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スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2018年09月05日 01:52
投稿者:松毬(ID:MImSJXU)
スズキのNo.1000番台の高級楽器の実力はどうなのでしょうか??? 皆様のコメントをお願いいたします。
スズキの No.1200 や No.1500 等、手作りの楽器があるようですが、、、ヤマハのブラビオール、文京のピグマリウス、その他の日本、イタリア、ドイツ等の製作者の新作と、性能やお値段もざっくりと同じくらいで団子状態にあるように思えます。
スズキは政吉の自身作のバイオリンは、良い評価を得ている伝説があり、政吉から歴代の社長および職人が受け継がれて、No.1000番台に繋がっているようです。
私はスズキを経験してないのですが、もし良いなら30~100万円のスズキのほうが、実用的には200万円のイタリア新作よりも良いのでは???と感じます。
投資にもならない200万の新作買わなくても、、と思います。
どうぞ皆様の沢山の意見を頂きたいと思います。
宜しくお願いいたします。
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【ご参考】
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Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年06月03日 06:12
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
てぇ、てぇ、ドンッ! インシデント!!大変申し訳ございません。重要な史実を一つ見過ごしていました。
舶来品を遡ると、イギリス人のアレキサンダー・クラークが1871(明4)年に洋楽器各種を本国より持参して横浜で販売を始めたとあり、1872(明5)年、長原、春田の両者によってバイオリンと同じネックをもった明清楽器「提琴」(月琴のことか?)を発表とあります(この楽器は芸大蔵)。バイオリンも上陸していた訳です。西方教会信徒の原胤昭は、キリスト教書店を1874(明7)年 5月に十字屋を創業し、横浜居留地の外国人払い下げオルガンを入手したことをきっかけに、教会音楽を通じ楽器楽譜類および音響関係全般を取り扱いました。
史上初めてバイオリンを弾いた日本人は、1880年の松永定次郎[55060]
としても、前史ではもっと早く長原、春田らに遡ると思われます。
史上初めてバイオリンの音を聴いた日本人は、国内では先の1871年のことでしょうが、前史では横浜や長崎の外国人居留地、西方教会の信者らか? 函館からのロシア正教(東方教会)の信者だったか?[55059]
でしょう。音楽取調掛(現.芸大)の校長となる伊澤修二は、原胤昭を洗礼した宣教師に英語を習い(1869(明2))、留学してルーサー・メーソンから音楽教育を学ぶ(1875(明5))ことから、早くにバイオリンを知っています。
海外では他にも、政府の岩倉具視使節団(1871(明4))、パリ万博(1867(慶応3))に派遣された薩摩藩家老の岩下方平らの他に幕府の訪欧使節団の親善大使徳川昭武(民部大輔)ら及び随行の渋沢栄一ら、第2回遣欧使節池田使節団(1864(文久3))、福沢諭吉もいた文久遣欧使節(1862(文久元))のパリ滞在とロンドン万博、勝海舟ら咸臨丸が随行した万延元年遣米使節(1860(万延元))、遭難した津太夫ら(1803(享和3))と正教徒の善六、辰蔵、八三郎と民之助ら『環海異聞』(1806(文化3))、同じく遭難した大黒屋光太夫ら(1791(寛政3))と同じく正教徒の新蔵と庄蔵ら『北槎聞略』(1794(寛政6))に遡って、これら一団は国賓待遇を受けてバイオリンも見聞したであろうと考えられる。このパリ万博ではJ.B.ビヨームも出品しています。
明清楽器(東京音大蔵)
https://tcm-minken.jp/course_intro/gekkin.html
十字屋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E5%BA%A7%E5%8D%81%E5%AD%97%E5%B1%8B_(%E6%A5%BD%E5%99%A8%E5%BA%97)
https://www.ginzajujiya.com/company/
万延元年遣米使節(1860(万延元))の様子が分ります
https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150JapanNY/jp/history.html
https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150JapanNY/jp/photo.html
この使節団のために作曲された「トミー・ポルカ」は、高原守 ニューヨーク・シンフォニック・アンサンブル音楽監督及び常任指揮とアンサンブルにより蘇っています。
https://youtu.be/XbFBDCmJNCE
https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150JapanNY/jp/tommy.html
舶来品を遡ると、イギリス人のアレキサンダー・クラークが1871(明4)年に洋楽器各種を本国より持参して横浜で販売を始めたとあり、1872(明5)年、長原、春田の両者によってバイオリンと同じネックをもった明清楽器「提琴」(月琴のことか?)を発表とあります(この楽器は芸大蔵)。バイオリンも上陸していた訳です。西方教会信徒の原胤昭は、キリスト教書店を1874(明7)年 5月に十字屋を創業し、横浜居留地の外国人払い下げオルガンを入手したことをきっかけに、教会音楽を通じ楽器楽譜類および音響関係全般を取り扱いました。
史上初めてバイオリンを弾いた日本人は、1880年の松永定次郎[55060]
[55060]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年05月10日 10:44
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
松永は、初めてバイオリンを弾いた日本人にもなりますが、
真面に弾いたのは、先の宮内省雅楽所の伶人のようで、彼らは1880(明13)年10月音楽取調掛開学の第一期伝習生にもなる。直ぐに教え方になったようです。幸田延も教わったか
井上さつきを読むと、
鈴木政吉は、第一号作品(1888(明21))を製作した時にはかなり後発で、東京では、松永の他、四竃訥治らは、すでに舶来品を見て製作し、また、メーソンから木材の使い方などの教示も受けたようで、続く神田重助、頼母木源七も同様と思われ、すでにバイオリンを展示会に出品するほど。
四竃は、兄,訥治(号:訥堂)、弟,仁邇(号:静堂)で、いずれも初期の伝習生、神田は伊沢校長に誘われ、頼母木は同業者を追いかけた
1890(明33)年の第三回内国勧業博覧会では、逆転して政吉が最高位、かなり真面な楽器になった。それでも音は西洋の中等品以下のようですが。。。
明治三十三年、政吉作
https://oshiete.chunichi.co.jp/pro/372/column/1272/index.img/column2_l.jpg
この楽器も小野田社長??さん、弾いて上げてくれないかなぁ。音の感じ分るのになぁ。
真面に弾いたのは、先の宮内省雅楽所の伶人のようで、彼らは1880(明13)年10月音楽取調掛開学の第一期伝習生にもなる。直ぐに教え方になったようです。幸田延も教わったか
井上さつきを読むと、
鈴木政吉は、第一号作品(1888(明21))を製作した時にはかなり後発で、東京では、松永の他、四竃訥治らは、すでに舶来品を見て製作し、また、メーソンから木材の使い方などの教示も受けたようで、続く神田重助、頼母木源七も同様と思われ、すでにバイオリンを展示会に出品するほど。
四竃は、兄,訥治(号:訥堂)、弟,仁邇(号:静堂)で、いずれも初期の伝習生、神田は伊沢校長に誘われ、頼母木は同業者を追いかけた
1890(明33)年の第三回内国勧業博覧会では、逆転して政吉が最高位、かなり真面な楽器になった。それでも音は西洋の中等品以下のようですが。。。
明治三十三年、政吉作
https://oshiete.chunichi.co.jp/pro/372/column/1272/index.img/column2_l.jpg
この楽器も小野田社長??さん、弾いて上げてくれないかなぁ。音の感じ分るのになぁ。
史上初めてバイオリンの音を聴いた日本人は、国内では先の1871年のことでしょうが、前史では横浜や長崎の外国人居留地、西方教会の信者らか? 函館からのロシア正教(東方教会)の信者だったか?[55059]
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Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年05月09日 05:01
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
ロシア正教が、バイオリンをいつ日本に持ち込んだか?また、いつ日本で披露したか?は定かではないものの、ニコライが本格的に布教開始した1871(明 4)年頃には、すでに楽士らが北海道函館に来日していたのではないかな?日本で初めてバイオリンを聴いたのは日本人信者はではないでしょうかね?。
函館からロシア領事館の東京移転(1872(明 5))により、楽士らも領事館付司祭のニコライに伴い、布教拠点の神田駿河台に移っていたのでしょう。そこに松永定次郎が現れた。
日露修好通商条約(1858(安 5))により、翌年、箱館(函館)にロシア領事館が置かれ、領事や宣教師が着任した。外国人居留地では聖堂を建設し、領事館員やロシア船員など外国人への礼拝や宗教行事が行われていた。1868(明.元)年に、3人の日本人を洗礼したニコライは、ロシア本国へ日本での本格的な宣教開始の承認を取り、1871(明 4)年、各地に伝教者を派遣し東北地方や東京にまで布教を広げています。
1880(明13)年3月、ボストンから音楽教育家ルーサー・ホワイティング・メーソンが楽器等を携え来日した。先駆けて宮内省雅楽所の伶人、上、奥、辻、芝、多 などがメーソンの門人となった際、琴三味線製作者の松永定次郎がバイオリンのことを聴きつけたようだが、松永がバイオリンを探して発見したのはニコライ会堂でした。
因みに、この年、松永定次郎がバイオリンを完成した日、8月28日はバイオリンの日です。
函館からロシア領事館の東京移転(1872(明 5))により、楽士らも領事館付司祭のニコライに伴い、布教拠点の神田駿河台に移っていたのでしょう。そこに松永定次郎が現れた。
日露修好通商条約(1858(安 5))により、翌年、箱館(函館)にロシア領事館が置かれ、領事や宣教師が着任した。外国人居留地では聖堂を建設し、領事館員やロシア船員など外国人への礼拝や宗教行事が行われていた。1868(明.元)年に、3人の日本人を洗礼したニコライは、ロシア本国へ日本での本格的な宣教開始の承認を取り、1871(明 4)年、各地に伝教者を派遣し東北地方や東京にまで布教を広げています。
1880(明13)年3月、ボストンから音楽教育家ルーサー・ホワイティング・メーソンが楽器等を携え来日した。先駆けて宮内省雅楽所の伶人、上、奥、辻、芝、多 などがメーソンの門人となった際、琴三味線製作者の松永定次郎がバイオリンのことを聴きつけたようだが、松永がバイオリンを探して発見したのはニコライ会堂でした。
因みに、この年、松永定次郎がバイオリンを完成した日、8月28日はバイオリンの日です。
海外では他にも、政府の岩倉具視使節団(1871(明4))、パリ万博(1867(慶応3))に派遣された薩摩藩家老の岩下方平らの他に幕府の訪欧使節団の親善大使徳川昭武(民部大輔)ら及び随行の渋沢栄一ら、第2回遣欧使節池田使節団(1864(文久3))、福沢諭吉もいた文久遣欧使節(1862(文久元))のパリ滞在とロンドン万博、勝海舟ら咸臨丸が随行した万延元年遣米使節(1860(万延元))、遭難した津太夫ら(1803(享和3))と正教徒の善六、辰蔵、八三郎と民之助ら『環海異聞』(1806(文化3))、同じく遭難した大黒屋光太夫ら(1791(寛政3))と同じく正教徒の新蔵と庄蔵ら『北槎聞略』(1794(寛政6))に遡って、これら一団は国賓待遇を受けてバイオリンも見聞したであろうと考えられる。このパリ万博ではJ.B.ビヨームも出品しています。
明清楽器(東京音大蔵)
https://tcm-minken.jp/course_intro/gekkin.html
十字屋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E5%BA%A7%E5%8D%81%E5%AD%97%E5%B1%8B_(%E6%A5%BD%E5%99%A8%E5%BA%97)
https://www.ginzajujiya.com/company/
万延元年遣米使節(1860(万延元))の様子が分ります
https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150JapanNY/jp/history.html
https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150JapanNY/jp/photo.html
この使節団のために作曲された「トミー・ポルカ」は、高原守 ニューヨーク・シンフォニック・アンサンブル音楽監督及び常任指揮とアンサンブルにより蘇っています。
https://youtu.be/XbFBDCmJNCE
https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150JapanNY/jp/tommy.html
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Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年06月05日 02:43
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
原胤昭 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E8%83%A4%E6%98%AD
十字屋 リンク張り直し
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E5%BA%A7%E5%8D%81%E5%AD%97%E5%B1%8B_
また道草して、国外での史実を掘り下げてみます。
政府の岩倉具視使節団(1871(明4)-73(明6))
https://www.kodomo.go.jp/yareki/theme/theme_09.html
初めてコンサートホールで音楽祭を楽しんだ一団です。ブロードウェイ劇場やイギリス水晶宮、ベルリン宮廷歌劇場なども訪れます。
特命全権大使 岩倉具視、副使に木戸孝允・大久保利通・伊藤博文ら他、のちにヴァッサー大学音楽科を出る瓜生(永井)繁や津田うめ他留学生など154名が渡航した。途中現地に留まる者を除きアメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、ロシア、デンマーク、スウェーデン、イタリア、オーストリア、スイスの12ヵ国とウィーン万国博覧会を約1年10ヵ月かけて回覧。条約改正交渉は予備交渉とし、欧米のあらゆる面、王宮・議会・官庁・軍事施設・工場・病院・博物館・美術館・学校などから牢獄・花街にいたるまで精細に調査見聞した。 https://www.jacar.go.jp/iwakura/history/index.html
1872年01月サンフランシスコ、18日 夜、米公使とカリフォルニア・シアター(劇場)に赴く、とあり、以降色んな都市で劇場・饗宴や晩餐会・舞踏会・教会・宮殿に行って音楽を耳にします。その際に弦楽も と思われますが、久米邦武は諸々記録するもののバイオリンなど知らず、弦楽の明記はできなかった。
06月 ニューヨーク、10日 20時:ブロードウェー劇場にて観劇
ボストンにて、18日 14時:太平楽会に参加、19日 14時:太平楽会に参加、とある。
音楽祭:World's Peace jubilee International Musical Festivalのイギリスの日とドイツの日と、西洋音楽を本格的に鑑賞した☞詳細※
ドイツの日:プログラム
第一部
1.バッハ コラール「神のみ旨のならんことを」 合唱 オルガン 管弦楽
2.ベートーヴェン 序曲「レオノーレ」第三番 管弦楽
3.ダッドリ・バック 祝典頌歌「平和と音楽」 合唱 管弦楽
4.モーツァルト 「魔的」より 大アリア 独唱
5.ヴェルディ 「エルナーニ」第三幕の終曲 祝祭合唱団 オペラ合唱団 管弦楽
6.タールベルク 「夏の最後の薔薇幻想曲」 ピアノ独奏
7.ベネット サマリアの女から合唱「我が傍に在せ」大合唱団 オルガン 管弦楽
第二部
1.英国国歌 「神よ女王を護り給え」合唱 オルガン 管弦楽 軍楽隊 鐘 大砲 独唱
2.シュトラウス 演奏会用大ワルツ「酒,女,歌」 管弦楽 ヨハン・シュトラウス指揮
3.ヴェルディ トロヴァトーレからの情景「アンヴィル・コーラス」
合唱 オルガン 管弦楽 軍楽隊 鉄床百台 大砲
4.アレヴィ 「稲妻」のロマンツァ 第一節 ソプラノのユニゾン
第二節 ソプラノとテノールのユニゾン
フルート オーボエ チェロのオブリガード 管弦楽
5.メンデルスゾーン エリアからの合奏「彼はイスラエルをみそなわし給い」合唱 管弦楽
6.メーソン 伝導讃歌「グリーンランドの凍てつける山々から」
太平楽会のスケッチ:↓ 画像の右下
https://www.jacar.go.jp/iwakura/column/images/04_02_01.jpg
久米邦武の漢学素養と『米欧回覧実記』参照方
https://www.jacar.go.jp/iwakura/column/column4.html
※詳しくは、岩倉使節団が見聞した西洋音楽
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/48188/mra_033_047.pdf
永井繁は、一団がワシントンを訪れた時に、ワシントンに留まりピアノを習います。その後、コネチカット州で一般の教養科目に加えて声楽を学んだとあります。大学音楽科を出るまでにバイオリンも見聞しているでしょうし、触れて音も出したかも知れませんね。帰国(1881(明14))後、音楽取調掛で幸田延のピアノ指導をします。
十字屋 リンク張り直し
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E5%BA%A7%E5%8D%81%E5%AD%97%E5%B1%8B_
また道草して、国外での史実を掘り下げてみます。
政府の岩倉具視使節団(1871(明4)-73(明6))
https://www.kodomo.go.jp/yareki/theme/theme_09.html
初めてコンサートホールで音楽祭を楽しんだ一団です。ブロードウェイ劇場やイギリス水晶宮、ベルリン宮廷歌劇場なども訪れます。
特命全権大使 岩倉具視、副使に木戸孝允・大久保利通・伊藤博文ら他、のちにヴァッサー大学音楽科を出る瓜生(永井)繁や津田うめ他留学生など154名が渡航した。途中現地に留まる者を除きアメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、ロシア、デンマーク、スウェーデン、イタリア、オーストリア、スイスの12ヵ国とウィーン万国博覧会を約1年10ヵ月かけて回覧。条約改正交渉は予備交渉とし、欧米のあらゆる面、王宮・議会・官庁・軍事施設・工場・病院・博物館・美術館・学校などから牢獄・花街にいたるまで精細に調査見聞した。 https://www.jacar.go.jp/iwakura/history/index.html
1872年01月サンフランシスコ、18日 夜、米公使とカリフォルニア・シアター(劇場)に赴く、とあり、以降色んな都市で劇場・饗宴や晩餐会・舞踏会・教会・宮殿に行って音楽を耳にします。その際に弦楽も と思われますが、久米邦武は諸々記録するもののバイオリンなど知らず、弦楽の明記はできなかった。
06月 ニューヨーク、10日 20時:ブロードウェー劇場にて観劇
ボストンにて、18日 14時:太平楽会に参加、19日 14時:太平楽会に参加、とある。
音楽祭:World's Peace jubilee International Musical Festivalのイギリスの日とドイツの日と、西洋音楽を本格的に鑑賞した☞詳細※
ドイツの日:プログラム
第一部
1.バッハ コラール「神のみ旨のならんことを」 合唱 オルガン 管弦楽
2.ベートーヴェン 序曲「レオノーレ」第三番 管弦楽
3.ダッドリ・バック 祝典頌歌「平和と音楽」 合唱 管弦楽
4.モーツァルト 「魔的」より 大アリア 独唱
5.ヴェルディ 「エルナーニ」第三幕の終曲 祝祭合唱団 オペラ合唱団 管弦楽
6.タールベルク 「夏の最後の薔薇幻想曲」 ピアノ独奏
7.ベネット サマリアの女から合唱「我が傍に在せ」大合唱団 オルガン 管弦楽
第二部
1.英国国歌 「神よ女王を護り給え」合唱 オルガン 管弦楽 軍楽隊 鐘 大砲 独唱
2.シュトラウス 演奏会用大ワルツ「酒,女,歌」 管弦楽 ヨハン・シュトラウス指揮
3.ヴェルディ トロヴァトーレからの情景「アンヴィル・コーラス」
合唱 オルガン 管弦楽 軍楽隊 鉄床百台 大砲
4.アレヴィ 「稲妻」のロマンツァ 第一節 ソプラノのユニゾン
第二節 ソプラノとテノールのユニゾン
フルート オーボエ チェロのオブリガード 管弦楽
5.メンデルスゾーン エリアからの合奏「彼はイスラエルをみそなわし給い」合唱 管弦楽
6.メーソン 伝導讃歌「グリーンランドの凍てつける山々から」
太平楽会のスケッチ:↓ 画像の右下
https://www.jacar.go.jp/iwakura/column/images/04_02_01.jpg
久米邦武の漢学素養と『米欧回覧実記』参照方
https://www.jacar.go.jp/iwakura/column/column4.html
※詳しくは、岩倉使節団が見聞した西洋音楽
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/48188/mra_033_047.pdf
永井繁は、一団がワシントンを訪れた時に、ワシントンに留まりピアノを習います。その後、コネチカット州で一般の教養科目に加えて声楽を学んだとあります。大学音楽科を出るまでにバイオリンも見聞しているでしょうし、触れて音も出したかも知れませんね。帰国(1881(明14))後、音楽取調掛で幸田延のピアノ指導をします。
[55148]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年06月05日 16:08
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
訂正 ”音楽祭:World's Peace Jubilee and International Musical Festival ”です
なお、南北戦争、普仏戦争の終了記念の巨大音楽祭(6/17~7/4(独立記念日):18日間)です。
ホールは特設の「屋根付きコロシアム」、横幅107m×その2倍の長さ、約オケ1500人、合唱団16,000人、観客5万人を収容して余ると記載がある
岩倉使節団が見聞した西洋音楽
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/48188/mra_033_047.pdf
NHKは、この音楽祭、ドイツの日を少し再演奏しています
https://harpoon1993.hatenablog.com/entry/50474018
(※ワーグナーを追加したようですね)
大使随行の久米邦武は、初めての渡航で外国語は出来ず、知見もなかったでしょう
https://www.jacar.go.jp/dictionary/02_item.html?id=00025802
https://www.jacar.go.jp/iwakura/person/index.html
邦武は、演奏について、伶人律ヲ調ス ~云々~ 白雪ヲ奏ス、、 と雅楽や舞楽、漢詩に准え表すしかなく、西洋音楽そのままに表す言葉を殆んど持たない。先の他にヴェルサイユの「オペラ堂」、サンゼルマンの「楽堂」、アムステルダムの「水晶館」、学校の音楽教育も視察したが、邦武は、岩倉と共に帰国後は近代能楽を起こしただけです。
他に欧米に知見があり英語もできた留学生や伊藤博文、長野桂次郎(万延元年遣米使節のトミー)、新島襄(七五三太)らも多くいて、西洋音楽をそのまま受け容れるために、メーソンの元に伊澤修二の留学が叶ったでのでしょう。
このメーソンが、伝導讃歌の作曲者のメーソンでは?? の予感です
ウィーン万博(1873.5.1~11.1)は、https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1873.html
博覧会事務局副総裁の佐野常民が岩倉使節団に随行しており、使節団は4日間(6/6,9,14,17)視察しています。佐野常民は、前回のパリ万博(1867)にも来ていた経験がありました
https://www.jacar.go.jp/dictionary/02_item.html?id=00001844
日本からウィーン万博へ、官員・通訳・技術伝習生・御雇外国人・展覧会場建設要員をあわせ計100名に近くが派遣されており、ウィーン万博でも色んな音楽と楽器を見聞した中に、バイオリンなど弦楽があったと思われます
なお、南北戦争、普仏戦争の終了記念の巨大音楽祭(6/17~7/4(独立記念日):18日間)です。
ホールは特設の「屋根付きコロシアム」、横幅107m×その2倍の長さ、約オケ1500人、合唱団16,000人、観客5万人を収容して余ると記載がある
岩倉使節団が見聞した西洋音楽
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/48188/mra_033_047.pdf
NHKは、この音楽祭、ドイツの日を少し再演奏しています
https://harpoon1993.hatenablog.com/entry/50474018
(※ワーグナーを追加したようですね)
大使随行の久米邦武は、初めての渡航で外国語は出来ず、知見もなかったでしょう
https://www.jacar.go.jp/dictionary/02_item.html?id=00025802
https://www.jacar.go.jp/iwakura/person/index.html
邦武は、演奏について、伶人律ヲ調ス ~云々~ 白雪ヲ奏ス、、 と雅楽や舞楽、漢詩に准え表すしかなく、西洋音楽そのままに表す言葉を殆んど持たない。先の他にヴェルサイユの「オペラ堂」、サンゼルマンの「楽堂」、アムステルダムの「水晶館」、学校の音楽教育も視察したが、邦武は、岩倉と共に帰国後は近代能楽を起こしただけです。
他に欧米に知見があり英語もできた留学生や伊藤博文、長野桂次郎(万延元年遣米使節のトミー)、新島襄(七五三太)らも多くいて、西洋音楽をそのまま受け容れるために、メーソンの元に伊澤修二の留学が叶ったでのでしょう。
このメーソンが、伝導讃歌の作曲者のメーソンでは?? の予感です
ウィーン万博(1873.5.1~11.1)は、https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1873.html
博覧会事務局副総裁の佐野常民が岩倉使節団に随行しており、使節団は4日間(6/6,9,14,17)視察しています。佐野常民は、前回のパリ万博(1867)にも来ていた経験がありました
https://www.jacar.go.jp/dictionary/02_item.html?id=00001844
日本からウィーン万博へ、官員・通訳・技術伝習生・御雇外国人・展覧会場建設要員をあわせ計100名に近くが派遣されており、ウィーン万博でも色んな音楽と楽器を見聞した中に、バイオリンなど弦楽があったと思われます
[55161]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年06月09日 04:07
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
博覧会一覧(年表) https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/index.html
1873(明6)年ウィーン万博 日本人は、バイオリンを見聞して曲も聞いて居ますね
https://www.austria.info/jp/service-and-facts/about-austria/anniversary-year/vienna-world-fair-150-years 万博記念の曲が作られています。
ヨハン・シュトラウス II:ワルツ「ウィーン気質」, Op.354
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1959年12月27日録音
http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=4784
ワルツ「博覧会」Op.103
ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世の舞曲世界深耕~1873年
https://assets.st-note.com/img/1683448302882-WX9wvANir4.jpg?width=800
https://assets.st-note.com/img/1683448245249-dR1nTNKTu7.jpg?width=800
https://note.com/taubenpost_1860/n/n95520d71cf88 (音源なし)
ウィーン万博行進曲Op.107
♪♪♪万博が生んだ史上最強の行進曲🇦🇹エドゥアルト・シュトラウス1世
:〈ウィーン万博行進曲〉変ホ長調Op・107 ( ※1873年 )♪♪♪
https://youtu.be/0ZeOJ5hCchs
https://note.com/taubenpost_1860/n/n41a908a61db2
※Op.103,107は管弦楽曲のようですが現在聴けるのはピアノ
楽器展示があり、その中では幻となったクレモナ展は未開催でした
1873 年ウィーン万国博覧会における 三つの楽器展示(その1)
お茶の水女子大学教育・研究成果コレクション
https://teapot.lib.ocha.ac.jp/record/2003454/files/futsugo_3_06_kurawaki.pdf
19世紀前半、楽器は博覧会で展示され、~ 1873(明6)年の墺国博覧会の頃には、博覧会の展示物として定着していたそうです。博覧会への出品や受賞歴は、今日の楽器製作コンクールと同じように、~ 認識され、広告にも積極的に使われた。日本も雅楽器などを展示しています。 この時に、ライプチヒ博物館は、佐野常民に楽器寄贈の約束をして、1877(明10)年に楽器諸々、ワイオリン(Klemm R.Schuster)や木材ほかを内務省博物局「日本工業博物館」へ贈っています。 同年展示公開されたようです。 カスタネット(カポタスト)があり、移調曲に使うワイオリン附属品だそうです
のちに、ライプチヒ博物館所蔵の琴の演奏を請われた幸田幸は、バイオリン留学中の1902(明35).10.16 病床の滝廉太郎を見舞ったのち「六段調」「東獅子」を奏します
明治 10年「ライプチヒ博物館」から 贈られた洋楽器
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/26505/files/CLC_33_004.pdf
なお、'73.6.10に岩倉使節団は王宮博物館を観ており、古楽器コレクションも見たかも
ホーフブルク王宮 古楽器コレクション
https://www.khm.at/besuchen/sammlungen/sammlung-alter-musikinstrumente/ausgesuchte-meisterwerke/
1873(明6)年ウィーン万博 日本人は、バイオリンを見聞して曲も聞いて居ますね
https://www.austria.info/jp/service-and-facts/about-austria/anniversary-year/vienna-world-fair-150-years 万博記念の曲が作られています。
ヨハン・シュトラウス II:ワルツ「ウィーン気質」, Op.354
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1959年12月27日録音
http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=4784
ワルツ「博覧会」Op.103
ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世の舞曲世界深耕~1873年
https://assets.st-note.com/img/1683448302882-WX9wvANir4.jpg?width=800
https://assets.st-note.com/img/1683448245249-dR1nTNKTu7.jpg?width=800
https://note.com/taubenpost_1860/n/n95520d71cf88 (音源なし)
ウィーン万博行進曲Op.107
♪♪♪万博が生んだ史上最強の行進曲🇦🇹エドゥアルト・シュトラウス1世
:〈ウィーン万博行進曲〉変ホ長調Op・107 ( ※1873年 )♪♪♪
https://youtu.be/0ZeOJ5hCchs
https://note.com/taubenpost_1860/n/n41a908a61db2
※Op.103,107は管弦楽曲のようですが現在聴けるのはピアノ
楽器展示があり、その中では幻となったクレモナ展は未開催でした
1873 年ウィーン万国博覧会における 三つの楽器展示(その1)
お茶の水女子大学教育・研究成果コレクション
https://teapot.lib.ocha.ac.jp/record/2003454/files/futsugo_3_06_kurawaki.pdf
19世紀前半、楽器は博覧会で展示され、~ 1873(明6)年の墺国博覧会の頃には、博覧会の展示物として定着していたそうです。博覧会への出品や受賞歴は、今日の楽器製作コンクールと同じように、~ 認識され、広告にも積極的に使われた。日本も雅楽器などを展示しています。 この時に、ライプチヒ博物館は、佐野常民に楽器寄贈の約束をして、1877(明10)年に楽器諸々、ワイオリン(Klemm R.Schuster)や木材ほかを内務省博物局「日本工業博物館」へ贈っています。 同年展示公開されたようです。 カスタネット(カポタスト)があり、移調曲に使うワイオリン附属品だそうです
のちに、ライプチヒ博物館所蔵の琴の演奏を請われた幸田幸は、バイオリン留学中の1902(明35).10.16 病床の滝廉太郎を見舞ったのち「六段調」「東獅子」を奏します
明治 10年「ライプチヒ博物館」から 贈られた洋楽器
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/26505/files/CLC_33_004.pdf
なお、'73.6.10に岩倉使節団は王宮博物館を観ており、古楽器コレクションも見たかも
ホーフブルク王宮 古楽器コレクション
https://www.khm.at/besuchen/sammlungen/sammlung-alter-musikinstrumente/ausgesuchte-meisterwerke/
[55168]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年06月10日 03:24
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
追補
音楽の都と呼ばれるウィーン、1873(明6)年の万博では「音楽」が重要な役割を担います
https://www.austria.info/jp/where-to-go/cities/vienna
モーツァルトが生きた 18 世紀後半。それは、王侯貴族等の特権
第3部 シュトラウス風・ウィーンのおもてなし:公園で〈博覧会〉を
https://www.tokyo-harusai.com/wp/wp-content/uploads/2022/10/0325marathon.pdf
また、日本への関心が高まり、ジャポニズムの広まりが、この後顕著に表れます
https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1873-2.html
ヨハン・シュトラウス2世(1825-99)は、ワルツ「わが家で」を、'73年に書き下ろし
ブラームス(1833-97)は、芸術監督を務めるウィーン楽友協会の管弦楽と合唱団を指揮し
ブルックナー(1824-96)も、万博の閉幕関連事業の一環としてウィーン楽友協会大ホールで催された演奏会で、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮し、自作の「交響曲第2番」を演奏して、好評を博している
以降、ウィーンで多くの博覧会が催された。 「モーツァルト没後100年記念祭」(1891(明24))が催されたのち、「音楽の博覧会」という理念のもと「音楽の都ウィーン/音楽国家オーストリア」を象徴する様々な展示や、屋内屋外で数多くの演奏会が催された「ウィーン国際音楽演劇博覧会」(1892(明25))へと発展していく
定かではないが、のちにジャポニズムは絵画に限らず音楽にも影響を与えたようで、この中、ボストンとウィーンに留学(1889-1895)した幸田延(1870-1946)は音楽を学びます。アマティを延に与えた書店は、ジャポニズムを体現させる延に気が付いたであろう[54991]
幸田延 https://wan.or.jp/article/show/9570
ピアノ連弾小品 https://youtu.be/iG_ECiol1iw
最近、何れも復興補筆されて演奏されている!! 幸田延 [55160]
ヴァイオリン・ソナタ第1番(1895年未完成) https://youtu.be/n3x5RqTi4LY
ヴァイオリン・ソナタ第2番(1897年未完成) https://youtu.be/F2h_5ig_aCE
音楽の都と呼ばれるウィーン、1873(明6)年の万博では「音楽」が重要な役割を担います
https://www.austria.info/jp/where-to-go/cities/vienna
モーツァルトが生きた 18 世紀後半。それは、王侯貴族等の特権
第3部 シュトラウス風・ウィーンのおもてなし:公園で〈博覧会〉を
https://www.tokyo-harusai.com/wp/wp-content/uploads/2022/10/0325marathon.pdf
また、日本への関心が高まり、ジャポニズムの広まりが、この後顕著に表れます
https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1873-2.html
ヨハン・シュトラウス2世(1825-99)は、ワルツ「わが家で」を、'73年に書き下ろし
ブラームス(1833-97)は、芸術監督を務めるウィーン楽友協会の管弦楽と合唱団を指揮し
ブルックナー(1824-96)も、万博の閉幕関連事業の一環としてウィーン楽友協会大ホールで催された演奏会で、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮し、自作の「交響曲第2番」を演奏して、好評を博している
以降、ウィーンで多くの博覧会が催された。 「モーツァルト没後100年記念祭」(1891(明24))が催されたのち、「音楽の博覧会」という理念のもと「音楽の都ウィーン/音楽国家オーストリア」を象徴する様々な展示や、屋内屋外で数多くの演奏会が催された「ウィーン国際音楽演劇博覧会」(1892(明25))へと発展していく
定かではないが、のちにジャポニズムは絵画に限らず音楽にも影響を与えたようで、この中、ボストンとウィーンに留学(1889-1895)した幸田延(1870-1946)は音楽を学びます。アマティを延に与えた書店は、ジャポニズムを体現させる延に気が付いたであろう[54991]
[54991]
Re: 音大生が用いる楽器の実情は?
投稿日時:2024年04月11日 03:07
投稿者:松毬(ID:dEmXlFA)
藝大と言えば、戦前の幸田延さんの話があります。
当時の事情では、楽器はジャーマン系の様でイタリアンはありませんが、芸大の学生は高価な舶来品を授業で使った様です。これは、時代は変わっても、良くも悪くも今も概ねは同じですね。
幸田延さんは、日本人初の本格的なバイオリニストで、東京音楽大学の教授となった方です。ディトリッヒの他、ヘルメスベルガーⅡに師事されてクライスラーとは兄妹弟子です。ウイーン留学中に本屋さんからニコロ・アマティを贈られたようで、バイオリニストは、もっと良い楽器を弾かなきゃ、ってパトロネージを承けています。また、帰国後、ピアノはスタンウェイを使ったようですね。幸田幸の姉です。
明治時代、藝大の元(東京音楽大学)の元である音楽取調所(取調掛の改称)の伝習生の時は、何を使ったのか?と観ると、メーソンが教授として着任した時に授業用にアメリカから持ってきたオーケストラが出来る楽器の様ですね。
しかし、幸田延さんの後の伝習生、恒川鐐之介さんを観ると、卒業後に師範学校教授となりますが、学生の甘利鉄吉は和製バイオリン、鈴木政吉は楽器を持っていない時代です。
当時の事情では、楽器はジャーマン系の様でイタリアンはありませんが、芸大の学生は高価な舶来品を授業で使った様です。これは、時代は変わっても、良くも悪くも今も概ねは同じですね。
幸田延さんは、日本人初の本格的なバイオリニストで、東京音楽大学の教授となった方です。ディトリッヒの他、ヘルメスベルガーⅡに師事されてクライスラーとは兄妹弟子です。ウイーン留学中に本屋さんからニコロ・アマティを贈られたようで、バイオリニストは、もっと良い楽器を弾かなきゃ、ってパトロネージを承けています。また、帰国後、ピアノはスタンウェイを使ったようですね。幸田幸の姉です。
明治時代、藝大の元(東京音楽大学)の元である音楽取調所(取調掛の改称)の伝習生の時は、何を使ったのか?と観ると、メーソンが教授として着任した時に授業用にアメリカから持ってきたオーケストラが出来る楽器の様ですね。
しかし、幸田延さんの後の伝習生、恒川鐐之介さんを観ると、卒業後に師範学校教授となりますが、学生の甘利鉄吉は和製バイオリン、鈴木政吉は楽器を持っていない時代です。
幸田延 https://wan.or.jp/article/show/9570
ピアノ連弾小品 https://youtu.be/iG_ECiol1iw
最近、何れも復興補筆されて演奏されている!! 幸田延 [55160]
[55160]
Re: 誠に勝手に話すスズキバイオリン等の今後
投稿日時:2024年06月08日 22:37
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
よくない現状と過去を肯定しても、何もこれから良くなりませんよ!!
移民パワー取り入れたらいいんじゃない? 治安懸案なら対策すればいいじゃない?
pochiさん、好きなんでしょ☞ [55156]「美園」https://youtu.be/2U4tkXMc4Xk
日本は、天塩松、楓、栃などと松永定次郎の頃より云い、伝統的にスプルースは赤エゾ松を、楓は熊野を使います。 スズキ一門も然りで、この一派の楽器は、五嶋龍氏がデビュー演奏会に指名して使用したこと、また、格付けチェックでは、モダンイタリアを負かしストラドに僅かに惜敗したことでも有名ですよ。 木曽スズキは、栃を用いて独特なスズキサウンド発祥でも知られます
特に、赤エゾ松をピアノの響板に使ったことは有名です。ほぼ全ての国産メーカー、ヤマハ、河合、大橋ピアノ、シュベスタ―ほか赤エゾ松の素晴らしいピアノを造ったとされます
もっと良く調べるところ ”上手くは鳴らない”は、下手糞職人ってアピールにしかならい。村田昭一郎君が、「大台ケ原」のスプルース、使えないか?って思いったた気持ちは分かるけど、そりゃ道理に外れて無理でっせ
バロックから諸々と歴史は500年以上あるのに、日本の西洋音楽の歴史は、ピヨピヨ言い出してから100~150年の話だから、まだ根ずいていないと思うのは当然でしょうよ。 欧米のクラシック、最近廃れてきていない?それでも、欧米真似てフェスやサロンなど興したところって感じゃない?
最近、何れも復興補筆されて演奏されている!! 幸田延
ヴァイオリン・ソナタ第1番(1895年未完成) https://youtu.be/n3x5RqTi4LY
ヴァイオリン・ソナタ第2番(1897年未完成) https://youtu.be/F2h_5ig_aCE
移民パワー取り入れたらいいんじゃない? 治安懸案なら対策すればいいじゃない?
pochiさん、好きなんでしょ☞ [55156]「美園」https://youtu.be/2U4tkXMc4Xk
日本は、天塩松、楓、栃などと松永定次郎の頃より云い、伝統的にスプルースは赤エゾ松を、楓は熊野を使います。 スズキ一門も然りで、この一派の楽器は、五嶋龍氏がデビュー演奏会に指名して使用したこと、また、格付けチェックでは、モダンイタリアを負かしストラドに僅かに惜敗したことでも有名ですよ。 木曽スズキは、栃を用いて独特なスズキサウンド発祥でも知られます
特に、赤エゾ松をピアノの響板に使ったことは有名です。ほぼ全ての国産メーカー、ヤマハ、河合、大橋ピアノ、シュベスタ―ほか赤エゾ松の素晴らしいピアノを造ったとされます
もっと良く調べるところ ”上手くは鳴らない”は、下手糞職人ってアピールにしかならい。村田昭一郎君が、「大台ケ原」のスプルース、使えないか?って思いったた気持ちは分かるけど、そりゃ道理に外れて無理でっせ
バロックから諸々と歴史は500年以上あるのに、日本の西洋音楽の歴史は、ピヨピヨ言い出してから100~150年の話だから、まだ根ずいていないと思うのは当然でしょうよ。 欧米のクラシック、最近廃れてきていない?それでも、欧米真似てフェスやサロンなど興したところって感じゃない?
最近、何れも復興補筆されて演奏されている!! 幸田延
ヴァイオリン・ソナタ第1番(1895年未完成) https://youtu.be/n3x5RqTi4LY
ヴァイオリン・ソナタ第2番(1897年未完成) https://youtu.be/F2h_5ig_aCE
ヴァイオリン・ソナタ第1番(1895年未完成) https://youtu.be/n3x5RqTi4LY
ヴァイオリン・ソナタ第2番(1897年未完成) https://youtu.be/F2h_5ig_aCE
[55178]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年06月11日 15:41
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
P.S. ジャポニズムの音楽(日本表象楽曲、日本を嗜好した曲)
プッチーニの『蝶々夫人』(1904(明37)ミラノ初演)、ドビュッシーの『交響詩《海》』(1905(明38))で知られます。 https://hotozero.com/column/japonisme-music_kcua2022/
ウィーン万博では、ブラームスは『日本の旋律集』と題された楽譜を手に入れ、自らの視点で手を加えたらしい。 ほかに日本の軽業師が、ウィーン万博(1873)には「トリカタ・日本一座」やパリ万博(1867)では「帝国日本人一座」「松井源水一座」が、三味線弾きや太鼓打ちもしてジャポニズムに一役買い、のちに日本ポルカが流行ります。
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/essay/20231018/
[サメティニ] Japannesche dwarskijkers-polka.[日本の目付ポルカ] 1870s (ca.)
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005696539/
[サン=サーンス] La Princesse Jaune.[黄色い王女] 1872 五音階 万葉集から歌詞付
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005834619/
[ブカロッシ(編曲)] The Mikado Polka.[ミカド・ポルカ] 1885? 音源付
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005696471/
[ディットリヒ] Rakubai. [落梅] 1894 ピアノ編曲 筝曲「落梅」から歌詞付
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005696489/
その他
https://shinku.nichibun.ac.jp/kichosho/new/books/1000/mpv0400000000d8d.html#id005717145
※ジャポニズムが流行る中、幸田延は、1894年末~1895年夏の間にウィーンでディットリヒと会っているハズで『落梅』『日本楽譜 Nippon Gakufu』に関わったでしょう。
使節団や留学生は、オクシデンタリズム(西洋嗜好)ですが、欧米はオリエンタリズム(東洋嗜好)で、ただの未開人ではなく日本人が受け容れられたようですね。
パリ万博で、もう少し掘り下げます。
プッチーニの『蝶々夫人』(1904(明37)ミラノ初演)、ドビュッシーの『交響詩《海》』(1905(明38))で知られます。 https://hotozero.com/column/japonisme-music_kcua2022/
ウィーン万博では、ブラームスは『日本の旋律集』と題された楽譜を手に入れ、自らの視点で手を加えたらしい。 ほかに日本の軽業師が、ウィーン万博(1873)には「トリカタ・日本一座」やパリ万博(1867)では「帝国日本人一座」「松井源水一座」が、三味線弾きや太鼓打ちもしてジャポニズムに一役買い、のちに日本ポルカが流行ります。
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/essay/20231018/
[サメティニ] Japannesche dwarskijkers-polka.[日本の目付ポルカ] 1870s (ca.)
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005696539/
[サン=サーンス] La Princesse Jaune.[黄色い王女] 1872 五音階 万葉集から歌詞付
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005834619/
[ブカロッシ(編曲)] The Mikado Polka.[ミカド・ポルカ] 1885? 音源付
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005696471/
[ディットリヒ] Rakubai. [落梅] 1894 ピアノ編曲 筝曲「落梅」から歌詞付
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005696489/
その他
https://shinku.nichibun.ac.jp/kichosho/new/books/1000/mpv0400000000d8d.html#id005717145
※ジャポニズムが流行る中、幸田延は、1894年末~1895年夏の間にウィーンでディットリヒと会っているハズで『落梅』『日本楽譜 Nippon Gakufu』に関わったでしょう。
使節団や留学生は、オクシデンタリズム(西洋嗜好)ですが、欧米はオリエンタリズム(東洋嗜好)で、ただの未開人ではなく日本人が受け容れられたようですね。
パリ万博で、もう少し掘り下げます。
[55189]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年06月13日 00:59
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
1867年第2回パリ万博 万博にも娯楽を
https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1867.html
公式イラスト付きガイドを見ると、弦楽器の挿絵があり音楽の記述もあります。万博に訪れた日本人はバイオリン見聞してると思われます。(ただ記憶になかったかも知れません😊)
管弦打楽器キャビネット
https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/78/mode/1up?view=theater&q=violons
銀賞:https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/80/mode/1up?view=theater
ピアノ(エラード、プレイエル、クリーゲルスタイン)
https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/414/mode/1up?view=theater&q=Pleyel
銀賞:https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/416/mode/1up?view=theater
※公式ガイドは、サックスの話が多く、その他弦楽器、J.B.Vuillaumや従兄弟のF.N.Voirin等出品は取り上げていないようです。
https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1867.html
公式イラスト付きガイドを見ると、弦楽器の挿絵があり音楽の記述もあります。万博に訪れた日本人はバイオリン見聞してると思われます。(ただ記憶になかったかも知れません😊)
管弦打楽器キャビネット
https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/78/mode/1up?view=theater&q=violons
銀賞:https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/80/mode/1up?view=theater
ピアノ(エラード、プレイエル、クリーゲルスタイン)
https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/414/mode/1up?view=theater&q=Pleyel
銀賞:https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/416/mode/1up?view=theater
※公式ガイドは、サックスの話が多く、その他弦楽器、J.B.Vuillaumや従兄弟のF.N.Voirin等出品は取り上げていないようです。
[55195]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年06月13日 21:20
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
パリ万博(1867(慶3))の続き
音楽展示:演奏会のデモがあり、オーケストラ演奏にガラコンサートも開かれた(曲不明)
https://ai-arts.repo.nii.ac.jp/record/201/files/K32_1%20inoue.pdf
楽器展示の様子
通りに面した場所でピアノを弾く女性の後ろに管弦楽器キャビネットが見えます。 ピアノの音に気が惹かれて、目に映しているでしょう! 記録や記憶があれば日本史上初ですが?
https://archive.org/details/lexpositionunive01expo/page/268/mode/1up?view=theater&q=Pianos
[55189]
他楽器
https://archive.org/details/lexpositionunive01expo/page/319/mode/1up?view=theater&q=vuillaume
審査員らの楽器 Pianoは、( )なし
エラール、ヘンリー・ヘルツ、プレイエル-ウォルフ共同、シードマイア、ビヨーム(弓)※、カベリ・コイル、デバイン
金賞:ボールドウッド、スタインウェイ、チッカリング、グランドオルガン製作協会(Og)、アレクサンダー親子(Og)、トリーバート(管)、 ストーリッヒー、ヘンリー・ヘルツ共同
1867万博公式ガイドブックは、もう一冊ありビヨーム※の記載ありました!! ビヨームは審査員で、自らの工房弓をアピールしたようです。(バイオリン本体は不明)
この時、ビヨーム工房作品は、ビヨーム名作品とヴォアラン名作品と出しますが、前者はドミニク・ペカットの甥(チャールズ)が作っているのかなぁ? ヴォアランはスタンプどうなっているのでしょうね?
ご存じの方、恐縮ですが教え頂けないでしょうか?? お願い致します🙇
音楽展示:演奏会のデモがあり、オーケストラ演奏にガラコンサートも開かれた(曲不明)
https://ai-arts.repo.nii.ac.jp/record/201/files/K32_1%20inoue.pdf
楽器展示の様子
通りに面した場所でピアノを弾く女性の後ろに管弦楽器キャビネットが見えます。 ピアノの音に気が惹かれて、目に映しているでしょう! 記録や記憶があれば日本史上初ですが?
https://archive.org/details/lexpositionunive01expo/page/268/mode/1up?view=theater&q=Pianos
[55189]
[55189]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年06月13日 00:59
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
1867年第2回パリ万博 万博にも娯楽を
https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1867.html
公式イラスト付きガイドを見ると、弦楽器の挿絵があり音楽の記述もあります。万博に訪れた日本人はバイオリン見聞してると思われます。(ただ記憶になかったかも知れません😊)
管弦打楽器キャビネット
https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/78/mode/1up?view=theater&q=violons
銀賞:https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/80/mode/1up?view=theater
ピアノ(エラード、プレイエル、クリーゲルスタイン)
https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/414/mode/1up?view=theater&q=Pleyel
銀賞:https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/416/mode/1up?view=theater
※公式ガイドは、サックスの話が多く、その他弦楽器、J.B.Vuillaumや従兄弟のF.N.Voirin等出品は取り上げていないようです。
https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1867.html
公式イラスト付きガイドを見ると、弦楽器の挿絵があり音楽の記述もあります。万博に訪れた日本人はバイオリン見聞してると思われます。(ただ記憶になかったかも知れません😊)
管弦打楽器キャビネット
https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/78/mode/1up?view=theater&q=violons
銀賞:https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/80/mode/1up?view=theater
ピアノ(エラード、プレイエル、クリーゲルスタイン)
https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/414/mode/1up?view=theater&q=Pleyel
銀賞:https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/416/mode/1up?view=theater
※公式ガイドは、サックスの話が多く、その他弦楽器、J.B.Vuillaumや従兄弟のF.N.Voirin等出品は取り上げていないようです。
https://archive.org/details/lexpositionunive01expo/page/319/mode/1up?view=theater&q=vuillaume
審査員らの楽器 Pianoは、( )なし
エラール、ヘンリー・ヘルツ、プレイエル-ウォルフ共同、シードマイア、ビヨーム(弓)※、カベリ・コイル、デバイン
金賞:ボールドウッド、スタインウェイ、チッカリング、グランドオルガン製作協会(Og)、アレクサンダー親子(Og)、トリーバート(管)、 ストーリッヒー、ヘンリー・ヘルツ共同
1867万博公式ガイドブックは、もう一冊ありビヨーム※の記載ありました!! ビヨームは審査員で、自らの工房弓をアピールしたようです。(バイオリン本体は不明)
この時、ビヨーム工房作品は、ビヨーム名作品とヴォアラン名作品と出しますが、前者はドミニク・ペカットの甥(チャールズ)が作っているのかなぁ? ヴォアランはスタンプどうなっているのでしょうね?
ご存じの方、恐縮ですが教え頂けないでしょうか?? お願い致します🙇
[55199]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年06月15日 04:08
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
パリ万博(1867(慶3))へは、日本人が約50名前後訪れたようです
この中で、バイオリンを見聞した記憶や記録に残る日本史上初めては、万博会場に限らずに更新されて、1867年5月4日徳川昭武、渋沢栄一らとなります!! 版画『ロシア大使館の舞踏会に招かれた謎の日本人』のように、ナポレオンIII世お得意の文化芸術接待で『舞踏会』に招かれた記録があります
また、「自分の陪従がないときは、万博を見てまわった」と記録もあり、バイオリン展示の他、シュトラウスやビルゼが指揮したワルツ『美しく青きドナウ』を見聞したでしょう[55189]
[55195]
シュトラウスと栄一、パリ万博 http://johann-strauss-society.com/column19.html#3
「日本大君政府」使節団一行:徳川昭武(民部公子、慶喜の弟)を将軍の名代とし、向山隼人正(公使)、田辺太一(書記官)、渋沢栄一他、計32名※留学生含む
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E4%B8%87%E5%9B%BD%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A_(1867%E5%B9%B4)
「薩摩太守政府」岩下方平(使節謙博覧会御用家老)、市来政清(側役格)他、計10名※
https://www.satsuma1867.org/mission
「肥前太守政府」佐野常民(団長)、藤山文一、小出千之助他、計7名※
https://www.pref.saga.lg.jp/kiji003105499/index.html
他、軽業師たち10~20名前後か??
「清水卯三郎の芸者(すみ、さと、かね)茶屋」、他 [55178]
〉「帝国日本人一座」「松井源水一座」
茶屋は銀賞受賞、清水は万延元年遣米使節のトミー[55133]
[55148]
に英語を習った
この中で、バイオリンを見聞した記憶や記録に残る日本史上初めては、万博会場に限らずに更新されて、1867年5月4日徳川昭武、渋沢栄一らとなります!! 版画『ロシア大使館の舞踏会に招かれた謎の日本人』のように、ナポレオンIII世お得意の文化芸術接待で『舞踏会』に招かれた記録があります
また、「自分の陪従がないときは、万博を見てまわった」と記録もあり、バイオリン展示の他、シュトラウスやビルゼが指揮したワルツ『美しく青きドナウ』を見聞したでしょう[55189]
[55189]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年06月13日 00:59
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
1867年第2回パリ万博 万博にも娯楽を
https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1867.html
公式イラスト付きガイドを見ると、弦楽器の挿絵があり音楽の記述もあります。万博に訪れた日本人はバイオリン見聞してると思われます。(ただ記憶になかったかも知れません😊)
管弦打楽器キャビネット
https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/78/mode/1up?view=theater&q=violons
銀賞:https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/80/mode/1up?view=theater
ピアノ(エラード、プレイエル、クリーゲルスタイン)
https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/414/mode/1up?view=theater&q=Pleyel
銀賞:https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/416/mode/1up?view=theater
※公式ガイドは、サックスの話が多く、その他弦楽器、J.B.Vuillaumや従兄弟のF.N.Voirin等出品は取り上げていないようです。
https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1867.html
公式イラスト付きガイドを見ると、弦楽器の挿絵があり音楽の記述もあります。万博に訪れた日本人はバイオリン見聞してると思われます。(ただ記憶になかったかも知れません😊)
管弦打楽器キャビネット
https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/78/mode/1up?view=theater&q=violons
銀賞:https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/80/mode/1up?view=theater
ピアノ(エラード、プレイエル、クリーゲルスタイン)
https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/414/mode/1up?view=theater&q=Pleyel
銀賞:https://archive.org/details/lexpositionunive02expo/page/416/mode/1up?view=theater
※公式ガイドは、サックスの話が多く、その他弦楽器、J.B.Vuillaumや従兄弟のF.N.Voirin等出品は取り上げていないようです。
[55195]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年06月13日 21:20
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
パリ万博(1867(慶3))の続き
音楽展示:演奏会のデモがあり、オーケストラ演奏にガラコンサートも開かれた(曲不明)
https://ai-arts.repo.nii.ac.jp/record/201/files/K32_1%20inoue.pdf
楽器展示の様子
通りに面した場所でピアノを弾く女性の後ろに管弦楽器キャビネットが見えます。 ピアノの音に気が惹かれて、目に映しているでしょう! 記録や記憶があれば日本史上初ですが?
https://archive.org/details/lexpositionunive01expo/page/268/mode/1up?view=theater&q=Pianos
[55189]他楽器
https://archive.org/details/lexpositionunive01expo/page/319/mode/1up?view=theater&q=vuillaume
審査員らの楽器 Pianoは、( )なし
エラール、ヘンリー・ヘルツ、プレイエル-ウォルフ共同、シードマイア、ビヨーム(弓)※、カベリ・コイル、デバイン
金賞:ボールドウッド、スタインウェイ、チッカリング、グランドオルガン製作協会(Og)、アレクサンダー親子(Og)、トリーバート(管)、 ストーリッヒー、ヘンリー・ヘルツ共同
1867万博公式ガイドブックは、もう一冊ありビヨーム※の記載ありました!! ビヨームは審査員で、自らの工房弓をアピールしたようです。(バイオリン本体は不明)
この時、ビヨーム工房作品は、ビヨーム名作品とヴォアラン名作品と出しますが、前者はドミニク・ペカットの甥(チャールズ)が作っているのかなぁ? ヴォアランはスタンプどうなっているのでしょうね?
ご存じの方、恐縮ですが教え頂けないでしょうか?? お願い致します🙇
音楽展示:演奏会のデモがあり、オーケストラ演奏にガラコンサートも開かれた(曲不明)
https://ai-arts.repo.nii.ac.jp/record/201/files/K32_1%20inoue.pdf
楽器展示の様子
通りに面した場所でピアノを弾く女性の後ろに管弦楽器キャビネットが見えます。 ピアノの音に気が惹かれて、目に映しているでしょう! 記録や記憶があれば日本史上初ですが?
https://archive.org/details/lexpositionunive01expo/page/268/mode/1up?view=theater&q=Pianos
[55189]他楽器
https://archive.org/details/lexpositionunive01expo/page/319/mode/1up?view=theater&q=vuillaume
審査員らの楽器 Pianoは、( )なし
エラール、ヘンリー・ヘルツ、プレイエル-ウォルフ共同、シードマイア、ビヨーム(弓)※、カベリ・コイル、デバイン
金賞:ボールドウッド、スタインウェイ、チッカリング、グランドオルガン製作協会(Og)、アレクサンダー親子(Og)、トリーバート(管)、 ストーリッヒー、ヘンリー・ヘルツ共同
1867万博公式ガイドブックは、もう一冊ありビヨーム※の記載ありました!! ビヨームは審査員で、自らの工房弓をアピールしたようです。(バイオリン本体は不明)
この時、ビヨーム工房作品は、ビヨーム名作品とヴォアラン名作品と出しますが、前者はドミニク・ペカットの甥(チャールズ)が作っているのかなぁ? ヴォアランはスタンプどうなっているのでしょうね?
ご存じの方、恐縮ですが教え頂けないでしょうか?? お願い致します🙇
シュトラウスと栄一、パリ万博 http://johann-strauss-society.com/column19.html#3
「日本大君政府」使節団一行:徳川昭武(民部公子、慶喜の弟)を将軍の名代とし、向山隼人正(公使)、田辺太一(書記官)、渋沢栄一他、計32名※留学生含む
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E4%B8%87%E5%9B%BD%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A_(1867%E5%B9%B4)
「薩摩太守政府」岩下方平(使節謙博覧会御用家老)、市来政清(側役格)他、計10名※
https://www.satsuma1867.org/mission
「肥前太守政府」佐野常民(団長)、藤山文一、小出千之助他、計7名※
https://www.pref.saga.lg.jp/kiji003105499/index.html
他、軽業師たち10~20名前後か??
「清水卯三郎の芸者(すみ、さと、かね)茶屋」、他 [55178]
[55178]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年06月11日 15:41
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
P.S. ジャポニズムの音楽(日本表象楽曲、日本を嗜好した曲)
プッチーニの『蝶々夫人』(1904(明37)ミラノ初演)、ドビュッシーの『交響詩《海》』(1905(明38))で知られます。 https://hotozero.com/column/japonisme-music_kcua2022/
ウィーン万博では、ブラームスは『日本の旋律集』と題された楽譜を手に入れ、自らの視点で手を加えたらしい。 ほかに日本の軽業師が、ウィーン万博(1873)には「トリカタ・日本一座」やパリ万博(1867)では「帝国日本人一座」「松井源水一座」が、三味線弾きや太鼓打ちもしてジャポニズムに一役買い、のちに日本ポルカが流行ります。
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/essay/20231018/
[サメティニ] Japannesche dwarskijkers-polka.[日本の目付ポルカ] 1870s (ca.)
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005696539/
[サン=サーンス] La Princesse Jaune.[黄色い王女] 1872 五音階 万葉集から歌詞付
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005834619/
[ブカロッシ(編曲)] The Mikado Polka.[ミカド・ポルカ] 1885? 音源付
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005696471/
[ディットリヒ] Rakubai. [落梅] 1894 ピアノ編曲 筝曲「落梅」から歌詞付
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005696489/
その他
https://shinku.nichibun.ac.jp/kichosho/new/books/1000/mpv0400000000d8d.html#id005717145
※ジャポニズムが流行る中、幸田延は、1894年末~1895年夏の間にウィーンでディットリヒと会っているハズで『落梅』『日本楽譜 Nippon Gakufu』に関わったでしょう。
使節団や留学生は、オクシデンタリズム(西洋嗜好)ですが、欧米はオリエンタリズム(東洋嗜好)で、ただの未開人ではなく日本人が受け容れられたようですね。
パリ万博で、もう少し掘り下げます。
プッチーニの『蝶々夫人』(1904(明37)ミラノ初演)、ドビュッシーの『交響詩《海》』(1905(明38))で知られます。 https://hotozero.com/column/japonisme-music_kcua2022/
ウィーン万博では、ブラームスは『日本の旋律集』と題された楽譜を手に入れ、自らの視点で手を加えたらしい。 ほかに日本の軽業師が、ウィーン万博(1873)には「トリカタ・日本一座」やパリ万博(1867)では「帝国日本人一座」「松井源水一座」が、三味線弾きや太鼓打ちもしてジャポニズムに一役買い、のちに日本ポルカが流行ります。
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/essay/20231018/
[サメティニ] Japannesche dwarskijkers-polka.[日本の目付ポルカ] 1870s (ca.)
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005696539/
[サン=サーンス] La Princesse Jaune.[黄色い王女] 1872 五音階 万葉集から歌詞付
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005834619/
[ブカロッシ(編曲)] The Mikado Polka.[ミカド・ポルカ] 1885? 音源付
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005696471/
[ディットリヒ] Rakubai. [落梅] 1894 ピアノ編曲 筝曲「落梅」から歌詞付
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005696489/
その他
https://shinku.nichibun.ac.jp/kichosho/new/books/1000/mpv0400000000d8d.html#id005717145
※ジャポニズムが流行る中、幸田延は、1894年末~1895年夏の間にウィーンでディットリヒと会っているハズで『落梅』『日本楽譜 Nippon Gakufu』に関わったでしょう。
使節団や留学生は、オクシデンタリズム(西洋嗜好)ですが、欧米はオリエンタリズム(東洋嗜好)で、ただの未開人ではなく日本人が受け容れられたようですね。
パリ万博で、もう少し掘り下げます。
茶屋は銀賞受賞、清水は万延元年遣米使節のトミー[55133]
[55133]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年06月03日 06:12
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
てぇ、てぇ、ドンッ! インシデント!!大変申し訳ございません。重要な史実を一つ見過ごしていました。
舶来品を遡ると、イギリス人のアレキサンダー・クラークが1871(明4)年に洋楽器各種を本国より持参して横浜で販売を始めたとあり、1872(明5)年、長原、春田の両者によってバイオリンと同じネックをもった明清楽器「提琴」(月琴のことか?)を発表とあります(この楽器は芸大蔵)。バイオリンも上陸していた訳です。西方教会信徒の原胤昭は、キリスト教書店を1874(明7)年 5月に十字屋を創業し、横浜居留地の外国人払い下げオルガンを入手したことをきっかけに、教会音楽を通じ楽器楽譜類および音響関係全般を取り扱いました。
史上初めてバイオリンを弾いた日本人は、1880年の松永定次郎[55060] としても、前史ではもっと早く長原、春田らに遡ると思われます。
史上初めてバイオリンの音を聴いた日本人は、国内では先の1871年のことでしょうが、前史では横浜や長崎の外国人居留地、西方教会の信者らか? 函館からのロシア正教(東方教会)の信者だったか?[55059]でしょう。音楽取調掛(現.芸大)の校長となる伊澤修二は、原胤昭を洗礼した宣教師に英語を習い(1869(明2))、留学してルーサー・メーソンから音楽教育を学ぶ(1875(明5))ことから、早くにバイオリンを知っています。
海外では他にも、政府の岩倉具視使節団(1871(明4))、パリ万博(1867(慶応3))に派遣された薩摩藩家老の岩下方平らの他に幕府の訪欧使節団の親善大使徳川昭武(民部大輔)ら及び随行の渋沢栄一ら、第2回遣欧使節池田使節団(1864(文久3))、福沢諭吉もいた文久遣欧使節(1862(文久元))のパリ滞在とロンドン万博、勝海舟ら咸臨丸が随行した万延元年遣米使節(1860(万延元))、遭難した津太夫ら(1803(享和3))と正教徒の善六、辰蔵、八三郎と民之助ら『環海異聞』(1806(文化3))、同じく遭難した大黒屋光太夫ら(1791(寛政3))と同じく正教徒の新蔵と庄蔵ら『北槎聞略』(1794(寛政6))に遡って、これら一団は国賓待遇を受けてバイオリンも見聞したであろうと考えられる。このパリ万博ではJ.B.ビヨームも出品しています。
明清楽器(東京音大蔵)
https://tcm-minken.jp/course_intro/gekkin.html
十字屋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E5%BA%A7%E5%8D%81%E5%AD%97%E5%B1%8B_(%E6%A5%BD%E5%99%A8%E5%BA%97)
https://www.ginzajujiya.com/company/
万延元年遣米使節(1860(万延元))の様子が分ります
https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150JapanNY/jp/history.html
https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150JapanNY/jp/photo.html
この使節団のために作曲された「トミー・ポルカ」は、高原守 ニューヨーク・シンフォニック・アンサンブル音楽監督及び常任指揮とアンサンブルにより蘇っています。
https://youtu.be/XbFBDCmJNCE
https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150JapanNY/jp/tommy.html
舶来品を遡ると、イギリス人のアレキサンダー・クラークが1871(明4)年に洋楽器各種を本国より持参して横浜で販売を始めたとあり、1872(明5)年、長原、春田の両者によってバイオリンと同じネックをもった明清楽器「提琴」(月琴のことか?)を発表とあります(この楽器は芸大蔵)。バイオリンも上陸していた訳です。西方教会信徒の原胤昭は、キリスト教書店を1874(明7)年 5月に十字屋を創業し、横浜居留地の外国人払い下げオルガンを入手したことをきっかけに、教会音楽を通じ楽器楽譜類および音響関係全般を取り扱いました。
史上初めてバイオリンを弾いた日本人は、1880年の松永定次郎[55060] としても、前史ではもっと早く長原、春田らに遡ると思われます。
史上初めてバイオリンの音を聴いた日本人は、国内では先の1871年のことでしょうが、前史では横浜や長崎の外国人居留地、西方教会の信者らか? 函館からのロシア正教(東方教会)の信者だったか?[55059]でしょう。音楽取調掛(現.芸大)の校長となる伊澤修二は、原胤昭を洗礼した宣教師に英語を習い(1869(明2))、留学してルーサー・メーソンから音楽教育を学ぶ(1875(明5))ことから、早くにバイオリンを知っています。
海外では他にも、政府の岩倉具視使節団(1871(明4))、パリ万博(1867(慶応3))に派遣された薩摩藩家老の岩下方平らの他に幕府の訪欧使節団の親善大使徳川昭武(民部大輔)ら及び随行の渋沢栄一ら、第2回遣欧使節池田使節団(1864(文久3))、福沢諭吉もいた文久遣欧使節(1862(文久元))のパリ滞在とロンドン万博、勝海舟ら咸臨丸が随行した万延元年遣米使節(1860(万延元))、遭難した津太夫ら(1803(享和3))と正教徒の善六、辰蔵、八三郎と民之助ら『環海異聞』(1806(文化3))、同じく遭難した大黒屋光太夫ら(1791(寛政3))と同じく正教徒の新蔵と庄蔵ら『北槎聞略』(1794(寛政6))に遡って、これら一団は国賓待遇を受けてバイオリンも見聞したであろうと考えられる。このパリ万博ではJ.B.ビヨームも出品しています。
明清楽器(東京音大蔵)
https://tcm-minken.jp/course_intro/gekkin.html
十字屋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E5%BA%A7%E5%8D%81%E5%AD%97%E5%B1%8B_(%E6%A5%BD%E5%99%A8%E5%BA%97)
https://www.ginzajujiya.com/company/
万延元年遣米使節(1860(万延元))の様子が分ります
https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150JapanNY/jp/history.html
https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150JapanNY/jp/photo.html
この使節団のために作曲された「トミー・ポルカ」は、高原守 ニューヨーク・シンフォニック・アンサンブル音楽監督及び常任指揮とアンサンブルにより蘇っています。
https://youtu.be/XbFBDCmJNCE
https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150JapanNY/jp/tommy.html
[55148]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年06月05日 16:08
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
訂正 ”音楽祭:World's Peace Jubilee and International Musical Festival ”です
なお、南北戦争、普仏戦争の終了記念の巨大音楽祭(6/17~7/4(独立記念日):18日間)です。
ホールは特設の「屋根付きコロシアム」、横幅107m×その2倍の長さ、約オケ1500人、合唱団16,000人、観客5万人を収容して余ると記載がある
岩倉使節団が見聞した西洋音楽
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/48188/mra_033_047.pdf
NHKは、この音楽祭、ドイツの日を少し再演奏しています
https://harpoon1993.hatenablog.com/entry/50474018
(※ワーグナーを追加したようですね)
大使随行の久米邦武は、初めての渡航で外国語は出来ず、知見もなかったでしょう
https://www.jacar.go.jp/dictionary/02_item.html?id=00025802
https://www.jacar.go.jp/iwakura/person/index.html
邦武は、演奏について、伶人律ヲ調ス ~云々~ 白雪ヲ奏ス、、 と雅楽や舞楽、漢詩に准え表すしかなく、西洋音楽そのままに表す言葉を殆んど持たない。先の他にヴェルサイユの「オペラ堂」、サンゼルマンの「楽堂」、アムステルダムの「水晶館」、学校の音楽教育も視察したが、邦武は、岩倉と共に帰国後は近代能楽を起こしただけです。
他に欧米に知見があり英語もできた留学生や伊藤博文、長野桂次郎(万延元年遣米使節のトミー)、新島襄(七五三太)らも多くいて、西洋音楽をそのまま受け容れるために、メーソンの元に伊澤修二の留学が叶ったでのでしょう。
このメーソンが、伝導讃歌の作曲者のメーソンでは?? の予感です
ウィーン万博(1873.5.1~11.1)は、https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1873.html
博覧会事務局副総裁の佐野常民が岩倉使節団に随行しており、使節団は4日間(6/6,9,14,17)視察しています。佐野常民は、前回のパリ万博(1867)にも来ていた経験がありました
https://www.jacar.go.jp/dictionary/02_item.html?id=00001844
日本からウィーン万博へ、官員・通訳・技術伝習生・御雇外国人・展覧会場建設要員をあわせ計100名に近くが派遣されており、ウィーン万博でも色んな音楽と楽器を見聞した中に、バイオリンなど弦楽があったと思われます
なお、南北戦争、普仏戦争の終了記念の巨大音楽祭(6/17~7/4(独立記念日):18日間)です。
ホールは特設の「屋根付きコロシアム」、横幅107m×その2倍の長さ、約オケ1500人、合唱団16,000人、観客5万人を収容して余ると記載がある
岩倉使節団が見聞した西洋音楽
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/48188/mra_033_047.pdf
NHKは、この音楽祭、ドイツの日を少し再演奏しています
https://harpoon1993.hatenablog.com/entry/50474018
(※ワーグナーを追加したようですね)
大使随行の久米邦武は、初めての渡航で外国語は出来ず、知見もなかったでしょう
https://www.jacar.go.jp/dictionary/02_item.html?id=00025802
https://www.jacar.go.jp/iwakura/person/index.html
邦武は、演奏について、伶人律ヲ調ス ~云々~ 白雪ヲ奏ス、、 と雅楽や舞楽、漢詩に准え表すしかなく、西洋音楽そのままに表す言葉を殆んど持たない。先の他にヴェルサイユの「オペラ堂」、サンゼルマンの「楽堂」、アムステルダムの「水晶館」、学校の音楽教育も視察したが、邦武は、岩倉と共に帰国後は近代能楽を起こしただけです。
他に欧米に知見があり英語もできた留学生や伊藤博文、長野桂次郎(万延元年遣米使節のトミー)、新島襄(七五三太)らも多くいて、西洋音楽をそのまま受け容れるために、メーソンの元に伊澤修二の留学が叶ったでのでしょう。
このメーソンが、伝導讃歌の作曲者のメーソンでは?? の予感です
ウィーン万博(1873.5.1~11.1)は、https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1873.html
博覧会事務局副総裁の佐野常民が岩倉使節団に随行しており、使節団は4日間(6/6,9,14,17)視察しています。佐野常民は、前回のパリ万博(1867)にも来ていた経験がありました
https://www.jacar.go.jp/dictionary/02_item.html?id=00001844
日本からウィーン万博へ、官員・通訳・技術伝習生・御雇外国人・展覧会場建設要員をあわせ計100名に近くが派遣されており、ウィーン万博でも色んな音楽と楽器を見聞した中に、バイオリンなど弦楽があったと思われます
[55208]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年06月16日 10:17
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
訂正:パリ万博(1867(慶3))へは、日本人が約60~70名前後訪れた
追補:
もう一人、肥前の佐野常民[55148]
も、パリでバイオリン等楽器を見ています。 常民は、パリで楽器展示を知り得たことから、ウィーン万博(1873)では和楽器の展示を始めます。 更に、常民は、ウィーン万博で知り合ったライプチヒ博物館へ、ハインリヒ・フォン・シーボルトと共に日本の品々を送り、この返礼として常民はバイオリン等楽器を贈らています[55161]
。 ライプチヒ博物館に収蔵された箏は、ジャポニズムが広がる中、のちに幸田(安藤)幸が演奏します
ジャポニズムもバイオリンも、ロンドン、パリ万博から20世紀の日本へと繋がります
古くから西洋のオリエンタリスムは、特に幕末の日本への関心へ広がり、日本が西洋文明を取り込むために関わった万博、ロンドン(1862)、パリ(1867)、ウィーン(1873)、フィラデルフィア(1876)など、西洋では日本が当時の流行へ、ジャポニズムへと進展します
特に、パリ万博(1867)での浮世絵や芸者茶屋などは、フランス美術に視覚的な効果と情緒的に大きな影響を与えました。 ルノワール、マネ、ドガ、ゴッホ、ゴーギャン、ロートレック、モネ、クリムトほか、工芸、ファッション、家具、音楽などにも影響し西洋に広がります。 フランスのフィリップ・ビュルティの論文(1872.5)に初めてジャポニズムと言葉が登場したのち、ウィーン万博から本格的に広まったとされます[55168]
https://media.thisisgallery.com/20273119
第5回 ジャポニスム(サン=サーンスと日本1)
https://research.piano.or.jp/series/saint-saens/2020/08/5_1.html
幕末最大の日本品コレクターは、シーボルトと言えて、オランダに「日本博物館」を開設(1832)し、日本学の祖として名声を得ます。 バイエルンのヴュルツブルクで収集品展示「日本博物館」を開催(1864)、ミュンヘンでも開催(1866)。 ワーグナーがウィーン万博で手にしたドイツ人作曲家の作品集『日本の旋律』は、シーボルトが日本で採譜した音や音楽を基にします 。 また、日本の軽業師の音は、ポルカへと取り込まれ、ジャポニズムの音楽へ広がります[55178]
この流れの中で、幸田姉妹、滝廉太郎、山田耕筰、近衞秀麿、少し離れるが伊福部昭、團伊玖磨、芥川也寸志、武満徹などへも繋がり、西洋で高く評価された日本人による西洋曲が作られています
追補:
もう一人、肥前の佐野常民[55148]
[55148]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年06月05日 16:08
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
訂正 ”音楽祭:World's Peace Jubilee and International Musical Festival ”です
なお、南北戦争、普仏戦争の終了記念の巨大音楽祭(6/17~7/4(独立記念日):18日間)です。
ホールは特設の「屋根付きコロシアム」、横幅107m×その2倍の長さ、約オケ1500人、合唱団16,000人、観客5万人を収容して余ると記載がある
岩倉使節団が見聞した西洋音楽
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/48188/mra_033_047.pdf
NHKは、この音楽祭、ドイツの日を少し再演奏しています
https://harpoon1993.hatenablog.com/entry/50474018
(※ワーグナーを追加したようですね)
大使随行の久米邦武は、初めての渡航で外国語は出来ず、知見もなかったでしょう
https://www.jacar.go.jp/dictionary/02_item.html?id=00025802
https://www.jacar.go.jp/iwakura/person/index.html
邦武は、演奏について、伶人律ヲ調ス ~云々~ 白雪ヲ奏ス、、 と雅楽や舞楽、漢詩に准え表すしかなく、西洋音楽そのままに表す言葉を殆んど持たない。先の他にヴェルサイユの「オペラ堂」、サンゼルマンの「楽堂」、アムステルダムの「水晶館」、学校の音楽教育も視察したが、邦武は、岩倉と共に帰国後は近代能楽を起こしただけです。
他に欧米に知見があり英語もできた留学生や伊藤博文、長野桂次郎(万延元年遣米使節のトミー)、新島襄(七五三太)らも多くいて、西洋音楽をそのまま受け容れるために、メーソンの元に伊澤修二の留学が叶ったでのでしょう。
このメーソンが、伝導讃歌の作曲者のメーソンでは?? の予感です
ウィーン万博(1873.5.1~11.1)は、https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1873.html
博覧会事務局副総裁の佐野常民が岩倉使節団に随行しており、使節団は4日間(6/6,9,14,17)視察しています。佐野常民は、前回のパリ万博(1867)にも来ていた経験がありました
https://www.jacar.go.jp/dictionary/02_item.html?id=00001844
日本からウィーン万博へ、官員・通訳・技術伝習生・御雇外国人・展覧会場建設要員をあわせ計100名に近くが派遣されており、ウィーン万博でも色んな音楽と楽器を見聞した中に、バイオリンなど弦楽があったと思われます
なお、南北戦争、普仏戦争の終了記念の巨大音楽祭(6/17~7/4(独立記念日):18日間)です。
ホールは特設の「屋根付きコロシアム」、横幅107m×その2倍の長さ、約オケ1500人、合唱団16,000人、観客5万人を収容して余ると記載がある
岩倉使節団が見聞した西洋音楽
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/48188/mra_033_047.pdf
NHKは、この音楽祭、ドイツの日を少し再演奏しています
https://harpoon1993.hatenablog.com/entry/50474018
(※ワーグナーを追加したようですね)
大使随行の久米邦武は、初めての渡航で外国語は出来ず、知見もなかったでしょう
https://www.jacar.go.jp/dictionary/02_item.html?id=00025802
https://www.jacar.go.jp/iwakura/person/index.html
邦武は、演奏について、伶人律ヲ調ス ~云々~ 白雪ヲ奏ス、、 と雅楽や舞楽、漢詩に准え表すしかなく、西洋音楽そのままに表す言葉を殆んど持たない。先の他にヴェルサイユの「オペラ堂」、サンゼルマンの「楽堂」、アムステルダムの「水晶館」、学校の音楽教育も視察したが、邦武は、岩倉と共に帰国後は近代能楽を起こしただけです。
他に欧米に知見があり英語もできた留学生や伊藤博文、長野桂次郎(万延元年遣米使節のトミー)、新島襄(七五三太)らも多くいて、西洋音楽をそのまま受け容れるために、メーソンの元に伊澤修二の留学が叶ったでのでしょう。
このメーソンが、伝導讃歌の作曲者のメーソンでは?? の予感です
ウィーン万博(1873.5.1~11.1)は、https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1873.html
博覧会事務局副総裁の佐野常民が岩倉使節団に随行しており、使節団は4日間(6/6,9,14,17)視察しています。佐野常民は、前回のパリ万博(1867)にも来ていた経験がありました
https://www.jacar.go.jp/dictionary/02_item.html?id=00001844
日本からウィーン万博へ、官員・通訳・技術伝習生・御雇外国人・展覧会場建設要員をあわせ計100名に近くが派遣されており、ウィーン万博でも色んな音楽と楽器を見聞した中に、バイオリンなど弦楽があったと思われます
[55161]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年06月09日 04:07
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
博覧会一覧(年表) https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/index.html
1873(明6)年ウィーン万博 日本人は、バイオリンを見聞して曲も聞いて居ますね
https://www.austria.info/jp/service-and-facts/about-austria/anniversary-year/vienna-world-fair-150-years 万博記念の曲が作られています。
ヨハン・シュトラウス II:ワルツ「ウィーン気質」, Op.354
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1959年12月27日録音
http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=4784
ワルツ「博覧会」Op.103
ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世の舞曲世界深耕~1873年
https://assets.st-note.com/img/1683448302882-WX9wvANir4.jpg?width=800
https://assets.st-note.com/img/1683448245249-dR1nTNKTu7.jpg?width=800
https://note.com/taubenpost_1860/n/n95520d71cf88 (音源なし)
ウィーン万博行進曲Op.107
♪♪♪万博が生んだ史上最強の行進曲🇦🇹エドゥアルト・シュトラウス1世
:〈ウィーン万博行進曲〉変ホ長調Op・107 ( ※1873年 )♪♪♪
https://youtu.be/0ZeOJ5hCchs
https://note.com/taubenpost_1860/n/n41a908a61db2
※Op.103,107は管弦楽曲のようですが現在聴けるのはピアノ
楽器展示があり、その中では幻となったクレモナ展は未開催でした
1873 年ウィーン万国博覧会における 三つの楽器展示(その1)
お茶の水女子大学教育・研究成果コレクション
https://teapot.lib.ocha.ac.jp/record/2003454/files/futsugo_3_06_kurawaki.pdf
19世紀前半、楽器は博覧会で展示され、~ 1873(明6)年の墺国博覧会の頃には、博覧会の展示物として定着していたそうです。博覧会への出品や受賞歴は、今日の楽器製作コンクールと同じように、~ 認識され、広告にも積極的に使われた。日本も雅楽器などを展示しています。 この時に、ライプチヒ博物館は、佐野常民に楽器寄贈の約束をして、1877(明10)年に楽器諸々、ワイオリン(Klemm R.Schuster)や木材ほかを内務省博物局「日本工業博物館」へ贈っています。 同年展示公開されたようです。 カスタネット(カポタスト)があり、移調曲に使うワイオリン附属品だそうです
のちに、ライプチヒ博物館所蔵の琴の演奏を請われた幸田幸は、バイオリン留学中の1902(明35).10.16 病床の滝廉太郎を見舞ったのち「六段調」「東獅子」を奏します
明治 10年「ライプチヒ博物館」から 贈られた洋楽器
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/26505/files/CLC_33_004.pdf
なお、'73.6.10に岩倉使節団は王宮博物館を観ており、古楽器コレクションも見たかも
ホーフブルク王宮 古楽器コレクション
https://www.khm.at/besuchen/sammlungen/sammlung-alter-musikinstrumente/ausgesuchte-meisterwerke/
1873(明6)年ウィーン万博 日本人は、バイオリンを見聞して曲も聞いて居ますね
https://www.austria.info/jp/service-and-facts/about-austria/anniversary-year/vienna-world-fair-150-years 万博記念の曲が作られています。
ヨハン・シュトラウス II:ワルツ「ウィーン気質」, Op.354
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1959年12月27日録音
http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=4784
ワルツ「博覧会」Op.103
ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世の舞曲世界深耕~1873年
https://assets.st-note.com/img/1683448302882-WX9wvANir4.jpg?width=800
https://assets.st-note.com/img/1683448245249-dR1nTNKTu7.jpg?width=800
https://note.com/taubenpost_1860/n/n95520d71cf88 (音源なし)
ウィーン万博行進曲Op.107
♪♪♪万博が生んだ史上最強の行進曲🇦🇹エドゥアルト・シュトラウス1世
:〈ウィーン万博行進曲〉変ホ長調Op・107 ( ※1873年 )♪♪♪
https://youtu.be/0ZeOJ5hCchs
https://note.com/taubenpost_1860/n/n41a908a61db2
※Op.103,107は管弦楽曲のようですが現在聴けるのはピアノ
楽器展示があり、その中では幻となったクレモナ展は未開催でした
1873 年ウィーン万国博覧会における 三つの楽器展示(その1)
お茶の水女子大学教育・研究成果コレクション
https://teapot.lib.ocha.ac.jp/record/2003454/files/futsugo_3_06_kurawaki.pdf
19世紀前半、楽器は博覧会で展示され、~ 1873(明6)年の墺国博覧会の頃には、博覧会の展示物として定着していたそうです。博覧会への出品や受賞歴は、今日の楽器製作コンクールと同じように、~ 認識され、広告にも積極的に使われた。日本も雅楽器などを展示しています。 この時に、ライプチヒ博物館は、佐野常民に楽器寄贈の約束をして、1877(明10)年に楽器諸々、ワイオリン(Klemm R.Schuster)や木材ほかを内務省博物局「日本工業博物館」へ贈っています。 同年展示公開されたようです。 カスタネット(カポタスト)があり、移調曲に使うワイオリン附属品だそうです
のちに、ライプチヒ博物館所蔵の琴の演奏を請われた幸田幸は、バイオリン留学中の1902(明35).10.16 病床の滝廉太郎を見舞ったのち「六段調」「東獅子」を奏します
明治 10年「ライプチヒ博物館」から 贈られた洋楽器
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/26505/files/CLC_33_004.pdf
なお、'73.6.10に岩倉使節団は王宮博物館を観ており、古楽器コレクションも見たかも
ホーフブルク王宮 古楽器コレクション
https://www.khm.at/besuchen/sammlungen/sammlung-alter-musikinstrumente/ausgesuchte-meisterwerke/
ジャポニズムもバイオリンも、ロンドン、パリ万博から20世紀の日本へと繋がります
古くから西洋のオリエンタリスムは、特に幕末の日本への関心へ広がり、日本が西洋文明を取り込むために関わった万博、ロンドン(1862)、パリ(1867)、ウィーン(1873)、フィラデルフィア(1876)など、西洋では日本が当時の流行へ、ジャポニズムへと進展します
特に、パリ万博(1867)での浮世絵や芸者茶屋などは、フランス美術に視覚的な効果と情緒的に大きな影響を与えました。 ルノワール、マネ、ドガ、ゴッホ、ゴーギャン、ロートレック、モネ、クリムトほか、工芸、ファッション、家具、音楽などにも影響し西洋に広がります。 フランスのフィリップ・ビュルティの論文(1872.5)に初めてジャポニズムと言葉が登場したのち、ウィーン万博から本格的に広まったとされます[55168]
[55168]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年06月10日 03:24
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
追補
音楽の都と呼ばれるウィーン、1873(明6)年の万博では「音楽」が重要な役割を担います
https://www.austria.info/jp/where-to-go/cities/vienna
モーツァルトが生きた 18 世紀後半。それは、王侯貴族等の特権
第3部 シュトラウス風・ウィーンのおもてなし:公園で〈博覧会〉を
https://www.tokyo-harusai.com/wp/wp-content/uploads/2022/10/0325marathon.pdf
また、日本への関心が高まり、ジャポニズムの広まりが、この後顕著に表れます
https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1873-2.html
ヨハン・シュトラウス2世(1825-99)は、ワルツ「わが家で」を、'73年に書き下ろし
ブラームス(1833-97)は、芸術監督を務めるウィーン楽友協会の管弦楽と合唱団を指揮し
ブルックナー(1824-96)も、万博の閉幕関連事業の一環としてウィーン楽友協会大ホールで催された演奏会で、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮し、自作の「交響曲第2番」を演奏して、好評を博している
以降、ウィーンで多くの博覧会が催された。 「モーツァルト没後100年記念祭」(1891(明24))が催されたのち、「音楽の博覧会」という理念のもと「音楽の都ウィーン/音楽国家オーストリア」を象徴する様々な展示や、屋内屋外で数多くの演奏会が催された「ウィーン国際音楽演劇博覧会」(1892(明25))へと発展していく
定かではないが、のちにジャポニズムは絵画に限らず音楽にも影響を与えたようで、この中、ボストンとウィーンに留学(1889-1895)した幸田延(1870-1946)は音楽を学びます。アマティを延に与えた書店は、ジャポニズムを体現させる延に気が付いたであろう[54991]
幸田延 https://wan.or.jp/article/show/9570
ピアノ連弾小品 https://youtu.be/iG_ECiol1iw
最近、何れも復興補筆されて演奏されている!! 幸田延 [55160]
ヴァイオリン・ソナタ第1番(1895年未完成) https://youtu.be/n3x5RqTi4LY
ヴァイオリン・ソナタ第2番(1897年未完成) https://youtu.be/F2h_5ig_aCE
音楽の都と呼ばれるウィーン、1873(明6)年の万博では「音楽」が重要な役割を担います
https://www.austria.info/jp/where-to-go/cities/vienna
モーツァルトが生きた 18 世紀後半。それは、王侯貴族等の特権
第3部 シュトラウス風・ウィーンのおもてなし:公園で〈博覧会〉を
https://www.tokyo-harusai.com/wp/wp-content/uploads/2022/10/0325marathon.pdf
また、日本への関心が高まり、ジャポニズムの広まりが、この後顕著に表れます
https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1873-2.html
ヨハン・シュトラウス2世(1825-99)は、ワルツ「わが家で」を、'73年に書き下ろし
ブラームス(1833-97)は、芸術監督を務めるウィーン楽友協会の管弦楽と合唱団を指揮し
ブルックナー(1824-96)も、万博の閉幕関連事業の一環としてウィーン楽友協会大ホールで催された演奏会で、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮し、自作の「交響曲第2番」を演奏して、好評を博している
以降、ウィーンで多くの博覧会が催された。 「モーツァルト没後100年記念祭」(1891(明24))が催されたのち、「音楽の博覧会」という理念のもと「音楽の都ウィーン/音楽国家オーストリア」を象徴する様々な展示や、屋内屋外で数多くの演奏会が催された「ウィーン国際音楽演劇博覧会」(1892(明25))へと発展していく
定かではないが、のちにジャポニズムは絵画に限らず音楽にも影響を与えたようで、この中、ボストンとウィーンに留学(1889-1895)した幸田延(1870-1946)は音楽を学びます。アマティを延に与えた書店は、ジャポニズムを体現させる延に気が付いたであろう[54991]
幸田延 https://wan.or.jp/article/show/9570
ピアノ連弾小品 https://youtu.be/iG_ECiol1iw
最近、何れも復興補筆されて演奏されている!! 幸田延 [55160]
ヴァイオリン・ソナタ第1番(1895年未完成) https://youtu.be/n3x5RqTi4LY
ヴァイオリン・ソナタ第2番(1897年未完成) https://youtu.be/F2h_5ig_aCE
https://media.thisisgallery.com/20273119
第5回 ジャポニスム(サン=サーンスと日本1)
https://research.piano.or.jp/series/saint-saens/2020/08/5_1.html
幕末最大の日本品コレクターは、シーボルトと言えて、オランダに「日本博物館」を開設(1832)し、日本学の祖として名声を得ます。 バイエルンのヴュルツブルクで収集品展示「日本博物館」を開催(1864)、ミュンヘンでも開催(1866)。 ワーグナーがウィーン万博で手にしたドイツ人作曲家の作品集『日本の旋律』は、シーボルトが日本で採譜した音や音楽を基にします 。 また、日本の軽業師の音は、ポルカへと取り込まれ、ジャポニズムの音楽へ広がります[55178]
[55178]
Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。
投稿日時:2024年06月11日 15:41
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
P.S. ジャポニズムの音楽(日本表象楽曲、日本を嗜好した曲)
プッチーニの『蝶々夫人』(1904(明37)ミラノ初演)、ドビュッシーの『交響詩《海》』(1905(明38))で知られます。 https://hotozero.com/column/japonisme-music_kcua2022/
ウィーン万博では、ブラームスは『日本の旋律集』と題された楽譜を手に入れ、自らの視点で手を加えたらしい。 ほかに日本の軽業師が、ウィーン万博(1873)には「トリカタ・日本一座」やパリ万博(1867)では「帝国日本人一座」「松井源水一座」が、三味線弾きや太鼓打ちもしてジャポニズムに一役買い、のちに日本ポルカが流行ります。
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/essay/20231018/
[サメティニ] Japannesche dwarskijkers-polka.[日本の目付ポルカ] 1870s (ca.)
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005696539/
[サン=サーンス] La Princesse Jaune.[黄色い王女] 1872 五音階 万葉集から歌詞付
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005834619/
[ブカロッシ(編曲)] The Mikado Polka.[ミカド・ポルカ] 1885? 音源付
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005696471/
[ディットリヒ] Rakubai. [落梅] 1894 ピアノ編曲 筝曲「落梅」から歌詞付
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005696489/
その他
https://shinku.nichibun.ac.jp/kichosho/new/books/1000/mpv0400000000d8d.html#id005717145
※ジャポニズムが流行る中、幸田延は、1894年末~1895年夏の間にウィーンでディットリヒと会っているハズで『落梅』『日本楽譜 Nippon Gakufu』に関わったでしょう。
使節団や留学生は、オクシデンタリズム(西洋嗜好)ですが、欧米はオリエンタリズム(東洋嗜好)で、ただの未開人ではなく日本人が受け容れられたようですね。
パリ万博で、もう少し掘り下げます。
プッチーニの『蝶々夫人』(1904(明37)ミラノ初演)、ドビュッシーの『交響詩《海》』(1905(明38))で知られます。 https://hotozero.com/column/japonisme-music_kcua2022/
ウィーン万博では、ブラームスは『日本の旋律集』と題された楽譜を手に入れ、自らの視点で手を加えたらしい。 ほかに日本の軽業師が、ウィーン万博(1873)には「トリカタ・日本一座」やパリ万博(1867)では「帝国日本人一座」「松井源水一座」が、三味線弾きや太鼓打ちもしてジャポニズムに一役買い、のちに日本ポルカが流行ります。
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/essay/20231018/
[サメティニ] Japannesche dwarskijkers-polka.[日本の目付ポルカ] 1870s (ca.)
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005696539/
[サン=サーンス] La Princesse Jaune.[黄色い王女] 1872 五音階 万葉集から歌詞付
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005834619/
[ブカロッシ(編曲)] The Mikado Polka.[ミカド・ポルカ] 1885? 音源付
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005696471/
[ディットリヒ] Rakubai. [落梅] 1894 ピアノ編曲 筝曲「落梅」から歌詞付
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/score/005696489/
その他
https://shinku.nichibun.ac.jp/kichosho/new/books/1000/mpv0400000000d8d.html#id005717145
※ジャポニズムが流行る中、幸田延は、1894年末~1895年夏の間にウィーンでディットリヒと会っているハズで『落梅』『日本楽譜 Nippon Gakufu』に関わったでしょう。
使節団や留学生は、オクシデンタリズム(西洋嗜好)ですが、欧米はオリエンタリズム(東洋嗜好)で、ただの未開人ではなく日本人が受け容れられたようですね。
パリ万博で、もう少し掘り下げます。
この流れの中で、幸田姉妹、滝廉太郎、山田耕筰、近衞秀麿、少し離れるが伊福部昭、團伊玖磨、芥川也寸志、武満徹などへも繋がり、西洋で高く評価された日本人による西洋曲が作られています
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