[a17999]
もっと始末に悪いのは、アマチュア?
投稿日時:2006年02月07日 02:15
投稿者:kokukirin(ID:lEYDWRA)
自己レスです。そして、アマチュアバイオリニストへの問題提起。
> 演奏家は何のために演奏しているか
某スレッドでの言葉ですが、その後、おまえらはどうよ?という声が聞こえてきました。結論は、「もっと始末に悪いのは、アマチュアだ。」
アマオケの話はこの掲示板でもよく出てくるので聞き飽きた話になると思いますし、アマチュアといってもいろいろありますから、一概に論ずることはできませんが。
たとえば、アマだからこんな程度でいい、とすぐに思う人は多いのではないでしょうか。
音楽をするという行為は、本来プロもアマもないです。アマにも確かに上手な人は多いですが、どんぐりのせいくらべなのにプライドだけ高かったり(私のこと?)、ろくに練習もせずにプロを呼んで大迷惑をかけたり(おまえのことだ。誰?)。楽しむために集まってやっているはずなのに、練習もつまらない、本番は不愉快そのもの。子供のピアノ発表会はとてもいいものがあります。いい大人が子供のピアノ発表会に負けてます。
プロがアマに入ってくるに従って、プロに迷惑をかけて平気なアマ集団、プロの真似をして自分達はうまいと思っている勘違いアマ集団。そういうのって、ちっとも楽しくないと思う。
アマにはアマのやり方、姿勢があると思うのです。プロになれないからアマ、ではないのです。どう思いますか。
> 演奏家は何のために演奏しているか
某スレッドでの言葉ですが、その後、おまえらはどうよ?という声が聞こえてきました。結論は、「もっと始末に悪いのは、アマチュアだ。」
アマオケの話はこの掲示板でもよく出てくるので聞き飽きた話になると思いますし、アマチュアといってもいろいろありますから、一概に論ずることはできませんが。
たとえば、アマだからこんな程度でいい、とすぐに思う人は多いのではないでしょうか。
音楽をするという行為は、本来プロもアマもないです。アマにも確かに上手な人は多いですが、どんぐりのせいくらべなのにプライドだけ高かったり(私のこと?)、ろくに練習もせずにプロを呼んで大迷惑をかけたり(おまえのことだ。誰?)。楽しむために集まってやっているはずなのに、練習もつまらない、本番は不愉快そのもの。子供のピアノ発表会はとてもいいものがあります。いい大人が子供のピアノ発表会に負けてます。
プロがアマに入ってくるに従って、プロに迷惑をかけて平気なアマ集団、プロの真似をして自分達はうまいと思っている勘違いアマ集団。そういうのって、ちっとも楽しくないと思う。
アマにはアマのやり方、姿勢があると思うのです。プロになれないからアマ、ではないのです。どう思いますか。
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[a18098]
Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?
投稿日時:2006年04月10日 07:53
投稿者:tomtom(ID:QDU1YkE)
MOTMOTさん、こんにちは、tomtomです。
>tomtomさんの定義で「プロ」なのは
>pochiさんが愛している万寿セリ子さん。
>それと、典磨薄子さんと 後橋帝子さん。
>あとメザクラのおねーさんと、大阪芸大の教授さんだ。
>あとは全部ノンプロ、放送局立オケも全部ノンプロ。
>男性では吐かせ次郎くんですか。
>納得!!
葉加瀬太郎さんはたしかにプロ的なパーフォーマンスをしていますね。つまり、お客さんを集められるコンサートというものはどういうものなのか、ということを考えて工夫して実践しています。その代わり伝統的なクラシックの演奏家というイメージは薄くなっていますが、まあ、ああいう行き方も悪くないと思いますよ。お客さんが集まっている、ということはお客さんの支持がある、ということですからね。
あと、pochiさんやrioさんなどから、パトロンの話がよく出されていますが、外部機関からの資金支援を受けているからプロではない、という考え方にはそれほどこだわらなくともいいんじゃないでしょうか。つまり、資金支援をする外部機関もお客さんの一種であり、その演奏家や演奏団体が自らの才覚で獲得したお客さんなんだ、と考えてはいかがでしょうか。
>tomtomさんの定義で「プロ」なのは
>pochiさんが愛している万寿セリ子さん。
>それと、典磨薄子さんと 後橋帝子さん。
>あとメザクラのおねーさんと、大阪芸大の教授さんだ。
>あとは全部ノンプロ、放送局立オケも全部ノンプロ。
>男性では吐かせ次郎くんですか。
>納得!!
葉加瀬太郎さんはたしかにプロ的なパーフォーマンスをしていますね。つまり、お客さんを集められるコンサートというものはどういうものなのか、ということを考えて工夫して実践しています。その代わり伝統的なクラシックの演奏家というイメージは薄くなっていますが、まあ、ああいう行き方も悪くないと思いますよ。お客さんが集まっている、ということはお客さんの支持がある、ということですからね。
あと、pochiさんやrioさんなどから、パトロンの話がよく出されていますが、外部機関からの資金支援を受けているからプロではない、という考え方にはそれほどこだわらなくともいいんじゃないでしょうか。つまり、資金支援をする外部機関もお客さんの一種であり、その演奏家や演奏団体が自らの才覚で獲得したお客さんなんだ、と考えてはいかがでしょうか。
[a18099]
Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?
投稿日時:2006年04月10日 13:29
投稿者:市井のアマチュア(ID:FUUXInk)
tomtomさんの「プロの反対はノンプロ」というのは、謂わば新しい定義だと思います。従来の音楽界の既成概念はプロとアマですからね。
プロの方(従来の意味のプロ)からの反応は今ひとつです。これは「答えようがない」からでしょう。また「答える必要など感じない」のかも知れません。tomtomさんのサイトを見せていただきましたが、「職業音楽家」のありかたについて論じておられます。当事者と別な場所で持論を展開されているように見受けます。
論じられる対象である「職業音楽家」にたいして一石を投ずるのか、何事かを提言しているのか、議論を吹っかけているか、正確な意図がややわかりにくい。ただ、ご自身のサイトですから、持論をお好きなように展開するのは全くご自由で、興味のある人は今後も読むでしょう。
ViolinWebのBBSとなると、ROMだけしているプロ(従来の意味で)の数はtomtomさんのところより2けた位多いでしょう。同一内容をコピペされてもいいかと思いますが、それよりリンクを張る方が、スレの趣旨(プロ論ではないはず)からはずれないと感じます。
「職業音楽家のことを論じているので私のサイトにどうぞ」でいいはずです。
プロの方(従来の意味のプロ)からの反応は今ひとつです。これは「答えようがない」からでしょう。また「答える必要など感じない」のかも知れません。tomtomさんのサイトを見せていただきましたが、「職業音楽家」のありかたについて論じておられます。当事者と別な場所で持論を展開されているように見受けます。
論じられる対象である「職業音楽家」にたいして一石を投ずるのか、何事かを提言しているのか、議論を吹っかけているか、正確な意図がややわかりにくい。ただ、ご自身のサイトですから、持論をお好きなように展開するのは全くご自由で、興味のある人は今後も読むでしょう。
ViolinWebのBBSとなると、ROMだけしているプロ(従来の意味で)の数はtomtomさんのところより2けた位多いでしょう。同一内容をコピペされてもいいかと思いますが、それよりリンクを張る方が、スレの趣旨(プロ論ではないはず)からはずれないと感じます。
「職業音楽家のことを論じているので私のサイトにどうぞ」でいいはずです。
[a18100]
Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?
投稿日時:2006年04月11日 08:35
投稿者:tomtom(ID:QDU1YkE)
kokukirinさん、こんにちは、tomtomです。[a18097]
へのレスです。
>難しい定義をちょっと置いて話をしますが、プロというのは、
>フィードバックループがあると思います。つまり、聴衆からの
>反応や評論家、集客などのあらゆる結果からの戻りです。
>それにより修正の余地があります。
>ところが、いわゆるアマはありません。
>つまり、自由なのです。
kokukirinさんは、非常に鋭い指摘をされていると思います。こういう素晴らしい指摘に出会えるので、やはり掲示板のようなコミュニケーションツールの魅力は捨てられません。
会社内部での通常の仕事にも、フィードバックループは重要ですね。最近あまり聞かなくなりましたが、一時期製造業の業界でQC活動というのが盛んだったことがあります。これの基本要素は①現状把握、②問題発見、③解決への実行、④成果のレビューの4ステップから成っています。④の成果のレビューをするからこそフィードバックループが成り立っている、ということがいえます。フィードバックループのないプロはプロとは言えないかもしれません。
おしまいのほうに、kokukirinさんは、「自由」ということをおっしゃっていますが、これは「放縦」と言い換えるとドンピシャだと思います。いわゆるアマチュアの「放縦」こそ、アマチュアの最大の問題点だと思います。これは、具体的に言うと、いわゆるアマチュアの場合、好き勝手に弾くわけですよ。どういう弾き方が正しい弾き方なのか、作品に対するどういう理解が正しい理解なのか、といったことを真剣に考えようとしないですね。弾いていて、自分が楽しければそれでいい、というのが良くないアマチュアの典型です。
[a18097]
Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?
投稿日時:2006年04月10日 04:45
投稿者:kokukirin(ID:lEYDWRA)
>kokukirin氏の投稿の当初の趣旨が解らず、
難しい定義をちょっと置いて話をしますが、プロというのは、フィードバックループがあると思います。つまり、聴衆からの反応や評論家、集客などのあらゆる結果からの戻りです。それにより修正の余地があります。
ところが、いわゆるアマはありません。
つまり、自由なのです。
自由ばかりでなく、同時についてくる責任を考え、行え、ということです。
余計なお世話とも言えますが、それで何もしないというのは性分に合わないもので。
難しい定義をちょっと置いて話をしますが、プロというのは、フィードバックループがあると思います。つまり、聴衆からの反応や評論家、集客などのあらゆる結果からの戻りです。それにより修正の余地があります。
ところが、いわゆるアマはありません。
つまり、自由なのです。
自由ばかりでなく、同時についてくる責任を考え、行え、ということです。
余計なお世話とも言えますが、それで何もしないというのは性分に合わないもので。
>難しい定義をちょっと置いて話をしますが、プロというのは、
>フィードバックループがあると思います。つまり、聴衆からの
>反応や評論家、集客などのあらゆる結果からの戻りです。
>それにより修正の余地があります。
>ところが、いわゆるアマはありません。
>つまり、自由なのです。
kokukirinさんは、非常に鋭い指摘をされていると思います。こういう素晴らしい指摘に出会えるので、やはり掲示板のようなコミュニケーションツールの魅力は捨てられません。
会社内部での通常の仕事にも、フィードバックループは重要ですね。最近あまり聞かなくなりましたが、一時期製造業の業界でQC活動というのが盛んだったことがあります。これの基本要素は①現状把握、②問題発見、③解決への実行、④成果のレビューの4ステップから成っています。④の成果のレビューをするからこそフィードバックループが成り立っている、ということがいえます。フィードバックループのないプロはプロとは言えないかもしれません。
おしまいのほうに、kokukirinさんは、「自由」ということをおっしゃっていますが、これは「放縦」と言い換えるとドンピシャだと思います。いわゆるアマチュアの「放縦」こそ、アマチュアの最大の問題点だと思います。これは、具体的に言うと、いわゆるアマチュアの場合、好き勝手に弾くわけですよ。どういう弾き方が正しい弾き方なのか、作品に対するどういう理解が正しい理解なのか、といったことを真剣に考えようとしないですね。弾いていて、自分が楽しければそれでいい、というのが良くないアマチュアの典型です。
[a18101]
Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?
投稿日時:2006年04月11日 09:28
投稿者:市井のアマチュア(ID:FUUXInk)
「ぼくの演奏は人に聴かせるようなものじゃありません」
と仰るアマチュア(ディレッタントと言いますね)でも、やはり人に聴いてもらいたいのです。知り合いを呼んで花束をもらうと晴れがましい。
そういう気持ちはお互いさまですし、お返しに盆栽の集いを見に行ったり、ダンスの発表会の観客になる。
そこで止まっているアマチュアは幸せでしょうし、とやかく言う筋合いはないと思います。このBBSに書き込みもしないでしょうし…。
その中で非常に腕達者な人(このBBSの諸公のような)がいると、たんなるお道楽でない領域に来ますね。「素人と思えない」「まるで名演奏家みたい」と親戚や近所の方が褒めそやす。サインして下さいなんてことにもなる。こうなると「楽器を弾いていてよかった」「苦労して集まって練習した甲斐があった」「合宿で険悪になったが最後はうまくいった」となります。
プロをゲストに呼んでソロしてもらったり、室内楽コンサートにゲストでベートーヴェンのピアノソナタ弾いてもらったり。お客も喜びます。若手プロも発表の場が増えますし。四方丸く収まり、夜の反省会は若手プロ先生を囲んで盛り上がります。
架空の話じゃなく、某地方都市に実在したサークルの話です。あそこには「始末に困るアマチュア」なんて一人もいませんでしたね。
と仰るアマチュア(ディレッタントと言いますね)でも、やはり人に聴いてもらいたいのです。知り合いを呼んで花束をもらうと晴れがましい。
そういう気持ちはお互いさまですし、お返しに盆栽の集いを見に行ったり、ダンスの発表会の観客になる。
そこで止まっているアマチュアは幸せでしょうし、とやかく言う筋合いはないと思います。このBBSに書き込みもしないでしょうし…。
その中で非常に腕達者な人(このBBSの諸公のような)がいると、たんなるお道楽でない領域に来ますね。「素人と思えない」「まるで名演奏家みたい」と親戚や近所の方が褒めそやす。サインして下さいなんてことにもなる。こうなると「楽器を弾いていてよかった」「苦労して集まって練習した甲斐があった」「合宿で険悪になったが最後はうまくいった」となります。
プロをゲストに呼んでソロしてもらったり、室内楽コンサートにゲストでベートーヴェンのピアノソナタ弾いてもらったり。お客も喜びます。若手プロも発表の場が増えますし。四方丸く収まり、夜の反省会は若手プロ先生を囲んで盛り上がります。
架空の話じゃなく、某地方都市に実在したサークルの話です。あそこには「始末に困るアマチュア」なんて一人もいませんでしたね。
[a18102]
Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?
投稿日時:2006年04月11日 11:27
投稿者:tomtom(ID:QDU1YkE)
セロ轢きのGoshさん、こんにちは。このスレッドもだいぶ煮詰まってきたように思えますので、初めのほうからじっくり読んでみました。そこで、ちょっと昔のメッセージになるのですが、[a18003]
についてレスをさせていただきます。
> > 演奏家は何のために演奏しているか
> そりゃ~、「自分の楽しみのため」に決まってるでしょう?
> 他に何がありますか?
この問題は、これまで意見交換されてきたことを整理するのに役立ちそうです。まず「演奏家」というのは、「プロ演奏家(職業演奏家)」とアマチュア演奏家とで分けて考えるのが適切であるように思います。なぜかというと、両者は本質的に違うから。
まず職業演奏家にとって演奏活動は「仕事」だと思うんですよ。ときには楽しいと思って弾くこともあるでしょうが、あまり気がすすまないときもあるだろうし、あまり調子の良くないときもあると思います。しかし、例えば「○月○日のどこどこのホールで演奏会」というスケジュールがフィックスされているときは、気がすすまなかろうが、体調が悪かろうが、仕事として取り組まなければなりません。職業演奏家にとって演奏活動は、そういうものだろうと思います。
次にアマチュア演奏家の場合ですが、[a18100]
でも申し上げたように、「楽しみの追求」ということが「放縦」になってはならないように思います。アマチュア演奏家といえども、精神的な節制というのかな、アマチュア3原則で申し上げたような規律を自己に課す姿勢は必要であると考えます。
[a18003]
Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?
投稿日時:2006年02月07日 11:38
投稿者:セロ轢きのGosh(ID:EBU3FIA)
> 演奏家は何のために演奏しているか
そりゃ~、「自分の楽しみのため」に決まってるでしょう? 他に何がありますか?
確かに「楽しみ」と言ってもいろいろで、レイトスタータが四苦八苦している16分音符をサラリと弾いて見せて優越感に浸る、というのもありでしょう。 ブランドものの楽器を人に見せる楽しみ、というのもあってもいいと思います。 その辺は個人の内面の話ですよね。
問題は、それが傍迷惑かどうか・・・・というと傍迷惑に決まっているので、50歩100歩譲って、「受忍限度を超えているかどうか?」
傍観者さんの
> アマの演奏を聴きに来るお客さんは「演奏を聴いてやる」というサービスを
> してくれているので、アマは謙虚に受け感謝することです。
> 間違っても、自分の演奏を聴きたいから来てくれているなどと
> 思ってはいけない。
は至言ですね。
kokukirinさんの
> そういうのって、ちっとも楽しくないと思う。
って、誰のことでしょうか? 他人のことなら、何が楽しいかは当人の問題だし、自分が楽しくないなら止めればいいだけの話でしょう(生活がかかっている訳ではないし)。
・・・・って、理屈ではそうなるんですが、kokukirinさんが本当に仰りたいことは何か他にあるのではありませんか?
そりゃ~、「自分の楽しみのため」に決まってるでしょう? 他に何がありますか?
確かに「楽しみ」と言ってもいろいろで、レイトスタータが四苦八苦している16分音符をサラリと弾いて見せて優越感に浸る、というのもありでしょう。 ブランドものの楽器を人に見せる楽しみ、というのもあってもいいと思います。 その辺は個人の内面の話ですよね。
問題は、それが傍迷惑かどうか・・・・というと傍迷惑に決まっているので、50歩100歩譲って、「受忍限度を超えているかどうか?」
傍観者さんの
> アマの演奏を聴きに来るお客さんは「演奏を聴いてやる」というサービスを
> してくれているので、アマは謙虚に受け感謝することです。
> 間違っても、自分の演奏を聴きたいから来てくれているなどと
> 思ってはいけない。
は至言ですね。
kokukirinさんの
> そういうのって、ちっとも楽しくないと思う。
って、誰のことでしょうか? 他人のことなら、何が楽しいかは当人の問題だし、自分が楽しくないなら止めればいいだけの話でしょう(生活がかかっている訳ではないし)。
・・・・って、理屈ではそうなるんですが、kokukirinさんが本当に仰りたいことは何か他にあるのではありませんか?
> > 演奏家は何のために演奏しているか
> そりゃ~、「自分の楽しみのため」に決まってるでしょう?
> 他に何がありますか?
この問題は、これまで意見交換されてきたことを整理するのに役立ちそうです。まず「演奏家」というのは、「プロ演奏家(職業演奏家)」とアマチュア演奏家とで分けて考えるのが適切であるように思います。なぜかというと、両者は本質的に違うから。
まず職業演奏家にとって演奏活動は「仕事」だと思うんですよ。ときには楽しいと思って弾くこともあるでしょうが、あまり気がすすまないときもあるだろうし、あまり調子の良くないときもあると思います。しかし、例えば「○月○日のどこどこのホールで演奏会」というスケジュールがフィックスされているときは、気がすすまなかろうが、体調が悪かろうが、仕事として取り組まなければなりません。職業演奏家にとって演奏活動は、そういうものだろうと思います。
次にアマチュア演奏家の場合ですが、[a18100]
[a18100]
Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?
投稿日時:2006年04月11日 08:35
投稿者:tomtom(ID:QDU1YkE)
kokukirinさん、こんにちは、tomtomです。[a18097]へのレスです。
>難しい定義をちょっと置いて話をしますが、プロというのは、
>フィードバックループがあると思います。つまり、聴衆からの
>反応や評論家、集客などのあらゆる結果からの戻りです。
>それにより修正の余地があります。
>ところが、いわゆるアマはありません。
>つまり、自由なのです。
kokukirinさんは、非常に鋭い指摘をされていると思います。こういう素晴らしい指摘に出会えるので、やはり掲示板のようなコミュニケーションツールの魅力は捨てられません。
会社内部での通常の仕事にも、フィードバックループは重要ですね。最近あまり聞かなくなりましたが、一時期製造業の業界でQC活動というのが盛んだったことがあります。これの基本要素は①現状把握、②問題発見、③解決への実行、④成果のレビューの4ステップから成っています。④の成果のレビューをするからこそフィードバックループが成り立っている、ということがいえます。フィードバックループのないプロはプロとは言えないかもしれません。
おしまいのほうに、kokukirinさんは、「自由」ということをおっしゃっていますが、これは「放縦」と言い換えるとドンピシャだと思います。いわゆるアマチュアの「放縦」こそ、アマチュアの最大の問題点だと思います。これは、具体的に言うと、いわゆるアマチュアの場合、好き勝手に弾くわけですよ。どういう弾き方が正しい弾き方なのか、作品に対するどういう理解が正しい理解なのか、といったことを真剣に考えようとしないですね。弾いていて、自分が楽しければそれでいい、というのが良くないアマチュアの典型です。
>難しい定義をちょっと置いて話をしますが、プロというのは、
>フィードバックループがあると思います。つまり、聴衆からの
>反応や評論家、集客などのあらゆる結果からの戻りです。
>それにより修正の余地があります。
>ところが、いわゆるアマはありません。
>つまり、自由なのです。
kokukirinさんは、非常に鋭い指摘をされていると思います。こういう素晴らしい指摘に出会えるので、やはり掲示板のようなコミュニケーションツールの魅力は捨てられません。
会社内部での通常の仕事にも、フィードバックループは重要ですね。最近あまり聞かなくなりましたが、一時期製造業の業界でQC活動というのが盛んだったことがあります。これの基本要素は①現状把握、②問題発見、③解決への実行、④成果のレビューの4ステップから成っています。④の成果のレビューをするからこそフィードバックループが成り立っている、ということがいえます。フィードバックループのないプロはプロとは言えないかもしれません。
おしまいのほうに、kokukirinさんは、「自由」ということをおっしゃっていますが、これは「放縦」と言い換えるとドンピシャだと思います。いわゆるアマチュアの「放縦」こそ、アマチュアの最大の問題点だと思います。これは、具体的に言うと、いわゆるアマチュアの場合、好き勝手に弾くわけですよ。どういう弾き方が正しい弾き方なのか、作品に対するどういう理解が正しい理解なのか、といったことを真剣に考えようとしないですね。弾いていて、自分が楽しければそれでいい、というのが良くないアマチュアの典型です。
[a18103]
プロとアマの区別
投稿日時:2006年04月11日 12:12
投稿者:市井のアマチュア(ID:FUUXInk)
誰がプロで誰がアマチュアか?
痛い経験で言えること
親族が死去した時ステージに穴を空けるのはアマチュア
親族が死去してもかくして本番に臨むのはプロ
両方の例を複数回目撃しました。
痛い経験で言えること
親族が死去した時ステージに穴を空けるのはアマチュア
親族が死去してもかくして本番に臨むのはプロ
両方の例を複数回目撃しました。
[a18104]
もっと始末に悪いのは、アマチュアの思い込み
投稿日時:2006年04月11日 12:30
投稿者:rio(ID:QjhScAA)
趣味は、あまりに型にはめすぎると
楽しめなくなる場合があります
アマとしての最低限のマナーは
周囲に気配りをする
自論を強制しない
音楽を愛する
ってとここでいいのでは
楽しめなくなる場合があります
アマとしての最低限のマナーは
周囲に気配りをする
自論を強制しない
音楽を愛する
ってとここでいいのでは
[a18105]
Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?
投稿日時:2006年04月11日 12:36
投稿者:始末に悪いアマチュア(ID:MDYhVzE)
>ところが、いわゆるアマはありません。
>つまり、自由なのです。
>自由ばかりでなく、同時についてくる責任を考え、行え、ということです。
まるで小学校教師がガキに説教しているような言い草ですね。
>余計なお世話とも言えますが、それで何もしないというのは性分に合わないもので
はっきり言いましょう。
「余計なお世話」です。
仕事が忙しくてろくに練習できないサラリーマンは楽器を弾いちゃいかんのか?
向上心が足りない怠け者や音楽知識のないバカは楽器を弾くなとでも?
いくら下手糞にだって、音楽を楽しむ権利はある。
小中高等学校のブラスバンドはクラシックの曲を勝手に移調、アレンジ、カット
して演奏してますがあれは音楽に対する冒涜ですか?
日本のクラシック音楽ファン層の拡大とプロ管楽器奏者の養成に多大な貢献を
していますが?
>つまり、自由なのです。
>自由ばかりでなく、同時についてくる責任を考え、行え、ということです。
まるで小学校教師がガキに説教しているような言い草ですね。
>余計なお世話とも言えますが、それで何もしないというのは性分に合わないもので
はっきり言いましょう。
「余計なお世話」です。
仕事が忙しくてろくに練習できないサラリーマンは楽器を弾いちゃいかんのか?
向上心が足りない怠け者や音楽知識のないバカは楽器を弾くなとでも?
いくら下手糞にだって、音楽を楽しむ権利はある。
小中高等学校のブラスバンドはクラシックの曲を勝手に移調、アレンジ、カット
して演奏してますがあれは音楽に対する冒涜ですか?
日本のクラシック音楽ファン層の拡大とプロ管楽器奏者の養成に多大な貢献を
していますが?
[a18108]
Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?
投稿日時:2006年04月11日 15:14
投稿者:ヴァイオ(ID:KYIJIXE)
ちなみに某プロオケコンマスだったある方は、親族が病に伏しているときにリハにきて、そのことが今は亡き巨匠指揮者(欧州人)の耳に入り、
「おまえは、なぜ、家族が病気なのにこんなところにいるのか?」といわれたそう。
日本人では芸人は親族の死に目に会えない、というのがプロ根性みたいですが、ファミリーを大切にする欧米人は考え方が違うのかな??
「おまえは、なぜ、家族が病気なのにこんなところにいるのか?」といわれたそう。
日本人では芸人は親族の死に目に会えない、というのがプロ根性みたいですが、ファミリーを大切にする欧米人は考え方が違うのかな??
[a18109]
Re: もっと始末に悪いのは、アマチュア?
投稿日時:2006年04月11日 15:33
投稿者:tomtom(ID:QDU1YkE)
rioさん、こんにちは、tomtomです。
>趣味は、あまりに型にはめすぎると
>楽しめなくなる場合があります
>アマとしての最低限のマナーは
>周囲に気配りをする
>自論を強制しない
>音楽を愛する
>ってとここでいいのでは
そうですね。おっしゃることには一理あります。だが、kokukirinさんが強調したい場合というのは、オケやアンサンブルのように、自他が協働して音楽をつくる場合だと思いますよ。合奏で音楽を作る場合くらい、自他が高密度に協働し、そのことを通じて時間的にも空間的にも音楽的にも拘束しあう場面はないような気がします。こんなとき、意欲や情熱をすり合わせるための考え方や価値の基準が必要になると思います。
>趣味は、あまりに型にはめすぎると
>楽しめなくなる場合があります
>アマとしての最低限のマナーは
>周囲に気配りをする
>自論を強制しない
>音楽を愛する
>ってとここでいいのでは
そうですね。おっしゃることには一理あります。だが、kokukirinさんが強調したい場合というのは、オケやアンサンブルのように、自他が協働して音楽をつくる場合だと思いますよ。合奏で音楽を作る場合くらい、自他が高密度に協働し、そのことを通じて時間的にも空間的にも音楽的にも拘束しあう場面はないような気がします。こんなとき、意欲や情熱をすり合わせるための考え方や価値の基準が必要になると思います。
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