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スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。 | ヴァイオリン掲示板

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楽器・付属品 99 Comments
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スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2018年09月05日 01:52
投稿者:松毬(ID:MImSJXU)

 スズキのNo.1000番台の高級楽器の実力はどうなのでしょうか??? 皆様のコメントをお願いいたします。

 スズキの No.1200 や No.1500 等、手作りの楽器があるようですが、、、ヤマハのブラビオール、文京のピグマリウス、その他の日本、イタリア、ドイツ等の製作者の新作と、性能やお値段もざっくりと同じくらいで団子状態にあるように思えます。

 スズキは政吉の自身作のバイオリンは、良い評価を得ている伝説があり、政吉から歴代の社長および職人が受け継がれて、No.1000番台に繋がっているようです。

 私はスズキを経験してないのですが、もし良いなら30~100万円のスズキのほうが、実用的には200万円のイタリア新作よりも良いのでは???と感じます。
投資にもならない200万の新作買わなくても、、と思います。

 どうぞ皆様の沢山の意見を頂きたいと思います。
 
 宜しくお願いいたします。
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【ご参考】
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Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年06月21日 06:33
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
パリ万博後の徳川昭武訪欧使節団の旅程   https://www.city.matsudo.chiba.jp/tojo/rekishikan_shoukai/rekishi/nenpyou/1837-1869.html
「1867(慶3)年3月24日、テュイルリー宮殿で皇帝ナポレオン三世に謁見、国書提出。3月26日、博覧会会場で各国の産物を見る」とあり、実のところは舞踏会を待たずにバイオリン見聞はすんでいたようです。 また、1867年8月から12月の間に、スイス・オランダ・ベルギーやイタリア・英領マルタ島、及びイギリスを三度に分けて巡歴し、各国の元首との交流や現地視察を行っており、その際にもバイオリン見聞はしていたことでしょう

一方、同年、現万札の福沢諭吉は、軍艦購入遣米使節団(委員長、勘定吟味役小野友五郎)に翻訳方としてニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンDCを訪れ、帰国後『西洋事情』外編を著します https://www.keio.ac.jp/ja/contents/stained_glass/1998/209.html

その前に『西洋事情』初編があり、文久遣欧使節(1862)から帰国後に欧米人の普通の日常について著しており、この中で、学校の項にて『音楽等を学ぶ』とあります
https://dcollections.lib.keio.ac.jp/sites/all/libraries/uv/uv.php?archive=FKZ&id=F7-A02-01#?c=0&m=0&s=0&cv=33&r=0&z=-1103.2504%2C0%2C6047.5008%2C3064

諭吉は、三度渡航しており1867年の他、万延元年遣米使節(1860)に随行し咸臨丸で渡米し太平洋を往復し、また、文久遣欧使節団(1862)にも翻訳方として随行した際は、英領マルタ、フランス、イギリス、オランダ、プロイセン、ロシア、ポルトガルを巡り、バッキンガム宮殿やロンドン万博(1862)なども巡っています

1862年第2回ロンドン万博、文久遣欧使節(第1回遣欧使節) を追って掘り下げて行きますね
https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1862.html
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Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年06月23日 01:49
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
一八六二年五月一日 七人のサムライがオーケストラ演奏を楽しみます
      そこで、日本人が初めてバイオリンを見聞した史実は更新されます

 一 八 六 二 年 ロ ン ド ン 万 国 博 覧 会 場 の 幕 末 使 節 団
 https://otemae.repo.nii.ac.jp/record/635/files/KJ00004186160.pdf

”日英交流の幕開き、万博会場の七人のサムライ、ジャポニズムへの第一歩”より
      
『七名の使節団代表を式場へ案内したマクドナルドによると、・・・・・オーケストラや大合唱団の演奏には、きっと驚異の目を見はったに違いないのだが、なかでもヴァイオリン奏者たちには、格別の関心が向けられたようだ。それから、「演奏者たちの前に立って棒を振る」指揮者の身ぶりは、彼らにとってよほど滑稽に見えたらしく、「閣下たちは扇子を指揮棒に見立てて、〔指揮者〕コスタ氏の動作をまねて」面白がっていた、』(p110)

7名:1.竹内保徳(下野守:正使・特命全権公使)、2.松平康直(石見守:副使)、3.京極高朗(能登守:目付)、4.柴田貞太郎(組頭)、5.日高圭三郎(勘定)、6.高島祐啓(医師)、7.福地(桜痴)源一郎(定役通弁御用)

文久遣欧使節(第1回遣欧使節)は、ロンドン万博(1862)に合わせて38名以上が渡欧し、翻訳に福沢諭吉も居たが、通訳には先の福地(桜痴)源一郎がおり後に音楽評論の萌芽となる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E4%B9%85%E9%81%A3%E6%AC%A7%E4%BD%BF%E7%AF%80

万博の音楽: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E4%B8%87%E5%9B%BD%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A_(1862%E5%B9%B4)#%E9%9F%B3%E6%A5%BD
ロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツは1862年の博覧会に特有の音楽要素を持たせることを選択し、音楽評論家のHenry Chorleyが顧問に選ばれた。Henryは、ベネット、マイアベーア、オベール、ロッシーニによる作曲を推薦したが、ソサエティは、ロッシーニではなくジュゼッペ・ヴェルディに依頼した

1862年5月1日の博覧会の開会式で、3つの作品がオーケストラで初演された
指揮 マイケル・コスタ
・「Ode Written Expressly for the Opening of the International Exhibition」
                       ウィリアム・スタンデール・ベネット
・「Fest-Ouvertüre im Marschstyl」     ジャコモ・マイアベーア
・「Grand triumphal march」        ダニエル=フランソワ=エスプリ・オベール 
ヴェルディの「カンタータInno delle nazioni」は、同年5月24日、ハー・マジェスティーズ劇場で、James Henry Maplesonによる初演となった

また、Ernst Pauerは毎日ピアノのリサイタルを行った (西にあるドーム下のステージにて)
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Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年06月25日 11:08
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
博覧会に関わりだした日本はジャポニズムへ影響を与える一方で、西洋文明を学び、音楽も然り、バイオリンの見聞もと、ロンドンだけでなくパリ、ウィーンと重ねています。 日本人が初めて関わった万博とともにバイオリン等の見聞もしたわけです

しかし、日本人初のバイオリン見聞の史実は、ロンドン万博(1862)よりも早い!! 実は、万博の開会式より十日ほど早い史実があります。 また更新です

同年四月二一日 フランスの劇場で、上演中のオーケストラピットの楽器を見聞しています 

歐行記 「三月二二日(新暦4月21日) パリの劇場に至る 狂言の仕組彷彿とし」とある
     https://dl.ndl.go.jp/pid/1920519/1/108

欧西紀行には、「笛四品琴皷(ことつづみ)三品合せ 七台の楽器に 舞台の下に楽座あり三十余輩も集屯(しゅうとん) 合奏ス」とある。 琴皷はバイオリン(ビオラ含む)、チェロ(バス含む) 、ティンパニーかバスドラム辺りのことであろう
佛蘭西 戯場の図    https://dl.ndl.go.jp/pid/2578055/1/41
笛琴皷とオケピの様子  https://dl.ndl.go.jp/pid/2578055/1/33

この他にも、プロシアやロシアなどでも観劇やバレエ鑑賞をした際、オケピの楽器をみています また、晩餐会にも招待され、食事にともない室内楽の鑑賞もして、バイオリン等を見聞しています(欧西紀行より)。 文久遣欧使節団は、訪れた国で芸能をもって歓迎されており、バイオリン等を見聞することはしばしばだったようです 
[55254]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年06月26日 02:12
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
訂正:" 欧西紀行 "(←欧西行紀) です

追補 他に、ロシアで遣欧使節の歓迎へ、J.シュトラウス作曲があります

『日本行進曲』ヨーゼフ・シュトラウス https://youtu.be/EN0hYAjGB6o

ヨーゼフは、兄ヨハン・シュトラウス2世の代理としてパヴロフスクでの仕事をしており、東アジアの旋律をいくつか盛り込んで作曲した。 演奏されたようですね
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A1%8C%E9%80%B2%E6%9B%B2_(%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9)#

資料一連
1862年第2回ロンドン万国博覧会における「日本」(駐日公使オールコックの万博)
https://aska-r.repo.nii.ac.jp/record/5773/files/0021040201503055072.pdf

『幕末遣歐使節航海日錄』 野沢郁太(伊久太) https://dl.ndl.go.jp/pid/1920509/1/66
『尾蠅欧行漫録』     市川(清流)渡   https://dl.ndl.go.jp/pid/1920509/1/135
『欧行記』        益頭駿治郎    https://dl.ndl.go.jp/pid/1920519/1/72
『欧行日記』       淵辺徳蔵     https://dl.ndl.go.jp/pid/1920519/1/9
『欧西行紀』       恒齋高嶋久也(祐啓)https://dl.ndl.go.jp/pid/2578051
『西洋事情』       福澤諭吉
               https://dcollections.lib.keio.ac.jp/ja/fukuzawa/a02/3

※遣外使節では、他に第2回遣欧池田使節団(1864(文3))、万延元年遣米使節(1860(万元))も、文久と同じでしょう。 もう一度立ち戻って、万延元年に掘り下げてみます
[55255]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年06月26日 02:15
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
再訂正:" 欧西行紀 "(←欧西紀行) です。 同じところたびたび済みません!
[55264]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年06月28日 11:29
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
万延元年遣米使節(1862)は、77人のサムライの話になります。 しかし、その前にロンドン万博の展示楽器、わすれてました🙇 ロンドン万博の展示楽器を紹介します

さながら楽器展示場があったかの様に非常に多くの楽器が展示されていす。 中でも、この頃のオルガン、ピアノ、管楽器などは、楽器辞典よりも多様な楽器をみることができます。 ロンドン公式カタログVol2.の☞◎  なお、第二回パリ万博(1867)では、展示楽器をよくひろえませんでした🙇
また、万博に展示した弦楽器製作者をひろってみます。 ベッツ、ドット、ヒル、ウッソン、バソッド、ビヨーム他と名が上ります。 ロンドン開催だがフランス作家が多いようです。 ビヨームは第一回ロンドン万博(1851)でthe Council Medal、第一回パリ万博(1855)では金メダルを得ている反響が第二回ロンドン万博にも及んでいると思います

英British:Allwood, Thomas / Betts, Arthur / Corfe, Edward / Dearlove, Mark William / Dodd, James, / Hill, William EbsWorth / Boosey & Sons☞※
”弓通り16番(16 Bow Street)”って あるねw   公式カタログVol2 ☞◎
◎https://archive.org/details/officialcatalogu02lond/page/n222/mode/1up?view=theater
※Boosey & Hawkesの大基。 万博では銀のコロネットとバストロンボーンが面白い :https://www.boosey.com/aboutus/History 20世紀末に楽器製作所を幾つも傘下に納めViolinも製作販売する。 HofnerもPaesoldも買収されたが'04に売却。 この過程で結果的にHofnerの骨が抜かれた。 KSWも輸入代理店として、ギターはHofner、バイオリンはPaesoldと分れた

ビクトリア メルボルン:THORNE, J.     公式カタログVol3 ☞☆
☆https://archive.org/details/officialcatalogu03lond/page/n81/mode/1up?

ブリュッセル:DAECHE, C. F. / Vuillaume, N. F.
☆https://archive.org/details/officialcatalogu03lond/page/19/mode/1up?

フランス : Derazey, J. J. H. / Boirot, D. / Grand jon, J. / Husson-Buthod, & Thibodville (J.T.Lの基) / Vuillaume, J. B. / Mirmont, C. A. / Savaresse, H. Paris.(弦) / Jacquot, C.
☆https://archive.org/details/officialcatalogu03lond/page/104/mode/2up?

オーストリア(ボヘミア、ハンガリー含)
BITTNER David / BRANDL Charles / EBERLE Charles / KIENDL Anthony / KLUIBENSCHADL Joseph / LEMB0CK Gabriel / PATZELT John Ferd  公式カタログVol4 ☞★
★https://archive.org/details/officialcatalogu04lond/page/n122/mode/1up?

ハノーバー:Riechers, Aug.
★https://archive.org/details/officialcatalogu04lond/page/n240/mode/1up?

プロシア:Esslinger, C. W. / Grimm, Carl / Kloss, Ernst /1458. / Kuntzel, L. / Otto, Ludwig,
★https://archive.org/details/officialcatalogu04lond/page/n295/mode/1up?

ザクソニー&ロイス=グライツ公国:Otto, Friedrich Augus / Schuster, Brothers / Schuster, Michael, jun(弦)
★https://archive.org/details/officialcatalogu04lond/page/n347/mode/1up?

イタリア:Aiello, S.
★https://archive.org/details/officialcatalogu04lond/page/n533/mode/1up?

ポルトガル:P. J. Teixeira, Braga / J. R. da Silva(弦)
★https://archive.org/details/officialcatalogu04lond/page/153/mode/1up?
★https://archive.org/details/officialcatalogu04lond/page/159/mode/1up?

Educational Worlis and Appliances:London, W.G. — Materials for the international system of musical education.
◎https://archive.org/details/officialcatalogu02lond/page/n452/mode/1up?

Official Illustrated Catalogue Advertiser.    公式カタログVol1 ☞○
○https://archive.org/details/internationalexh01lond/page/n737/mode/1up?
○https://archive.org/details/internationalexh01lond/page/n760/mode/1up?

Steinway & Sons, New York City. — Grand and square pianos
★https://archive.org/details/officialcatalogu04lond/page/128/mode/1up?

なお、文久遣欧使節団が訪れた水晶宮にはコンサートホールもあり、岩倉遣欧使節団も訪れています[55146]
[55146]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年06月05日 02:43
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
原胤昭 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E8%83%A4%E6%98%AD
十字屋 リンク張り直し
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E5%BA%A7%E5%8D%81%E5%AD%97%E5%B1%8B_

また道草して、国外での史実を掘り下げてみます。

政府の岩倉具視使節団(1871(明4)-73(明6))
https://www.kodomo.go.jp/yareki/theme/theme_09.html
初めてコンサートホールで音楽祭を楽しんだ一団です。ブロードウェイ劇場やイギリス水晶宮、ベルリン宮廷歌劇場なども訪れます。

特命全権大使 岩倉具視、副使に木戸孝允・大久保利通・伊藤博文ら他、のちにヴァッサー大学音楽科を出る瓜生(永井)繁や津田うめ他留学生など154名が渡航した。途中現地に留まる者を除きアメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、ロシア、デンマーク、スウェーデン、イタリア、オーストリア、スイスの12ヵ国とウィーン万国博覧会を約1年10ヵ月かけて回覧。条約改正交渉は予備交渉とし、欧米のあらゆる面、王宮・議会・官庁・軍事施設・工場・病院・博物館・美術館・学校などから牢獄・花街にいたるまで精細に調査見聞した。 https://www.jacar.go.jp/iwakura/history/index.html

1872年01月サンフランシスコ、18日 夜、米公使とカリフォルニア・シアター(劇場)に赴く、とあり、以降色んな都市で劇場・饗宴や晩餐会・舞踏会・教会・宮殿に行って音楽を耳にします。その際に弦楽も と思われますが、久米邦武は諸々記録するもののバイオリンなど知らず、弦楽の明記はできなかった。
06月 ニューヨーク、10日 20時:ブロードウェー劇場にて観劇
   ボストンにて、18日 14時:太平楽会に参加、19日 14時:太平楽会に参加、とある。
  音楽祭:World's Peace jubilee International Musical Festivalのイギリスの日とドイツの日と、西洋音楽を本格的に鑑賞した☞詳細※ 
ドイツの日:プログラム
第一部
1.バッハ    コラール「神のみ旨のならんことを」 合唱 オルガン 管弦楽
2.ベートーヴェン  序曲「レオノーレ」第三番       管弦楽
3.ダッドリ・バック 祝典頌歌「平和と音楽」     合唱     管弦楽
4.モーツァルト  「魔的」より 大アリア    独唱
5.ヴェルディ   「エルナーニ」第三幕の終曲  祝祭合唱団 オペラ合唱団 管弦楽
6.タールベルク  「夏の最後の薔薇幻想曲」   ピアノ独奏
7.ベネット サマリアの女から合唱「我が傍に在せ」大合唱団 オルガン 管弦楽
第二部
1.英国国歌    「神よ女王を護り給え」合唱 オルガン 管弦楽 軍楽隊 鐘 大砲 独唱
2.シュトラウス   演奏会用大ワルツ「酒,女,歌」 管弦楽 ヨハン・シュトラウス指揮
3.ヴェルディ トロヴァトーレからの情景「アンヴィル・コーラス」
                    合唱 オルガン 管弦楽 軍楽隊 鉄床百台 大砲
4.アレヴィ 「稲妻」のロマンツァ 第一節 ソプラノのユニゾン
                 第二節 ソプラノとテノールのユニゾン
                  フルート オーボエ チェロのオブリガード 管弦楽
5.メンデルスゾーン エリアからの合奏「彼はイスラエルをみそなわし給い」合唱 管弦楽
6.メーソン 伝導讃歌「グリーンランドの凍てつける山々から」

 太平楽会のスケッチ:↓ 画像の右下
  https://www.jacar.go.jp/iwakura/column/images/04_02_01.jpg
 久米邦武の漢学素養と『米欧回覧実記』参照方
  https://www.jacar.go.jp/iwakura/column/column4.html
※詳しくは、岩倉使節団が見聞した西洋音楽
 https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/48188/mra_033_047.pdf

永井繁は、一団がワシントンを訪れた時に、ワシントンに留まりピアノを習います。その後、コネチカット州で一般の教養科目に加えて声楽を学んだとあります。大学音楽科を出るまでにバイオリンも見聞しているでしょうし、触れて音も出したかも知れませんね。帰国(1881(明14))後、音楽取調掛で幸田延のピアノ指導をします。
。 水晶宮は、第1回ロンドン万博(1851)で建設されが、後に移築されものですが、なんとなく繋がります https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1851-1.html

公式カタログ目次
Vol1:https://archive.org/details/internationalexh01lond/page/n12/mode/1up?
Vol2:https://archive.org/details/officialcatalogu02lond/page/n12/mode/1up?
Vol3: https://archive.org/details/officialcatalogu03lond/page/n8/mode/1up?
Vol4: https://archive.org/details/officialcatalogu04lond/page/n8/mode/1up?
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Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年06月28日 17:27
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
訂正と補足

” 訂正後  ”
” / Grandjon, J.”・・・・・・・フランス
” / LEMBOCK Gabriel /” ・・・・オーストリア(ボヘミア、ハンガリー含)
”  不要☞/1458. ”・・・・・・プロシア
”  Otto, Friedrich August”・・ザクソニー&ロイス=グライツ公国

補足:Robert Cocks & Co.,広告では
Vuillaume each £14, Bows 30s, Stentor Bows 10s 6d、Dodd Bows 10s 6d & upwards
○https://archive.org/details/internationalexh01lond/page/n737/mode/1up?

本日、今のレート(203.51 ¥/£)で ⇓
Vuillaume each ¥2850, Bows ¥306, Stentor Bows ¥107、Dodd Bows ¥107 から
全部買って、¥4000 でお釣りくるほど易い。 だったらいいなぁ

現実は、この1万倍からです!!
[55279]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年07月01日 14:54
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
なお、ロンドン万博の弦楽器、沢山あったあぁ。 主要な製作者については、後でもう少し紹介します。 また、[55264]
[55264]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年06月28日 11:29
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
万延元年遣米使節(1862)は、77人のサムライの話になります。 しかし、その前にロンドン万博の展示楽器、わすれてました🙇 ロンドン万博の展示楽器を紹介します

さながら楽器展示場があったかの様に非常に多くの楽器が展示されていす。 中でも、この頃のオルガン、ピアノ、管楽器などは、楽器辞典よりも多様な楽器をみることができます。 ロンドン公式カタログVol2.の☞◎  なお、第二回パリ万博(1867)では、展示楽器をよくひろえませんでした🙇
また、万博に展示した弦楽器製作者をひろってみます。 ベッツ、ドット、ヒル、ウッソン、バソッド、ビヨーム他と名が上ります。 ロンドン開催だがフランス作家が多いようです。 ビヨームは第一回ロンドン万博(1851)でthe Council Medal、第一回パリ万博(1855)では金メダルを得ている反響が第二回ロンドン万博にも及んでいると思います

英British:Allwood, Thomas / Betts, Arthur / Corfe, Edward / Dearlove, Mark William / Dodd, James, / Hill, William EbsWorth / Boosey & Sons☞※
”弓通り16番(16 Bow Street)”って あるねw   公式カタログVol2 ☞◎
◎https://archive.org/details/officialcatalogu02lond/page/n222/mode/1up?view=theater
※Boosey & Hawkesの大基。 万博では銀のコロネットとバストロンボーンが面白い :https://www.boosey.com/aboutus/History 20世紀末に楽器製作所を幾つも傘下に納めViolinも製作販売する。 HofnerもPaesoldも買収されたが'04に売却。 この過程で結果的にHofnerの骨が抜かれた。 KSWも輸入代理店として、ギターはHofner、バイオリンはPaesoldと分れた

ビクトリア メルボルン:THORNE, J.     公式カタログVol3 ☞☆
☆https://archive.org/details/officialcatalogu03lond/page/n81/mode/1up?

ブリュッセル:DAECHE, C. F. / Vuillaume, N. F.
☆https://archive.org/details/officialcatalogu03lond/page/19/mode/1up?

フランス : Derazey, J. J. H. / Boirot, D. / Grand jon, J. / Husson-Buthod, & Thibodville (J.T.Lの基) / Vuillaume, J. B. / Mirmont, C. A. / Savaresse, H. Paris.(弦) / Jacquot, C.
☆https://archive.org/details/officialcatalogu03lond/page/104/mode/2up?

オーストリア(ボヘミア、ハンガリー含)
BITTNER David / BRANDL Charles / EBERLE Charles / KIENDL Anthony / KLUIBENSCHADL Joseph / LEMB0CK Gabriel / PATZELT John Ferd  公式カタログVol4 ☞★
★https://archive.org/details/officialcatalogu04lond/page/n122/mode/1up?

ハノーバー:Riechers, Aug.
★https://archive.org/details/officialcatalogu04lond/page/n240/mode/1up?

プロシア:Esslinger, C. W. / Grimm, Carl / Kloss, Ernst /1458. / Kuntzel, L. / Otto, Ludwig,
★https://archive.org/details/officialcatalogu04lond/page/n295/mode/1up?

ザクソニー&ロイス=グライツ公国:Otto, Friedrich Augus / Schuster, Brothers / Schuster, Michael, jun(弦)
★https://archive.org/details/officialcatalogu04lond/page/n347/mode/1up?

イタリア:Aiello, S.
★https://archive.org/details/officialcatalogu04lond/page/n533/mode/1up?

ポルトガル:P. J. Teixeira, Braga / J. R. da Silva(弦)
★https://archive.org/details/officialcatalogu04lond/page/153/mode/1up?
★https://archive.org/details/officialcatalogu04lond/page/159/mode/1up?

Educational Worlis and Appliances:London, W.G. — Materials for the international system of musical education.
◎https://archive.org/details/officialcatalogu02lond/page/n452/mode/1up?

Official Illustrated Catalogue Advertiser.    公式カタログVol1 ☞○
○https://archive.org/details/internationalexh01lond/page/n737/mode/1up?
○https://archive.org/details/internationalexh01lond/page/n760/mode/1up?

Steinway & Sons, New York City. — Grand and square pianos
★https://archive.org/details/officialcatalogu04lond/page/128/mode/1up?

なお、文久遣欧使節団が訪れた水晶宮にはコンサートホールもあり、岩倉遣欧使節団も訪れています[55146] 。 水晶宮は、第1回ロンドン万博(1851)で建設されが、後に移築されものですが、なんとなく繋がります https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1851-1.html

公式カタログ目次
Vol1:https://archive.org/details/internationalexh01lond/page/n12/mode/1up?
Vol2:https://archive.org/details/officialcatalogu02lond/page/n12/mode/1up?
Vol3: https://archive.org/details/officialcatalogu03lond/page/n8/mode/1up?
Vol4: https://archive.org/details/officialcatalogu04lond/page/n8/mode/1up?
の訂正:”万延元年遣米使節(1860)”です


さて、万延元年遣米使節(1860)は、ポーハタン号に乗った77人のサムライの話です。残念ながら咸臨丸一行の勝海舟や福澤諭吉らは含まれませんが、諭吉はサンフランシスコでウェブスター英英中辞典を購入したので、初めて Violin などの言葉を使ったかもしれません
万延元年遣米使節の足跡  https://1860kenbei-shisetsu.org/history/map/
万延元年遣米使節団員名簿 https://1860kenbei-shisetsu.org/history/register/

[55133]
[55133]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年06月03日 06:12
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
てぇ、てぇ、ドンッ! インシデント!!大変申し訳ございません。重要な史実を一つ見過ごしていました。

舶来品を遡ると、イギリス人のアレキサンダー・クラークが1871(明4)年に洋楽器各種を本国より持参して横浜で販売を始めたとあり、1872(明5)年、長原、春田の両者によってバイオリンと同じネックをもった明清楽器「提琴」(月琴のことか?)を発表とあります(この楽器は芸大蔵)。バイオリンも上陸していた訳です。西方教会信徒の原胤昭は、キリスト教書店を1874(明7)年 5月に十字屋を創業し、横浜居留地の外国人払い下げオルガンを入手したことをきっかけに、教会音楽を通じ楽器楽譜類および音響関係全般を取り扱いました。

史上初めてバイオリンを弾いた日本人は、1880年の松永定次郎[55060] としても、前史ではもっと早く長原、春田らに遡ると思われます。
史上初めてバイオリンの音を聴いた日本人は、国内では先の1871年のことでしょうが、前史では横浜や長崎の外国人居留地、西方教会の信者らか? 函館からのロシア正教(東方教会)の信者だったか?[55059]でしょう。音楽取調掛(現.芸大)の校長となる伊澤修二は、原胤昭を洗礼した宣教師に英語を習い(1869(明2))、留学してルーサー・メーソンから音楽教育を学ぶ(1875(明5))ことから、早くにバイオリンを知っています。
海外では他にも、政府の岩倉具視使節団(1871(明4))、パリ万博(1867(慶応3))に派遣された薩摩藩家老の岩下方平らの他に幕府の訪欧使節団の親善大使徳川昭武(民部大輔)ら及び随行の渋沢栄一ら、第2回遣欧使節池田使節団(1864(文久3))、福沢諭吉もいた文久遣欧使節(1862(文久元))のパリ滞在とロンドン万博、勝海舟ら咸臨丸が随行した万延元年遣米使節(1860(万延元))、遭難した津太夫ら(1803(享和3))と正教徒の善六、辰蔵、八三郎と民之助ら『環海異聞』(1806(文化3))、同じく遭難した大黒屋光太夫ら(1791(寛政3))と同じく正教徒の新蔵と庄蔵ら『北槎聞略』(1794(寛政6))に遡って、これら一団は国賓待遇を受けてバイオリンも見聞したであろうと考えられる。このパリ万博ではJ.B.ビヨームも出品しています。

明清楽器(東京音大蔵)
https://tcm-minken.jp/course_intro/gekkin.html

十字屋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E5%BA%A7%E5%8D%81%E5%AD%97%E5%B1%8B_(%E6%A5%BD%E5%99%A8%E5%BA%97)
https://www.ginzajujiya.com/company/

万延元年遣米使節(1860(万延元))の様子が分ります
https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150JapanNY/jp/history.html
https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150JapanNY/jp/photo.html

この使節団のために作曲された「トミー・ポルカ」は、高原守 ニューヨーク・シンフォニック・アンサンブル音楽監督及び常任指揮とアンサンブルにより蘇っています。
https://youtu.be/XbFBDCmJNCE
https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150JapanNY/jp/tommy.html
 初の遣米使節団 米国の盛大な歓迎、があります
https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150JapanNY/jp/history.html

サンフランシスコ、ボルティモア、ニューヨーク各市は歓迎委員を任命し、歓迎費を計上して、日本使節の歓迎につとめています。 この過程で、饗宴、晩餐会、舞踏会とあり、この時流れた音楽とともにバイオリンを見聞していると考えられます。 この史実を、バイオリン見聞の歴史に加えて、またまた日本初の更新となります

1860年、77人のサムライは、
.4. 2 安政7年3月12日  使節、サンフランシスコ市主催歓迎宴に臨席
.5.19 万延元年閏3月29日 使節一行、ホワイトハウスに於ける大統領主催歓迎会に列席
.5.25          使節幹部を招いた大統領主催の晩餐会がホワイトハウスで開催
.6.25 万延元年5月7日  ニューヨーク市主催日本使節大舞踏会。 7500人の参加者があり、切符はプレミアム付で取引される程の前景気

万延元年遣米使節年表 https://1860kenbei-shisetsu.org/history/credit/chronology/
I 章 使節一行の派遣 https://1860kenbei-shisetsu.org/history/credit/section-01/

既に、この時代に、これらの遣外使節団らは、現在の様に冒頭のよい楽器らで本格的な西洋音楽を体験していた訳です。 しかも、これ以前からで、まだこの前があります

漂流民か?いやもっと重要なハッキリとしたバイオリン見聞の記録がポーハタン号に刻まれていました。次回、もう少し掘り下げて紹介します!!
[55280]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年07月02日 13:26
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
ポーハタン号を旗艦とする米国東インド艦隊を率いるペリーは、軍楽隊を伴って来た

梶野絵奈、及び、笠原潔によると※、日本は、日米和親条約に調印(1854.3.31(嘉永7.3.3))した際、ポーハタン号のパーティー(同.3.27(嘉7.2.29))でバイオリンを見聞します

ペリーが、調印を祝ってパーティーを開き、大学頭林復斎(ふくさい)他、幕府の応接掛や浦賀奉行所の関係者を招いてミンストレル・ショーを催します。 ショーは、音楽の演奏や芸、ダンスなど大衆的なショーで、当時のアメリカで大人気。 バイオリンで当時のPops、要は、フィドル演奏したようです。 日本人は楽しんだ様で、ペリーは外交として 引き続き箱根で松前藩の役人のために、下田でも大学頭林など幕府要人のために、那覇で琉球政府のためにもショーを催します

このショー(場所日時不詳)の、マックリーウィーがバイオリンで日本初の真面な演奏とされます 
またまたまた日本初史の話は更新され、開国と共にとなりますが、但し、楽器もバロックスタイルのままで、Popsフィドルとしてです!! この前後関係は、後でもう少し紹介します

詳しくは、梶野絵奈「日本のバイオリン史」、及び、笠原潔「黒船来航と音楽」を読んでくださいね 。 但し、これらは幕末遣外使節団の音楽体験や万博のクラシック音楽の視点はありません

= ミンストレル・ショーの様子 =
松平春嶽の「合同舶入相秘記」では、バイオリンは、小弓と書かれる
横浜開港記念館:高川文筌の「米利堅船中燕席歌舞図(真田宝物館蔵)」
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/kids/kids01_p_03.html

ペリー提督の黒船ミンストレル・ショー
https://fotokiddie.blogspot.com/2018/10/blog-post_28.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC#%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%A8%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9

第3話アメリカポピュラー音楽というプレゼント ~前編 https://youtu.be/9aOMmFRXG-g

https://shimoda100.com/storys/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%9D%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%BC%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%88%E3%80%80%EF%BD%9E%E5%89%8D/

幕府の応接係:林復斎(大学頭/特命全権大使)
      ,戸覚弘 (対馬守), 伊沢政義 (美作守), 鵜殿長鋭 (民部少輔))
浦賀奉行所 :戸田氏栄,他


※梶野絵奈:音楽学、比較音楽論、博士。東大院卒、国立音大バイオリン専攻卒
 笠原潔☞:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E6%BD%94
[55355]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年07月05日 12:51
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
訂正:梶野絵奈「日本のヴァイオリン史」 :横浜開港資料館 :井戸覚弘 (対馬守)

補足:
最初のパーティーは、調印より4日早く、目途が出た祝

「米利堅船中燕席歌舞図(真田宝物館蔵)」ズバリ
 https://jmapps.ne.jp/sndhmt/det.html?data_id=283

「ペリー提督の黒船ミンストレル・ショー」のプログラム ※3 
 https://fotokiddie.blogspot.com/2018/10/blog-post_28.html

詳細 第二章 二節交歓 ― 松代藩士が描いたペリー一行 より    P72/137pdf
https://www.sanadahoumotsukan.com/up_images/bok/bok_469cf194.pdf

95 浦賀紀行図 甲巻 (部分) 「楽器と傘の図」 伝高川文筌  P80/137pdf
※1. 軍楽隊の楽器が描かれている。シンバル、ドラム大小、横笛(フルート?)、縦笛(クラリネット)、金管(コルネット、トロンボーン、ホルン、ユーホニアム、他2ケ)、バイオリンはない

103 エチオピアンコンサート 合衆国蒸気フリゲート艦/ポーハタン号 P83/137pdf
プログラム   
(省略) 当艦上、次の日曜の夕刻に開催 (省略)

     曲 目

 「第一部 北部の黒人紳士風に」 
   大 序 曲  
1. 『ピカユーン・バトラー』     ダブネイ氏
2. 『お嬢さん方、結婚しませんか?』 トリップ氏
3. 『サリー・ウィーヴァー』     ダブネイ氏
4. 『アンクル・ネッド』       リーブス氏
5. 『サリーは俺の女だ』       デ・コスタ氏
6. 『おお、ミスター・クーン』    ダブネイ氏

 「第二部 南部の農園黒人風に」
   大 序 曲  
1. 『オールド・タール・リヴァー』  ダブネイ氏
2. 『主人は冷たい土の中』※2       パブロ氏
3. 『オールド・グレイ・グース』   トリップ氏
4. 『オールド・アウント・サリー』  ダブネイ氏
5. 『キャナル・ボーイ』      デ・コスタ氏
6. 『ヴァージニアの薔薇のつぼみ』  ダブネイ氏

  マックリィーウィーのヴァイオリン独奏 ※3    

終 バーレスク (バルワーの有名な戯曲『リヨンの娘』より)※4
   クロード・メルノット役 別名サン・ジョシング  ダブネイ氏
   ポリーヌ役 別名ポーリー・アン        トリップ嬢
   ジンガー役             マックリィーウィー氏
   ミンストレル団                バンド全員

  興行者      W.J.ダブネイ氏
  音楽監督 C.マックリィーウィー氏

      日本遠征隊印刷

 ※2 スティーブン・フォスター作の有名な曲
 ※3 前後のつながりから、クラシックではなくPop調の曲であろう
 ※4 バーレスク:原典を基にしたコミック劇 (クラシックのブルレスクではない)
         戯曲『リヨンの娘』の配役は、4、5名でジンガー名の役はない
 ※5 上記P83/137pdfの和訳、先「ペリー提督の黒船ミンストレル・ショー」のプログラム

104 嘉永六丑年浦賀港江米舶渡来之時依台命豊国画之像(部分)   P83/137pdf
 ※6 左コマの「 軍服姿の男性 」が、戯曲のストーリー上からメルノットと考えられる。
   右コマの「 バイオリンを構えた男性 」が、ジンガー(マックリィーウィー)となる。 劇中の燕尾服は、バイオリン独奏時の着用かは分からない。 右コマには、「 船中狂言図 」とあるので、恐らく、高川文筌、樋畑翁輔が直接見たことを描いたと思われる
松代藩士高川文筌、樋畑翁輔は、九代藩主真田幸教の内命を受けており、伊沢美作守の同行医師らとして招かれている

☆彡 日本のバイオリンについて、楽器や演奏など見聞の歴史の筋道は、以前に井上さつき等を軸に[55057]
[55057]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年05月07日 06:28
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
私自身、鈴木政吉第一号作品も、
    ヘリテージNo.1500も、初めて(音源)聴きました。→ [55054]

140年ほどの進化は、素晴らしいですね。政吉第一号作品は、松永定次郎の楽器を写したものですが、深川の琴三味線製造業、松永は、ロシア正教会が日本に持ち込んだバイオリンを写したものです。
松永は、国産第一号とされ、恐らく、日本で初めてバイオリンを披露したのはは、ロシア正教会のようです。松永第一号作品は、輸入用の外装木箱を用いており、また、売れなかったことから、政吉第一号と似た様な感じだったでしょうかね??

松永からは、150年ほどの進化で、戸島翔太郎さんが弾くヘリテージNo.1500は良かったですね。まおちゃんが弾いても鳴ることアピールしてるんじゃぁないかな。

pochi氏 インスタアドレスの扱い、ありがとうございました。
[55058]
[55058]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年05月07日 12:12
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
注意

甘利鉄吉が横浜で得た楽器は松永定次郎作ではなく、神田重助作であるとの異論があります。この事から、政吉の楽器の大元は、ロシア正教会楽士デミチリ―の楽器説と音楽取調掛のメーソンがアメリカから持ち込んだ楽器説とあります。なお、雅楽器製作者である神田が写した楽器は、メーソンを考えると自然です。

※前投稿[55057]では、「政吉第一号作品は、松永定次郎の楽器を写した」と単純にWikeの記述にしたがうものの、Wikeの情報元は、井上さつきであり話は先述へと回帰します。
[55059]
[55059]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年05月09日 05:01
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
ロシア正教が、バイオリンをいつ日本に持ち込んだか?また、いつ日本で披露したか?は定かではないものの、ニコライが本格的に布教開始した1871(明 4)年頃には、すでに楽士らが北海道函館に来日していたのではないかな?日本で初めてバイオリンを聴いたのは日本人信者はではないでしょうかね?。
函館からロシア領事館の東京移転(1872(明 5))により、楽士らも領事館付司祭のニコライに伴い、布教拠点の神田駿河台に移っていたのでしょう。そこに松永定次郎が現れた。

日露修好通商条約(1858(安 5))により、翌年、箱館(函館)にロシア領事館が置かれ、領事や宣教師が着任した。外国人居留地では聖堂を建設し、領事館員やロシア船員など外国人への礼拝や宗教行事が行われていた。1868(明.元)年に、3人の日本人を洗礼したニコライは、ロシア本国へ日本での本格的な宣教開始の承認を取り、1871(明 4)年、各地に伝教者を派遣し東北地方や東京にまで布教を広げています。


1880(明13)年3月、ボストンから音楽教育家ルーサー・ホワイティング・メーソンが楽器等を携え来日した。先駆けて宮内省雅楽所の伶人、上、奥、辻、芝、多 などがメーソンの門人となった際、琴三味線製作者の松永定次郎がバイオリンのことを聴きつけたようだが、松永がバイオリンを探して発見したのはニコライ会堂でした。
因みに、この年、松永定次郎がバイオリンを完成した日、8月28日はバイオリンの日です。
[55060]
[55060]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年05月10日 10:44
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
松永は、初めてバイオリンを弾いた日本人にもなりますが、
真面に弾いたのは、先の宮内省雅楽所の伶人のようで、彼らは1880(明13)年10月音楽取調掛開学の第一期伝習生にもなる。直ぐに教え方になったようです。幸田延も教わったか

井上さつきを読むと、
鈴木政吉は、第一号作品(1888(明21))を製作した時にはかなり後発で、東京では、松永の他、四竃訥治らは、すでに舶来品を見て製作し、また、メーソンから木材の使い方などの教示も受けたようで、続く神田重助、頼母木源七も同様と思われ、すでにバイオリンを展示会に出品するほど。
四竃は、兄,訥治(号:訥堂)、弟,仁邇(号:静堂)で、いずれも初期の伝習生、神田は伊沢校長に誘われ、頼母木は同業者を追いかけた

1890(明33)年の第三回内国勧業博覧会では、逆転して政吉が最高位、かなり真面な楽器になった。それでも音は西洋の中等品以下のようですが。。。
明治三十三年、政吉作
https://oshiete.chunichi.co.jp/pro/372/column/1272/index.img/column2_l.jpg

この楽器も小野田社長??さん、弾いて上げてくれないかなぁ。音の感じ分るのになぁ。
、少し直して[55133]
[55133]

Re: スズキの高級バイオリン 1000番台について教えて下さい。

投稿日時:2024年06月03日 06:12
投稿者:松毬(ID:VpKIRzA)
てぇ、てぇ、ドンッ! インシデント!!大変申し訳ございません。重要な史実を一つ見過ごしていました。

舶来品を遡ると、イギリス人のアレキサンダー・クラークが1871(明4)年に洋楽器各種を本国より持参して横浜で販売を始めたとあり、1872(明5)年、長原、春田の両者によってバイオリンと同じネックをもった明清楽器「提琴」(月琴のことか?)を発表とあります(この楽器は芸大蔵)。バイオリンも上陸していた訳です。西方教会信徒の原胤昭は、キリスト教書店を1874(明7)年 5月に十字屋を創業し、横浜居留地の外国人払い下げオルガンを入手したことをきっかけに、教会音楽を通じ楽器楽譜類および音響関係全般を取り扱いました。

史上初めてバイオリンを弾いた日本人は、1880年の松永定次郎[55060] としても、前史ではもっと早く長原、春田らに遡ると思われます。
史上初めてバイオリンの音を聴いた日本人は、国内では先の1871年のことでしょうが、前史では横浜や長崎の外国人居留地、西方教会の信者らか? 函館からのロシア正教(東方教会)の信者だったか?[55059]でしょう。音楽取調掛(現.芸大)の校長となる伊澤修二は、原胤昭を洗礼した宣教師に英語を習い(1869(明2))、留学してルーサー・メーソンから音楽教育を学ぶ(1875(明5))ことから、早くにバイオリンを知っています。
海外では他にも、政府の岩倉具視使節団(1871(明4))、パリ万博(1867(慶応3))に派遣された薩摩藩家老の岩下方平らの他に幕府の訪欧使節団の親善大使徳川昭武(民部大輔)ら及び随行の渋沢栄一ら、第2回遣欧使節池田使節団(1864(文久3))、福沢諭吉もいた文久遣欧使節(1862(文久元))のパリ滞在とロンドン万博、勝海舟ら咸臨丸が随行した万延元年遣米使節(1860(万延元))、遭難した津太夫ら(1803(享和3))と正教徒の善六、辰蔵、八三郎と民之助ら『環海異聞』(1806(文化3))、同じく遭難した大黒屋光太夫ら(1791(寛政3))と同じく正教徒の新蔵と庄蔵ら『北槎聞略』(1794(寛政6))に遡って、これら一団は国賓待遇を受けてバイオリンも見聞したであろうと考えられる。このパリ万博ではJ.B.ビヨームも出品しています。

明清楽器(東京音大蔵)
https://tcm-minken.jp/course_intro/gekkin.html

十字屋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E5%BA%A7%E5%8D%81%E5%AD%97%E5%B1%8B_(%E6%A5%BD%E5%99%A8%E5%BA%97)
https://www.ginzajujiya.com/company/

万延元年遣米使節(1860(万延元))の様子が分ります
https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150JapanNY/jp/history.html
https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150JapanNY/jp/photo.html

この使節団のために作曲された「トミー・ポルカ」は、高原守 ニューヨーク・シンフォニック・アンサンブル音楽監督及び常任指揮とアンサンブルにより蘇っています。
https://youtu.be/XbFBDCmJNCE
https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150JapanNY/jp/tommy.html
で示したが、その後に、梶尾や笠原の研究が進んでいたことが分り、これを取り込んでから話の前提が変っています

政吉の話に入る前のところ、沼っているので、追って改めて筋道建てを示しすね
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