
「恐れ・不安・喜び・悲しみ・笑い」などといった、
エモーショナルな感情を増幅させる効果があるような気がします。
(もちろん、間が長すぎると、減衰してしまいますが・・・)
音楽の「間」には、↑のような言葉では語り尽くせない、それ以上の
「何か」がありますよね。
先ほどは、休符や、音の始まり・終わりに関して書き込みして
しまいましたが、私にとっては、ポルタメントのかけ方や、
音ののばし方・切り方、ビブラートのかけ方・止め方なども
「間」という概念に入るということを書き忘れていたので、
追加させていただきました。
[10091]
Re: 「間」について
投稿日時:2004年02月16日 20:45
投稿者:pochi(ID:QldGBIA)
旧知の坊主に問うて見た処、
「『気』と『間』は、違う。方向性(ベクトル)は、『気』である。どちらともパーソナリティーの一部である。意識するとあざとくなるので止めた方がよい。」「若い時には『気』に走り、歳を取ると『間』が持てる様になる。」「お前は、『間抜け』だったが、少し『間』が出て来た。」のだそうな。
間抜けな私には、永遠に解らないのかも知れない。
観客との距離(ホールの大きさ)で、無意識に奏法を変えますよね。これも『間』の一つだと思います。
「『気』と『間』は、違う。方向性(ベクトル)は、『気』である。どちらともパーソナリティーの一部である。意識するとあざとくなるので止めた方がよい。」「若い時には『気』に走り、歳を取ると『間』が持てる様になる。」「お前は、『間抜け』だったが、少し『間』が出て来た。」のだそうな。
間抜けな私には、永遠に解らないのかも知れない。
観客との距離(ホールの大きさ)で、無意識に奏法を変えますよね。これも『間』の一つだと思います。
[11232]
Re: 「間」について
投稿日時:2004年03月20日 09:15
投稿者:pochi(ID:M5mZYpA)
http://fstrings.com/board/board.asp?id=11188
[11231]
に、私なりの回答を入れました。御読み下さい。
[11231]
[11231]
Re: 漱石
投稿日時:2004年03月20日 08:46
投稿者:pochi(ID:MpMwlRI)
the merry fiddler氏、日本語を正確に使いましょう。
>>名文であることには変わりないぞ。
「名文であった」のだと思います。
私見ですが、現代的感覚で云うと駄文でしょう。
幾つかの名文を投稿して居る心算ですが、評価は他人に任せるものですよね。
私の演奏もキズが多いので重箱の隅を突く人には不評です。
声を大にして云いたいのは、本番でキズを気にして弾く無かれ。特に若い人はキズを気にしてはいけません。わざわざ、細かい修正が如何に下らないもので有るか示す為の投稿も此の掲示板に入れて有ります。特にぷーた氏、トドの子氏は、これからプロに成る人なので、キズを気にするのは練習の時だけにして下さい。練習は、鍛練・修業の一種なので、その中に喜びを見出し、勤しむものであるべきなのですが、マスキストに成らざるを得ない側面もあります。練習の為の練習は時間の無駄です。
光陰矢の如し、、、です。此を、
「交淫矢の如し一瞬の悦楽軽んずべからず早漏」
と読み替える様になって始めて、人生を楽しめる様に考えて居ります。「達観」とはそんな言葉だと定義付けて居ます。老子・孟子の方が荘子依り面白い。孔子は読み替えに便利な駄文ばかりです。此の辺りに「間」も有るのではないかと、少しばかり御姉様として、ぷーた氏に回答して置きます。
これも駄文ですが、「快楽主義の哲学」でも流し読みしてください。30分で読めます。鼻糞をほじってピンと飛ばしたく成ります。
長文の投稿を最後迄読んで戴き、誠に有難う御座居ました。
>>名文であることには変わりないぞ。
「名文であった」のだと思います。
私見ですが、現代的感覚で云うと駄文でしょう。
幾つかの名文を投稿して居る心算ですが、評価は他人に任せるものですよね。
私の演奏もキズが多いので重箱の隅を突く人には不評です。
声を大にして云いたいのは、本番でキズを気にして弾く無かれ。特に若い人はキズを気にしてはいけません。わざわざ、細かい修正が如何に下らないもので有るか示す為の投稿も此の掲示板に入れて有ります。特にぷーた氏、トドの子氏は、これからプロに成る人なので、キズを気にするのは練習の時だけにして下さい。練習は、鍛練・修業の一種なので、その中に喜びを見出し、勤しむものであるべきなのですが、マスキストに成らざるを得ない側面もあります。練習の為の練習は時間の無駄です。
光陰矢の如し、、、です。此を、
「交淫矢の如し一瞬の悦楽軽んずべからず早漏」
と読み替える様になって始めて、人生を楽しめる様に考えて居ります。「達観」とはそんな言葉だと定義付けて居ます。老子・孟子の方が荘子依り面白い。孔子は読み替えに便利な駄文ばかりです。此の辺りに「間」も有るのではないかと、少しばかり御姉様として、ぷーた氏に回答して置きます。
これも駄文ですが、「快楽主義の哲学」でも流し読みしてください。30分で読めます。鼻糞をほじってピンと飛ばしたく成ります。
長文の投稿を最後迄読んで戴き、誠に有難う御座居ました。
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