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鈴木の批判に成らない批判 | ヴァイオリン掲示板

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雑談・その他 15 Comments
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鈴木の批判に成らない批判

投稿日時:2004年08月26日 05:29
投稿者:pochi(ID:aTIQNDA)
貴殿が技術翻訳者で有る事を前提に書き込みます。

http://fstrings.com/board/board.asp?id=12505
[15079]
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Re: 本朝提琴教師批判

投稿日時:2004年08月22日 15:29
投稿者:tomtom(ID:mYVElFA)
みなさんこんにちは、tomtomです。はじめて書き込みさせていただきます。

この掲示板ではみなさんけっこうずけずけ発言されていますね。おどろきました。しかしこういうトーンは私は大好きです。

[15028]のHikkyさんのメッセージにレスです。

>>誰でも上手に成れると豪語した鈴木慎一大先生の欺瞞なのです。

>誰でも上手になれるとは言っていないはずですよ。
>子供が言葉をしゃべれる程度にはなれるというくらいです。

Hikkyさんのおっしゃっていることでどんぴしゃに思い出す本があります。『日本人の音楽教育』(新潮選書)という本です。この本で、著者のカヴァイエさんという人が、「音楽は芸術なのだから音楽を奏でるかぎりは芸術的に奏でなければ意味がない。これはちょうど文学は言葉の芸術なのだから芸術的に言葉をあやつることが出来なければならないのと同じだ。」ということを言っています。

この観点からカヴァイエさんは、ヴァイオリン学習者の演奏能力を、子供が言葉をしゃべる程度のレベルにしか導かないスズキメソッドは意味がない、と批判しています。

もしスズキ擁護派の先生がスズキメソッド擁護の観点から反論されるのであれば、この点について反論すべきかもしれないと思います。つまり、もしスズキメソッドでも芸術的な演奏が出来る生徒を育成できるのであればその根拠と証拠を示されれば、焦点の合った反論になろうかと思います。
tomtom氏<enjoy-liberty@jcom.home.ne.jp>
[04/08/22 15:29:55]投稿、

これは、批判として出来が悪過ぎます。
『日本人の音楽教育』(新潮選書)を読まないと反論出来ませんね。源典を忠実に引用して下さい。

ヴァイオリンの導入期に鮪を使う依り鈴木を使った方が良いのです。3歳や4歳の子供に譜面を読ませるのは酷です。私など、少し知恵遅れが有りましたから、平仮名・片仮名すら小学生に成る迄読めませんでした。

鈴木の学習者が、感性的に鈴木の限界を感じる事が出来無いのなら、鈴木で充分です。芸術的と云うのは多分に恣意的なものなので、鈴木が芸術的で無いとは云い切れません。私見として、芸術とは無縁なものだと思います。

鈴木を導入期に使ったからと云って、芸術的な演奏が出来無く成るとは限らない事は証明済みです。本を音読する時、棒読みする人が居ますが、其れを目指すのなら、鈴木は素晴らしいメソッドで有ると思います。

鈴木の模範演奏(レコードの時代の物)の一つ一つに厳しく批判を加え、自分でもう少しましな演奏をする事が出来ますので、生徒には、自分の録音をした物を渡して居た時期も有ります。

試行錯誤の末、鈴木批判をして居るので有って、他人の言葉を借りて(他人の権威を借りて)批判するなど、芸術家として、情けないと思いませんか?

但し、鈴木だけでは(私見としての)芸術的な演奏は出来無いであろう事は容易に想像出来ます。

原典を忠実に引用しなかったら、修士論文では一発アウト、免取りですよ。鱸成らぬ鮪薄識鰤がでて居ます。

それでは、、、。
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【ご参考】
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Re: 鈴木の批判に成らない批判

投稿日時:2004年08月27日 20:04
投稿者:とあるプロ(ID:KQcgJ5M)
>親としてはアタックの仕方も音程もリズムもハッキリいってめちゃくちゃで>したし、とても上手と言えない出来でした。
>そして、これを本当に芸術の体験と言えるのかどうかさえ疑問でした。
>しかし子どもの中では、「私はこんな難しい曲が弾けるんだよ。」という
>変な自信と自尊心が芽生えていて、
>このまま続けていくと子どもの今後の物事に対するあり方や見方にも
>大きく影響するのではと心配になりました。

全くその通りです。
その懸念は現実になるでしょう。
上のお話は閉鎖的な環境のスズキの先生より、保護者の貴方の方がずっと真っ直ぐな感性(つまり「常識」)を持っているという典型です。
上記のような困ったスズキ人を私は多数見てきました。
自分が弾けいために周りに迷惑をかけていてもワケの判らない精神論に
摩り替えてプライドだけは一人前。
スズキの先生、もっと言えば鈴木鎮一がそういう人だったので仕方がありません。そういう体質の団体です。
ここで投稿されてる一部の方も精神論や想像ではなく、実際にご自分のご子息が成人される頃になって「あの教育は間違っていた」と判る日が来るのではないでしょうか。私はそのようなスズキの理念や書物で書かれた綺麗事とはかけ離れた困ったスズキ人を余りに沢山見ましたので。
実体の無い精神論がお好きで、手軽に根拠のない自尊心をお子様方に養いたい方々にはお勧めします。
[15247]

Re: 鈴木の批判に成らない批判

投稿日時:2004年08月28日 00:14
投稿者:pochi(ID:lzkGE0A)
[15236]
[15236]

Re: 鈴木の批判に成らない批判

投稿日時:2004年08月27日 20:04
投稿者:とあるプロ(ID:KQcgJ5M)
>親としてはアタックの仕方も音程もリズムもハッキリいってめちゃくちゃで>したし、とても上手と言えない出来でした。
>そして、これを本当に芸術の体験と言えるのかどうかさえ疑問でした。
>しかし子どもの中では、「私はこんな難しい曲が弾けるんだよ。」という
>変な自信と自尊心が芽生えていて、
>このまま続けていくと子どもの今後の物事に対するあり方や見方にも
>大きく影響するのではと心配になりました。

全くその通りです。
その懸念は現実になるでしょう。
上のお話は閉鎖的な環境のスズキの先生より、保護者の貴方の方がずっと真っ直ぐな感性(つまり「常識」)を持っているという典型です。
上記のような困ったスズキ人を私は多数見てきました。
自分が弾けいために周りに迷惑をかけていてもワケの判らない精神論に
摩り替えてプライドだけは一人前。
スズキの先生、もっと言えば鈴木鎮一がそういう人だったので仕方がありません。そういう体質の団体です。
ここで投稿されてる一部の方も精神論や想像ではなく、実際にご自分のご子息が成人される頃になって「あの教育は間違っていた」と判る日が来るのではないでしょうか。私はそのようなスズキの理念や書物で書かれた綺麗事とはかけ離れた困ったスズキ人を余りに沢山見ましたので。
実体の無い精神論がお好きで、手軽に根拠のない自尊心をお子様方に養いたい方々にはお勧めします。
とあるプロ氏投稿、

鈴木の先生とて千差万別なので、十把一絡げにするのは、如何な物かと、、、。 [15236]
[15236]

Re: 鈴木の批判に成らない批判

投稿日時:2004年08月27日 20:04
投稿者:とあるプロ(ID:KQcgJ5M)
>親としてはアタックの仕方も音程もリズムもハッキリいってめちゃくちゃで>したし、とても上手と言えない出来でした。
>そして、これを本当に芸術の体験と言えるのかどうかさえ疑問でした。
>しかし子どもの中では、「私はこんな難しい曲が弾けるんだよ。」という
>変な自信と自尊心が芽生えていて、
>このまま続けていくと子どもの今後の物事に対するあり方や見方にも
>大きく影響するのではと心配になりました。

全くその通りです。
その懸念は現実になるでしょう。
上のお話は閉鎖的な環境のスズキの先生より、保護者の貴方の方がずっと真っ直ぐな感性(つまり「常識」)を持っているという典型です。
上記のような困ったスズキ人を私は多数見てきました。
自分が弾けいために周りに迷惑をかけていてもワケの判らない精神論に
摩り替えてプライドだけは一人前。
スズキの先生、もっと言えば鈴木鎮一がそういう人だったので仕方がありません。そういう体質の団体です。
ここで投稿されてる一部の方も精神論や想像ではなく、実際にご自分のご子息が成人される頃になって「あの教育は間違っていた」と判る日が来るのではないでしょうか。私はそのようなスズキの理念や書物で書かれた綺麗事とはかけ離れた困ったスズキ人を余りに沢山見ましたので。
実体の無い精神論がお好きで、手軽に根拠のない自尊心をお子様方に養いたい方々にはお勧めします。
とあるプロ氏の投稿も表題通りです。

録音技術を導入するのなら、複数の録音を聴く事と、自分の録音を自分で聴いて観る事、楽譜を読んで、曲に対するイマジネイションを構築出来る事が大切だと思います。鈴木の先生とて、鈴木メソッドのこれらの欠陥が解って居る人もいらっしゃるでしょうから、自分なりに改良してメソッドを使う人が居ても全く不思議では有りません。

[15220]
[15220]

Re: 鈴木の批判に成らない批判

投稿日時:2004年08月27日 15:46
投稿者:芸術作品の体験(ID:k1JVRoA)
芸術教育という言葉が出てきました。
バイオリンに限らず、ひとつの芸術作品を投げかけても、
受けとる相手によってそのとらえ方は千差万別です。
感性や育った環境が違うのですから当然でしょう。

しかしたとえ趣味であったとしても、
アマチュアなりの向上心はいつも持っていたいものです。

子どもがスズキでバッハの「二つの為のバイオリン協奏曲」(4巻or5巻)を習っていた時、先生は「この曲が体験できるだけでも素晴らしいことです。」とおっしゃっていました、誉めても下さいました。
スズキの先生に、子どもに芸術を体験させているという自負を感じました。
しかし、親としてはアタックの仕方も音程もリズムもハッキリいってめちゃくちゃでしたし、とても上手と言えない出来でした。
そして、これを本当に芸術の体験と言えるのかどうかさえ疑問でした。

しかし子どもの中では、「私はこんな難しい曲が弾けるんだよ。」という
変な自信と自尊心が芽生えていて、
このまま続けていくと子どもの今後の物事に対するあり方や見方にも
大きく影響するのではと心配になりました。
スズキにいた時はいつもそんな心配と疑問でいっぱいでした。
難しいですが、いかがなものでしょうか。
芸術作品の体験氏投稿、
これは、先生の生徒に対するリップサービスだと思います。この位は云わないと生徒もやる気を無くして仕舞いますから、私などもっと褒め千切って居りました。

無用な自信と自尊心が有るのなら、高忠実度録音でお子様に演奏を録音したものを聴かせてあげれば良いと思います。簡便な録音なら、「この録音よりもあなたの演奏は下手である」と云い切って良いと思います。

私見ですが、鈴木の昔の録音のバッハ・ドッペルは絶対に許せません。

御参考になれば、、、。
[15267]

Re: 鈴木の批判に成らない批判

投稿日時:2004年08月28日 11:40
投稿者:TORU(ID:QhGBhxc)
教則本について
   私は、メソッドのお世話にはなりませんでしたが
   教則本とはつきあわされました。(「ソノシート」付き!)
   文句は一言、 曲がつまらない。無論例外もありますが。
    古い(平均作曲年代はどれくらいかな)
    リズムも和声も単純すぎる(ソナチネといい勝負)
    子供心にも恥ずかしくなるような大げさな曲が多い
    暗い曲が多い(短調と長調の割合を調べたらどうでしょう)
    せかせかした曲が多い(ゆったり歌える曲が少ない)
    ピアノ伴奏がつまらなすぎる
    等々 書き込んで憂さ晴らし
  優れた現代の作曲家が全力をかけて新しいバイオリンの教則本を
  書くといった企画がないものですかね。
  このサイトに海外からアクセスされてる方、
  初心者用の優れた独奏曲、合奏曲を
  どんどん紹介して頂きたいものです。

教師について
  よほどの自覚がない限り、教師は
  自分が教わったようにしか教えられないものです。
  それが鈴木王国の理由と思いますが如何。
  いくら外部から改革しても、日本の学校英語が変わらないのも同じ。 
[15313]

Re: 鈴木の批判に成らない批判

投稿日時:2004年08月29日 09:14
投稿者:pochi(ID:lzkGE0A)
[15267]
[15267]

Re: 鈴木の批判に成らない批判

投稿日時:2004年08月28日 11:40
投稿者:TORU(ID:QhGBhxc)
教則本について
   私は、メソッドのお世話にはなりませんでしたが
   教則本とはつきあわされました。(「ソノシート」付き!)
   文句は一言、 曲がつまらない。無論例外もありますが。
    古い(平均作曲年代はどれくらいかな)
    リズムも和声も単純すぎる(ソナチネといい勝負)
    子供心にも恥ずかしくなるような大げさな曲が多い
    暗い曲が多い(短調と長調の割合を調べたらどうでしょう)
    せかせかした曲が多い(ゆったり歌える曲が少ない)
    ピアノ伴奏がつまらなすぎる
    等々 書き込んで憂さ晴らし
  優れた現代の作曲家が全力をかけて新しいバイオリンの教則本を
  書くといった企画がないものですかね。
  このサイトに海外からアクセスされてる方、
  初心者用の優れた独奏曲、合奏曲を
  どんどん紹介して頂きたいものです。

教師について
  よほどの自覚がない限り、教師は
  自分が教わったようにしか教えられないものです。
  それが鈴木王国の理由と思いますが如何。
  いくら外部から改革しても、日本の学校英語が変わらないのも同じ。 
TORU氏投稿、
教師について
  よほどの自覚がない限り、教師は
  自分が教わったようにしか教えられないものです。
  それが鈴木王国の理由と思いますが如何。
  いくら外部から改革しても、日本の学校英語が変わらないのも同じ。

ガッコのセンセの場合、オベンキョが出来る人は成りませんし、ガッコのオベンキョに疑問を持つ感性が無いからガッコのセンセに成るのだと思います。例外は居ると思いますが、頭が非常に悪い人達だと思います。だから日教組は内紛に力を注ぎ、国家(文部省)との利害関係を明確に認識する事すら出来なかったのだと思います。

昔のガッコの先生は、夏休みも有って、規制が厳しく有りませんでしたから、大らかな職場だったでしょうね。数学のセンセをし乍ヴァイオリン演奏活動をするなんて、中々良い環境だと思います。数学は、センセに取って高校迄なら全くオベンキョする必要は、皆無ですね。

提琴教師の場合も、鈴木に疑問を持ち乍、鈴木を改良して使う事は難しいでしょうね。然し、その後、鈴木ではないメソッドを知ると、足りないトコロは直ぐ解りますし、立場上、鈴木のセンセに成らざるを得無いケイスも充分に考えられます。

日本で鈴木のセンセを教える教室を開いたら儲かるでしょうか?
[15415]

Re: 鈴木の批判に成らない批判

投稿日時:2004年09月01日 11:36
投稿者:鈴木鎮子(ID:JydVRIQ)
並以上にヴァイオリンを弾くセンスがあるならスズキの先生にはならないってのは同感。ヴァイオリンを弾くという複雑なプロセスを正しく理解するにはCD物真似の次元では無理です。プロとしての演奏経験がなければ弾き方など判らない。せめて音楽大学で見聞を広め、スズキレパートリー以外の曲も一通り経験しなければ人様に教える仕事は成り立たない筈だ。
それをあのシステムに乗って悪気もなく平気で教えられる、というのは一種のセンスの欠落した人や、スズキ式しか知らない人なのでしょう。
私の知るスズキの先生になった人のサンプルですが、
・スズキにどっぷり漬かっていた為に音楽大学に行きたいと思った時には音感も読譜力も全く無く、奏法も基本が身についておらず音大に行けなかった。その為スズキの指導者になった。
・スズキどっぷりだったので何の疑問も持たずスズキの先生になった。
・スズキ育ちで地元のジュニアオケに入ったが落ちこぼれであった。自分は一生かかっても楽譜を読めるようにならないと悟ってスズキに戻り、教師となった。
・親に音大に行かせる経済力が無かった。
・スズキ育ちで2浪して3流音大に入ったものの卒業後に仕事のクチがなく、田舎のスズキの先生の助手をしている。
こんなところです。
皆さん非常に偏っていてハッキリ言ってプロ同士の会話は出来ません。
実は私の友人がスズキの先生(音大など出ていない)を教えているのですが、彼女の曲を弾くときの目標はいまだに「途中で引っかからずに弾き通すこと」になってしまうのだそうです。友人は他の事にも気づいて欲しいと系統立てたレッスンをしたいと思っているようですが、CDに合わせて弾くことが最高だと思って育ってしまった人はそういうことばかりを気にする習性が染み込んでいるらしい。模範演奏を示しても、例えばそれが弓の扱いや手の形を示すためのものでも「間違えないで弾けるなんて神業ですね!」と、それしか認識しないのだそうです。
で、楽譜が読めないから結局弾いて聞かせることも増えてしまうし、論理的な話も難しい。楽譜を読めるってこんなに偉大なことだったんだ、というのがスズキの先生を教えて感じたことだそうです。
そのスズキの先生のオカシナ弾き方を直す為にはスズキの問題点について講釈せねばならない場面も当然出てくるのですが、そのようなことは頑として受け入れない(というか受け入れたら弾けなくなるらしい)のでスズキの先生をダイレクトに教えるのはかなり大変そうです。
スズキの先生のための読譜教室辺りから始めるのが良いのではないでしょうか。けっこう需要はあるはずです。
[15418]

Re: 鈴木の批判に成らない批判

投稿日時:2004年09月01日 14:14
投稿者:pochi(ID:QilnZwI)
鈴木鎮子氏の御意見は、「創価学会に入ったら、坊主には成り難い。」と読みましたが、誤読ですか?法華経法華経ホーホケキョと唱え続けても、法華経の内容は解る筈も無く、仏教が何たるか解る訳が無いと思うんですが、創価学会も大衆組織として、其れなりの活動もして居ますから、全否定は出来無いと思います。鈴木然り。
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