ダヴィッド・オイストラフ / David Oistrakh
1908年~1974年10月24日Russia - Soviet
師匠:弟子:
- ジナイーダ・ギレルス / Zinaida Gilels
- オルガ・カヴェルズネヴァ / Olga Kaverzneva
- オルガ・パルホメンコ / Olga Parkhomenko
- ローザ・ファイン / Roza Fain
- エドゥアルド・グラーチ / Eduard Grach
- マルク・ルボツキー / Mark Lubotsky
- ヴァレリー・クリモフ / Valery Klimov
- アイラ・エルデュラン / Ayla Erduran
- イザベラ・ペトロシャン / Isabella Petrosian
- オレグ・クリサ / Oleh Krysa
- ギドン・クレーメル / Gidon Kremer
- ヴァディム・ブロツキー / Vadim Brodski
- ヴァーツラフ・フデチェク / Václav Hudeček
- アレクサンドル・ヴィニツキー / Alexander Vinnitsky
コンクール受賞歴:
ウクライナ、オデッサ生まれ。フルネームは「ダヴィッド・フィオドロヴィッチ・オイストラフ(David Fiodorovich Oistrakh)」。5歳よりヴァイオリンをはじめ、名教師ピョートル・ストルヤルスキーに師事。
1933年モスクワデビュー。しかし欧米諸国にその名前が知れ渡るにはもう少し待たねばならなかった。というのも、神童が成長して巨匠になる、というのが大抵のヴァイオリン奏者のパターンなのだが、オイストラフは違ったからだ。彼は30代近くにして1937年のイザイ国際コンクール(現・エリザベート王妃国際音楽コンクール)で優勝して、ようやくヨーロッパでその存在を知られるようになり、一流演奏家としての演奏活動を始めたのだった。ちなみに遡ること2年前の1935年、第1回ヴィエニャフスキ国際コンクールで第2位に甘んじた際、オイストラフを抑えて優勝したのはジネット・ヌヴーであった。その真価が認められるようになってからは一大巨匠としての立場を不動のものとした。ショスターコービッチなどロシアの大作曲家も次々と彼に作品を献呈している。
彼にまつわるエピソードとしては、アメリカを初めて訪れた時、記者の「最も難しい曲はなんですか」との問いに「最も難しい曲は演奏しません」と答えたという。また、来日の際にはかの悲劇的天才ヴァイオリニスト、渡辺茂夫の演奏を聴き高く評価している。こうして世界中で精力的に演奏活動を続けていたが、1974年演奏旅行先のアムステルダムで急逝した。